804  剣山(つるぎさん)(約6.0km/大柿コース)    赤線(上りコース)緑(大柿下山コース)



◎所在地 : 剣山頂上=徳島県美馬市・那賀郡那賀町・三好市の3境界合流点

◎地形図 : 2万5千図『剣山(つるぎさん)』

◎山行日 : 2024.4.2 (火)  晴れ〜曇り  

◎参   考: 1999.7.19〜20139(かずら橋〜丸石〜次郎笈〜剣山)  

◎山行者 : 大西(車)・田中・上野・吉村・大柿

◎コースの見所など : @スタートから大木原生林  A西島駅から展望 

◎走行距離 : 往路 ?km   往復 467.0km

◎費用合計 : 4,300円(交通費)+1,752円(弁当・夕食)



古田発(6:05)〜淡路SA通過(6:37)〜土成IC(7:38)〜脇町IC降りる〜

土柱P(8:07〜8:35)〜美馬市地域交流センターP/うだつの町並み散策(9:00〜9:55)〜

R193〜R438〜1・見ノ越/リフト乗り場(12:08〜12:20)〜2・分岐(12:42)〜(休み)〜

3・分岐(13:28)〜4・西島駅(13:37〜14:00)〜引き返し〜3・分岐〜遊歩道(緑コース)〜

5・祖谷川源頭(?)〜2・分岐(14:35)〜見ノ越(14:45〜14:50)〜R438〜

穴吹川に沿って下る〜脇町IC(16:45)〜淡路島南PA(17:40 トイレ 17:47)〜

土山イオン(7:30 清算 7:40)
〜自宅(18:00)



 
             明石海峡大橋 6:38

3月中頃大西さんから「四国の剣山に行こう」と声がかかる。「雪の心配が有るから行くのは4月に入ってから」天気予報の結果4月2日に決まる。古田発(6:05)〜淡路SA通過(6:37)〜土成IC(7:38)〜脇町IC降りる。一般道を6q余り走り「土柱」近くで道を尋ねて土柱に着いた。土柱P(8:07〜8:35)Pの一端に咲く満開の枝垂れ桜に歓声が上がった。徒歩で上って行く、展望台(櫓と違い土柱の反対斜面に迫り出して造られた台)から正面に土柱を眺めるもかなり強い逆光で写真が撮れなかった。

 
土柱P 8:11               P土柱ランド新温泉 8:12

看板『天下の奇勝・阿波の土柱 自然が創った芸術品、130年前の地層をのぞかせた土の群立で、扇状台地が風雨により浸食されてできたものです。尚、阿波の土柱のうち波濤嶽は、昭和9年5月1日に国の天然記念物に指定されています。アメリカのロッキー、イタリアのチロルに見られる土柱と並んで、『世界三大奇勝』と称されています。』

 
土柱展望台 8:21            谷筋から見上げる土柱 8:26

少し先から階段で谷筋に下り土柱を下から見上げてPに戻った。観光の人は平日で時間も早く数人だった。引き返し今度は「卯建の町並み」を見に行く。うだつの町並み通りに着いたがPが無く美馬市地域交流センター
P(9:00〜9:55)少し歩いてで卯建の町並み通りを散策した。

軒先看板 
『うだつ「卯建」は、二階の壁面から突き出した漆喰塗りの袖壁です。江戸時代は火よけ壁とも呼ばれ防火の役目をしていましたが明治時代になると防火よりも装飾に変わってきました。裕福な商家は富の象徴として、この「うだつ」を競ってあげました。ことわざ辞典にいつまでもぐずぐずして一向に出世できないことを「うだつが上らぬ」と記してある。』

特設看板
うだつの町並み脇町南町 脇町は、吉野川左岸を鳴門にいたる撫養街道と、高松へ通じる讃岐街道が交差する要衝の地にあり、鎌倉時代以降に城下町として形成されました。天正十三年(1585)蜂須賀氏が阿波国に封ぜられると、脇町には重臣・稲田氏が配され、城と城下町の復興が積極的に行われました。江戸時代には舟運を利用して、吉野川中流域における阿波特産の藍の集散地として発展。

明治以降は繭(まゆ)の仲買および生糸の生産の中心地として栄え、藍商、呉服商、その他各種の商家が軒を連ねる町となりました。大谷川の右岸に位置する町並みは三本の東西路に沿って、南町、中道、北町に分かれ、とくに商業活動の中心となったのは、吉野川沿いの南町でした。南町の町屋は通りに面して主屋が立ち、その背後に藍蔵や倉庫として使われていた土蔵・その他の付属屋が立っています。

主屋の建物は、切妻造平入(きりずまつくりひらいり)のものも混じっています。屋根は本瓦葺き、壁は厚い塗籠で白漆喰仕上げの重厚な造りとなっています。格子や虫籠窓、本瓦葺漆喰塗の卯建は町屋の意匠上大きな特徴となっています。南町の町屋のうち約六割は伝統的な様式で建てられており宝永四年(一七〇七)・宝永八年(一七一一)の棟札を持つ古い町屋をはじめ、江戸時代後期から明治時代の家々が並び、町屋の変遷を知る上でも貴重なものです。

「脇町南町は昭和六三年脇町南町重用伝統的建造物群保存地区」として国の選定をうけました。このすぐれた歴史的文化遺産を、文化財として保存するとともに、これを活かして快適な生活環境の整備を行い、町民ひとりひとりが郷土への誇りと愛着を持てる、個性と潤いと活力のある町づくりにとりくんでいます。 平成二年三月三十日脇町教育委員会・文化庁徳島県


 
うだつ(2階左端)の町並み 9:10     9:16

  
舟板利用の塀 9:34        上記の特設看板 9:42

うだつの町並み吉野川沿い中程に多種多用の藍染製品の販売店(旧家)があり入って見たが絹製のストールは一万五千前後していた。町並み通りを往復して剣山に向かった。Pから東へ走り穴吹橋(R193/R492)を南へ渡る。そのままR492を走れば良いところを(私のコースはR192西進〜大須賀(貞光)〜R438南下)大西さんの設定ルートがR192東進し阿波山川駅辺りでR193に乗って走り続けた。

余りにも山中のジグザグ道が続き現在地不安になる。ついに峠越えとなり私は決定的にコース違い(遠回り)と思う。つまり上り続けて見ノ越が正解。二台目の対向車に尋ねると「剣山の標識を見たような気がする」とのことで希望が持てた。そして遂にその標識を目にした。鋭角に右折し川に沿って上り続ける。左斜面は断崖の所も多くやっとの思いで見ノ越ケーブル乗り場のPに着いた。


 
1番 見ノ越イラスト看板 12:26    同リフト乗り場

1・見ノ越(12:08〜12:20)
「もしかしたらリフト(剣山リフト)休業では・・・」の予想が不運にも当った。4月中頃まで運休。(参考:運賃大人往復1900円片道1050円・時間15分・距離839m・標高見ノ越1420m・西島駅1750m)どうする・・・時間的に登頂は無理、西島駅まで上ることにしたが田中・上野は劔神社でリタイヤ決定、大西・大柿先行、冬枯れの大木原生林を緩やかに上って行く。間もなくリフトの下を通過(頭上安全確保のため簡易トンネルあり)そのすぐ先で分岐あり。

 
上り始め 12:31              12:37

 
2番 簡易トンネル12:41          13:12

2・分岐(12:42)道標@「海抜1500m 西島駅へ930m 頂上へ2880m見ノ越へ420m」A「西島へ1530m 頂上へ(遊歩道)3480m 祖谷川」@は最短コースAはう回路で歩行距離が600m長い。@番で上る。その後道に座り込んで弁当やおやつを食べていると吉村さんが上って来た。吉村さんを置いて上る。所々で上り下りの親子、カップルに出会う。シンガポールからの若いカップルにも出合った。3・(13:28)山のような大きな岩塊があり祠(西島神社)が祀ってあった。

 
3番 右端に祠               4番 上島駅・上方剣山とヒュッテ13:39

地図の等高線での予想より傾斜は緩く楽しく上れた。宿営地(テント泊)の左を通過して間もなく西島駅に着いた。
4・西島駅(13:37〜14:00)賑やかに話をする男女Gは台湾からの若者だった。見上げると剣山頂上の建物と次郎笈(ジロウギュウ)方面の峰が見えた。麓方面も全開だったが遠望は霞んでいた。西方面遠望は三嶺(1893.6m)だろう。三嶺へは祖谷カズラ橋から歩いて見たいと思っていたが叶うことが無かった。

 
4番から見ノ越方面 13:42         4番 上島駅 13:57
北方面も全開だったが土地勘なく分からない。そうこうしていると吉村さんが上って来て少し休んで下山開始した。3番から私だけAのコースで引き返すことにした。初め余りにも西へ向かうので心配したが東向きになりホッ。大西、吉村さんはどの辺りを下っているか問うも反応なし(3度)。中程に「祖谷川源流」との石板があった。素晴らしいコースで分岐に着いた。
2・分岐(14:35)間もなく下方にリフト乗り場が見えPに無事戻った。見ノ越(14:45〜14:50)


 
3番から下る遊歩道 14:09          14:31


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