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799   飯盛山/春日山/春日城跡 (約2.5km)



A2000.7.16(日) 妻とMTBを連れて日光寺〜深山を歩いたコース(bP74)。
日光寺の看板にここから眺めた春日山についての記述あり、帰りに立ち寄った。

ちょこっと歩いてきました飯盛山。飯盛山は数あれど展望一位?全方位(360度)



◎所在地 : 福崎町八千草(鍛冶屋地区の東)

◎地形図 : 2万5千図 『北条(ほうじょう)』

◎山行日 : 2023.12.17 (日)  晴れ/風強し  Age=76

◎参  考 : @2022.3.11770   A2000.7.16(日) 日光寺〜深山(bP74)

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など : @全コース遊歩道  A頂上からの展望は360度

               B擬木階段がかなり有る

◎走行距離 : 往路 @38.0km   往復76.1km



鍛冶屋公民館P〜小飯森山〜飯盛山(197.8m三等)〜

八千草キャンプ場〜グラウンド〜鍛冶屋公民館P



自宅発(10:53)〜権現ダム〜北条駅前経由〜1・鍛冶屋公民館P(12:17〜12:31)〜

2・小飯盛山・春日山・庄地区分岐(12:35)〜3・小飯盛山(12:37)〜引き返し〜

4・庄地区(12:45)〜引き返し〜2・分岐(12:49)〜5・春日山/飯盛山(12:58〜13:11))〜

6・キャンプ場/鍛冶屋公民館分岐(13:17)〜7・八千草キャンプ場(13:25〜13:31)〜

6・分岐(13:50)〜7・グラウンド(13:54)〜1・鍛冶屋公民館P(14:00〜14:15)〜

剣坂交〜志方細工所〜中島交〜自宅()



読売新聞朝刊「播磨姫路」に「春日山城に思いをはせて」として福崎町八千草の春日山城跡をPRしようと町などが3日、鍛冶屋公民館周辺「いざ登らん!春日山城!」を開催する。これを見て「妻と上った山」と言う思い出があり上って見る事にした。『町によると春日山城は14世紀の築城とされ、播磨の守護・赤松氏の配下だった後藤氏の居城として受け継がれたが、天正年間(16世紀)に羽柴秀吉によって攻め落とされた。当日は、中世の城郭研究家が作成した春日山城の想像復元図のレプリカ贈呈式のほか、播磨ゆかりの戦国武将・黒田官兵衛、後藤又兵衛らのレプリカ甲冑の展示などが有る。城跡へ登るツアーも予定』問い合わせ・・・

当日になって行く気なったので出足が遅れた。土地勘も記憶が薄れていたのでナビに頼ると北条経由になり、凄く遠回りなった。北から八千草に入り鍛冶屋地区で出合った人に登山口を尋ねると丁寧に教えて下さった。が、何分、道幅が狭く再度たづねると「もう少し進むと案内が有り公民館のPに止めるといい」案内は近畿自然歩道の道標だった。1・鍛冶屋公民館P(12:17〜12:31)立派な公民館で隣に神社とお寺が在り鳥居の横に太鼓小屋もあった。


1番鍛冶屋公民館・後方:春日山12:28   春日山登山口12:31

登山口看板
『春日山城跡 所在地 兵庫県神崎郡福崎町八千草(鍛冶屋区) 城史 春日山城は、建武年間(1334〜1336)の築城とされ、後藤基明が初代城主と伝えます。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下といわれ、応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとされます。

天正の頃の城主は後藤基信とされ、天正6年(1578)、春日山城は羽柴秀吉の播磨攻略のときに落城し、基信は自刃したと伝えます。城跡のある春日山城は標高198m。山頂には曲輪(城郭内で建物が置かれたり、兵が駐屯したりする平坦地)などの城郭遺構が残っています。」「ゆかりの人物 後藤又兵衛基次 1560〜1615年 安土桃山時代から江戸時代初期の武将。

通称は又兵衛。春日山城を築き一帯を支配していた播磨後藤氏の一族で、南山田城(現姫路市)に居城したとも伝えます。「黒田二十四騎」「黒田八虎」のひとりに数えられ、黒田官兵衛・長政2代に仕えました。槍の名手で「槍の又兵衛」と呼ばれ、多くの軍功をあげました。豊臣秀頼の招きを受けて大阪冬の陣で活躍しましたが、夏の陣で討死しました。』



春日山登山道12:33             2番分岐・右春日山 左小飯盛山

登山口に近畿自然歩道道標あり「春日山山頂0.4km」登山道の脇に「春日山城跡」の幟が立ち右孟宗竹林、左混成林で急でないが擬木階段もあり。
2・小飯盛山・春日山・庄地区分岐(12:35)高木雑木あり落ち葉が積る。先ずは北の小飯盛山へ向かう。3・小飯盛山(12:37)もともと削平地だったのだろう所を更に造成され、北方面大展望。左から大倉山・明神山・七種薬師・七種山・七種槍など一杯、引き返し分岐に戻る。東山裾の庄地区へ下って見る事にした。


小飯盛山への道 12:36       3番 小飯盛山 南から 12:37


2番から春日山への道 12:49      同 12:50

道は近年拡幅されたジグザグ道、すぐに裾に着き折り返した。
4・庄地区(12:45)引き返し分岐に戻る。2・分岐(12:49)いよいよ山頂へゆる上り、途中北面の樹間より眺めると△日光寺の山が見え中腹にお寺が白い点に見えた。こちらから見る山塊は予想もしていなかった素晴らしい独立峰に見えた。5・春日山/飯盛山(12:58〜13:11)郭や石垣の形跡なし、一面の削平地、しかし木内内則氏の想像復元図によると全体が二段に描かれている(木内氏は自分で現地を歩いてメジャー実測測量されている有名な方)。


上り中程から△日光寺(中央・ズーム) 12:56  普通

360度大展望、先ず△日光寺を眺める。素晴らしい山容に感動すら覚える。七種山方面は先程の長めと同じ、妻とはキャンプ場から上ったがその時は立木に囲まれて全く展望が無かったと記憶する。ほぼ中央に「食料貯蔵庫あり(深さ約1.5mで変形2m四方)」が在った。春日山山頂パロマビューポイントの写真パネル板が立ち北方面の山並と山座が山名入りで紹介されていた。それに「ひょうごの景観ビューポイント 150選 平成30年度」のプレートが付けられていた。


5番 春日山頂上 13:03     


食料貯蔵庫・北から 13:04          西方向・明神山、七種山方面 13:10

下山は「春日山キャンプ場」方面へ下った。擬木階段.の連続で数えると217段あった。その後は緩下りで分岐に着いた。
6・春日山キャンプ場/春日山山頂分岐(13:17)近畿自然歩道の道標「春日山キャンプ場0.3km春日山山頂0.3km」想い出のキャンプ場へ向かう。少し下った鞍部は東西の谷に道らしき形跡在り峠と思う。。整備された道を緩く上り小高いコブを超えて下ると管理棟やログハウスが見えてきた。7・八千草キャンプ場(13:25〜13:31)


下山道、緩くなったところ 13:15      13:16



6番の先小高いコブへの道 13:19     7番 キャンプ場 13:25


岡山県と京都市住まいの二人 13:29    施設内の様子 13:31

人の声がして近付くと2人の男性がBBQをされていて挨拶から話しかける。「もう少し早かったら一緒に食べれたのに」「どちらから」「岡山県と京都市」住まいは離れていたが友達とのこと。SNSで集合場所を発信して見ず知らずの人が集まり事を始めることもあると聞いていたのでその類かと思いきや友達だった。「私は加古川市の方から・・・」加古川は知らないとの事だった。ここから引き返そうかと思ったが在るであろう峠への道を辿ると消えかけていたが道の形跡在り予想峠の所に出た。
6・分岐(13:50)


キャンプ場から6番への谷筋 13:35     8番 グラウンドに出た


8番 グラウンド               
 帰路春日山を眺める 14:30

何故か公民館との案内は無かったが賑やかな人の声がする北への道を下るとグラウンドに出た。大勢の大人や子供がソフトボールをしていて「寒いのに頑張っているね大会ですか」と尋ねると「親子大会」と言った。
7・グラウンド(13:54)舗装路を歩いて公民館に戻った。1・鍛冶屋公民館P(14:00〜14:15)

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△深山

当時この林道は南から
×でストップしていた
ここから北の道は釜坂峠まで
無かったと思う

△日光寺