10・日光寺
5・東屋

№770  日光寺~△日光寺(約9.0km)


ふと目に留まった此の実線、土道を願って登山口。

ぽかぽか日和と、ほんに長閑な谷間の集落。

舗装路脇の膨らみかけた木々の芽見ながら日光寺(寺と△)目指し上り続ける・・・。




◎所在地 : 福崎町亀坪の北・市川町(△深山の西) 

◎地形図 : 『北条(ほうじょう)』    

◎山行日 : 2022.3.11 (金)  晴れ 

◎参  考 :  ①00.7.16  ②13.1.9 574

◎山行者 :  単独         Age=75

◎コースの見など : ①展望台から360度展望  ②日光寺(密花園?)南から西の大展望) 

              ③△日光寺から北の眺め


◎走行距離 : 往路 36.7km   往復 73.8km



福崎町東田原日光寺山登山口(📡管理道)~日光寺(密花園?)~旧参道?~

日光寺(408.43m四等)~管理道下る~旧参道(近畿自然歩道)~亀坪~日光寺山登山口



自宅発(9:28)~高畑~池尻橋~網引交左折~法華口交右折(R43)~中西交左折~

殿下交右折(R43)~R23~播州倉庫前右折(日光寺登山口BS)~

1・亀壷・林道(笠形線)分岐(10:48)~2・亀坪中池(10:55)~

3・日光寺山登山口(10:58~11:12)~4・百丁池(11:19)~5・展望東屋(11:45)~

6・亀坪分岐(11:59)~7・日光寺分岐(12:01)~8・分岐(12:06)~9・日光寺(12:19~12:41)

~10・△日光寺(12:58)~6・・亀坪分岐(13:20)~11・亀坪登山口(13:40)~

3・
日光寺山登山口(14:10~14:30)~往路~自宅(16:03)



今回まで余り気に止めていなかったこのコースだったが「誰でも歩けるコース」を探していて歩いて見る事にした。△日光寺へは今回で3回目となるが以前の記録は復習せず記憶に留めて発った。播州倉庫の前の日光寺登山口から入って行くと間もなく「亀坪 林道」の標識あり林道に関する案内板が立っていた。林道は見える範囲完全舗装(2013年には土道だった)で△深山の西裾を通過して釜坂峠・船坂峠へと延びている。

 
1番 左亀坪・右林道 10:48            左分岐の近くの石仏 10:50

少し手前左道端に「日光寺道」の道標と更に手前左山肌に全高1m余りのお大師が祀られていた(共に往時)。
1・亀壷・林道(笠形線)分岐(10:48)緩く下りY字分岐を右へ進むと亀坪に着く。2・亀坪中池(10:55)僅かに点在する亀坪集落(下山地点)を眺める。傍らに「近畿自然歩道」の道標あり『日光寺1.5km 大善寺0.9km』引き返す方向で登山口へ向かう。3・日光寺山登山口(10:58~11:12)道端にP。

 
2番 亀坪集落・左最奥が△日光寺 10:55   3番 日光寺登山口(左) 11:14

ここにも太い丸太の『日光寺登山口』の道標が立っていた。近畿自然歩道の道標も立つ『岩尾神社0.9km 日光寺2.1km』この道は△日光寺山又は辺りのアンテナ群や中継塔建造用で土道を期待していたが舗装されていた。少し上ると左に池が在り3人がフナ釣りをしていた。
4・百丁池(11:19)池から中上りになる。山中から本鳴きに近いウグイスの鳴き声が聞こえた。近畿自然歩道の道標(11:24)『岩尾神社1.2km 日光寺1.8km

 
4番 百丁池 東から 11:18              近畿自然歩道道標 11:38

 
上り勾配が緩くなる 11:38               左が全開する 11:41

中上りが続き近畿自然歩道の道標(11:31)『岩尾神社1.5km 日光寺1.5km』上り道は緩くなり北が全開、深い谷の上方尾根は2013年に歩いた市川と福崎町の界尾根。景色を楽しみながら進んでいると左尾根に東屋が在り立ち寄る。
5・展望東屋(11:45)東山肌に日光寺、その上方にアンテナと巨大中継塔が見えた。谷筋にはエメナルドグリーンの溜池も在り。山肌は広範囲木々が伐採され植林されているように見えた。

 
五番 東屋が現れる 11:44               東屋から 
左上奥が△点 白い点がお寺 11:46

 
東屋から 
尾根は福崎・市川町の界尾根 11:47        横這いを行く 11:52

横這い道を行く。
6・亀坪分岐(11:59)00年にはここに上がって来た。近畿自然歩道の道標あり『大善寺1.9km 岩尾神社2・4km 日光寺0.5km』ここが今日の下山口となる。「日光寺入口までまだ歩かなくては・・・」と思う間もなく近畿自然歩道の道標ああり7・日光寺分岐(12:01)『大善寺2.0km 岩尾神社2・6km 日光寺0.4km』舗装路から旧参道に入る。

 
7番分岐 旧参道 12:01                8番 33基の石仏の始まり 12:06

「山歩きはこれでなくっちゃ」緩い上り勾配を行く。間もなく舗装路からの道が下りてきていた。
8・分岐(12:06)ここから太いスギの生える横這道で道の右に石仏が並ぶ(1番から33番まで)。これが途切れると境内に入る。9・日光寺(12:19 おやつ 12:41)

初めの看板『播磨中の本山日光寺の由来 この寺は大化元年人皇三七代孝徳天皇御代法道仙人の開基日光月光万多羅の三寺建立人皇四十代天武天皇白鳳元年勅命有て再建宝暦年間奈良の僧了心明道聖人復興業起し十三棟健之姫路城主代々信仰あり鬼門除けの守護寺とし表門建立縁を給ふ小松宮後光明寿院一品太王侍従如円随で来住世に播磨御室御所尊唱し瀬戸水軍将河野直賢出家来住するや多くの財寄進隆盛柱む明治の頃より三度廃亡昭和六年現住職僧正淳明復興業起し本堂庫裏初め求聞持堂研修所鐘堂八棟三度復興す 
寺宝 本尊千手十一面観世音 左甚五郎作大黒天 徳川家康直筆多くの寺宝あります

もう一つの看板
『大化元年(645年)法道仙人により開基され、真言宗御室派(おむろは)の中本山で、かっては天武天皇の勅願時、霊元天皇の御猶子の隠居所として栄えました。その後、衰微していたものを宝暦年間明導上人が復興しましたが明治の神仏分離により再び荒廃しました。昭和に前住職安井淳明師によって現在の姿に再建増築されました。日光寺山からは、姫路平野や播州臨海工業地域、遠くは六甲山系や明石海峡大橋を一望できます。近畿自然歩道 環境庁 兵庫県』

先へ進むと庫裏が在りジムニー(軽四駆)が止まっていた。その先の本堂は正面3間奥行き6間と言う非常に珍しい建て方(急斜面のためと思う)。本堂は無住(と、思う)で荒廃が進み中央より奥が建替えられていた。本道入口屋根裏に菊の御紋があしらわれていた(復刻)。南面に広場が在り、錆びながら00年にも有った硬貨を入れて見る望遠鏡が残っていた。ここの看板は上記二枚目の看板内容を簡略に英語・中国語で案内されていた。

 
9番 日光寺の庫裏(手前)と本堂 12:16      本堂前の広場 12:20

 
本堂 南から 12:22                   菊の御紋と思う 12:27

視程は霞んで悪く上って来た尾根と北条町の市街は見えるが施設など特定は出来なかった。そんな時、西の山中から山仕事か何かの音がし、気になり覗きに行くと仮のテントを張り土木工事をしていた「秘密基地ですか」応答はなかった。広場から西の山肌に踏み跡が在り空身で辿って見ると西主尾根を回り込んで更に続いていた。「この続きは市川町との境界尾根に繋がり市川町から日光寺へ又は境界尾根の西端井ノ口からの参道だったかも」と思いながら引き返す。

 
お寺から△日光寺への旧参道 12:47       △日光寺の道標 12:59

△日光寺へのコースを確認、当初は「舗装路歩きで」と思っていたが先程の道からのコースが浮かびこれに決めた。踏み跡を辿りアンテナマークを目指すとそれは正解で難なく辿り着けた。そこは境界尾根で東へ少し上ると最高点で道標が立っていた
10・△日光寺(12:58)「日光寺山山頂 408.8m 福崎町山の会」石標はアンテナ施設の傍らに無造作に立っていた。展望は北面が一部全開で下瀬加が見えていた。「NHK福崎テレビ中継放送所」など何基も建っていた。

 
△日光寺 12:59                     △日光寺の13:00アンテナ施設群

 
亀坪へ下る参道 13:30                 11番 亀坪から日光寺への登山口 13:42

亀坪へ下る分岐6番を目指し舗装路下った(楽ではなかった)
。6・・亀坪分岐(13:20)下り口はヤブっぽかったが少し下ると道は明確で下り続けた。ほぼ下り切ったあたりから現れた擬木階段と岩盤を掘削した階段を見て2000年に歩いた記憶が甦った。11・(13:40)。民家は5戸だったか・・・人の気配は感じなかったが集落出口で老婦人に出合い「日光寺に上ってきました」「わたしは長く住んでいるけどなかなか上れないわ」と言われ少し会話し、ぶらぶら歩いて車に戻った。
3・日光寺山登山口(14:10~14:30)

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