bS16    妙見山〜七種槍〜奥久畑(△大谷)

ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている

天気悪し『行くと決めたら行くんじゃ!!』と、勇猛果敢に家を発つ。

目指す山塊ガスに巻かれ小雨混じりの雪が降るも、最終決断入山開始。

始めのピーク(妙見山)の祠に詣り、コブ越え尾根往き槍目指す。

晴れていたら・・・、晴れていればの展望が、雪にケムッテ残念至極。

シダ柴イバラと浅雪に、負けじ上って槍コース、今度は岩稜滑落せぬよう注意払って槍に立つ。

雪舞う中でおやつを食べて、恐る恐る下って見ればホッとするよな道が在り、

嬉しい誤算でルンルン歩くも、ヤッパリ残念視界が悪し。

シダ柴ヤブが時々出るもグルリと回って観音寺。




市川町奥地区〜尾市川西尾根南端(池)〜妙見山(296m)〜尾根北上〜七種槍コース合流〜

七種槍(577.3m四等)〜北東尾根〜南東尾根〜443.0m〜334.0m〜

奥(277.0m三等)〜久畑(くばた)230.1m四等〜観音寺



◎所在地 : 市川町奥地区尾市川を取り巻く山塊尾根

◎地形図 : 『寺前(てらまえ)』  『粟賀町(あわがまち)』

                  『前之庄(まえのしょう)』  『北条(ほうじょう)』

◎山行日 : 2008. 1.24 (木)  雪〜曇り

        七種槍登頂 @’95. 5.20  A’96. 5.12 

                 B’99. 2.14  C’04.10.17 


◎山行条件 : 単独     Age=60

◎コースの見所 : @展望は所々塞がるが全コース楽しめる
               前半後半共に尾根からの七種山山塊の展望は見飽きない 

             A(14)から振り返る展望はすばらしい
       
         ※晴れていれば槍コースからの360度展望はより素晴らしいだろう

◎走行距離 : 往路 43.2km  往復 83.0km

          播但道市川南LP : 250円×=500円



自宅発(7:19)〜明姫R〜播但道〜市川南L〜R=312〜月見橋〜R=404〜千原交左折〜

奥地区へ戻る〜1・(8:26 8:40)〜2・296m(9:02 9:08)〜3・(9:20 9:25)〜

4・(9:35)〜5・(9:41)〜6・(9:49)〜7・鉄塔(9:54)〜8・(10:07〜10:13)〜

9・(10:18)〜10・槍コース(10:32)〜11・(10:49)〜12・七種槍(11:01〜11:12)〜

13・(11:28)〜14・443m(11:35)〜15・(11.43)〜15−1(11:57)〜

16・(12.05)〜17・(12:21)〜18・334m(12:30)〜19・(12:42)〜20・(12:53)〜

21・奥(13:07 おやつ 13:23)〜21−1・()〜22・(13:40)〜23・(13:50)〜

24・(13:57)〜25・(14:05)〜26・(14:11)〜27・久畑(14:25〜14:35)〜

28・古墳(14:41)〜29・観音寺(14:56)〜1・(15:09〜15:30)〜往路〜自宅(16:11)



『今週は山へ行こう』と、思っていたが天候が回復しない。天気は良くないようだったが思い切って家を出た。豊富LP辺りから眺める七種山塊は雪雲だろうかガスを被って嫌な雰囲気。山に近付くにつれ、心配した通り小雨混じりの雪が降り始めた。R=404からの左折ポイントの目印を見逃し、千原交差点まで行ってしまい逆戻りして登山口に着いた。1・(8:26 発8:40)) 冷たい北風と雪が降る中で支度をしてると、ゴミを出しに来た人があり(池の傍がごみステーション)僅かな広場だったので駐車のお願いをした。『地元の方ですか(この谷の入口から見るからに別荘地風建築なので)』『ここに来て二年になる』山登りの話などして今日の計画を話す。

『この尾根を上って七種槍から『尾市川』の東尾根を下って・・・』『この尾根にも道が在ってだいぶ先まで続いとるわ(・・・実は’07.12. 9 (日)「坂戸山〜大師山」の時下見をしていて道が在ることは知っていたが道が何処まで続いているかは不明だった)』『それやったら助かります』『気を付けてな』降っていた雪が止んで『ラッキー!!引き返さんで良かった』と、思いながら発った。 凄くしっかりした道で、岩盤のような地面も掘って階段さえ付けてある。『マッタケ山の道にしては良すぎるし・・・』と、疑問を持ちながら上った。

傾斜が緩む中腹辺りで、青空が一気に曇り、本格的な雪降りになった。右に下山で歩く尾市川東尾根が雪に煙りながらうっすらと見える。『この道が無ければこのシダ柴ヤブ急登は上れなかった』と、思ったが道のお陰で上り切れた。 2・296m(9:02 発9:08)) ここで良い道が付いていた疑問が解けた。間口一間・奥行一間半のお堂?が建ち、その中に木製の祠が在った。御神体は不明だったが正月には御参りがあったのだろうそれらしき形跡があった。手水鉢には「天保七・・・正月」と彫ってあった。広い平地なので元は大きな建物が在ったと考えられる。箒が備えてあったので堂内を清掃し、新年のご挨拶と今日の安全を願って発った。


帰りに撮った写真(15:22) 尖りは2番      (2)296mに建つお堂

夜来の雨や雪と、今日の雪で早くも膝上から下はずぶ濡れ。カッパはヤブに入った時のことを考えて滅多と使わないので濡れることは覚悟なので何時も苦にはならない。下り始めると右ヒノキの幼木帯で晴れていれば下り尾根が全開も雪に煙り霞む。左は小雑木帯。右ヒノキ幼木帯に下草刈が入っていて難なく歩けた。

コブに立つと、右谷奥に民家が見えた(部分的に視界が得られる)。(9:12) 下って横ばいを行くと小シダが出て下りに入る。ハッ!!コースアウトしていて引き返す。3・(9:20 発9:25) ) 危ないアブナイ、現在地と方向を確認しマーキングをして発つ。コースに乗ると赤プラ杭が打ってあった(下り始めはヤブっぽい)。下り切ると、踏み跡が出てそれを辿るが上り直登はウラジロ地獄で左を巻く。

上り切ってからは、小シダ出るも快適尾根になる。 4・(9:35) 左下の谷に建つ別荘の最奥部(’07.12. 9 「坂戸山〜大師山」の時、槍コースとこの尾根に建つ鉄塔の巡視路の下見に入り分かっていた)が見え、この尾根上に建つ鉄塔の奥に険しい槍コース尾根が霞んで見えた。雪は止んでいたが曇天で視程は良くない。 


(4)手前の小シダ尾根(9:33)     (4)先から見える七種槍

左に、センターへ下る槍コース尾根も見えるが霞んでいる。靴は「シリオ」なのに水が入ってジュクじゅくになって少し冷たい。赤松林もあったりして 5・(9:41) 方向が変わって『もしかしたら槍コースまで道が在るかも・・・』と、思いながら快適に進む。鉄塔が見え、それに向かって進む。上りにかかると、右山肌上小雑木林、下植林間もないヒノキとの界に作業道が下っていた。 6・(9:49) 

短急登で 7・鉄塔(9:54) 前後の視界は無し、何時もだと送電線に沿って展望が開けるが今日は、雪でアウト。降り始めていた雪が本降りになっていたが体感温度は良好。最高点のすぐ先に巡視路が上がってきていた。槍コースへの巡視路も確認しているのでこれらを使ってのコース作りをすれば『もう一つの槍紀行又は七種山紀行』ができるかも・・・。

ここの矢印からすると先ほどの作業道に札が立っていなかったが巡視路だと思う。踏み跡はシッカリしていて、もう槍コースまで道が在ると確信し始めていた。低木松が目立ち始め、尾根は次第に岩稜となり上りに掛る。視界は、遮る物無くもガスがかかる。小鳥の囀りもなく静まり返る。岩壁続く槍コース沿う岩稜に立ち「深山幽谷みな我がものなり」の心境。 8・(10:07 発10:13))

 
(8)から振り返る(10:13)       (9)先コルからの七種槍

雪が降って視程が悪く、なかなかシャッターが切れなく、ヤキモキしながらその時を待ち何とか撮った。晴れていれば、槍コースの岸壁、槍からの下山尾根、鶴居城跡〜横倉観音尾根等もハッキリ見えたと思う。今日は今日でこれもまた良し。上りは小シダが出る。 9・(10:18) 東西尾根になり、北風を受ける尾根はシダの丈も長くなり、その上に雪が積もりヤブになった。北に槍を見ながらシダを分けて進む。上りになると尾根通しに鹿網が出た。網を右に左に越え、歩き易い方を上って槍コースに乗った。 10・槍コース(10:32) 

槍コースを歩いた時は、何時も『隣の東尾根も何時か歩きたい』と、思っていたがとうとう歩いた。『やれやれ、もう心配ないわ』と、思ったのも少しの間で、忘れていた岩場の連続が待っていた。単独なので『怪我や滑落は絶対しない』と、自分に言い聞かせて進んだ。ガスで見え隠れする七種山は見応えがある。薬師やそうびろ山を後に慎重に通過した。11・(10:49) ヤマドリ♂が左へ飛び去る。新雪に足跡を残して最後の急登を上り切る。 12・七種槍(11:01 発11:12)) 


(11)辺りからの七種山(10:45)    (12)七種槍南西から(11:01) 

気温は3℃、北風に乗って霧のような小糠雪が舞う中、木陰でおやつのパンと饅頭を食べ、体が冷えない内に方向を確認し、雪被るヒカゲツツジの壁を分け入った。入ってビックリ「道らしき形跡在り」と、言うより道が在った。雪が覆うも道と分かるくらいだから相当使っているように感じた。直ぐ北が全開で、槍から七種山・大中山・鶴居城跡への山塊が白く煙りながら見えた。

棒で木に溜まった雪を払い落しながら小コブを越えた。 13・(11:28) ここは要注意と思っていたが、すんなり方向が定まった。短く右杉林になる。踏み跡はシッカリして下草も無く快適に進む。 14・443m(11:35) ここから左(振古川)へ明るい道は下った。少しヤブっぽい所もありながら尾根肩に着く。15・(11.43) 

ここは軽岩場で立木も少なく、大きく開けるが雪の帯が迫ってきて視程悪し、それでも横倉観音尾根の峠は何とか確認できた。晴れていれば、進行尾根も上り尾根も鶴居城跡尾根までも見えたと思う。岩場を通過すると小シダの連続尾根になり、視界も閉ざされる。人の踏み跡か獣道か判断つかなくなる。ピーク右にトラバースあるもシダを分けてピークに立つと正面谷側一面山肌が幼木帯で全開になる。 15−1(11:57)

 
(15−1)から進行尾根(11:57)         左写真Aから振り返る(12:12)

(18)ピークは左半分に木が伐採されずに残っていて異常に尖がって見え、その右下奥に朝方上った (2) ピークから槍への尾根が霞んで見えた。何度も思うことは同じで『晴れていたら』と、思いながら下った。 16・(12.05) 破線の道は見つからず上っていく。 (2〜槍) への尾根を眺めながら、尾根右に移った幼木帯の中の低笹を踏みながら上る。少しヤブっぽくなって、鉄塔手前のピーク 17・(12:21) 鉄塔 (12:25) 順視路は、右奥地区へ下り、左は水平に進行方向へ延びていた。

『(18)をトラバースか』とも思ったが (18) へ上る。ここは (15−1) から続く鹿網を右に左に越えなければ歩けない柴と笹の急登ヤブだった。 18・334m(12:30)方向確認して下る。先程の巡視路が合流するかと思っていたが合流せず谷地区へ下っていた。コルからは歩き易くなって 19・(12:42) この前後に掘り切りのような地形を見る。

下りヤブっぽく視界は (18) から塞がったままで、またもや掘り切りらしき溝あり。 20・(12:53) 段差地形在り城跡か?雑木ありそこから△奥と思うピークが見えた。下っていると尾根左に竪掘り?二本確認。上り途中ヒノキ倒木で開け、振り返ると鶴居城跡が見事に尖がり大中山がどっしり座り、頂が空を突いていた。△奥の頂は見えていた。 21・奥(13:07 発(13:23)) 小シダに覆われた平坦なピーク『ここまで長かったな〜』が、実感。

東尾根探索したが確かな段差は確認できず。展望は、右雑木樹間から(七種槍〜奥山〜田口)の上に薬師とそうびろ山の頭が見え隠れする程度。  少し下ると石垣跡と思う石列を見つけた。ピークの平面と合わせ城跡の類と思った。下ってスグ短急登すると、ヒノキ幼木帯で西が大きく開けた。近日下草刈りが入っていて切り口も新らしく刈り倒された草木は活き活きしていた。雪も止んで穏やかな天候になり、坂戸山・大師山から槍の方まで一望で満足満足。左は柴?雑木?の密生下草刈りが入ってなければ柴笹ヤブを漕ぐところも漕がずにすんだ。


(21)△奥:南から(13:07)     (21−1)から中(2番ピーク)右上△田口(13:31)


(21−1)から進行尾根(13:35)     (21−1)から七種山(左)右()薬師塊

それはしばらく続き 22・(13:40) 地図では大して変化が無いが現場は、方向が明らかに変わる。視界閉ざされたまま 23・(13:50) 丘ピークを越える。下りは尾根が際立たず慎重に進む。下り中頃で又もや石列?を見る。コルから上りは段状(主観で3段)で凄く不自然を感じながら上っていると最上段は明瞭な段になっていて、城跡の類か?。 24・(13:57)

右幼木の上に、見飽きない七種山塊を眺めながら快適横ばいを進む。尾根左(東)は垂直に落ちる崖が続く。 25・(14:05) 前方樹間から次のピークが見え、そこに立つ。 26・(14:11) 楕円で一畳と半畳位の不自然な窪みが在り『お宝でも探したかな』と、本気で思った(後で思ったが古墳調査跡かも)。『後は下るだけ』しかし、かなりヤブっぽくなったが間もなく開け傾斜が緩む辺りでは凝灰岩とは違った角ばった大岩が点在しそれらは人の手が加わったような形跡が感じられ、疑問を持ちながら久畑に着いた。 27・久畑(14:25  発14:35)) 

ここには大きな露岩が在り、その傍らにガッチリと石で囲まれた石標が建っていた。振り返ると、樹上から辿ってきた尾根(一部)と最奥に大中山が見えた。西には (2) ピークの後方に槍と田口をつなぐ尾根が在り、それは (2) で分断されその左に薬師とそうびろ山その右に七種山と槍が見えた。下山地点は二か所考えていて一つは観音寺、後一つは南東尾根裾に在る池だったがどちらにするかは未だ決めかねていた。


(27)久畑から振り返る中央奥・大中山(14:23)    久畑:南から(14:29)

『どっちに下ろうか』と、考えながら下って(下り始めヤブっぽい) 28・(14:41) 展望なし。緩やかな丘ピークで『どっちに下るかな』と、最高点に立つと、大きな窪みが在り、古墳だった。上蓋は辺りにも見当たらなく盗掘されていた(下山後お寺に立つ看板によると、調査の結果、前方部が北になる前方後円墳だった「県指定・観音寺山古墳」)こうなれば『お寺に下ると他にも何か有るかも』と、思いお寺へ向って下った。

傾斜が緩んだ所の肩に、三段石垣の上に石碑(墓石かも知れないが通常お坊さんの墓は無縫搭)が建っていた(荒割りの石で高さ150センチ幅50センチ彫字の部分だけ加工
「富寺中@大阿A梨BC法師和尚位」蓮に乗り天に梵字を冠る。元禄17年三月十二日が読み取れた。@は興と思うAは阿舎利の舎と思ったが門囲いと見れる字だった。

BCは不明(あくまでも不確定)。近くに「観音寺山古墳」の札が立っていたが今は訪れる人も居ないようで踏み跡もほとんど自然に還っていた。薄暗いヒノキ林を下っていると二か所(余り離れず)に大きな窪み(間違いなく古墳と思った)が在った。しかし、内面石や上蓋石は見られず、盗掘後何かに転用されたかも知れない(転用はままあることらしい)

在っただろう道は殆ど分からなくなっていたが、それなりにに下っていると運よく境内からの入口に出た。そこは庫裏の裏手で掃き清められた八十八か所巡拝コースでもあった。 観音堂(二間四方)が山手に建ちその下に高い石垣の上に「西国三十三番 観音寺」の立派な本堂が建っていた。 29・観音寺(14:56) あっちの山こっちの山を見ながらぶらりぶらり歩いて車に戻った。 1・(15:09〜15:30)

意識して歩いた訳でなかったが @西脇〜美佐412 A大中山〜鶴居〜横倉観音〜谷城跡414 B七種槍〜奥〜久畑 C槍コース尾根南端△田口302と歩き、七種山山塊から東へ流れる主な支尾根を歩いたみたいです。


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18・334m
13
14・443m
21・奥・277.0m

2.妙見山・296m

27・久畑・
  
230.1m
12・七種槍
   577.3m
29・観音寺
16

@

10
7・鉄塔

屋外活動センター