758  西光寺山(往復) (約8.0km)   



ポイントナンバー3番挿入地点は予想


急に決まり、所用済ませ遅ればせながら向かった先は神山(こうやま)だったが

途中で変更「西光寺山」。ほぼ上りっ放しで頂上は木立が成長展望塞ぐ。

これ程までに放置?の木立、嬉しくも有り視界閉ざされ残念でもあり




◎所在地 : 西脇市中畑町の東の主尾根

◎地形図 : 『西脇(にしわき)』    

◎山行日 : 2021.5.28  (金)  晴れ  

◎参考 : @95.5.27 A98.8.17 B01.1.5192 C07.3.10401 D 08. 9.17 446

◎山行者 : 御近所仲間 大西(車)・大柿   Age=74

◎コースの見所など : @行者道の巨岩  Aこぐり岩の巨岩と宝塔岩  

               B現状展望は樹上から東と南

◎走行距離 : 往路 @41.7km   往復約84.0km



中畑ファミリー園〜こぐり岩〜554m〜西光寺山(712.7m三等)


※「こぐり岩」は方言で一般には「くぐり岩」と思う。

自宅発(11:00)〜宗佐〜R175〜上戸田からR556〜R294〜西岡からR36〜

1・双葉小南隣接「中畑林間ファミリー園」(12:30〜12:40)〜2・分岐(13:07)〜

3・こぐり岩(13:24〜13:30)〜4・554m(13:47)〜5・西光寺山(14:10〜14:40)〜

引き返し〜こぐり岩(15:10)〜1・(15:40〜15:50)〜往路〜自宅(17:10)


※「こぐり岩」標準語では「くぐり岩」だと思う。

当日の朝「山へ行けへんか」電話があり「11時からだと行ける」と言う事で決まった。用事を済ませ丁度11時発。行先は加東市の「鴨川の郷」から西光寺山方向へ歩くコースだったがこのコースは視界閉ざされ展望もない(記憶)事で途中から西光寺山に変更した。あちこちに見た麦秋は見頃を過ぎていた。この方面は久し振りで登山口までのアクセスの記憶薄れ、比延地区で道を尋ねると合っていた。 1・双葉小南隣接「中畑林間ファミリー園」(12:30〜12:40)

 
管理棟の下P 12:35                 Pから一段上が管理棟が建つ広場

   
管理棟・南から 12:48                同所の看板 

この時間だと登山者は居ないだろうと思っていたが二人が準備中だった。周囲の様相が記憶とは違い戸惑いながらスタート。左端の舗装路を上って行くとテントサイト(基台)付きのログハウスが建ち並びそれに沿って上ると道は下り、Pの上の管理棟が建つグラウンドに下り着く。Pからの中央階段が最短登山口だった(グラウンドの東角が登山口だった)。
(12:48)

『西光寺山山頂2.0km こぐり岩1.3km 双葉小前バス停0.3km』の道標あり。左右に瑞々しい若葉の林道をうねりながら上って行く。間もなく朽ちかけた加工丸太の階段が現れる。数えながら上ると70段あった。軽く緩んでトラロープ設置の道を上り切る(13:00)。短い横這いには左右に元気なドウダンツツジが続く。2・分岐(13:07)『中畑林間ファミリー園0.5km 西光寺山山頂1.5km こぐり岩0.8km 中畑林間ファミリー園(右ルート「シダに覆われている」)0.7km(前回コースと思う)』

 
林道から逸れる初めの階段 12:58        この様な道標が点々と立つ

その後緩い上りで鉄製ベンチ通過(谷10m先祠跡あり)
13:11ここから急上りが続く。尾根先大岩壁通過(13:17)その上「行者参道」の道標(個人)あり正規道から左に外れそれを歩く。間もなく巨大な柱状石(二本)の裾に自然石で囲った祠が在った(13:20)それを右に巻いて上り正規道に出た。傾斜が緩んでトタン波板張り倉庫?通過、続いて祠と「法妙会」との額が揚がる建物が在りここからが神域に入るのだろう門柱?にしめ縄が張ってあった。

 
大岩の裾を上る 13:17               行者道の祠 13:20

大西さんはベンチに座りおにぎりを食べていたが私は建物の裏に回り、道なりに進むと巨大な柱状の岩が大砲の様な姿で在りそこからこぐり岩を通過(裏から通過)して表に出た。
3・こぐり岩(13:24〜13:30)こぐり岩から直ぐ上に宝塔がある高さ3m位の大岩に「南無妙法蓮華経」と彫られている。

        
「こぐり岩」裏から・立って潜れる 13:28      宝塔 13:30

当地看板『西光寺山の金の鶏 むかしむかし西光寺山のてっぺんに、えらいお上人さまが住んでおられました。このお上人様は、お百姓さんにかずかずの功徳を施しておられました。お百姓さん達は、このお上人様の徳を慕って色々とお上人様の世話をしていました。お上人様は、粗末な庵を建てて住んでおれれましたが、その中にひときわ目立つ立派な木箱が置いてあり、毎朝その木箱にお祈りをされていました。

村人達が不思議に思い「箱の中に何が入っているのですか」と尋ねました。お上人様は、「この箱の中には、村中が滅んでしまうような大変な時に、村を救ってくれるようなものが入っている。しかし、決して箱の中をみてはならぬ。」と仰せられました。見るなと言われると見たいのが人情です。ある日、お上人様が留守の間に、村の元気な若い衆がそっと木箱の蓋を開けした。なんと中には、金無垢の鶏がまばゆい光を放っているではありませんか。

この事が伝わって「お上人様の庵には金の鶏がいるそうな」と評判になりました。この村を通りかかった旅人がこの話を耳にし、よくない考えを起こしました。そして、真夜中に庵に忍び込み、そっと箱に手をかけました。するとどうでしょう。突然の稲光(いなびかり)とともに雷鳴がとどろき、深い谷間にころげ落ちてしまいました。二、三日たったある日、お上人様は「悲しい事が起こってしまった私は修行の旅に出るが、宝物はこの山中に残しておく。力を合わせて一生懸命働いておれば、きっとこの宝物が役に立つ時が来るであろう。」

そうしてお上人様は、旅立っていかれました。それからずっと後に、この山の上に立派なお寺が建立され、金の鶏の話が、口から口へと伝わってきたことから、「金鶏山西方寺」と名付けられました。今でも西光寺山の別名を「金鶏山」と言い、お寺の跡が残っています。そうして以来、正月が明けると、暗闇の西光寺山のどこかで、金の鶏が四方に向って金色の光を放つと伝えられていますが、まだそれを見た人いないそうです。近畿自然歩道 環境省・兵庫県


再び我慢の上りが続き横這いになる。
4・554m(13:47
それもつかの間、上り再会「休もうか・・・いやいや我慢や」上り続ける。道は凄く歩き易い。行先を走行中に変更したので地図が無く予想がつかない。「もう少し」と思いながら上り切る。また一段、また一段なかなか西光寺山取り付きに着かない。下山男性に会う「展望はどうでしたか」「霞んで良くありません」その後机峠やササバへの分岐(大柿布が残っていた)を通過し、もう一人の男性に会い上り終えた。5・西光寺山(14:10〜14:40)

 
2番から4番まではほぼこの様な道 13:37   西光寺山の写真看板 14:13

 
東屋(南)から撮る・祠の左に上って来た     下山時振り返り撮った 14:40

写真看板『西光寺山ってどんな山? ふるさと50山に選定されている西脇市内最高峰。・・・全方角に広がる眺望がすばらしく・・・天候が良い日には、瀬戸内海や明石海峡大橋も見ることが出来ます。山の由来となった天台密教の聖地、西光山(西光寺と思う)は南の山腹にありましたが、度重なる乱戦で消失し、今はその姿をのこしていません。』

祠・展望写真(東面)看板・東屋は健在でゴミも無く清々しかった。周りの木立が成長し視界範囲が樹上となり更に霞みと相まって今一だった。「これも又良し」とした。汗が冷え肌寒さを感じながらおやつ(大西奥さん提供)を食べた。下山開始。
3・こぐり岩(15:10)連続の下りで大腿四頭筋が喜び始める「効いてきた、効いてきた」と感じながら下り切った。1・(15:40〜15:50)

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