ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
不明確とポイントが抜けている

@

26
370m
25・
bR94  行者岳〜三本松


登山口から主尾根まで、間隔詰まった等高線見て、どこを登るか予測した。

まさかと思った尾根登り。岩場が在ると思っていたが、

予想を遥かに上回り険しく楽し心ワクワク。

行者岳から延々続く尾根道歩きは気分爽快。三本松へはその名の通り、太い赤松群生す。



多々良木ダム行者岳登山口〜606m〜主尾根〜行者岳(784.5m)〜引き返し〜

北尾根〜583m〜三本松(586.9m三等)〜370m〜牧野地区



◎所在地 : 朝来市朝来町多々良木ダム西山塊尾根

◎地形図 : 2万5千図  『但馬新井(たじまにい)』

◎山行日 : 2006.11. 3 (金)  曇り      @’99.10.10
                                   (岩屋観音〜行者岳〜山口)
◎山行条件 : 歩き/妻      Age=59

◎コースの見所 : @606m支尾根の岩場と展望  A(10)北〜東展望 

             B行者岳〜(17)素晴らしい尾根道  C(22)先尾根西高木雑木帯

◎走行距離 : 往路 @69.6km  A73.3km  たたらぎ荘 75.8km

          播但道   往路:生野北 1000円   復路:朝来IC 1100円



自宅発(7:30)〜明姫ロード〜播但道〜生野北LP〜R=312〜多々良木交右折〜

1・自転車デポ(8:49)〜2・登山口(9:02 発9:24)〜3・(9:40)〜4・(9:45)〜

5・(10:00)〜6・(10:16 おやつ 発10:30)〜7・606m(10:38)〜

8・行者堂跡(10:49〜10:56)〜9・(11:25)〜10・(11:40 おにぎり)〜

11・行者岳(11:45)〜引き返し〜10.(発11:51)〜12・分岐(12:31)〜

13・(12:40)〜14・583m(12:50)〜15・(12:57)〜16・(13:05)〜17・(13:10)〜

18・(13:22)〜19・峠(13:30)〜20・(13:40)〜21・三本松(13:51 おやつ 

発14:04)〜22・(14:10)〜23・(14:25)〜24・林道(14:32)〜25・(14:43)〜

26・配水池(15:01)〜27・(15:12)〜1・(15:20)〜自転車で走る〜

2・登山口(15:41)〜たたらぎ荘・(15:52)



『久し振りに氷ノ山に上ろう』ってことになった。帰りは朝来町の多々良木ダム下に在る「たたらぎ山荘」で泊り翌日は「大地の輪ネットワーク」のボランティア活動に参加する事にした。今日のコースをマップ計で測ると日暮れが早い時期としては一杯コッパイの距離でエスケープも考えて発った。R=312から多々良木ダムの方へ折れ、下山口辺りにデポ地点を探すが無くて少し先になってしまった。 1・自転車デポ(8:49) たたらぎ山荘前を通過してダム湖畔を走る。

正面上方に険しい尾根が見え、その手前裾が登山口広場だった。 2・登山口(9:02) ふと横を見ると露に濡れた草むらに石仏が建っていた(53×30cm)。二十四丁(だと思う十四ではない)。 左くろかわ 右の字はハッキリしていたが読み取れなかった。この地点に「左くろかわ」とは・・・?鎖で閉じられていたが地図通り林道の始点でもあった。 発(9:24)


登山口広場(9:03)          登山口の丁石仏(9:21)

西の谷に入って間もなく短く石畳が残っていた(幅1.5m?)その左に二十三丁石仏(明治18年8月2日・富村井上嘉左衛門)。 (9:25) 谷筋から左山肌へ取り付き、小尾根を巻いて斜めに上って次第に高度をあげていく。道は分岐した、明るい道は新道で旧道は新道の上に付いていて、その道の傍らに少し小さめの石仏が建っていた(二十二丁明治16年8月1日・富村井上仙三郎)。

道にはホウノキの葉が沢山落ちていた。やがて支尾根に乗った。 3・(9:40) 尾根下方からも道が上がってきていたが林道からのように思う。急登が続く、左右も切れ落ちていた。 4・(9:45) 傾斜が緩んで、十五丁の石仏が建っていた(明治17年4月8日・富村井上周二郎)。直ぐ上に石組みの祠が在った。中に千手観音(60×30cm)右半分がかなり風化していた。台石に多々良木村婦人会一同など。


(4)千手観音(9:45)
十四丁 明治28.4.8 友前武造 (9:48)  
十三丁 明治28.4.8  ?     (9:50)
十二丁 明治26.8.1 和田久左衛門 (9:55)
十一丁 明治?  4.8 中嶋?平 (9:57)
十丁   明治26.8.1 加朝佐助 (10:02)
九丁   明治29.4.8 河戸兵五郎 (10:05)
?丁   明治?.?.? 和田米造 (10:08)

振り返るとダムの上に大きな岩場が在る山並みが見えた。千手観音の右上に台石だけが在り、石仏は移動されたか。直ぐに十四丁・十三丁が現れた。上り切ると十二丁。 5・(10:00) 西の尾根に踏み跡が在った。妻は先行していた。上方樹間から極険しく切り立ったピークが覗き、自然石の階段を十段くらい下る。小さなコブには十丁が建っていた。左右の切れ落ちは予想通り凄く、岩場の急登が始まった。中程で崖にもたれ掛かって九丁が置かれていた。

 九丁の石仏(10:05)

石仏の間隔は定かでなく八丁が出た。 (10:10) 岩場は続いて更に険しくなる。正面に崖が立ちはだかった『何処を登る・・・』道は右を巻き、右側に全く予想していなかった大岩壁が出た。振り返るとダム・朝来山・青倉山や黒川への道が左右にうねっていた。妻の姿は見えなかった。その大岩壁に直面、うまくできたもので道はその左裾の二本丸太橋で巻いて進み直ぐ折り返す。妻が『凄い展望やー』鉄梯子18段?(旧鎖場)が出て登り切ると垂直崖の上でデッキ状。 6・606m(10:16)

北面は足も竦む大岩壁。数年前にこのコースで遭難があったと記憶するが何処で起きたのだろう・・・。登ってきた切り立った尾根とダム湖半に登山口も見え、遠望では先ほどの展望に加え粟鹿山が頭を出していた。モッツイ山が在る尾根も長く延びていた。それらを見ながらおやつを食べた。 

 
(6)鉄梯子(10:15)  (6)からの展望(10:24)左奥朝来山・右奥青倉山

 おやつのオレンジとナイフ(10:18)

発(10:30) この後も凄い岩場が待ち受けていた。地形図を見て『何処をどのように登るのか・・・楽しみにしていた』尾根を左右に振りながらであるが尾根筋を登った。短い横ばいに柔和な表情の不動明王(43×78cm)が単体で建っていた (10:31)。 台石に石田村中・周旋方・阪田吉良右ェ門・秋田吉三良と彫られていた。直ぐに六丁 右に中嶋芳左エ門 左に中嶋長松富村 (10:33)。 そこから崖肌を右へ回りこんでいくと右下に独立の岩頭が在り下見に下って見たがそこには簡単に立てそうになく引き返し、最高点に着いた。 7・606m(10:38)

少し下った所に四丁 岩谷松本?之市 明治28.4.8 (10:40)。 続いて三丁明治28.4.8北村清八 (10:42) 下り切り (10:44) 登りにかかると二丁が出た明治18.4.???。尾根は切り立った岩稜でその裾に丁石仏が建っていたが天が破損していて「?丁目」ここのだけに「目」の字が入っていた。明治26.7.10多々良木村 (加?)門嘉左エ門 (10:47)。 この石仏だけが材質が違っていた。右に激急斜面に色付き始めた素晴らしい原生林が残る。

上り切ると北面物凄い断崖の下に平地(30坪?)が現れ、ほぼ中央に祠(本体100×100cm)が建っていた。 8・行者堂跡(10:49〜10:56) 左崖の段差に大師坐像:地蔵菩薩で為童子菩提昭和11.11:正体不明石仏一体:山峯大権現・明治13・御所嶽(方形石塔):そして祠後方崖の大きな割れ目に何か有りそうで見に行くと手作りの梯子と金属の梯子で登れ、上に木製の小さな祠がおさめられていた。平地の下は激滑り落ちる斜面。さて発とうと思い、崖下を歩いていると高さ3m位の所に崖をくり貫いて役行者(高さ40cm?)がおさめられていた。運良く見落とさずにすんだ。

 
(7)行者堂跡(10:49)  発って間もなくの遠望(10:57)

お堂跡左鞍部(上写真崖左)にトラロープが20m位張られ、近道だったがザレの激斜面、妻は登れないと言い、お堂跡入り口の手前からの正規コースを歩いた。少し上ると崖で展望良しもイバラ多し、崖上を横ばいに少し進むと右岩場コースは進入禁止、登りかけたがかなり危険で直ぐ引き返した。その崖の左(南)裾を横ばいに進む(安全)。岩尾根先に付くと道が無くなる、道は無いが太い鉄の鎖が右岩肌に設置されていてそれに沿って登る。私は左下に独立岩頭(少し危険)が在ったのでそこに登って見ると数十mの断崖も上は緩い傾斜で畳4枚位の広さがありゆっくり展望が楽しめる。 (11:06)

そこには石仏の台石だけが残っていて(予想通り)明治24.6・16・和田山??人・??松次??などが確認できた。不動明王が祀られていたかも・・・。元に戻って妻の後を追う。余り人が入っていないようで鎖も隠れ気味。雪彦山の一般登山道の険しさを思いながら登った。上り切ると、先のトラロープの先端がが固定されている鞍部だった (11:12)。 さらに岩場を登ると大きなテラスになっていて凄い高さの崖の上だが身を乗り出さなければ全くの安全安心の展望所 (11:17)

上の方で人の声がした。『お〜い』と呼んでみたが返事無し。コダマが返ってきたので『ヤッホー』とか言ってみると四回返って三ツ星ポイント。そこから緩く上ると尾根右は傾斜緩い美しい高木雑木帯だった。 左崖尾根に乗ってコブに立つ。 9・(11:25) 東180度展望あり。その後急登が始まる「多々良木ダム1.8km」の案内板が地面に置かれて(落ちて)いた。しばらくの辛抱、一部トラロープも張られていた。やがて大岩の裾に着く。赤地の板に白字で「山口」と「ダム」と書かれた木製の札が地面に置いてあった。 10・(11:40)

岩(自称=饅頭岩)の上は行者岳に上った人の展望所となっている。先客(男2女1/20才後半)が三人居て家族のようでもあったが・・・住まいを訊くと明石市で岩屋観音の方から上られていた。今日何回も見た景色だったがしんどい目をした後の展望は格別の思いがある。先客は間もなく行者岳の方へ引き返し、おにぎりタイムに入った。私だけその明石人を追って行者岳へ向った。 11・行者岳 (11:45) 相変わらず展望は無し、或る物に登れば物凄い展望が得られるが今回は素直に引き返し、元に戻って三本松へ向った。 10・(発11:51)

前回も今日と同じコースを計画して三本松へ向ったが体力が持たないと判断して途中から山口地区へ下った。その時は踏み跡程度の道だったが『何で・・・』と思う明るい道になっていた。早くも道に積もった落ち葉を踏み急下りをする。前回は余り気付かなかった、行者岳から続く西面の険しい岩場は一見の価値あり、時々右樹間から登ってきた険しい岩場尾根も見えた。 

(10)からの下りの一部(12:22)

急で岩場に近いような所も在り、落ち葉とあいまって良く滑り妻が慎重に下るので時間が掛かる。やがて横ばい状になり緩く下り、尾根西側下を歩き、自称分岐に着いた。 12・分岐(12:31) うっかりしてると西の626m尾根へ誘い込まれる地点、ここに前回マーキングの布が色あせることなく残っていた(山口と書かれた小振りの案内板が掛かっていた)。

鋭角に東に折れて雑木帯急斜面の山肌を進み尾根に乗る。緩く下った所、道の中央に鳥の羽がまとまって落ちていた。羽根の外側色はアオバトそっくりの色、内側は白帯の斑が入っていた。3・4センチはあろう円錐状のクチバシと頚椎だけが付いた頭蓋骨(襲われて間が無い)には頭部と頬に血かと思う真紅の羽。これは啄木鳥と思うが「アオゲラ・アカゲラ・ノグチゲラ・コゲラ・まだある?」この内のアオゲラだと思う。これらを写真に撮っているが残酷でUPできない。

10時頃だったか、岩場から展望している時に猛禽が一羽眼下を飛んでいたがそれの餌食になった可能性がある。コゲラは時々見ることが有るが他の啄木鳥は長く見ていない。先行の妻を追う。直ぐ先の緩い鞍部は山口地区とつながる昔の道が上がってきている所で、進行方向尾根左へ微な道を確認した。ダムの方へは、切れ落ちの山肌を注視すると獣道かも知れないが戻る形で踏み跡が付いていた。

(12)分岐先に乗った尾根辺りから人の手が入った道(幅1m位)になっていた。短く上って方向が変わる。 13・(12:40) ここからは長い横ばい状の尾根が続く。前回は微かな踏み跡も全くの遊歩道化していて、左右低雑木林から山口地区への谷筋やダム湖がチラチラ見えた。緩く上って 14・583m(12:50) 明るい雑木ピークも展望無し。下りでは△三本松手前辺りの山が覗き『遠いな〜』。小さな肩に着くと軽い岩場だった。 15・(12:57) 

 
(14)への快適尾根道(12:45) (15)から行者岳方面(12:57)最高峰行者岳

(15)から下っていると左山肌に逆戻りで明るい道(作業道?)が付いていた。思うにこれが現在の山口地区とつながる道になっているのでは・・・。下り切ると、道は先の小コブの右を巻いていた。私だけコブを越える。 16・(13:05) コブからの下りでは前回も見た山口からの林道終点辺りとこの後上る太い赤松が生える山肌が見え、前回林道へ下った伐採地には笹が繁り幼木が生えていた。下って妻と合流。 17・(13:10) ここから鹿網が出てそれに沿って進む。

鹿網を潜ると道は急に曖昧になった。多くの獣が鹿網で行く手を阻まれてユーターンしたのだろ凄く獣臭い。あの、明るい道の続きはやはり山口からのものか・・・。少し上ると先ほどと幅が同じくらいの道が出た。道は次ピーク右の灌木帯を巻いていたので北山裾の段地区からの破線につながって峠?に着くと判断し、妻には道を歩かせ私は道は無かったが破線尾根を上った。網に沿って上っているとメス鹿が網に掛かって死んでいた、何時見ても心が痛む・・・。

そんな時、妻から連絡が入った『道が無くなったから尾根に上ります』『そんな訳ない』と思ったが妻を待った。太い赤松林の間から行者岳への険しい登り岩尾根とこちらへの尾根や山肌が見えた。網はピーク手前で西へ折れていた。網を通過できる所が無く、その網に沿って進んでいると倒木が網を押さえていてそこで網を越し、ピークに立った。 18・(13:22) 西山肌は赤松林で下草は伐採されスッキリしていた。灌木帯との界を進んでいると左(西)小尾根から展望良さそうもやり過ごし破線三叉路に着いた。 19・峠(13:30) 先ず初めに (17) からの道が無いかと探すと、道は付いていた。予想通り道はザレにより一部が塞がっているのだろう。

左(西)の立野地区への破線道は確認できなかったが緩く広い鞍部で高木雑木が生える私好み、良く確かめれば道は在ったと思う。右(東)の破線もハッキリしなかったが数年前自治会の役員をしている時、現在の「たたらぎ荘」で一泊研修を受けたことがある、その時自由時間が有ったので麓(段地区)からの林道をA点?辺りまで歩いたことがある(運動靴だったので終点まで歩けず)。昔は峠だったと思う。『立野地区への破線を横切る実線はどんな道なのだろう・・・』と思う。

三本松経由でなく、ここから段地区へ下れば歩きだけの周回コースができるし、勿論エスケープとして考えていた。峠から雑木帯を緩く上ると左前方が開けた。 20・(13:40) 『何処が見えているかな』と眺めると朝来町の役場(現在は?)辺りが見えていたと思う。ボロボロで断片が残る鹿網(金網の一部も)に沿って進む、やがて左にR=312から朝来ICへのトンネルと羽淵地区やその上方に美しく大きく尖がる△西山が見え,、右に嚢高原が見えた、。さらに笠杉山からフトウヶ峰も見えた。太い赤松林の上りには大きな露岩が続いた。歩きに問題なく上り切り横ばいをいく。

左は松の実生幼木で視界塞がる。尾根は素晴らしい赤松林が続く、何時もながら石標を見るまではドキドキ。『三本松と言うくらいだから大きな松が三本生えているのかなー』なんて思いながら歩いて人跡の気配感じない三本松に着いた。 21・三本松(13:51) 展望無し(だったと思う)。久し振りに石標根元に「稲岡・H10・3・21・・・」のラベルが刺してあるのを見た。

(21)三本松:南から(13:51)

最後のおやつを食べて発つ。 発(14:04) 少しヤブっぽくなって心配したが直ぐに開け、下ってまた上りに掛かる下草はほとんど無く肩に近づくと露岩が出て、大きくは無いが柿の木の紅葉が目を惹いた。 22・(14:10) ここでも左にフトウヶ峰と達磨ヶ峰、山裾には集落も見えた。

尾根から左急斜面には黄葉まじかコナラの高木帯が続き下っていく。やがて前方樹間からこの後越える370mピークが突き出ていた。下り着いたコル周りは素直に伸び育ったシデやコナラ赤松に心を奪われた。

 
(23)手前コルの素晴らしい自然林(14:21 (23)への下りで見る370mピーク(14:17)

(23)へは太い赤松林を上っていく。 23・(14:25) 展望なし。短く急下り、妻を待ちながらなので時間が掛かる。間もなく地図通り左に水平に付いた林道の終点を見る。 24・林道(14:32) 道幅は2m位と思う。利用されている形跡なく草ボウボウ。コルからは右ヒノキ林左は赤松と雑木の自然林で癒される。始めのうちは点々と柿の木が生えていて紅葉がきれいだった。 25・(14:43) 左(西)への尾根はコナラ林で下草も無し、北の尾根は右ヒノキ林、尾根から左は赤松とコナラ林の急下りが続いた。

視界は全く無し。一度緩んだ後、下方が明るくなっていきなり大きな貯水池(貯水タンク)が設置されていた。 26・配水池(15:01) その前方は切れ落ちてR=312・播但線・円山川そして「道の駅あさご」の赤い屋根が見えた。計画では尾根通しで下ることにしていたが『ここへの管理道が在るはず』と思った途端力が抜けてその道で下ることにした。道は尾根の東面に付いていて道の8割は階段だった。下り切ると「居酒屋・宮島」の横でタイル張りで民家の門の造りの所だった。 27・(15:12) 妻の到着を待って自転車へ向った。 1・自転車(15:20)

 
(26)貯水池(15:01)  (25)からの下りで見つけたキノコ(14:55)

「たたらぎ荘」辺りからは朝方登った険しい岩場尾根が前山の尾根の上に見えていた。『あさご芸術の森美術館』前からの上り坂は疲れた身体に堪えたが乗り切って登山口に着いた。 2・登山口(15:41) 引き返して妻を迎えに戻るとたたらぎ荘近くまで戻ってきていた。後は「たたらぎ山荘(播磨町ふれあいの家)」で宿泊に入った。

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14・583m
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11・行者岳・784.5m
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21・三本松・586.8m
12・583m
7・606m