←529m

№565  花咲山~上野田~生栖行者山


可愛い名前の『花咲山』と点在する名の『行者山』縦走すれば何か在る、何か見つかるきっと在る。

急登二段で花咲山、空は快晴視程良好かいた汗も爽風に持っていかれて元気回復。

林道無視して尾根歩き、ヤブ想定も開き有り△上野田無事通過。

峠の石仏手を合わせ、発った上りは待望の、笹を分けての上りが続く。

それを抜ければ岩塊流、一息ついて又現れた岩塊流は本物だった。

行者山では無念夢想、東の空に全員合掌。さて、そこからの下りでは・・・。




◎所在地 : 宍粟市一宮町下野田・上野田・能倉の西から北主尾根

◎地形図 : 2万5千図 
 『安積(あずみ)』

◎山行日 : 2012. 9.27 (木)  快晴          

◎山行者 : T・カブ/馬場・中島・横川・大柿(車)       Age=65

◎コースの見所 : ①花咲山からの東面展望(手前中継塔から南の展望も良し) 

             ②西峰(19)南の岩塊流  ③行者山からの東と直ぐ先からの北展望

◎走行距離 : 往路 ①73.1km  ②79.4km  往復 158.4km



上生栖自デポ~引き返し~S・いちのみや登山口~花咲山/下野田(637.7m三等)~

主尾根北上(北東)~529m~上野田(616.7m四等)~498m~行者山(787.2m三等)~

607m~林道歩き~上生栖自デポ~自転車~S・いちのみや~引き返し~上生栖自デポ


自宅発(6;35)~姫路BP~R29~一宮町安積橋交右折~R6~1・生栖自デポ(8:16~8:27)~

引き返し~2・S/いちのみや(8:30~8:44)~3・(9:20 休 9:30)~4・アンテナ(9:50)~

5・花咲山(10:11 休 10:26)~6・(?)~7・不思議な岩(10:45)~8・(10:55)~

9・(11:00)~10・(11:09)~11・(11:15 休 11:28)~12・△上野田(11:38~11:42)

~13・(11:50 昼 12:18)~14・(12:35)~15・498m(12:45)~

16・古峠(12:50~12:55)~17・(13:15 休13:26)~18・(13:35)~

19・(14:00~14:08)~20・分岐~行者堂(14:15~14:19)~21・行者山(14:25~14:35)

~22・分岐(14:53)~23・607m(15:03)~24・林道(15:08)~25・登山口(15:35)~

26・石仏(?)~27・(15:45)~住民と交流~1・自デポ(16:30)~
自転車(6.3km)

2・S/いちのみや(16:45~16:50)~引き返す~1・自デポ(17:00~17:06)~(自宅(18:57)


R29林田町辺りでも空には雲一つない快晴、稲穂の黄金と彼岸花の赤が映えて目を楽しませてくれる。揖保川では、まだ『アユ掛け』をしていた。馬さんに自転車デポ地を教えてもらう。1・生栖自デポ(8:16~8:27)~引き返し~2・S/いちのみや(8:30)「蛭おるやろか・・・いきなり急登やなな」何て言いながら支度する。発(8:44)

猿的には主尾根の先端『三軒屋』から自然林を上りたかったが正規道の植林帯を上った。途中で横さんが「ゴミかと思って掃ったらヒルやった(ヒル情報はこれっきりだった)」間もなく大きな崖の下に着く。
(9:13)崖の裾を左に巻くのが正規道だったが右をとり崖の上を通過す事にした。

お堂
20・分岐↘
19
22・分岐    

←21・行者山
  787.2m

23・607m
24・林道
10
5・花咲山・637.7m
←12・上野田・616・7m
←16・峠
15・498m→
14

※地図№24~25はイメージです
  計画では24~A~26へ尾根通し下山だった

25
27
手形
26
18
17
13・ひる→
11

息子・父・婦人

(16;24)石灯籠から帰りに撮る           表=はりま一宮・生栖行者山登山手形・
                                  平成  年   月   日
                                裏=生栖行者守本尊之印          

また「以前この石が十個くらい有って持ち上げて遊んでいたけど今は一個だけになった」とも。その横の草むらを見ると他に三個有った。村人が力自慢を競う『力石』だった。住民との会話で思った事は皆さんとってもきさくで柔和な顔立ちで友好的だった(心が癒されました)。1・自デポ(16:30)即発~自転車(6.3km)2・S/いちのみや(16:45)

帰路皆さん心地よい疲労感の中、一同賛成『たいこで駅そば』お疲れ様でした又歩きましょう。
(※帰宅後冷静に地図を読むと簡単に歩いたコースが読めた。正規コースの等高線の間隔からすると下りが苦手な人にはお薦めコースと思った。)

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そんな時この手形作者の主人と息子さんが草刈りから帰って来られた「大勢?の人が集まっているから何か悪い事があって救急車でもよばなあかんのんかと思った」と言われた。9月2日に行者山登山大会(たぶん毎年実施)を予定していたが今年は天候悪く公民館で交流したとの事だった。

話の流れで私の実家『飯見』から近くの家に御嫁さんが来ている事も等々会話した。お礼を言って下っていると大きな石灯篭と石碑(無縁者塚で明治に建之)が立つ所で自デポへの道を尋ねると「行者山登山ですか、私の家がその行者山の祭りの元です」との事だった。灯篭を建てられた事からだろか「家の屋号は石灯篭なんです」「へ~」。

下方集落で畑仕事のご婦人に『楽里』と書いた集落は何と読むのか尋ねると『たのしり』だった(古い?道路地図では『田の尻』とある所なので字を付け替えたようだ)。また、馬さんが花咲山から縦走したことを話したが理解できない様子だった。

少し下った所で又ご婦人に挨拶をすると、何やら言いながらこちらにやって来られた。「行者山登山手形をあげる」との事で、それを置いている家(少し下方)まで行って「どれでも欲しいの取って」と数十個ある中から好きなのを夫々が頂いた(写真)。

傾斜も緩めで正規コースと比べれゃ楽だった。23・607m(15:03)9月とは言えこの時間帯になると周りの雰囲気は物寂しさを感じた。間もなく下方が急に明るくなったかと思うと在ろう筈の無い林道が現れる。24・林道(15:08)「馬さんこの林道、見覚え有る」「無い」林道は東西水平に付いていて、どちらが突き当たり(終点)になるかどちらに行けば下れるのか分からない。

西向きに歩く馬さんの後を追う。尾根先で180度逆戻り。ヘアピンカーブを何度繰り返したか・・・。右に折れても左に折れても凄く深い谷筋。私はコースを作った責任も有り何処に向かうのか何処に下るのか心配でパニック気味。西向きの下りが続き行者山登山口のポールを見た。
25・登山口(15:35)

コンクリートの簡易舗装の直下りはよろしくない。中さんが「今この辺り歩いとるのと違う」カーブと直線道が合っていた。
26・石仏(?)下方に民家が見え始める。27・(15:45)鹿ゲートを通過。月谷城跡(自治会の大きな案内板あり)にも興味があったがそこへは激登で、上る気力なくやり過ごす。

祭り元宅の婦人

力石
 ↓

←無縁者塚

石灯篭の上が切れている
(16:22)

矢印の辺りに右の方から下って来た
(15:55)

※(18)地点からカメラのバッテリー容量
警告ランプが点いていたのでこの写真以後
撮るのをひかえた

(22)下山道分岐手前尾根東面の
    自然林(14:50)

何処までも澄み切った空気の中に、ほんの少し秋めいた葉先を見、山並みを見る。東に暁晴山から三辻山・鉾立・雪彦山が見えた。ふっと思い付く「そうや皆で合掌して写真を撮ろう」初めてのこの様な心境になった。発って直ぐ北に又も素晴らしい展望地あり。左に東山・正面に藤無山・右の方に見えたのは須留ヶ峰か・・・。

最後になろうおやつを食べて発つ。
(14:45)緩く下っていると右に素晴らしい雑木林を見る。22・分岐(14:53)尾根から左へが正規コースも道らしきもの無かった。私達はそれを使わず直進してオリジナルコースで下る。このコースは12日に岩谷山から眺めた時に「これもあるな」と思っていた。暫くは左自然林だったがその後は左右植林帯になる。

行者山の北東尾根肩からの展望
  (14;38)

藤無山
  ↓

東山

行者山から東の眺め(14:30)

暁晴山

三辻山連山

⇐石標拡大

⇐石標

行者堂:南から(14:19)                (21)行者山:東から(14:28)

それにしても、あの上り面だけに見た岩塊流は何処から生じ、どのようにして生じたのか今もって不思議で神がかりとしか思えない。頂きにはお堂?が建っていたのではと思う地形を後にした。左ヒノキ林が続く。太いのは30mmは有ろう赤錆びのワイヤーが多く放置されていた。鞍部に正規のコース分岐があった。20・分岐

直ぐに行者堂への案内が有った。尾根から左へ水平に進む。
行者堂(14:15~14:19)お堂の中は登山記念の大小の絵馬?が所狭しと掛けられていた。有る筈の不動明王・役行者の像は見つけられないまま発つ(帰宅後宍粟50名山の本を読むとその像が有ると記されていたし下山後地区住民にも有ると聞いた)。

私は何処かに祀られている筈の像を探しながら、お堂から岩場を上ったが見当たらないまま仲間と合流した。
21・行者山(14:25~14:35)保護石、タグ無し・展望東あり。ここの石標は見るも無残、語るも無残なまでに破壊されていた(写真の如く)。

(19)への上り岩塊流(13:55)           (19)頂きに建つ石碑:南西から(14:06)


12
上野田
  ↓

花咲山
  ↓

弱っているが東面に太い赤松が群生する。左ヒノキ林になり、荒れた尾根は直ぐ上りになる。途中振り返ると樹間から花咲山方面が見えた。西峰から下った事がある馬さんが「西峰と違う」上っていると雑木帯になり平滑な所に炭焼き窯跡が良い形を保って残っていた。こんな頂き近い高所に見るのは初めてと思う。

ここから本格的な岩塊流が始まる。「何でこんな高所に・・・」馬さんは東寄り、私は西寄りを上る。西寄りの木にマーキング有り馬さんに見てもらうと下山コースで、ここが西峰だった。
19・(14:00~14:08)頂きには自然石ままの石仏(刻印等無し)が建っていた。

(17)辺りプチ岩塊流(13:14)            同所松の木に登っての眺め(13:21)

峠道は確かに残っていて西の楽里(たのしり)地区側は下方に林道があった。能倉地区へは道を笹が塞いでいたが獣道が付いていた。石祠の中に大師座像が祀られていた。ここからが想定通り、雑木林に身の丈の笹ヤブとなる。昔鹿金網が出る。間もなく笹ヤブが消えた。傾斜がきつくなり、プチ岩塊流が出る。「もうたまらん休みや」そこで一休み。

最後の冷たい物を食べる。歩いて来た山並みが見えそうで見えない、久し振りに木登り開始。松の木を3m位登と花咲山までとその左に上野田地区、花咲山の右には12日に歩いた古城山から岩谷山その奥に旗峰が見えた(私だけの眺め)。
17・(13:15 休13:26)一段と急登になり上り切る。18・(13:35)ここが西峰か?。

石仏から楽里方面(12:54)              峠からの上り笹ヤブ(13:00)

(16)峠の石仏:南から(12:52)           石仏前から上野田地区方面(12:54)

植林帯を行くと間もなく東が開け、能倉地区から暁晴山を見ながら昼にした。13・(11:50 昼 12:18)「東向く所要注意やで」と植林帯を下る。14・(12:35)布を二本巻いて東へ下る。右が雑木林になる。15・498m(12:45)やや複雑な地形を進み鞍部に着くと峠だった。16・古峠(12:50~12:55)

(12)△上野田から見る林道(11;40)       (15)手前で東方(12:43)

三辻山連山

「何かあるかも」と裏へ周って見ると不思議な(人工的)窪みが有った。左植林の中に林道がチラつく。8・(10:55)『アサギマダラ』が一頭優雅に舞う。花咲山から視界閉ざしたまま、ほぼ横ばいを快適に進む。9・(11:00)~10・(11:09)道らしき跡はここから東へ下っていた。

左右自然林を上る。
11・(11:15)「腹がへったなー朝が早かったからや昼どないする」馬さんから大福餅が出た(何時も御馳走になります)。発(11:28)間もなく右がヒノキ林になり左自然林を上る。「石標が無い」少し焦ったがやや隠れて見つかった。12・△上野田(11:38~11:42)保護石二個・タグ、展望無し。西側下に林道が見えた。楽里地区と繋がっているのだろうか・・・。「今度開けた所で昼にしょう」と進む。

(7)不思議な露岩:南から(10:15)         露岩の後(10:46)

南から確なそま道が来ていた。『昭和五十九年一月一日・カブスカウト初日の出登山・宍粟第三団』の石標が建っていた。左ヒノキ林右自然林の尾根を行く。ヤブを覚悟していたが明るい踏み跡があり期待外れ?。7・不思議な岩(10:45)大きな露岩が鎮座する。

(5)花咲山:東から(10:24)            ↓ 花咲山から行者山(10:13)

上り切りは林道終点で運動場のように広い。案内に従い再度尾根に乗り上り緩く上り切ると石標が見えた。5・花咲山(10:11)保護石・タグ無し。展望東は東に暁晴山・三辻山と北東梢上に行者山が見えた。ここでも冷たい物を頂き「寒ーなった」発(10:26)林道を右下に見ながら尾根を下り、林道を横断、再度林道に出る。6・(?)

旗峰
 ↓

ケドイ
  ↓
宮山
 ↓

↓伊和神社

上り始めて最初の展望(9:42)           (4)空の眺め(9:51)

大きな露岩がある所で正規道と合流した。3・(9:20)爽やかな風が吹き抜けて皆満足「今日はこの風を受けただけで満足や」「ほなこれで帰ろうか(猿)」余りにも爽快に「こんな所に小さなテント持ってきて本読んでラーメン食べて・・・(中)」「崖に祠があるで」と馬さんが言ったが見に下りる事無し。冷たい物も頂く。発(9:30)

右が自然林で短い横ばいの後、二段目の上りになる。太いヤマザクラがあり「昔は桜の木が沢山生えていてそこから花咲山の名が付いたんやろか・・・それとも尾根の“鼻先”・・・それとも本の解説通りか・・・」やがて視界開けて眼下を眺める「まほろばの里やな」。伊和神社は格式の高い神社と聞いているが当にこの地に建てた意義が感じられた。
4・アンテナ郡(9:50)

崖の下を右に回り込む(9:13)           (3)崖の上で道ご合流点(9:26)