637 行者岳〜赤星/もっつい山〜灰原〜多々良木(約8.5km)
序盤岩場の急登は危なくも有り厳しくも有り。
展望と湖面を覆う雲海に足を止めて暫し憩い。縦走尾根を目で辿り「日没までに下山できるか」
それを思わす大外回り。界尾根は期待通りの快適尾根、それに誘われ界を外すもGPSに救われる。
時に小ヤブも在ったけどやっと着いた紅白鉄塔。巡視路覗けばニッコリ路、
ところが入れば凄い路。やせ尾根、岩尾根、岩場在り。「安全第一」合言葉。
縦走尾根を眺める(7:25)右上隅△赤星 行者山への険しい登り尾根(7:40)
芸術の森へ下ってしまいそうな雰囲気になり「ヤッパリ先ほどの所かなー」と、引き返し亀さんがスマホで現在地確認すると違っていて、やはりもっと先だった。2・登山口P(7:55〜8:07)「行者岳』との道標も有りお地蔵さんも在った。谷筋から尾根を回り込んで二本目の尾根から直登が始まる。雲海はまだ見えぬか・・・8時32分やっとダム側に雲海を見るが予想通り気温が高めで雲海の密度と範囲は見劣りした。3・(8:46)
行者山登山口(8:7) ダム側に雲海を見る(8:30)
明治20年代に供養の為に建てられたお地蔵様が点々と続く。鋭鋒を見上げる。今日も復習無しで来たから「鋭鋒の左右どちらを巻いたかなー」と、思いながら上っていると亀さんが「蛇やー」見ると石の窪みに30センチ位のがいた。(8:50)馬さんが「マムシや」こんな時期にもマムシを見た。鉄梯子を上りダム側大展望に感激しながら上り続ける。4・606m(9:15)
数ある石仏の一つ(8:30) 険しい尾根にもこんな所がある(8:36)
行者堂手前崖右下通過の所は道が崩れかけていて、このままだと道が消滅しそうだった。行者堂跡(9:26〜9:30)祠の後ろ大岸壁の割れ目に在る祠、元気が有れば梯子を上って見るところもその元気は無し。さて現地からの上りは3本有り。直近ザレの激登(トラロープ)、その直ぐ左ザレの急登(トラロープ)、その左尾根を回り込む鎖コース。馬さんは最短コースの「激登コース」と言うがマサカ本音?。
崖下を回り込む(9:01) 雲海上尾根中央武田城址も消滅まじか(9:04)
険しい岩尾根を登る(9:10) 行者堂跡:東から(9:25)
尾根コースを選んだ。崖尾根直登は朽ちかけた『危険』の木札で進入を止めていた。その崖の左下を通過し、行き止まり地点から二か所の鎖で崖を登り切る。間もなく岩頭に出る5・覗き岩(9:45 おやつ 9:55)登ってきた尾根とこの後歩く9番辺りから下山地点までの境界尾根が見えた。それは不安になる程の距離に見えた。おやつを食べて発つ。境界への上りは、トラロープが張られる急登。
(5)覗き岩からの眺め(9:48) 覗き岩の先つかの間の快適歩き(10:02)
ここまで足を使った後だけにかなりキツカッタ。6・饅頭岩(10:13)饅頭岩とは私が1999年10月10日に岩屋観音から上ってここに立った時に付けた私の呼称。この時は更に北へ進み583mから南西の谷へ下り山口地区に下山した。谷筋には正規の登山コースの道標(古びていた)も立っていた(現在このコースが復帰してるか否か不明)。その頃の案内『山口→』が饅頭岩の裾に有った。
饅頭岩から寸時展望し、行者岳に向かう。踏み込まれた雑木尾根を上る。7・△行者岳(10:20〜10:27)真鍮製で保護石4個。立木で塞がっていた展望も伐採が入りダム側が全開だった。記念写真を撮って今日の最高峰を発つ。展望は無いが相変わらず快適尾根を行く。地形図の岩屋観音からの破線に着く。8・岩屋観音旧分岐(?)朽ちかけて案内文字も読めぬ旧道標あり。
饅頭岩からの展望(10:11)登ってきた尾根を上って来た 行者岳:南から(10:27)
読めそうにないと解読したくなる。「岩屋観音まで1.3km45分 観音橋バス停まで4.3km1時間30分(皆で読むも不確定)』ここから右が植林帯になる。現役岩屋観音分岐(?)中上りを終える。9・△上生野分岐(10:55)ここから生野町と朝来町の境界歩きになる。快適歩きが続く。おやっ!!尾根にアセビの枝が山積み、真新しいイノシシの寝床だった。10・(11:05)
イノシシの寝床(11:08) 11番から下ってきた所(11:13)
11・(11:11)兎に角快適に歩けるが腹がへってきた「昼何処でする」無風の中歩いていたが9番辺りから風が出ていて上り切って風が無ければ・・・。昼(11:16〜11:40)おやつも腹に入れて発つ。「左にええ尾根が有るなー」と思いながら進む、間もなく低いながらヤブっぽくなる。亀さんが「方向が違う」と言ったような聞いたような気がするも尾根先端に着く。12・769m(11:55)
食後も快適尾根が続く(11:40) 右後方に△上生野が見えた(11:45)
自宅では、「とりあえず769mまで行って引き返し境界を下ろう」と思っていたがその考えは飛んでしまっていて769mから下った。少し下って「地図と地形が合わんなー」で止まる。亀さんが「界から外れてるみたいや}そこには幼木ながら色合い枝ぶり抜群のモミジを数本見た。相談の結果、引き返さずこのまま下り界尾根に乗ることにした。13・界復帰(12:20)
(12)769mからの下りで見たモミジ(11:53) (16)にも図根点があった(12:42)東から
地籍調査が入っていると思うがしばらくヤブっぽかった。サンキライの多い尾根だ。14・(12:25)鞍部からヤブが消えた。15・(12:34)樹間から見える△赤星が「ここまで上れるか」と言わんばかりに聳えていた。16・(12:46)図根有り。赤星へ上り始める(12:49)。立木が切られ生々しい事から地籍調査が入って間もない事が分かる。直登の切り開きは避けて林の中をジグザグ上りをして尾根に立つ。
南西尾根に素晴らしい開きが在った。緩く上ると木立の中に石標があった。17・△赤星(13:05〜13:21)展望、タグ無し・保護石1個。南東尾根にも開きあり。今では殆ど見る事が無くなった木製の「三角点を大切にしましょう」の杭が残っていた。その杭には「基本測量と昭和56年7月」も記されていた。また、近くの木に『もっつい山 775.7m 北摂探検隊H23.3.23』の札が掛っていた。
(17)△赤星:西から(13:06) 赤星でコース確認する二人(13:18)西から
ブルーの界杭に沿ってうっとしい尾根を行く進む。「一寸待った」亀さんから声がかかる。「方向が違う」18番で開きと杭に誘い込まれ北尾根に入っていた。外れた距離は20mほどか?。亀さんが居なかったら下りにかかるまで気が付かなかったと思う。「右に尾根が在るな」と、思いながらやり過ごした尾根が界尾根だった。が、それには開きは無く確認にも手間取った。18・(13:30 迷 13:40)
東へ東へ快適に進む。19・731m(13:55)ここにも真鍮の図根△あり。左下にダム湖面の一部が見え、北樹間から△灰原と最後の目標ポイントの紅白鉄塔が見えた。進行方向右は植林帯でブルーの金網(鹿除け)が張り巡らされ重機の音がしていた。その網に沿って下ると間もなく右下近くに林道が見え作業風景も見えた。鹿網に沿って上り続けるが何処までもヤブっぽい。20・(14:13)
(19)からの眺め(13:58)右ピーク△灰原 (21)△灰原:北から(14:40)
網を越えヒノキ植林帯側(約20年?)に入ったが枝打ちされた枝が邪魔して歩き難かった。細い雑木の目高の枝にヤドリギが寄生していてビックリ。やっと上方が開けて白い杭と石標(真鍮製)を見た。21・△灰原(14:40〜14:50)鉄塔目指して進む。中ほどで振り返ると歩いてきた尾根が見えた。何処からも見えなかった反射板が建っていたが管理状況の悪さからすると廃棄されているかも知れない。
鉄塔へ向かう途中振り返る(15:00)右奥△赤星 薄茶に塗られた反射板(15:10)
廃棄後全体を薄茶色に塗って目立たなくしているようだった(想像)。その直ぐ先に鉄塔が建っていた。「着いた―」22・鉄塔(15:15〜15:18)先ずは巡視路を探すと直ぐに見つかった。「秋の日暮は釣瓶落とし」ゆっくりしてる間は無く界から外れ下山にかかる。プラ階段で急下りが続く。岩稜やせ尾根、岩稜激下り、鉄梯子、地図に現わせていない地形が次々と出てきた。
(22)鉄塔:西から(15:15) 鉄塔からの下り巡視路(15:18)
尾根肩に立てば展望もよし、振り返れば「よく歩いたもんだ」と界尾根を眺める。23番からか尾根西側が伐採されてヒノキやコナラなどが植樹され『ヘキサチュウブ』で守られていたが何故自然林のままでいけなかったのか理解できない。終盤の下りは何度折れたか覚えていない。
(15:30)楽しい歩きが続く (15:34)
下山尾根(15:43)厳しくなって来る 歩行難所は鉄梯子あり(15:44)
(22)を振り返る(16:00)左ピーク22播 (23)尾根肩?(16:04)
(1)昭和50年殉職者(12人)の碑(16:30) 芝生広場(16:40)
舗装管理道に出て下るとピッタンコ自転車が見えた。1・自デポ(16:32〜16:43)芝生広場にザックを置いてペダルを回した(7.7km)。2・登山口P(17:00)〜引き返し〜発電所芝生広場で合流。(17:11〜17:20)
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△多々良木→
249.8m
芝生広場
@
2
昼