№685 黒岩山~行者山~神吉山 (約約4.0km)
ちょっと歩きに平荘湖。黒岩山から西尾根歩き、鉄塔点々路が在るはず。
楽しみ抱えて発って間もなく出会った人から「路が在る」と情報得られ、楽しみ半減それでも歩く。
◎所在地 : 加古川市少年自然の家の西からウエルネス・東播高校の北尾根
◎地形図 : 『加古川(かこがわ)』
◎山行日 : 2018.10. 9 (火) 晴れ
黒岩山 ➀17. 2. 7 655
◎山行者 : 単独 Age=71(2月29日から)
◎コースの見所など : ①フルコース巡視路と遊歩道で展望良し
◎走行距離 : 往路15・9km 往復29.6km
平荘湖畔~黒岩山(132.5m四等)~路西進~ウエルネス分岐~路西進~行者山~
神吉山(61m)~集落へ下山~引き返し~ウエルネス分岐~黒岩山(132.5m四等)~
路東進~おおぞら保育園に下る(平荘湖畔
自宅発(9:40)~明姫R稲屋交右折~加古川橋~1・平荘湖畔P(10:17~10:30)~
2・黒岩山(10:56)~3・ベンチ(11:05)~4・行者山(11:15~11:20)~
5・神吉山(11:32 休 11:46)~6・民家(11:55)~引き返し~7・(12:00)~
8・東下山口(12:05)~4・行者山(12:12)~3・ベンチ(12:15 休 12:29)~
2・黒岩山(12:40)~9・鉄塔(12:50)~10・(13:00~13:06)~1・(13:12~
13:30)~自宅(14:04)
遠方へはなかな足が向かないと言うか目が向かないと言うか気が向かないと言うか近場で気になっている所に出かけている。今日のコースも17年2月に黒岩山~を歩いた時、西尾根へ明るい道が在ったので気になっていた。P地点へは南から入って行くとダムの所でポールによる通行止めになっていて引き返し東へ回った。1・平荘湖畔P(10:17~10:30)
A地点の道標と杖(この杖は神吉山東登山口に常備されていた杖)10:37
登山口へ向かっていると同年代と見える男性と出会い挨拶から山歩きの話になり、私の計画を言うと、飯盛山から投松の方へ抜けられる事や「洞貝山」へ上れることや私の計画コースも道が在ることも教えて下さった。探索気分が一気に消沈したがお礼を言って別れた。黒岩山への上りはススキやシダが繁茂しているところっもあった。
序盤にはシダなどが繁茂 飯盛山方面:白い建物は「少年自然の家」
平荘湖の眺め ウエルネスパーク
間もなく岩盤に出ると大きく開け、平荘湖から高御位山が見渡せたが海は霞んで見えなかった。凄く暑くて簡易温度計を見ると30℃近くあった。更に上部で良い展望を見て黒岩山に着いた。2・黒岩山(10:56)タグ有り・展望と保護石なし。ここから未知のコースに入る。聞いたところによるとこの先岩場を下るとの事だったが土道と半々くらいの中下りだった。路は粘土状で滑った。
黒岩山肩から神吉山への尾根(尾根先)と高御位山(右奥) 北の眺め(中央・大藤山)10:57
展望も良く最終ピークの神吉山まで見渡せた。左下にはウエルネスパークが見える。遠望は上りに見た範囲。下り切ると横ばいになり、ススキと萩の花を見ながら歩く。左にウエルネスへの道があり、そこに角材で造られた6人がけのテーブルとベンチがあった(東播磨工業高校の生徒達がH28.8.3に寄贈)。3・ベンチ(11:05)少し休んで緩く上っていったコブは古墳跡だった。
「神吉山5号墳(神吉山5号墓) この遺跡は、砂部(いさべ)遺跡や東神吉遺跡の北の標高60メートル前後の高い丘陵上にあります。墳頂部と袖部に上下二段の列石がそれぞれ直線に並んでいることから、墳丘の形が方形と考えられます。また、弥生時代末期の壷形土器が採集されていることから、弥生時代末期(3世紀)の墳丘墓である可能性があると考えられて、注目されています。 平成24年3月 加古川市教育委員会.」
看板が立っていなければ只のコブ。その先、こげ茶の鉄塔の右通過すると路左に「神吉山4号墳」の標柱あり。丘状でなく平面。さらに右柴ヤブの中に「神吉山3号墳」標柱が建っていた。そして上り切るとそこには、役行者を中央にして左に不動明王、右は名前が分からない石仏が祀られていた。4・行者山(11:15~11:20)
石仏中央が役行者・左不動明王・右不明
名前不明の石仏
ここは「神吉山2号墳 この丘陵上に点在する5基の古墳を神吉山古墳群と称しています。1号墳から4号墳は、古墳時代後期(6・7世紀頃)の円墳と考えれていますが、調査が行われていないため詳しいいことはわかりません。この古墳は、ここに建てられた石碑?(石仏と思うが・・)のため一部破壊された跡があります。平成24年3月 加古川市教育委員会.」
下って行くと岩盤を切り込んで階段が作られていた。これは大変な労力(40段で手すりも設置)正面奥に高御位山、目前は終点の神吉山が見える。下り切ると巡拝道があり祠が点々と在った。道右上にお堂?が建っていて展望も良く下方に東播磨工業高校が在った(11;25)。更に進むと高さ4m近くあろうかと思う石碑が建っていた(11:27)。碑文(漢文)は判読不能なれど
行者山からの下り階段 巡拝道に立つ祠(11:23)
岩盤の上に建つ石碑
「この山南北東西(面積らしき意味)明治維新・・宮地になる・・その後神吉村・神吉長次郎なるものが村人と共に買い上げた・・その功績を讃えて十輪寺の・・・が明治三十七年二月に健之と言った内容???」記念碑発(11:27)岩盤を進み間もなく擬木の階段を下り鞍部に着くと左へ下る分岐あり。正面に大きな石碑が見える。5・神吉山(11:32 休 11:46)
「日露戦役記念碑」記念碑が見える 「日露戦役記念碑」に接近(11:34)
「日露戦役記念碑」だった。ザックを下ろして休む。「神吉山1号墳 古墳時代後期(6・7世紀)円墳一部破壊のため詳細不明(標柱)」おやつを食べ、とりあえず麓まで下りR43の確認をして引き返した。6・民家(11:55)上りは東登山口から上った。7・(12:00)~8・東下山口(12:05)~4・行者山(12:12)~3・ベンチ(12:15 休 12:29)
7番:東登山口に置かれた杖 登山口からの上り道(12:02)
3番ベンチから北の眺め ベンチから黒岩山を見上げる(12:25)
ベンチでおにぎりを食べながら休む。北の谷筋を確認すると微かな踏み跡在り。黒岩山を見上げると岩盤がむき出てきつそうだった。2・黒岩山(12:40)ここから東へ下る(粘土状道で滑る所在り)。前方に飯盛山方面が見える。9・鉄塔(12:50)前回無かった道標が設置されていた「黒岩山 至 ウエルネス」「道貝山」道貝山へは北へ下っていて狭い切り開きが在った。
9番の道標 9番から平荘湖を見る(12:52)
ここから東への下る道は分かり難いが貯水タンク中継塔を目指せば道に乗る。前方に飯盛山方面がより迫って見える。下り切り、横ばいを行くと右保育園へ下る大きな矢印の標識がある。10・(13:00~13:06)その先は金網が巡らされゲートには現在も鍵が掛かっていた。引き返し矢印から下る。入口は笹ヤブも踏み跡在り、終盤は道が消えるが突破すると保育園に出る。1・平荘湖畔P(13:12~13:30)計画では更に飯盛山に上る事になっていたが疲れてその元気なく今日の歩きは終了とした。
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