@西谷公園
久学寺
563 鎌倉山〜柿木田
「 あー今世紀最大の勘違い」
今日のコースもなかなか歩けず、何時歩けるか、思い続けて今日決行。
加西市・多可町境界歩きで『西谷公園』下山の予定が大きな大きな勘違い。
大和は大和も手前の大和、柳山地区に下ってしまい、焼けた舗装路トボトボ歩く。
集団下校の児童列と挨拶「こんにちは」「さようなら」元気をもらい公園着。
自宅発(6:50)〜高畑〜池尻橋〜R79〜R24〜八千代区野口交左折〜R34〜
大和地区〜1・西谷公園(8:15〜8:20)〜引き返し(6km)〜2・池(8:29〜8:40)〜3・(8:50)
〜尾根(9:10)〜4・柳峠(9:22)〜5・368m〜6・鉄塔(9:32)〜(9:30 休 9:40)〜
7・孔雀明王(9:53)〜8・鎌倉山(9:58〜10:00)〜引き返し〜7・孔雀明王(10:05)〜
9・(10:25 休 10:35)〜10・(10:43)〜11・(10:50)〜12・13・(11:00)〜14・(11:10)
〜15・鉄塔(11:14 休 11:30)〜16・(峠道無し)〜17・(11:39)〜18・(11:50)〜
19・(12:00)〜20・柿木田(12:05 昼 12:40)〜21・遠坂(12:50〜13:13)〜
22・古峠(13:19)〜23・(13:21)〜24・(13:30)〜25・(13:51)〜26・(14:00)〜
27・332m(?)〜28・(14:15)〜29・林道(14:30)〜30・池(14:35)〜柳山地区〜
R34歩き(約4km)〜1・西谷公園〜(15:36〜15:40)〜R34自転車(6.0km)〜
2・(15:55〜4:16)〜往路〜自宅(17:32)
鎌倉山から船坂峠までの境界を歩けば八千代区の境界を踏破(入相山近くの境界一部残る)することになるので歩きたいと思い続けていた。一度で歩くには距離が長いしコース状況も分からないので二分割を考えてから十年近くなるだろう。ある日、大和の『なごみの里』に寄った時、西谷公園の事を聞き、その足で行って見た。
すると、今日歩いた境界への谷筋に林道が付いていた。「もしかして・・・」と思いスニーカーであったが「行ける所まで行って見よう」と下見を兼ねて歩いた。林道は境界までは付いていなかったと記憶しているが境界尾根に着いた。道は、境界尾根を越えて下っていたと思う。
その時に聞いた話では、その裾に在る『久学寺』と言うお寺に、播州赤穂城主『大石良男』が囲碁をしに来ていたと言う。そんなことも有ってか西谷公園(当時は?)にダム?池?の必要性を乞われ大石良男が築いたと言うダム?の石垣が現存している。
今日は下三原から境界尾根に乗り、西谷公園へ下る計画を立てた。1・西谷公園(8:15)小規模の野外活動が出来る施設が出来ていた。当時は自然味が在ったと思ったが現状は水害の影響で土石が堆積?し大石良男が築いたと言う石垣もその素晴らしさが半減した感じを受けた。発(8:20)
(2)奥が柳峠方面:車の後が池(8:20) (8:47)辺りの林道
初めに着いた峠:南から(9:14) (4)柳峠:南から(9:18)
直ぐの鉄塔通過。5・368mは左下をトラバース。6・鉄塔(9:30)その直ぐ先の岩場で展望しながら休む(9:32 休 9:40)笠形山・千ヶ峰は雲に隠れ篠ヶ峰は霞んで見えた。クモの巣を払いながら上る(9)鉄塔への巡視路見て上り切る。7・孔雀明王(9:53)雑木林の快適尾根を行く。8・鎌倉山(9:58〜10:00)
(7)孔雀明王(9:53) (8)法起大菩薩(9:59)
△石標意識無し(法起大菩薩の裾に在る)。南面が大展望。この後進む界尾根の一部が見える。引き返す。7・孔雀明王(10:05)短急下りしてピンクのビニテープに導かれる。右ヒノキ・左觀木帯で歩き易い。尾根右下に鉄塔が見える。巡視路が合流する。間もなくテープがY字左右に分かれる。明るい左をとって下っていると地形が地図と合わない。
確認すると西寄りの尾根らしきものを下っていた。(10:25 休 10:35)ついでに少し休みを入れて界尾根に復帰し、界から外れた地点まで引き返し確認。9・(発10:43)尾根は巡視路で歩き易い。破線の峠道を楽しみにしていたが道の形跡なし。10・(10:43)次の上りは黒プラ階段があった。11・(10:50)遊歩道みたいな道が続く。12・13・(11:00)
(11)への上り(10:53) (11)から振り返る
(13)先の岩の上からの眺め(11:00)
直ぐ先岩場の上に立ち展望する。笠形・千ヶ峰にかかっていた雲は去っていた。(14)へはコシダが繁る。右下に路が在るもピークを越える。14・(11:10)南西尾根は大ヤブではなさそうだった。左觀木帯の間から集落を見ながら緩く下る。鹿?の寝床が多い。15・鉄塔(11:14)北面だけが見え笠形・千ヶ峰が見える。冷たい物とオレンジ等を食べて休む。
発(11:30)〜16・(峠道無し)巡視路はここから左へ下っていた。「ここからが本当の山歩きか・・・」ヤブっぽくなる。17・(11:39)振り返ると鎌倉山方面が見えた。18・(11:50)進む尾根にハゲた所がある。「まさか林道が・・・」朽ちかけた松の倒木が多くなる。ハゲた所は地肌が出ているだけだった。19・(12:00)
(17)辺りの尾根(11:41) (18)から振り返る(11:52)
ここからも鎌倉山方面が見えた。灌木を縫うようにして進んでいると今まで出合った事が無いと思う大きなヤマモモの木が生えていた。丸く開けた所に石標が立っていた。20・柿木田(12:05)展望・タグ無し、保護石4個。木陰で昼にする。発(12:40)ヤブっぽい觀木帯を北東寄りに下っていて修正しながら下る。21・遠坂(12:50)
(19)先のヤママモモの木:東から(12:04) (20)柿木田:南から(12:09)
加西市側に峠の地蔵小屋が在ったので覗くと中は三方が木板のベンチになっているだけの小屋で外に一体の石仏が無造作に建っていた。進む方向の法面は地図通り高く、峠のどちらを見ても上れる所無し。「どっちにする・・・」八千代側を選んで下って行く。法面の切れ目は次のカーブの所にあった。上り始め(13:13)
「さーて」と山中を覗くと墓石のようなものが立っていた。そこは段状になっていて見ると、東向きで大師座像の下に『右万願寺・牛尾(難読) 左北條道○(難読))』右側面は『願主 丑歳九歳男 大正十年二月十五日』と彫られた道標だった。車道を造った時に移動したものと思うが指している地区名からするとこの場所に在るのが全く難解。
その段は古道らしく辿って上って行くと峠に出た。22・古峠(13:19)峠直前にお堂跡らしき平地と礎石?を見た。万願寺へは北向きに下っていた。加西側から界に上っていると小さな石祠があった。八千代側から上っていなければおそらく古峠の存在を知ることが無かったと思うと『左右どちらを選ぶかで人生?は変わる』。
(22)古峠:東から(13:19) 古峠の石祠:南から(13:20)
峠道から外れてからは地籍調査が入っている様な無いような状況の尾根が続く。23・(13:21)植林帯が左右入れ替わり、暫くは比較的歩き易い。24・シダヤブ(13:30)右下獣道を行き尾根に乗ると倒木多し。途中から「これは道や」と思う道(人工的)が出た。辿ると(25)の東尾根に出て消えた。
(13;28)あたりの尾根 (24)からの尾根(13:39)
そこから東尾根下方は切り開きがあった。25・(13:51)△柿木田辺りから笠形山方面より聞こえていた小さな雷鳴は続いていた。左觀木または雑木林、右ヒノキ林が続き歩き易い。26・(14:00)「そろそろ西谷公園からの道が出るのでは」と思いながら進む。ヒノキ林の間から広い皆伐帯が見える「この谷筋を下れば西谷公園や」しかい、進めどそこからの道(峠)が出ない。
(13:58)辺りの尾根 尾根右下山林道と思った谷筋(13:59)
27・332m(?)界尾根は横ばいで道の様で歩き易い。とうとう上りにかかってしまう。「あの日のあの道は何処へ・・・」皆伐で道も林道も崩落してしまつたか・・・。仕方なく右の谷筋へ下るため界から外れて谷へ下るポイントを探しながら水平移動する。ここならと思う所から谷筋へ下り始める。28・(14:15)
植林帯・ザレ地・急下り。得意の『滑り下り(落ち)』。29・林道(14:30)「もう安心や」谷筋右は皆伐で大きく開ける。「こんな地形やったか?」下っていると道の左に池が出た。「地図通りや」30・池(14:35)「公園の奥はこんなになっとったんか」今度は民家(建物面先は広いが一軒家)が出る。「是はちょっとおかしいぞ」コースを疑い始める。
(30)池から下って来た谷筋を振り返る(14:35)
聞こうにも人影なし。やがて集落に出る。谷川にカワセミを見る。表札を見ると『柳山(だったと思う)』コース間違いに気が付いた。地図を見るが西谷公園はコピー範囲に無く分からない。「公園まで何キロ・・・」聞こうにも人影なし。舗装路を歩き続け途中から川沿いの旧道を歩いた。小学校が近いのだろう集団下校の児童が列を作って向かって来た」「こんにちは」挨拶をすると「さようなら」とかえって来た。どの児童もそうだった。
「所変われば・・・」この地区では「こんにちは」に対して「こんにちは」で無く皆が「さようなら」だった。制服で無くカラフルな私服でかわいい子達に元気をもらった。『旧道を歩いたからこそ児童に出合えたんだ』と思う。物や人との出合(会)いの不思議を思う。
学校(八千代北小学校)近くで畑仕事の男性に「にしだに公園はまだ遠いですか」「さいだに公園や」と教えてもらう。「西谷公園はこの先から谷へ入った所や」大石良男と石垣や久学寺のことも知って居られ、昔(何時頃かは聞かず)その峠道を整備した事があるとのこだった。1・西谷公園〜(15:36〜15:40)
西谷公園入り口(15:34) 西谷公園の『大石良男の石垣跡』(15:36)
自転車で走り柳山地区まで戻った時さきほど出合った児童の一部に出会い又挨拶を交わすと笑顔で送ってくれた。。大和地区までが八千代北小学校の校区のようだった。スクールバスも無いようで暑さに負けず、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも負けず徒歩で通学をている。『どうか交通事故などに遭いませんように』と祈りながら走った。2・(15:55〜4:16)
今日のコースの大きな間違いの要因は@大和地区が遠く離れて二箇所に在ったA大和から同じ方向の谷筋の奥に公園が在る。この二つの条件から早合点した。
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