574 早戸〜深山〜日光寺(日光寺山)〜北浦谷
※12=福崎町・市川町・加西市の境界。 2〜12=福崎町と加西市の境界。
12〜13=加西市・市川町境界。 12〜28=福崎町・市川町境界
初歩き天気に誘われ即支度。
猛烈なシダ柴ヤブを覚悟で入れば、小シダヤブと小柴ヤブで覚悟の境界通過する。
3町境界城跡山域、立ち木が繁り林道走り記憶の地形も景色も変わる。
日光寺山から界尾根は日光寺詣の道が残り、更に近々人手が入り快適歩きで宮に着く。
◎所在地 : 福崎町西田原・東田原・亀坪の北境界主尾根。亀坪の東境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『北條(ほうじょう)』
◎山行日 : 2013.1.9 (水) 晴れ
日光寺山〜深山 @00.7.16
◎山行者 : 単独 Age=65
◎コースの見所 : @深山から東と北の展望
A深山〜恵比寿神社境界尾根は快適(一部除く・展望は今一)
B日光寺には徳川家康直筆の○○○が有るとの事
◎走行距離 : 往路@36.2 km (4.7km) A40.9km 往復 73.0km
福崎町井口自デポ〜引き返し〜福崎町大貫〜加西市・福崎町境界尾根北上〜
早戸(290.2m四等)〜3町境界/高峰山城跡〜東進〜深山(408.2m2等)〜引き返し〜
3町境界/高峰山城跡〜西進〜日光寺山(408.5m四等)〜西進〜北浦谷(322m三等)〜
播但道上通過〜井ノ口恵比寿神社〜自転車で走る〜車
自宅発(9:10)〜明姫R〜R43北上〜加西市〜R23〜福崎町〜R312北上〜
1・井口月見橋自デポ(10:10)〜引き返し〜2・(10;23〜10:30)〜3・(10:52)〜界外れる〜
4・林道(11:00)〜林道歩き〜界尾根に復帰〜5・(?)〜6・(11:21)〜7・早戸(11:35)〜
8・(11:39)〜9・古峠(11:43)〜10・(12:04)〜11・(12:10)〜12・3町境界(12:20)〜
13・深山(12:30〜12:35)〜引き返し〜12・3町境界/高峰山城跡(12:45)〜14・(12:50)
〜15・林道(13:06)〜16・アンテナ(13:16)〜17・日光寺山(13:23)〜18・(13:31)〜
19・(13:37)〜20〜21・(13:40 休 14:00)〜22・北浦谷(14:16)〜
23・(14:25)〜24・(14:32)〜25・TV(14:38)〜26・(14:48)〜27・(14:55)〜
28・神社(15:00)〜自転車・(15:10)〜自転車で走る〜2.車(15:36〜15:50)〜
往路引き返し〜自宅(16:46)
「今年の歩き始めは何時にしょうか」と思っていたところ、9日の朝が余りにも穏やかなので急遽「山へ行こう」と思い支度を始めた。何本かの計画の中から境界歩きのコースを選んだ。播但道を走りながら眺め続けている尾根で有る。
2000年には亀坪地区〜日光寺山〜3町境界(城跡)〜深山〜引き返し城跡から南へ下り古峠から亀坪に戻っている。自転車デポ地は神社と思っていたが神社への入り口が分からず、R312号沿いにデポした(時間が遅くなって急いていた)。
(1)自転車デポ:南から(15:10) 郡界石標(10:41)
引き返しながら、時間効率的には「神社から上った方が良かった」と思った。上り始点近くはPが無く少し離れて止めた。2・(10;23〜10:30)R23からの上りは諦めて途中から上り始めた。竹と灌木が混生する林を上る。猛烈なヤブを想像していたが反してかなり歩き易かった。加西・神埼『郡界』の石標が立っていた。間もなく造成地に出てその界を行く。
(3)尾根:南から(10:57) (3)への造成地(10:45)先端が3播
上りに掛り一枚脱ぐ。シダと柴の小ヤブを上る。3・(10:52)このピークはコシダが密生していた。地籍調査のプラ杭を辿って進みかなりのヤブを下っていると林道に出てしまった。4・林道(11:00)地図を見ると境界は林道を通過していなく界から外れた事が分かった。現在地確認をしながら、何処から界に復帰するか探しながら林道を歩く。
(4)林道:西から(11:01) (6)東から(11:21)
「ここや!!」尾根に近くヤブ無き雑木林から界尾根に復帰した。5・(?)シダ柴ヤブも消えて快適に歩けた。6・(11:21)界からほんの少し左に外れた『ヒトツバ』がへばり付いた岩場に立つと左下に林道が見えた。マッタケ山だったのだろうユニ紐が張られているが朽ちかけている。朽ち倒木が邪魔する所もあるが大きな支障はない。7・早戸(11:35)展望・タグ・保護石無し。ここからは依り快適歩きになる。
(7)早戸:西から(11:35)
この尾根は削平地の様で出城跡かも・・・と思いながら歩いた。8・(11:39)明るい灌木帯を下る。9・古峠(11:43)2000年7月にはここから西へ下り林道を横断して亀坪に向かったがエゲツナイ葛地獄にハマった記憶がよみがえった。古道の形跡はその当時と変わりないように思え道らしき形跡なし。
一段上っての高みからの展望で見える東面の山並み全ての赤松は緑で無く枯れて紅葉の如く赤茶。ここまでもそうだったが広範囲に生えている赤松は全滅と言っても過言で無き程に枯れている。何十年か前にも『松枯れ』が問題になったが今回は放置状態と思う(二ユースにも聞かず)。
(9)の古峠への下り(11:41) 古峠から一段上った所から東面(11:52)枯れた松
次の上りからは高木雑木になりホッ。中上りからつま先上りになって上り切る。10・(12:04)次の上りは右に巻き道あり。00年に歩いた時に巻いた布を見る。11・(12:10)確実に城跡に踏み込む。快適横ばいを行く。上りから矢竹?帯に入る。石垣は無きも段差を上ると広い平地に礎石?らしき石列を見る。更に一段上り切ると城跡の最高点に立った。12・3町境界/城跡(12:20)
(10)への上り(11:56) (12)への上り矢竹帯(12:14)
深山へ向かう。始めは竹藪っぽいが直ぐに快適になる。雑木帯の梢ごしに紅白の大鉄塔が見える。間もなく舗装管理道に出て上る。右に『明石海峡が見えます』との札が立っていたが霞んで見えず。東尾根取り付きに移設の三角点。13・深山(12:30)展望、タグ、保護石無し。上り切って展望する。北に笠形山・西に七種山山塊の奥に明神山が見えた。引き返し発(12:35)
(12)から深山への道(12:27) 管理道に出る 「明石海峡大橋が見える」の看板
林道手前尾根からの眺め(13:03) (15)林道:南から(13:07)
16・アンテナ(13:16)その後短急登で舗装路に出て二つ目のアンテナ群に着く。最高点へ向かっていると移設されたか不自然な所に三角点の石標が立っていた。17・日光寺山(13:23)展望北面(笠形山方面)、タグ、保護石無し。ここで昼にする予定だったが進む。展望は無いが觀木帯に明るい開きがあり快適歩きが続く。18・(13:31)
幅広い道が続く「日光寺詣での道では・・・」と思う(帰宅後〈やまあそ〉のHP(20012.3.11)を見ると予想通り詣での道でこの先(20〜21)辺りの疑問に思った地形は生石灰の露天掘り跡だった事も分かった。先のコブはピーク左巻き道を行く。19・(13:37直尾根に明るい巡視路在り誘い込まれそうになった。
(19)先尾根(13:32) (20手前尾根)(13:41)
次のコブ前から周りの地形は広範囲大規模に人工的に掘られた地形になる。しかし、鉱石を採った跡でもなさそうで、ここは〈やまあそ〉が歩いているのでその情報を得ることにした。そんな事を思いながら小さなコブで休憩に入る。20〜21・休み&探索(13:40〜14:00)南展望ある削平地?に大岩が鎮座?していた。
平地のため近くから転んできたとは考えられず、私の想像では「念力でここに移動された」ということ。その近くには岩坐?とでも言う岩場(高い崖)が在り、その裾には大岩が積み重なっていた。地図の破線は林道?金網フェンスが張られ道は尾根へと斜めに上っていた。
(21)謎の大岩:北から(13:59)H=2m位 (21)の崖;南から(14:00)H=10m位
金網フェンスの所から崖のに上る為のトラロープ使って登り崖の上に立ったが遠望は無かった。少し進むと林道が合流し、林道は間もなく下方へ下っていた。ほぼ横ばいに進む。22・北浦谷(14:16)北への破線は微かに踏み跡が在った。紐が無ければ快適なのにユニ紐が出て見苦しい
(22)北浦谷:東から(14:16) (23)からの下り(14:25)
23・(14:25)ここからは、暫く人工的に作られた道と成る。24・(14:32)快適歩きは続く。25・TV(14:38)廃棄アンテナと新設のアンテナが立つ。26・(14:48)次のピークは右に巻き道在るも頂きに立つ(小ヤブ尾根)。27・(14:55)南北が開け町並みが見える。頂きはイノシシが広範囲激しく掘り返していた。
(27)からの下り(14:59) (27)からの下り巻き道に合流(15:01)
(28)恵比寿神社:南から(15:06)
下りは素晴らしい高木雑木帯になる。間もなく巻き道と合流して快適に下り神社に着いた。28・神社(15:00)散策しながら自転車に戻る。自転車・(15:10)〜自転車で走る〜2.車(15:36〜15:50)
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26
28
2
7・早戸
290.2m