755  五峰(ごぶ)山〜角尾山 (12.0km)


御近所仲間で角尾山。滝野温泉「ぽかぽ」からの登山口、訊けど探せど見つからず

表へ回って正規?のコース。お寺巡って高倉峠、緑迫るコブ越えコース岩場・岩盤・地道を歩き

夫々のペースで角尾山。




◎所在地 : 加東市光明寺(寺周辺)光明寺(国正町に近い方の地名)の北山塊

◎地形図 : 『西脇(にしわき)』    

◎山行日 : 2021.4.24  (日)  晴れ    

参考 :  @05. 1.29 330  A20. 1. 5.716  B20. 3. 8 720

◎山行者 : 大西(車)・田中夫婦・畑中夫婦・西村・大柿   Age=74

◎コースの見所など : @道(参道)両脇に建ち並ぶお寺  Aモミジの新緑  

 B峠から先は左右展望も良く、道も変化に富んでいる  C角尾山から360度展望

◎走行距離 : 往路 @?km   往復?km



ぽかぽP〜山上P〜寺巡り〜光明寺本堂〜高倉峠〜奥の谷コース〜272m〜

奥の谷コース分岐〜芳田コース分岐(3町境界)〜角尾山・熊ノ尾(343.7m三等)〜

引き返し〜高倉峠〜ぽかぽへ下る(畑男・田中女・大柿)〜ぽかぽP合流〜闘龍灘



自宅発(8:00)〜高畑イオン(弁当)〜R175〜播磨中央公園通過〜

1・ ぽかぽP(9:10〜9:25)〜引き返し〜2・山上P(9:37〜9:42)〜寺巡り〜

3・光明寺本堂(9:55)〜4・鉄塔〜5・高倉峠(10:17)〜奥の谷コース〜

6・272m(10:35)〜7・(10:50)〜8・奥の谷コース分岐(11:14)〜

9・芳田コース分岐/3町境界(11:30)〜10・角尾山・熊ノ尾(11:43 昼 13:00)〜

引き返し〜5・高倉峠(14:15)〜ぽかぽへ下る〜11・ぽかぽ登山口(14:32)〜12・(?)

1・ぽかぽP合流(15:00〜15:10)〜闘龍灘
(15:23〜15:40)〜往路〜自宅(16:35)


「西国二十五番札所の御嶽山清水寺と五峰山どっちする」「そりゃーこっちやで」と言う事で五峰山に決まった。お寺巡りと△扇山を歩くコースもあったが私(リーダー)の考えで気になりながら未踏の滝野温泉「ぽかぽ」から角尾山のコースに決めた。 1・ ぽかぽP(9:10〜9:25)地図では温泉から高倉峠へスムースに上れると思い、ぽかぽPを発って有るだろう案内を探したが見つからず。

 
1番「ぽかぽ」の北端P・後方山Vが高倉峠9:15    2番光明寺Pから東の展望 9:37

登山口を尋ねる(大西)と光明寺Pからの道を手書き地図で教えてもらう「そんならそこから歩くか」と、Pへ向かう。2・山上P(9:37〜9:42)東山裾からの道あり。Pの看板一部『五峰山百景 宿尾(ふとお)、明星が辻、経の尾、大岩、弥木揚(やきあがり)の五つの峰から成る五峰山は昔から播磨高野といわれ、真言宗七十五名刹の一つに数えられ、新西国二十八番、播磨西国十八番の観音霊場として広く信仰を集めています』

 
Pの看板へ向かう 9:41                 9:50

ここからの舗装路急登が嫌で敬遠していたのだが、それを上って行く。新緑のモミジが垂れる参道の両側の寺を巡る(山門は潜らず)。地図北から実線は「近畿自然歩道」。最奥の光明寺の入口に着く。ここは、扇山・ぽかぽと本堂への分岐点。田中夫婦と私は少し遅れて歩き他のメンバーは本堂へ向ったと西さんんが中継してくれ、本堂へ向かう。3・光明寺本堂(9:55)本堂の左側から奥へ進むと本堂の裏に「光明寺合戦本陣跡」との自然石の大きな石碑が建ち、解説の看板が立っていた。

 
 9:52                            「ぽかぽ」(左)・光明寺(石段)分岐 9:53

『観応2年(1351)2月、足利直義の石塔頼房が五千余騎で当山にこもったとき、本堂及びこのあたりに本陣が置かれたと推定される。往時の光明寺は、本堂の西と南に僧坊が集まり、表参道や仁王堂も南の山腹にあったらしい。高倉尾から仁王堂を攻めた。つまり、こちらが大手であった。寄手と城方愛曽伊勢守(あそいせのかみ)が激しく戦ったのも、この仁王堂付近である。表参道が東坂に移り、仁王門が現在地に建てられたのは、近世初期と思われる。加東市観光協会』

そのまま奥へと踏み跡を辿る(初めての道)と分岐あり、先行の後を追い右へ上ると鉄塔下に出て北が全開した。
4・鉄塔
(?)私以外はこの後進む方向が分からない様子、それもそのはず道が途切れていた。引き返し下の分岐から更に下り正規の横這い道に出た。先行は次の分岐で扇山へと上っていて呼び止める。ここからは私がリードして峠に着いた。5・高倉峠(10:17)

 
7番への上りで振り返る 10:43            7番への上り(田中) 10:43
奥山並みVの左が寺群・右△扇山

 
7番ピークを眺める 10:48              7番から・鉄塔=8番 奥ピークは9番 11:01

初めの計画では、「ぽかぽ」からここへ上って来ることになっていた」と説明し奥の谷コースへ入る。20年1月に散布された除草剤の効果で道端のシダは完全に枯れていた。
6・272m(10:35)先行G合流し小憩。私は田中主人のペースに合わせ歩いた。以後コース状況は前述参照(20年1月・2月)。7・(10:50)ここでもしばらく休む。8・奥の谷コース分岐(11:14)〜9・芳田コース分岐/3町境界(11:30)〜10・角尾山・熊ノ尾(11:43 昼 13:00)最後に到着し、即昼食に入る。

   
10番に着く(大西) 11:43              後続着く・前から田中・畑中・田中 11:43

   角尾山から芳田(岡崎町)を見下ろす11:44    角尾山か五峰山方面 12:38                                  

畑・田さんからおやつを頂き、食後には畑さんからホットコヒ―を頂いた(コンロ持参)。その後、懇談と残り物のワラビを採ったり展望をしたりで快適な時間を過ごし引き返した。
5・高倉峠(14:15)ここで二手に分かれる。私と田中夫婦・畑主人は私の希望に併せて「ぽかぽ」へ下った。道幅は広くもジグザグで両手に乗るくらいの石がゴロゴロで歩き難かった。下方は緩くなり大きな砂防ダムがあった。

 
5番 高倉峠から「ぽかぽ」への下り 14:22         14:22


 
砂防ダムが見えてきた 14:26           11番 「ぽかぽ」から登山口の道標 14:32

幅広だったが低かったので簡単に通過できた。獣除けの柵から出て橋を渡ると欄干より低い位置に手書きの登山口道標があった。11・ぽかぽ登山口(14:32)「ここに有ったか」ぽかぽのPから更に奥へ進み初めの右カーブを下るとこの橋に着く。「そろそろ迎えの車が来るはず、来るならこの道」と、川に沿って南へ歩いたがなかなか来ず、畑さんが連絡すると「ぽかぽ」のP前で待っていた。
12・(?)1・ぽかぽP合流(15:00〜15:10)一休みして闘龍灘へ行く。闘龍灘(15:23〜15:40)岩盤の河原に下りて散策した。

 
闘龍灘(滝)本流 15:23               掘割水路・橋から上流 15:28

 
掘割水路・橋から下流 15:28            岩盤に埋め込まれた説明板 15:31

『掘割水路 この「掘割水路」は、加古川舟運や筏通行の最大難所であった闘龍灘の東端を掘削して造られたものです。長さ180m・幅8m・深さ4m。多可郡産の松・杉・桧の良材は筏で下流へ運ばれましたが、闘龍灘のために滝の上流で解体、1本ずつ滝落としにかけ、下流の座の浜で組みなおさねばなりませんでした。この不便さを解消するため、明治5年(1872)

多可郡石原村の村上清次郎らが岩盤の掘削を新政府へ願い出ました。工事は翌年から生野銀山のフランス人技師ムースの指導で始められ、約1年で完成、筏は組みかえなしで運ばれるようになりました。また、この「掘割水路」は鮎が群集し、それを小網ですくいとる「鮎汲み漁」の名所としても知られていました』観光客はパラパラ程度だった。

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※1番の温泉マークは実在は光光明寺の光明の字の左に在る

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