bS01 行者山〜ササバ〜西光寺山

ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている
久し振りの西光寺山。あちらこちらと上っていたが、知らなかったよこのコース。
行者山からササバに立って、返し向った西光寺山。
上れど進めどなかなか着かず、皆さん少々疲れ気味も小柄な馬場さん元気一杯。
そして立った西光寺山。展望満足、立派な東屋、おにぎり食べて下山開始。
住吉町キリツメB/S近く水車と大狸〜キリヅメ行者山〜町(市)境界〜境界東進〜机峠〜
ササバ(479.9m四等)〜引き返し〜机峠〜境界西進〜618m〜西光寺山(712.7m三等)〜
行者山〜ファミリー農園〜畑谷川沿い歩き〜水車と大狸
◎所在地 : 西脇市住吉町と篠山市今田町の町境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『谷川(たにかわ)』
◎山行日 : 2007. 3.10 (土) 曇り
@’98.8.17(西光寺山)
A’95.5.27(西光寺山)
B’01.1. 5(西光寺山)
C’02.1. 5(ササバ)
◎山行条件 : マイカー登山/ CL馬場・北村・森・神尾・大柿 Age=60
◎コースの見所 : @キリヅメ行者山 A西光寺山から大展望 Bこぐり岩
◎走行距離 : 往路 62.7km 往復 127.5km
自宅発(7:10)〜JR西明石駅・(7:50 発7:55〜R=175〜西脇市寺内北交たいこ弁当・(9:20
発9:27)〜1・水車と大狸S/G(9:41 発9:55)〜2・行者山(10:20 発10:27)〜
3・町(市)境界(10:40)〜4・机峠(11:00)〜5・ササバ(11:10 発11:21)〜引き返し〜
4・机峠(11:27)〜3・町(市)境界(11:43)〜6・(11:49)〜7・618m(11:57)〜
8・分岐(12:16)〜9・西光寺山(12:21 おにぎり 発12:55)〜10・こぐり岩(13:10
発13:20)〜11・分岐(13:57)〜12・林道(14:03)〜13・ファミリー農園(14:10)〜
1・水車と大狸S/G(14:54 発15:07)〜往路〜JR西明石駅・(16:38)〜自宅(17:04)
今日もCLの馬場さんの後を付いて歩く『のんびりゆったりの山歩きとなるだろう』と思いながら西明石駅へ向った。駅に着くと馬場・森さんが居られ間もなく北村さんが加わってR=175に乗った。その後、神尾さんが自宅近くで乗り込んで全員揃う。西脇市寺内北交差点近くに在る「たいこ弁当」で食料を買い込む。神尾さんが『そばを食べる』と言うので私も注文した(結局全員食べたと思うが一杯150円にしては満足な味と量だった)
R=36は山間で長閑さが残っていて「私の好きな道10選」に入っている。大きな水車と大狸が立つ所は以前から知っていたがそこが登山口だった。
1・(9:41) 着くやいなや馬場さんはそこの住民に駐車のお願いに走られた。馬場さんは私と違って、CLを勤める時は必ず下見をされるので(通過タイムが実に正確)その下見の時に一度会っておられ、あれこれ訊かれ面識があるとのことだった。「日本一大狸」の前の空地に駐車の許可が出た。大狸の横の柱に「行者山 神変大菩薩 キリヅメ参拝口五五〇m」と記されていた。
発(9:55)

(1)登山口の大狸 説明看板によると
信楽焼きの狸で高さ4.0m 幅2.2m 重量3トン作者は藤原狸庵信楽狸 八相縁喜として
「笠・目・顔・徳利・通・腹・姿?」についてそれぞれ謂れが書いてあった
登山口に着くと住民二人(70歳代男)が居られ『行者山から西光寺山へいける・5月3日に宝塚市から行者さんが来られ祈祷がある』など等聞いた。登山口には赤地に白字で「役行者」についての大きな看板(説明書き)と西脇東中学がトライヤルウイーク(H.15.6)で測量した時の略図を書いた看板二枚が立っていた。それによると西光寺山まで2.2kmだった。山に入ると、ヒノキ林でいきなりの中上りから急上りだったが間もなく緩んだ。50・60と10刻みの数字を書いた黒のプラ板が掛かっていたのは西脇東中学が測量した記録と思う。
また、水色に塗られた5cm幅位の板に、谷や尾根の名前や心訓のような文言が書かれていた(沢山ある中「これは」と思うものを写真に撮っていたがカメラ操作のとき誤って消去してしまった。特に残念なのは谷や尾根の名前だった)一度緩んだ後の上りからは急登になって『さすが行者山参道や』と思いながら上った。下の方からトラロープが張られていたが垂れ下がって役目を果たしていない所もあった。いつしか左右ともに自然林になり、大きな露岩が目立ち始めて間もなく、直登から左横ばいになった。
(10:14)
『トラロープが無ければ道が分からない』と思う状況も、やがて緩い上りとなり明るい尾根筋に乗ると、その尾根には下から道が上がってきていた。たぶんR=36から机峠への道(兼巡視路)の何処かにつながっていると思う。その尾根に乗って上ると間もなく、上方に石垣が見え、その奥(上)の大きな岩塊の裾に石窟が見えた。
2・行者山(10:20)
(2)行者山正面
(地元では木戸岩の行者さんと言われる)
神変大菩薩:江戸時代中期に時の天皇は
役行者の偉業を知り神変大菩薩の号を贈った
と記されていた(登山口の看板)

神変大菩薩=役行者
高さ62 最大幅27cm 間口:61×51cm
思い思いの境内
役行者が祀られている大きな岩の上に登る人、写真を撮る人、行者像を覗く人と思い思いの行動で時間を過ごした。登山口の看板によると不動明王昭和十一年となっていたが役行者像も風化が全く無いところから推察すると建てられたのは同時期かも知れない。
発(10:27) 境内から西へ横ばいに進み、乗った尾根を上っていったが西のヒノキ林から冷たい風が吹き付けた。一段上り切った所は右に支尾根があった。直ぐに行者山の頂きで、後はだらだら上って境界尾根に出た。
3・町(市)境界(10:40)
境界尾根はゴルフ場との境界線なのかそれとも林道なのか幅2mくらいの地肌が延びている。計画通り東に在る△ササバへ向かって下ったが粘土質の上に落ち葉が重なり良く滑った。鉄塔を過ぎると左前方梢の上から高山と猿藪が親子のような姿で見えた。間もなく正面樹間から左右均整のとれた尖がりピークのササバが覗く。そして、二度目の急下りを終えて机峠に着いた。
4・机峠(11:00) 今田町側へは林道のような道が下りていた。
峠ではよく見る堀切を上って、緩々と上りササバに着いた。
5・ササバ(11:10) 頭だけ見えていた妙見山がここに来て大きく姿を見せ、高山と猿藪がより近くに見えた。石標の周りは一本の草も生えていなく『こんな所にしては不自然やなー』と想い、それを問いかけると、馬場さんが下見の時に清掃したとのことだった。そう言えば何時だったか『最近は石標の周りを清掃してるんや』と言っておられた事を想いだした。馬場さんに大きな「大福もち」を頂き、朝のソバ食とで皆さんも満腹状態。
発(11:21)

(5)ササバから高山と猿藪 (5)ササバ石標:南から:写真提供(北村)
ササバから下る時、尾根から左へ一寸外れて木に登り、より視界を得て618m(7)とその左奥に西光寺山が両翼を広げるように見えた写真を撮った。
4・机峠(11:27) 峠からはズルズル滑りながらの上りだった。往路を引き返し
3・町(市)境界(11:43) 林道としか思えない道?を上り続けコブ着。
6・(11:49) 「西脇東中 トライヤル測量記念2004.6.7 イネノ尾」の杭が立っていた。更に道は続くが少し荒れ気味になっていき、ほんの少し尾根から右に回りこんで尾根に復帰して上り切る。
7・618m(11:57) 道はここで界から左へ外れ下っていた。

ササバからの下りで木に登って撮った西光寺山
写真(木に登らなくても見える)木々の葉が茂れば見えなくなると思う
境界は自然林で平坦な横ばい尾根。意外と明るい踏み跡が付いていて、何本かの大柿布が残っているのを見ながら歩いた。やがて前方樹間から大きなピークが見えてきて西光寺山が近いと分かる。V字のコルを通過した先で中畑地区からの登山道に合流した。
8・分岐(12:16) 初めて西光寺山から机峠を目指した時には、踏み跡も無く、この入り口の見極めに難儀したのを思い出したが今では「住吉行者山経由下山口 約2.2k」の案内杭が西脇東中によって立てられているから直ぐに分かる(V字コルからは境界はピークを越えているが踏み跡はピークの南山肌を通過している)。「西光寺山山頂0.1km こぐり岩0.6km」の近畿自然歩道の道標も立っている。
凄く踏み固められた道を上ると直ぐに西光寺山山だった。
9・西光寺山(12:21) 新しい祠(前回に比べ)が建ち東屋も建っていた。先客一名(50歳代?男)が居たが直ぐに今田町側へ下ったようだった。森・馬場さんは東屋で、他はそれぞれのの場所(祠の周り)で昼食をとった。設置されている絵の展開図は松尾山と白髪岳の標示が反対だった。三岳・小金に東方面では大船山辺りも見えたが明石海峡大橋は見えなかった。北西の目立ったピークは三角点山。そんな時、大きなザックを背負った若者二人(20歳代)が中畑地区から上がってきた。住まいを聞くと『西脇市から』だった。森さんがその人に頼んで集合写真を撮ってもらった。
発(12:55)
西光寺山はハイカーが押し寄せて道は荒れ気味とさえ思えたが、それもうなずける名山と再認識した。どんどん下りで下って西光寺山山頂から700mの「こぐり岩」に着いた。
10・こぐり岩(13:10) 初めに迎えたくれるのは高さ3m余りの岩盤に「南無妙法蓮華経(字の部分だけで2m位)」と彫られた宝塔で、見る度に迫力を感じる。ここを「今妙法」と言う所なのか・・・。行者山とは聞いたことが無いが近くに不動明王も祀られていることからその類の場所と思う。
宝塔から一段下がった所が大岩重なり連なっている「こぐり岩」と称する所で、3体の大岩が寄り添い、下部に隙間があって、人が立って通過出来る。ザックを降ろし全員通過したりして休む。近くの大岩の上に立って、こぐり岩を眺めると三体の中央の岩が傾き尖がり飛び出ていた。『あの上に立って見たい』登る手掛かりを探し、大岩の上に立つと予想通りの大展望。三角点山から高山、遠くには笠形山も見えた。そんな所を北村さんが写真に収めてくれていた。
その岩の中程には荒縄が巻かれていたがしめ縄の代用か・・・。そんな訳で岩から降りてから不謹慎を戒めるため近くに置いてあった竹箒を借りて少しばかりであったが辺りの掃除をさせてもらった。そのお陰か現在も何事も無く過ごさせてもらっている。

こぐり岩の上部 左写真の岩の頂きに立った山猿
こぐり岩発 (13:20) 少し下ると道から外れて展望所がありベンチが設置されていた。更に下って左に谷筋があり、その奥への踏み跡を辿ると石段の上に小さな鳥居と日を焚いた跡が在った。その目的は判らないが禊場かとも思われた。以前ここに来た時は「ここからの参道は険しく危険?」と言うような標示があったと思う。傾斜が緩くなり旧参道分岐
11・分岐(13:57) ここからファミリー農園への道を歩くのは初めてだった。遊歩道整備がされていて林道終点に下り着いた。
12・林道(14:03) 道の右には山茶花が植えられ、元気に育っていた。
13・ファミリー農園(14:10)
もう散りかけた梅を観ながらR=36に出て登山口へ向った。神尾さんは、疲れたのか冗談なのか『バスが来ないかな〜』近くにあったバス停の時間表を見ると14時台は通っていなかった。(朝通過する時馬場さんの依頼でここから登山口までの距離を測ると2kmくらいあった)小学校の北直ぐ右山手に在る「牛岩」を傍までいって見た。(大呂坂から町境界を辿って三角点山を経て西脇市立青年の家まで歩いた帰路、自転車で走っている時小さな「牛岩」の札を見て知った)

牛岩に立つ神尾 大仏岩

地図の「写真」地点をテクテクぶらぶら歩くメンバー左畑谷川はアシ?に覆いつくされていた
次は牛岩から間もなくの所、左谷川の向こう山肌の岩場に在る「大仏岩」を見る(写真)。大仏岩の札が立つ所からR=36を外れ、川沿いに付いた通学路とも思える道を歩いて車へ向った。この道は車も通らずのんびり安心安全に歩け、とても良かった。右上方に西光寺山から下った尾根を確認したりクレソンが生えていて口にしたり(私だけ食べたが水質からしてお勧めできない)山歩きからの開放感を味わいながらテクテク、ぶらぶら歩いて車に着いたがその頃に小雨が降り始めて『ラッキー』を口にして帰りの準備に入った。
馬場さんと森さんは駐車のお礼に行った帰りに森さんは「フキノトウ」を10個近く貰って、これまたラッキー。帰りの車の中でフキノトウのお礼(金銭)をすれば良かったと悔やんだが引き返すことはなかった。馬場さんありがとうございました。皆さんお疲れさんでした。
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