736  飯盛山/飯盛山城跡(約1.5km)「ひまわり祭り」


気になる所、今日はあちこち見て歩き。


◎所在地 : 市川町屋形(市川大橋の東)

◎地形図 : 『寺前(てらまえ)』『前之庄(まえのしょう)』『北条(ほうじょう)』『粟賀町(あわがまち)』    

◎山行日 : 2020.10.3 (土)  晴れ   参考:08.1.24416

◎山行者 : 単独      Age=73

◎コースの見所など : @飯盛山(城跡)岩頭で西展望全開

◎走行距離 : 往路七種山(45.0km) ひまわり(52.0km) 城跡(57.5km)  往復(103.3km)



七種山(登山口)〜ひまわり〜飯盛山(城跡/216m)〜市川町浅野地区△浅野(下見)


自宅発(8:43)〜稲美町〜池尻橋〜R79〜権現ダム〜加西市南網引交左折〜

飯盛交左折(フラワーセンター)〜R23〜福崎北LP〜1・福崎町青少年野外活動センター(10:00〜10:31)〜

引き返し〜R406〜神戸医療福祉大前通過〜2・市川町奥地区/ひまわり/倉谷古墳公園(10:45〜11:09)〜

谷城跡右裾〜屋形橋通過〜3・飯盛山南登山口(11:23〜11:18)〜尾根分岐(11:43)〜

飯盛山(11:49〜12:18)〜分岐〜北へ下る〜稲荷神社(12:27)〜4・飯盛山北登山口(12:35)〜寄り道〜

3・飯盛山南登山口(13:03〜13:12)〜5・浅野地区(13:20〜13:53)〜往路〜自宅(15:10)


読売新聞(10月7日朝刊)にて「咲き誇る秋のひまわり 市川・奥地区 5万本が見頃」奥地区で約5万本のひまわりが見頃を迎えている。・・・地元農家約70人が2017年から町おこしのため秋祭りの時期に咲くように栽培を開始。・・・テントでは地元特産の栗やサツマイモなども販売している・・・」とのカラー写真での紹介を見て出かけた。せっかく市川へ行くのだから気になっている所、@屋形地区の城跡A浅野地区のコース下見を兼ねた。

時間に余裕が有るので播但道でなく一般道を走った。山並の木々は、ほんの少し色付き始めたいた。奥地区へは甘地の方から行く計画だったが福崎市街に入って七種山登山口に寄ることにした。
1・福崎町青少年野外活動センター(10:00〜10:31)R24からの道は通い慣れていたが記憶は薄れていた。センタ―の建物は変わりなかったが其の周囲は大きく変わっていた。

 
開放的な七種山登山専用P 10:08         新設のグラウンド 10:18

@センターから登山道方向に七種山登山専用の広いP新設Aセンター近くにはセンター専用のPとセンター裏に広いグラウンドと子供用活動施設が出来ていた(太子町から町マイクロバスで子供ずれが来ていた。)奥地区へ向かう。R406左にある神戸医療福祉大前通過(旧近畿福祉大学)すごく大規模な大学になっていた。下りに入って間もなく「ひまわり祭り」の旗が並び会場に着く(スタッフは農作業着で10人位)。

 
ひまわり祭り会場のPと本部テント 10:10     ひまわりとコスモス畑 

2・奥地区/ひまわり/倉谷古墳公園(10:45〜11:09)ここは倉谷古墳公園でもあり。古墳と竪穴住居が一基づつがグラウンドに併設されていた。ヒマワリ畑とコスモス畑があり、Pは(30台くらい)満車状態、無くなっては困ると、先に栗を買う(400円×2つ)。Pから一段上のグラウンドの端に竪穴住居と古墳があり古墳が最高点でここから畑全体が眺められた。

 
                   復元された竪穴住居と竪穴式石室

  
古墳頂上から北の眺め 10:54            会場辺りから妙見山(中央) 11:10

当古墳は「直径16m高さ2mの円墳、平成4年に運動場造成工事のため発掘調査され、竪穴式石室が大小二基並列にほぼ完全に残っており、歴史的に貴重な遺跡と判明。(石室は埋め戻され古墳頂部に再現されている)。北に異様に尖がった山が在り、「あの尖がった山に上れますか」「妙見山と言って道が在る」妙見山と聞いて直ぐ「一度上ったあの山か」と直ぐに分かった(参考
:08.1.24416)

会場を発ち谷城跡の右裾を走り屋形橋通過、R312に出て右折直ぐ、飯盛山の登山口と思っていた道を確認したが案内が無く地図にある登山口に向かう。
3・飯盛山南登山口(11:23〜11:18)Pが無いので道の膨らみに止めた。上り始め直ぐ左草ヤブの中に登山口を知らす道標を見つけたが字が消えて読めず。舗装路を上り始め直ぐ右に市川町の斎場が在った。これは、播但道から何時も見ている斎場。

 
飯盛山を眺める 11:15                 飯盛山南登山口(左側) 11:30

 
車道終点登山道は右側 11:42           尾根分岐からの上り道 11:47

まもなく左折した上方が終点で貯水槽だろう施設が在り、その左を通過して低い金柵を乗り越えると(ゲートは開かない)直ぐに尾根だった。
尾根分岐(11:43)そこに北からの道が合流していた。西に向きを変え中上りをすると大きな岩が立ちはだかると頂上だった。飯盛山(11:49〜12:18)削平地は城跡と呼ぶには狭く見張り台程度と思われた。さすがに展望は良く、北は段ヶ峰辺りまで見え、西は谷城跡と鶴居城跡から大中山。

 
城跡頂上への入口 11:50              城跡から七種山連山:最寄り尾根は谷城跡尾根 11:53

 
城跡頂上:西から 12:05               城跡から北の眺め 12:06

最奥に険しい山容の七種山連山が横たわっていた。下山は分岐から北への道を下った。北面はヒノキとスギの林で間もなく擬木の階段(約20段)を下ると予想無き小振りの稲荷神社に着いた
稲荷神社(12:27)現在の鳥居は鉄製になっていたが近くに倒れた二基の木製鳥居があり、一つには平成3年2月吉日と記されていた。そこから7回くらい折り返し北登山口に出た。飯盛山北登山口(12:35)

 
稲荷神社 12:27                    飯盛山北登山口の道標 12:35

 
高さ5m位の「懐徳碑(明治26年3月)」 12:46   「懐徳碑」の北側 12:48

屋形橋を渡り登山口と思っていた所とは大きく離れていて案内には「飯盛山登山口 お稲荷さんへ255m 飯盛山城跡へ400m」これにより「飯盛山と稲荷神社」が分かった次第。では、屋形橋を渡り登山口と思っていた道は・・・その道を上って行くと数分で神社跡と思われる所に着いた
大きな石碑「懐徳碑」が建っていたが碑が高所でしかも長い漢分で読めず(碑文写真拡大すると気になった所では、佐用宍粟二郡山アの文字が記されていた)。道草をしながら舗装路歩きで車に戻る。3・飯盛山南登山口(13:03〜13:12)


「銀の馬車道・鉱石の道」の看板 13:33      奥の山並が下見の尾根 13:30

R312を走ってコース下見の浅野地区へ向かう。
5・浅野地区(13:20〜13:53)ここには「日本遺産 銀の馬車道・鉱石の道」の看板が立ち、アニメ風の馬車が設置され、ここも「ひまわり祭り」会場になっていた(スタッフは農作業着で1人)。浅野地区(約40戸)の話など聞く中で北の尾根を歩きたい話を出すと「最近、町おこし事業で、私達もその尾根に遊歩道を付ける計画で下見をしたところ」との事。尾根入口から下山口まで教えてもらった。奇跡的な出会いが生まれた事に感謝しお礼を言って別れた。


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妙見山

@野外活動
   センター

Aひまわり
   まつり

B

C

Dひまわり
  まつり

飯盛山