bS20  山中〜大藤山(長楽寺〜高山コース)


始めの本気は出鼻をくじかれ、次は下見と長楽寺。

大藤山(おおふじさん)を、軽く回って下山のつもりが高山コース?を見つけたり。

こうなれば止められず「火に油注ぐ」とはこの事か。コース自体は問題なくも大きな間違い又一つ。




長楽寺〜愛宕山〜大藤山分岐〜蛇が池・牧峠コース〜牧峠〜高山・山中分岐〜250m〜

引き返し〜山中(204.7m四等)〜往路引き返し〜大藤山(250.8m三等)〜石仏〜長楽寺




◎所在地 : 加古川市山中・西牧・氷室地区北山塊

◎地形図 : 2万5千図   『加古川(かこがわ)』 『笠原(かさはら)』

◎山行日 : 2008. 2.28 (木)  晴れ   250m@’08.2.15 418

◎山行条件 : 単独     Age=61

◎コースの見所 : @長樂寺 A(12〜13東展望) B(15への上り背面大展望) 

             C石仏から南面展望
  D全体に快適コース

◎走行距離 : 往路 23.8km  往復 45.0km



自宅発(10:44)〜明姫R〜高砂西L交右折〜R=555〜R=2左折〜姫路市御着交右折〜

R=396〜R=65東進〜1・長樂寺(11:40〜11:48)〜2・愛宕山/神社(12:00)〜

3・分岐(12:16)〜4・鉄塔(12:20)〜5・古峠(12:25)〜6・古墳?(12:30)〜

7・鉄塔(12:42)〜8・西牧峠(12:45〜12:50)〜9・古峠(12:53)〜

10・△探し&おにぎり(13:00〜13:35)〜11・鉄塔(13:41)〜12・(13:48)〜

13・分岐(13:53)〜14・(13:55)〜15・250m(14:07)〜引き返し〜13・(14:25)〜

16・山中(14:28)〜8・西牧峠(14:37)〜4・鉄塔(14:55)〜17・東西尾根分岐(15:05)〜

18・大藤山(15:10)〜19・(15:20)〜引き返し〜17・東西尾根分岐(15:28)〜

石仏(15:31〜15:37)〜1・長樂寺(15:50〜16:00)〜R=65東進〜皿池交右折〜

R=2〜明姫R〜自宅(16:40)



空は快晴。『山へ行きたいな〜でも今日は止めとこ』いつも通りウォーキングを続けた。ストレッチも終わり帰宅の途に着く。『やっぱり山へ行こう』一切の準備をしてなかったので自宅発が10時44分と考えられない時間帯になった。行先は、前回の「長樂寺より65分」が気になっていたので、これを確かめることにした。これだけでは短過ぎるので、前もって考えていた高山から西尾根で「長樂寺〜高山〜269m〜志吹(197.4m四等)〜神社」で、自転車デポ地の神社を目指した。

R=396を走りながら尾根先端近くの神社を見つけ、その近くの小振りの神社(五社宮神社と思う)に自転車をデポして (11:11) 長樂寺へむかった。走っていると左大岩盤山肌に神社が在った。神社への参道の形が地図と同じ曲がり方をしていてハッと気が付く。『こっちが目的の神社や』引き返し自転車を回収したが姫路市深志野と志吹地区との間違いで大きな山塊一つ分間違っていた。

この時点で、今日の計画の縦走は断念。『長樂寺から高山への取り付を確認し、大藤山に上って終りにしよう』と、思いながら長樂寺に着いた。 1・長樂寺(11:40) お寺併設の「老人福祉センター」に居られた婦人に『高山への登山口知りませんか』『知らんなー高御位山と違うん、あたご山だったら在るけど』もう一人の人が『大藤山と違うんかそれやったらこの上に登山口があるわ』あれこれ問答したが『大藤山へ上って見ます』お礼を言って発った。 (11:48) 

参道を上がって行くと直ぐ案内板があった「大藤山・石仏登山道入り口・西側ルート」左へ入って行く。竹林と植林で薄暗い道は林道のようだ。間もなくT字路「左あたご山 右大藤山石仏」 (11:57) 上着を脱いで横ばいを行くと直ぐに開け、石祠が南向きに建ち、その前面の立木が伐採され少しは視界が得られた。 2・あたご山(12:00〜12:02)

 
(2)あたご山の石祠(愛宕神社?)12:00    石祠「明治十三年辰十月・・」の名

折り返し分岐に戻り大藤山方面へ上る。左植林から混成林になり、傾斜が急になって行く『大藤山は急やで』と言われた婦人の言葉はこの事か・・・狭い範囲ながら立木が切られた広場は休憩所。展望は無いが立ち木を横倒し(長さ4m?)の丸太ベンチがあった (12:15) 更に傾斜がきつくなり「右石仏 左蛇ヶ池」案内板分岐 (12:13) “蛇ヶ池方面が臭い”石仏は下山時に見ることにして蛇ヶ池へ進む。左へ横バイになって間もなく尾根に乗ると「右大藤山頂上 左蛇ヶ池」の案内板。 3・分岐(12:16〜12:18)

もう一枚の板に「西牧峠(左矢印)・これから先は登山に自信のない人は道に迷うおそれあり自信のない人の入山を禁ず(字が薄れて判読?)」西牧峠とは前回の「峠」の案内と確信し、とりあえずこの峠まで行って見ることにした。自然林の中に付いた道は人の手が入って間が無いくらいスッキリはっきり、下り道の左右には露岩がゴロゴロ続く。前方開けると 4・鉄塔(12:20) 何れその下に立つことになるかの鉄塔が先へ先へと建っていた。

 
(3)分岐(12:16)            前回もあったが赤に塗られていないステントレーの案内板

ここから北への谷が蛇ヶ池との案内があったが地図のどの池を指しているのか分からない。「峠 山中」のステントレイと 「マムシキケン」の案内板も掛っていた。視界塞がり下り切ったコルは古峠だった。 5・古峠(12:25) 南(西牧)へは形跡が在ったが北へは認められず。緩く上った所には岩が集積し、最近拘っている「古墳」では・・・?と疑問を持つ。岩列は南北に長く古墳の臭いがした。 6・古墳?(12:30) 

視界は塞がったまま、ほぼ横ばいを行き、小高い最高点手前に大岩が一個、すぐ先左右に二個、左のは上面が平らで蓬莱岩とか仙人岩とか名が付けられそうに思うがいかんせん視界ゼロ。 (12:35) 尾根右樹間から前回の塗りたて鉄塔が覗いた。道は直で破線道へと思っていたが肩から南へ下っていた。 7・鉄塔(12:42) 展望はほとんどな無し。緩く下って『そろそろ峠やな』竹林になって 8・西牧峠(12:45) 南(西牧)へは緩く下り、北へは横ばい道が続いていた。前回横断した破線道この辺りは兼巡視路なんだろう苦無く歩ける。大釜池から巡視路経由で繋がっていると思う。 


(8)西牧峠南から(12:45)案内板には「高山・峠・大藤山」
と打たれている案内板から左へが高山でこの奥数メートルの所にも巡視路が高山方面へ入っていた


「とりあえず峠まで」と思っていたが「火に油」前回の250mピーク「長楽寺より65分」まで行くこと決めた。峠発 (12:50) 短急登で小コブ(鉄塔)を越え下るとここは深い堀切の峠だった。 9古峠(12:53) 南北共に塞がっていたが南は西牧峠へ向かって横ばいに道跡を見た。これだけの堀切を見ると本来はここが峠だったが下に砂防ダムが出来た事により (8) へ変更されたのかも知れない。巡視路は快適も南・西・北と方向が変わっていく中、地図を慎重に読むも現在地が曖昧になっていく (10) への上り振り返ると「王神峯」が見えた。北向きに変わる時地図を見ると南に三角点が在ることに気が付いた。

当初巡視路がこんなに南へ下がると予想してなかったので山名を調べて無かったが折角だから道草をして石標を見ることにし、それを目指した。 10・△探しに出る(13:00) 軽柴ヤブを下り横ばいに入るとコシダヤブ(ひざから腰丈)になり、それを分けて進み石標を探したが分らず、ここでも木に登ってみると高御位山方面が丸見え。南の独立ピーク (A) との位置関係を見ると東に振っているので??。石標を見ぬまま引き返す。 (13:19) 帰りに岩盤の上でおやつを食べながら地形を読むと、どうも尾根が違うように思った。 (13:27 おにぎり 発12:33)尾根に戻る。10・(13:35)

(10) から西向きに進んで短急登で北向きになる。ここにきて現在地が掴め『△山中は南直近に在ると確信する』尾根を間違った理由は (9と10)の中ほどから (11と16) の間位に進んだと思っていたからだった。△は帰りに確かめることにして先へ進んだ。少し進んだコブからは、南から西が全開、桶居山から高御位山が見える。先に進む尾根根先端鉄塔。11・鉄塔(13:41)

奥に前回歩いた山塊や三回目のシダ地獄257mへの苦労が思い出されたが「喉元過ぎれば・・・」今日の終点 (15)250m の左肩に尾根続きで高山が在った。下りは視界塞がる。 
12・(13:48) 南西尾根に順視路が下りる。この尾根通しで山中地区へ下れそうに思うが?でなくとも巡視路で下れると思う。北向きの巡視路を進む。間もなく今度は北から東が全開した。 


(12)先から東展望(13:51) 左の鉄塔が塗り立て・中央が大藤山

下って緩く上ると明るい巡視路は左の谷へ緩く下っていた。13・分岐(13:53) 案内板が無ければこの道を下りかねない。(15)への横ばいはしばらくシダで塞がったり視界が塞がる。上りで振り返ると大展望。14・(13:55)(13) 辺り展望に加え高御位山に、小さいながら鋭く尖がる桶居山山塊は見事。

        
(13)鉄塔から(13:53) 右ピーク250m・その左高山  (14)分岐(13:56)右へが(15)

相当踏み込まれた道が残っているのは何故だろう『西牧地区の方から高山詣でがあったのでは・・・』と、想像する。シダで覆われた道に点々とプラ杭が打ってあるので、けつまづかないように要注意。視界塞がり間もなく前回と変わりないピークに着いた。 15・250m(14:07) 道草時間を差し引きしても二時間余りかかって、『長楽寺より65分 これホンマかいな・・・帰りの道草は△山中だけで所要時間を計ってみよう』。休むことなく折り返した。

       
(15)中腹から(14:03)左鉄塔が塗り立て・奥尾根肩が大藤山  (16)△山中:南から(14:28)

(15)からの下りで短時間展望したが後は、止まらず△山中を目指した。『ここや』道から逸れて一分位で石標が見つかった(ヤブっぽい)。 16・山中(14:28) 展望なし。道に戻って入口にマーキングし、一路大藤山へ向かう。 8・西牧峠(14:37)〜4・鉄塔(14:55 鉄塔から東水平道在り)鉄塔過ぎ直ぐで角ばった石を発見『もしかして』何個かの石を調べると「矢板」の痕が数か所に見られた。『長楽寺を建造するにあたり石寄せの時の残石では・・・』と思った。

(3) 分岐から数分で 17・東西尾根分岐(15:05) ここまで約一時間『道草無しで』ストレートで歩けば「長楽寺より65分」は可能な時間だった。大きな岩が集積し探索するも新発見は無し。赤塗りの案内木札が掛かっていた「西登山道 蛇が池・西牧峠」もう一枚奥の方に掛っていたが気にせず大藤山の石標へ向かう。横ばいで  18・大藤山(15:10) 大勢の人が立っていると思うが石標周りは笹が生え一寸変な感じを受けたのは展望が無いからだろう。『こから東登山道が在って石仏経由で下山』と、思っていたのでその道を探したが見つからず??。

         
(4)鉄塔近くの「矢板」痕(14:59)     (18)大藤山:南から(15:10)

        
(17)15:05               高山のと同じタイプの山名板(15:10)

『更に先へ進んでからか・・・』赤のビニテープも巻かれていたのでそれを目印に進んだが余りハッキリしない踏み跡に疑問を持つ。『これは違うな』と思いつつ進んで下りに掛ると柴ヤブで塞がり、引き返す(鉈も持たず、手持ちの地図は大藤山を限度に途切れていたので不安もあった) 19・(15:20) お寺が有る方向(南)に下山道が無いか気を配り戻ったが見当たらず。大藤山からも無く??『もう一枚あったあの赤い札やな』 17・東西尾根分岐(15:28) 下山道は在った。「東登山道 長楽寺600m」と赤い札に白字で書かれていた。

自然木を使っての階段道は造り立てか、整備したてかだった。「左石仏30m 右(直)大藤山300m」の案内板。水平道を西に進むと大きく開け巨大岩が集積していた。相当距離が離れた所からハゲテ見えるここの岩には磨涯仏が彫られているのではと予想していたがそれは無く板石仏が一体在るだけだった。全高120cm幅20cm仏像長22cm根本20cm位が変色し、土に埋もれていたと思うことから移設されたことも考えられる。 (15:31〜15:37) そのまま水平道を進めば往路上りで見た分岐へだろう。

   
(17)の真南下にあると思う石仏、岩の付け根に石仏(右)が祀れている

以前この山肌はこんなに開けていなかったように思うが大きく切り開かれたのは、いつ頃・・・。南が当に全開で高御位山も集落も丸見えだった。引き返し下る。その後少しは視界が得られる所もあるが薄暗い植林を下り続け竹林を通過して墓地に出ると修復中の本堂が在った。「大藤山 石仏登山道入り口 東側ルート 頂上770m」の案内板。 1・長樂寺(15:50 発16:00) 「蛇が池」との案内板が気になり、地図を見るも所在地分からずネットで検索すると以下のように記述がありました。登山道と蛇が池の疑問も解明しました。

「大藤山登山道整備」大藤山ボランタリーグループ
(記述コピー承認済み)
加古川市 志方町 永室の大藤山(標高251m)頂上近くに石仏を発見し、加古川市の遺跡名所作り推進事業として補助金を受けて、平成17年度は西ルートの登山道を整備し、平成18年度は東ルートの整備と、長楽寺駐車場に案内板を設置しました。石仏まで長楽寺駐車場から約30分から40分程度で登れます。石仏から播磨灘の眺めはすばらしく、天気の良い日には明石海峡大橋も見えます。さらに足を延ばして蛇ガ池(昔は池だったそうですが今は沼地)へ足を延ばせば、春先にはめずらしい花が見れます。石仏から蛇ガ池を一周して石仏まで帰るには約30分程度必要です。


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蛇ヶ池
18
15・250m
10

@

2・
愛宕山

12

16・山中・204.7m
14

13

11
石仏