7・128m
10
11
12
14・257m
13
15
17.267m
18
19・298.3m
16
bS18  大釜池〜高山


※ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている

「♪人生苦もありゃ楽もある」「♪山行きゃ苦もある楽もある」

トリプルヤブは数知れず、シダの地獄に三度ハマルも、リタイヤ出来ない当に人生。

高山コースに合流からは高速道路に乗った思い、スピード上げて高山登頂。

下山は自デポの「腹切り地蔵」目指していたが結果はアウト。




大釜池(△野深の続き)〜市町境界西進〜128m〜257m〜高山(298.3m三等)〜

引き返し〜市町境界南251m〜「外婆池」南尾根順視路尾根先端〜R=65〜腹切り地蔵



◎所在地 : 姫路市飾東町大釜・清住と加古川市志方町との境界

◎地形図 : 2万5千図   『笠原(かさはら)』 『加古川(かこがわ)』

◎山行日 : 2008. 2.15  (木)  晴れ〜時々曇り     高山 @’06.3.26 

◎山行条件 : 単独      Age=60

◎コースの見所 : @(7)からの巡視路自然林 A(12)から東180度+南180度 

             B(20〜21)360度展望と岩稜 C腹切り地蔵


◎走行距離 : 往路@17.6km  A26.6km  往復 46.4km



自宅発(9:19)〜明姫R〜R=43〜R=65〜1・自デポ(9:57)〜2・(10:12〜10:17)〜

3・石標(10:27)〜4・(10:46)〜5・(10:55〜11:00)〜

6・(11:13)〜7・128m(11:18)〜8・(11:36)〜9・(11:47)〜

10・ダム(11:59 おやつ 12:05)〜11・(12:07)〜12・(12:32)〜

13・(12:39)〜14・257m(13:03)〜15・(13:17)〜16・(13:24)〜

17・分岐(13:40)〜18・分岐(13:47)〜19・高山(13:55 おにぎり 14:10)〜

18・(14:19)〜20・251m(14:26)〜21・(14:35)〜22・(14:45)〜

23・(14:52)〜1・自デポ(14:59〜15:04)〜R=65〜R=515〜R=388〜

2・(15:33〜15:47)〜往路〜自宅(16:18)



外に出ると空は快晴、余りににも良い天気(前回と同じやー)、朝のウオーキングに向かったが引き返し『山へ行こう』。又ばたばた支度をして出かけた。行先は即決『前回の続きや』。前回かなり痛い目に遭ったのをもう忘れたか・・・。今日も「腹切り地蔵」に自転車をデポして大釜池へ向かった。 1・自デポ(9:57) 池の近くに駐車したかったが近くで水路工事をしていたので手前の道端に置いた。 2・(10:12〜10:17) 下部池の堤を歩いていると新しい薬莢が一つ落ちていた『鴨を狙ったか・・・』

『境界は・・・』竹林を慎重に歩いていると石標が立っていた。20p×10pの御影石に(右)飾广郡 (左)印南郡そして左右文字の下中央に堺(書体はこれと少し違う)現在の姫路市が飾广郡で加古川市が印南郡だった頃の石標で、実際はいつ頃立てられたものなのだろう・・・。地図の境界はもう少し南と思っていたがここから上り始めた。 3・石標(10:27)

 
(3)石標:東から(10:27)   (4)から振り返る(10:41)

竹が倒れてのバリケードを抜けると中上りの柴ヤブ『これ位なら』と、思っていると胸丈シダとイバラが出て傾斜もきつくなった。周りを見渡せどシダ無き所なく『濡れないだけましや』と、苦労したが上り切った。頂きも腰丈のシダ。 4・(10:46) 振り返ると二分の大釜池が見え、その畔に車が三台止まっていた。『まさか鴨撃ちハンターか?』と、思ったがこの後出会った鉄塔メンテ人の車と思う。進行方向尾根もシダとイバラは収まらず続き、少し楽な尾根北側を歩いた。

北樹間から前回歩いた「野深」辺りから大神峯が見えた。上り中頃からシダ・イバラが消え上り切る。 5・(10:55) 展望チラチラ。横ばいを行き、下りポイントを見極めるのに少々時間がかかった。 発(11:00) 少し下ると視界が開け二連の池と (6・7・8・12・13・14) が見え (14) の右に高山が覗いていた(13から高山までは後日写真を見て判った)。少し控えめのトリプルヤブを下るとシダは消えた。 
6・(11:13)

 
(5)から下りの展望(11:08)      (8)古墳とも自然現象とも判断つかない石列

緩く上ると明るい道に出た。 7・128m(11:18) 鉄塔は目前で巡視路だった。太いリョーブとコナラ主体の自然林が残り、快適に進んだが、シワが多出しあちこちに石列を見る“不思議”な地形だった。『また現在地が曖昧になり掛けた』と、思う頃前方に人影あり(30歳位男3人)ペンキの缶を持ち背には「しょいこ」にロープなど背負っていた。『こんにちは、高山まで行こうと思っているんですけど高山知りませんか』『知りませんねー』3人の後に監督らしき人(50歳位男)が地図だろうらしき物を持って付かれていた。 
(11:26)

上りに掛って間もなく巡視路はピークの左下を巻いていた。境界は、早くもここで巡視路から外れた。中シダヤブを上り切るとシダの中に大きな石が集積、点在し『古墳か?』入念に観察したが判断できなかった。展望は北がチラリ。 8・(11:36) 下りはシダが続き、間もなく柴・イバラのヤブで次にはメダケ・イバラ・柴ヤブに突入して下り切った。 9・(11:47) 谷筋には期待した破線道は無く微かな踏み跡程度。上り方向は、細流(細溝)に沿って在っただろう道は、草とイバラで塞がっていた(今思うとこの道は志方町の西牧地区に繋がっているのでもう少し明らかに確認しておくべきだった)。

境界取り付を探し、上る山肌を見上げると急斜面とヤブで『リタイヤも有るか』と、思う程の山容だった。南の小ピーク北先端を西へ進んでいるとかなり明るい道に出て細流(細溝)に沿って上り口を探す内『そうや、この上に在る池まで行くと境界が掴める』と、思い上っていると砂防ダムに着いた。 10・ダム(11:59) 小鳥の囀りを聴きながらおやつを食べ、一息ついた。ダムから目指すピークを見上げると、どう考えてもヤブとしか思えなかったが上の方は岩肌が見えていたので『50m位頑張れば・・・』。現在地がハッキリ掴め、燃料補給も終え発った。 (12:05) 

戻りながら『ここや』と、思う所から上り始めた。 11・(12:07) 始めは柴ヤブで『このままであってくれ』と、願ったが間もなくシダが出た。上りでもありシダ丈は頭越しの状況。シダの胞子か枯れ葉の屑か判らないが呼吸と共に吸い込んで喉がガラガラ。鉈で少しは切り開けるが体力の消耗の割に進度は僅か・・・『これに比べると前回のトリプルヤブは小ヤブや』なんて思いながら、振り返り休みながら二度目のヤブから脱出した。 (12:24) 展望は良く、北は王神峯・法華山・法華口。大釜池は見えないが(4・5・6・7・8) から高御位山方面が見えた。

 
(12)直下から北展望(12:28)   (12)直下から東に見えるペンキ塗りたての鉄塔

頂上近くになると又シダが出て収まらず、ココから黒に上半分が赤塗りのプラ杭が立っていた。 12・(12:32) シダを分けて横ばい尾根を行く。東の山間に明石海峡大橋と淡路島が見えた。やがてシダが収まって 13・(12:39) プラ杭は点々と立ち、それも目印に進み、短く緩い下りはルンルンも直ぐにトリプルヤブになった。何とかすり抜け上って行ったがやがてどうにも進めない逃げ場無き身の丈を超すウラジロ地獄にハマル。

またしてもリタイヤを考え始めたがここでリタイヤすると『二度と来れない』と思い、前進あるのみ『何が何でも上り切る』と言い聞かせながら少しずつ上った。ヤブからほぼ脱出した所で振り返ると視界は全開で山並みの最奥に高御位山の尾根筋が見えた。「♪人生苦もありゃ楽もある」「♪山行きゃ苦もある楽もある」ここの上りでは当に“人生の縮図”をみた。 14・257m(13:03) 展望なし。疲れで座り込み休む。

 
(14)への上りウラジロ地獄(12:53)   (14)への上りで振り返る(12:59)

上りでは見なかったプラ杭を見、方向確認し、柴ヤブっぽいが人が入っている事が分かる横ばいを進む。樹間から次のピークやそこから南の山塊が見える。ここはコースが読みにくく慎重に進む。プラ杭と立木に赤スプレーマークがありこれに助けられて何とか界を辿れた(257m西尾根先端は崖になっている)。コル 15・(13:17) 小トリプルヤブを上り切る。 16・(13:24) 展望なし。地図に表れていないが上り切り正面は4・5mの崖(人工的に思えたが?)

ヤブは収まり、視界塞がったまま下って上っていると低木になり、左右と後方が開けてきた。 (14) からの横ばい尾根の上に王神峯、最奥に笠形山。左(西)に転じると七種山塊から明神山。手前に神谷ダムも見えた。そして高山が谷を隔てた北西の位置に座し、その北東の谷に在る3連の池は其々水面の色が異なって見えた。 (11:30〜11:35) ここが最高点かと思っていたがまだ上りが続いて 17・分岐(13:40) 展望なし。

余ったのか若しかしたら (13〜14) に打つつもりの杭が打てなくてここに残したのか??プラ杭が6本横倒しで有った。その内の一本に「長楽寺より65分」と記してあり、明るい道が南尾根に付いていた。これを見て『又宿題が増えた』このコースと大釜池からの巡視路と繋がっていると思う。又新種の案内板(ステンのトレーを全面赤塗り、ポンチで高山と打ち出していた)が掛かっていた。それには「◎250と257m・清住」と記してあった。250は現在地と思う。257・清住は通過してきた (14) の事だろうが3連の池がある地区が清住なのでそこへ繋がる道が在ったのか・・・。

 
(17)手前から北北西方面(13:31)  (17)南から(13:39)矢印の杭に「長楽寺より65分」

高山へ向かって発つ。踏み跡は余り明るくない。コシダを分けて進むと前面が全開した。奥には高御位山から桶居山への山並みがピークを連ねて在り、その手前に高山から下山尾根の251mまでが横たわっていた。一気にスピードを上げ小走りで次の分岐へ向かう(道は明るくないがマーキングがある)。下って上って 18・分岐(13:47) ここにも (17) と同種の案内板が掛かっていた。「峠2.3k」「高山」「山中1.3k」の3枚。峠1.3kは辿ってきた方向を指していた(清住と西牧地区を繋ぐ破線道か?)

 
(17)からの下り高御位山展望(13:42)     (18)分岐案内板:横幅20cm位?(13:47)峠まで2.3k

’06.3.26 372 の時はこの分岐はハッキリしてなかったが現在は間違いようが無いくらい踏み込まれ明るくなっていた。高山へ向かって上り始める。直ぐの所に「高山 400m」の案内が掛かっていた。その後も踏み跡程度だった道も明るくなっていた。 19・高山(13:55) ここも大きく変わっていた。立木が10坪位伐採され、前回は展望無かったが高御位山が見えるようになっていた。気温快適、前回の事なども想い出しながらおにぎりを食べた。 発(14:10)

 
高山:東から(13:55)ステンのトレーに298.3mと記  高山近くの石列(14:12)

発って直ぐ、上りには気に留めなかったが間違いなくお堂の基壇と思われる範囲の石列を発見。風の如く林を抜ける。横ばいからの展望(西から東)は素晴らしい。 18・(14:19) 251mピークへ向かって折れる。ヤブっぽかったコースも明るくなっていた。 20・251m(14:26) ここからの下りで見る展望は一味違う。通過尾根の岩稜の奥にはやっぱり高御位山が目に入る。

 
18番から展望・左奥高御位山 (14:28)   257m先からの展望((14:33)手前池奥右端首切り地蔵

特に分かり辛かった251mからの下りは、繰り返すことになるが道もハッキリして難なく下れた。左谷筋へ巡視路在り『これは腹切り地蔵への道で無いだろう』と、思いやり過ごす。快適な岩稜を進み尖がり小ピークへ上るとここでも左へ巡視路在り。 21・(14:35) 『腹切り地蔵の案内が有るまで進んでみよう』視界が塞がって進んでいるとまた左へ巡視路あるも案内が無く先へ進む。とうとう案内が無いまま最後の急登に取り付く。コシダが道を覆っていてここから左へが首切り地蔵のような気がしたが案内も無く急プラ階段を上った。 22・(14:45) そしてとうとう終点まで歩いてしまった。 23・(14:52)

舗装路R=65をてくてくブラブラ歩いて腹切り地蔵に戻った。 1・自デポ(14:59) 「腹切り地蔵」の謂れは案内によると「竜山石に彫ったもので製作年代は不明。胴体があたかも切腹したかにように割れている。腹切りの由来に二話あり。天正八年(一五八〇年)三木城落城にかかわる武士がこの地で切腹、村人が石の地蔵を建てて武士の菩提を弔ったが不思議なことに地蔵さんがいつの間にか腹部のあたりから二つに割れてしまった・・・(概略)」とのことだった。 発(15:04) 自転車で車に向かったが途中の志方町西飯坂で足が攣り掛け、ストレッチでカバーして車に戻った。 

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20・251m

21

@

(3)石標:東から(10:27)