810  城山/中道子山〜権現山(約8.5km)


なかなか一歩が踏み出せない・・・。そんな日々に区切りをつけると向った先は志方の城山。

新たに見つけたコースで目指せば雨後の新緑道もシットリ、ホトトギス・ウグイスの鳴き声絶え間なく

最高峰の城山で地元の方と長く歓談。




◎所在地 : 加古川市志方町広尾城山から権現池への南東尾根

◎地形図 : 2万5千図 『笠原(かさはら)』 『加古川(かこがわ)』

◎山行日 : 2024.5.5 (日)  晴れ  Age=77才

◎参  考 : @2010. 6.30 510   A2017. 1.13 654   B2017.10 8 663

           C2017.10.30
  D2023.11.20 797   
他何回も上る

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など : @2番から3番手前高木雑木帯 A主尾根歩き快適  

               B城山の青モミジと大展望

◎走行距離 : 往路 18.1km   往復 37.1km



権現池北詰ポンプ庫前P〜湖畔南下〜巡視路〜主尾根〜別当峠〜団子岩〜井戸跡〜

城山(271.2m一等)〜往路引き返し〜別当峠〜権現山〜往路引き返し〜

新巡視路下山〜権現池北詰ポンプ庫前P


自宅発(8:50)〜高畑〜池尻橋〜権現池西岸〜1・ポンプ庫前P(9:42〜9:45)〜

2・(9:58)〜3・尾根(10:25)〜4・反射板(10:34)〜引き返し〜5・分岐(10:40)〜

6・団子岩(10:50)〜7・別当峠(10:55)〜8・(11:13)〜9・井戸(11:27)〜

10・城山(11:30 昼/歓談 12:50)〜往路引き返し〜3・(13:32)〜

11・権現山(13:51〜14:11)〜5・(14:32)〜12・(14:47)〜

1・ポンプ庫前P(15:00〜15:05)〜野尻経由〜往路〜自宅(15:50)



5月24日以来の山歩き。「今度歩くのはここ」と決めていた上記2023.5.24の時見つけた城山への登山口から上るため権現ダムの西湖畔を走りながら登山口を探していると登山口に車が止まり作業服姿の男性が二人立っていた。ハイカーでなく「池の管理作業者」と思いながらポンプ庫前まで走った。1・ポンプ庫前P(9:42〜9:45)いつの間に私の横を通過したのか先程の二人が野尻地区方向へ向かう後ろ姿を見た??。

 
1番ポンプ庫近くにP 9:53   Pから2番へ向かう 9:53

新緑の木々のトンネルを歩き登山口に着く。
2・(9:58)登山案内「H=271m 城山2.1km 別当峠経由」パウチ「権現谷巡視工程 一の谷D通路 565m/565m公益社団法人 兵庫みどり公社 巡視用」巡視路でもあるのか、道は明るく右の流れなき谷に沿って上る。昨日かなりの量の雨が降ったのだろう道に積った落ち葉を押し流し地肌を現わしていた。

 
2番の案内 9:58           谷筋の道 10:06

植生はコナラ主体高木雑木隊が続く。ウグイスとホトトギスが絶え間なく鳴く。雑木帯の次にヒサカき帯になると左に折れて間もなく主尾根に着いた。
3・尾根(10:25)案内板「城山1.5km 権現湖0.6km」パウチ「権現谷巡視工程 一の谷D通路 565m/565m公益社団法人 兵庫みどり公社 巡視用」パウチ「権現谷巡視工程 一の谷B通路 0m/805m公益社団法人 兵庫みどり公社 巡視用」

 
3番T字路左権現山・右城山 10:25  3番でのパウチ案内

権現山は先に上るか下山時に上るか・・・下山時に上る事にして城山へ向ったが間もなく「城跡から西尾根を歩き志方東公園に下ってPに戻る」これも計画していたので、これに切り替え先に権現山に上ることにした。引き返し4番通過した後急下りに入り、途中から権現山を見て「わー遠いなー」西尾根歩きは中止して下山時に権現山に上ることにし、城山へと引き返した。

 
3番の案内板             4番への道 10:27

4・反射板(10:34)〜5・分岐(10:40)黄色いビニテープが張り巡らされ北の谷へ誘導していた。「Pへの谷へ下るのだろう」と思いながら通過。展望無き快適尾根を凸凹と進む。急下りに入り間もなくパウチ「権現谷巡視工程 団子岩E通路 100m/515m公益社団法人 兵庫みどり公社 巡視用(10;44)」高さ2m幅3m団子のような大岩が在り、これが団子岩かと思う。6・団子岩(10:50)

  
6番これが団子岩?10:50


 
7番別当峠の案内板 10:55    同所の道標 10:56
 
  
同所の案内板 10:59        11:07辺りの道

この周辺には他にも大きな露岩が点在していた。下り切ると記憶ある別当峠だった。
7・別当峠(10:55〜11:00)石の道標正面[左一本松 加んき・右加〇〇〇んろ」左側面「ノドリ世話人又兵ヱ」裏面「判読不明」右側面「安政?〇丁己四月五」(一本松・加んき・世話人又・丁己四月は確定)案内板「城山登山道500m(下山近道)城山頂上800m」峠から少し上ると曲輪と思う地形になる。

案内板(11:10)
下り登山道(近道)」矢印が南の谷筋を指す「城山頂上500m・城山登山道近道250m」「別当峠300m」左上の管理道を歩いているのだろう賑やかな子供の声がしばらく続いた「麓の小学生の遠足か・・・」。間もなく「井戸」の案内が出る。8・(11:13)暫らく山肌を北斜め上へ上り続ける、トラロープが出ると急な直登になり、雨後で滑ることもあり滅多なことで使わないロープを使って上った。9・井戸(11:27)

数匹のカエルが聞いた事の無い声を発して水溜まり(池)に飛び込んだ。笹に覆われかけた道を上ると管理道に出て直ぐ城門だった。
10・城山(11:30 昼/歓談 12:50)看板「中道子山城跡 播磨国守護氏範(氏則)によって築かれ、本丸・二の丸・三の丸から構成され、東播磨で最大の約66,000uのひろさがあります。山城跡には、城攻めの時に、斜面に竹の皮を敷いたが火をつけられた、坂の上から鯛をかかげ食料があると見せつけたなど伝説があります。本丸は、標高271mの山頂にあり、土塁囲いが残っています。

本丸入口の米倉跡は、三方を土塁で囲み、内側には石垣を積み上げています。二の丸には、大手門と櫓門が造られました。大手門は、四脚門の構えをもつ山城跡最大の門です。櫓門は本丸への通路に二ヵ所あります。三の丸には、搦手となる裏門が有ります。山城跡北側には、尾根を二本の堀切で切断しています。また、谷間には井戸を作り、堤を築いて貯水池にしています。

今も井戸の水は枯れません。山城跡は、大永年間(1521〜1527までに築城され火災後規模を大きくして再築城しています。これが現在の中道子山城跡です。この山城は、近世城郭へと移り変わる過渡期の姿をのこせています。 平成13年3月加古川教育委員会」

大柿 昭三様

志方城山の一等三角点標石についての情報ですが、新字と旧字が混在し、側面には国地院やNoが刻まれ、一等三角点の記(初期から現在分)には柱石交換記録がありませんでしたので、国土地理院本院に問合せたところ、成果表には昭和43年に柱石交換の旨の記載がありましたと回答がありました。

 そして、兵庫県内の一等三角点の中では最初にICタグが取り付けられました(国土地理院近畿地方測量部調べ)

注ェ田 幸義(はねだゆきよし又は羽根田)

素晴らしい青モミジに癒されながら散策して本丸に着き、立派な一等三角点石標を見て展望のため東端へ行くと同年代の男性が椅子に座って居眠りをされていた。展望は六甲山系、淡路島が微かに確認できた。迷ったが男性に声を掛けた。

 
10・城山の城門 11:30      本丸への入口 11:35

男性とは山歩きの話しや私が腰に着けているボトルを見て「もしかして自転車も」で自転車(ロード)と両方の話しが弾み話し込んでしまった。終盤は麓で毎年開催されている「コスモス祭り」の話になり「今年は是非来て下さい」と招待された。「20年生まれ久保田です」「22年生まれの大柿です」自己紹介をして別れた。往路引き返す。

 
赤松城址の石碑と三角点石標(手前) 11:37 久保田さん 12:50

3・(13:32)ここでバッタリ朝方の二人に出合う。ここで送電線鉄塔の巡視員だと分かる。朝方は野尻地区か南網引地区を巡視されたようだった。巡視の事を会話して別れ私は権現山へ向かった。4番からは意外と長く感じる中下り、鞍部から北へほぼ水平に古い踏み跡らしきものが在ったので歩いて見たが50m位先でシダなどに覆われていて引き返し権現山に上った。

 
3番で対面した巡視員        権現山手前の道 13:47

今日も頂上近くから南への破線道がないか探したが見つからなかった。
11・権現山(13:51〜14:11)展望無し、保護石二個、タグ有り。山名プレート二枚「権現山194m」1枚はかなり古い。そうこうしていると3番で別れた二人がひょっこり現れて「あらー」改めて巡視の事など色々聞いた。

 11番 権現山西から 13:51


@本部は宍粟市で我が実家の波賀町飯見も知っておられた。A巡視担当地域はこの辺りでその地図を3枚くらい持っておられ見せてもらうとかなり拡大されたモノクロ地図に太い線で巡視路がかかれていた。B真夏でも巡視する。私は引き返し気になっていた5番から下ることにしたが二人は
C2017.10.30 655 コースの東へ下るようだった。権現山から下り鞍部からの上りはかなりきつく途中で休んでおやつを食べた。(14:20〜14:26)〜4〜3〜5・(14:32)

 
5番 巡視路入口 14:32     巡視路 14:39

 
12番 砂防ダム 14:47       里に出る 14:54 右端ポンプ庫

黄色のビニテープに導かれ下っていると中程で例の赤い札に巡視路と書かれた札が立っていて正規の巡視路と分かる。この谷は大雨が降ると雨水が流れ谷川になるようでその様相を成していて谷は初めは細く浅い谷筋も下るにつれて深く広くなっていた(水流はなし)。
12・(14:47)ここには左からの谷筋は水が流れ小規模の砂防ダムが在りその直ぐ下流側を渡った。谷から上ると林道?砂防ダム管理道?がありそれを下る。獣除けの柵を通過し車に戻った。1・ポンプ庫前P(15:00〜15:05)

以下 羽根田様からのメールの一部コピー


インテリジェント基準点について

 イテリジェント基準点は、測量作業及び基準点維持管理の効率化を目的に測量の基準点へICタグを設置したものです。ICタグには、場所情報コード(ucode)、緯度・経度・標高が記録されていることから、位置情報がその場で即座に利用できるばかりでなく、ICタグに対応した測量機器の開発により、簡便な位置決定作業が可能となります。また、ICタグリーダ・ライタを使用することにより、基準点の現況調査作業の省力化を図ることができます。インテリジェント基準点のようにICタグ等を利用した位置情報サービスは測量作業にとどまらず、さまざまな分野での応用が期待されます。

 現在、全国で基準点維持管理及び測量作業の効率化を目的としたイントリジェント基準点の整備を行っており、平成21年度は、標石の三角点約2万点をインテリジェント基準点化しています。今後は、都市計画区域の基準点を中心に、インテリジェント基準点化を進めていく予定です。(詳細については下記HP)

ICタグの読み取り機は、あるメーカーが20万円ほどで販売しており、今後、数社から参入予定です。

大柿 昭三様

志方城山の一等三角点標石についての情報ですが、新字と旧字が混在し、側面には国地院やNoが刻まれ、一等三角点の記(初期から現在分)には柱石交換記録がありませんでしたので、国土地理院本院に問合せたところ、成果表には昭和43年に柱石交換の旨の記載がありましたと回答がありました。

 そして、兵庫県内の一等三角点の中では最初にICタグが取り付けられました(国土地理院近畿地方測量部調べ)

注ェ田 幸義(はねだゆきよし又は羽根田)


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11・権現山