544 母栖山〜金鉱跡(坑道)〜安黒〜島田〜母栖ノ滝
(19)3町境界=宍粟市山崎・一宮町・姫路市安富町境界
「歩いたなー今日も歩いた日暮れまで」母栖山の登山口から母栖山通過、待ちに待ってた金鉱跡へ。
今日は坑道探検探索、上から横から下から見れば、蟻の巣状に四段?五段?
掘り巡らされた坑道を覗き込めば足が竦む。上り返しの谷筋に予想通りの古道を発見。
境界尾根を北上し、決めた所で引き返す。
「疲れたからどうしょうか・・・」所が馬さん母栖ノ滝へ平気でトコトコ下り行く。
「馬に引かれて母栖ノ滝や」凄く良かった母栖ノ滝から車に戻れば夕暮れ近し。
母栖山登山口から直ぐの尾根より (7)裁断された倒木
(9:03)母栖の民家を俯瞰する。
色付いたイチョウがきれいだった。(8:08)
(8)母栖山:北から(9:13)
4・(8:43)〜5・(8:51)ここから山崎と安富町境界に乗る。6・(8:56)〜7・(9:01)ここは特に倒木が多かったが太い倒木も裁断されて整理され、落ち葉も両脇に寄せられていた。馬さんが言うには「ツアーコースになっているから整備されたのでは・・・」との事。8・母栖山(9:10)馬さんは4回目で何時かここから3町境界へ直に歩いたとの事。おやつを食べて発つ。発(9:16)
9・(9:21)〜10・(9:25)金鉱跡へ下るポイント確かめて下る。やや柴ヤブっぽいが難無く崖の上に出た。11・崖上(9:32)正規の展望所とも対峙し、より高度観あり。崖の北面から恐る恐る覗き込むと露天掘りの深い坑道が見えた(小屋や鉄塔は足元に見える)。
(11)崖の上から鉄塔を見る(9:33) (11)崖の上:北から(9:34)崖の先端金鉱跡展望所
少し引き返して崖状の谷筋を下る。多くはないがシャクナゲやヒカゲツツジが生えていた。12・坑道(9:40)危険を冒して崖の下の棚に乗ると数メートルの横穴坑道があった。引き返し別の坑道を覗くと深さ数十メートルで更に横穴とも交わり蟻の巣状の大規模な坑道、金鉱石が有るがままに掘削の為このようになったのだろう。
鉄塔へは小屋の傍から上る。小屋の中にはコンプレッサーが一台有った。鉄塔の建つ高台からも坑道が覗きこめるがその凄さが体感できる。勿論展望も良い。その後最下部?の坑道へ移動する。入り口直径3m奥行き?の坑道前にはカンテラやリャーカー一輪車など作業に関わる資材等が放置されていた。
上写真崖の下段(9:40) 更に下段:左右と下へ坑道在り(9:45)坑道径約2m
凄く大きな坑道:坑道の向こうは金鉱跡展望所方面(9:45) 小屋の中のコンプレッサー:東から(9:48)
鉄塔横から坑道を覗く(9:51) 左写真近くから(9:52)崖先端金鉱跡展望所
上写真の位置から撮る(9:56)
左尾根△大河・右尾根中央△ウリュウド?
何段かの大きな坑道の探検をしたかったが落下?した幾つかの大岩の上を越えなくてはならなく、残り時間の都合であきらめた。発(10:10)境界が通る小ピークはヒノキ林で歩き易かった。小ピークからの下りは尾根右(南)は自然林で崖の連続林だった。
林道手前で北の谷筋に入るが激斜面で「どうしょう・・・」と思いながら下っていると尾根横断道が在った。「ラッキー」当にラッキーだった。尾根から右(南)へは消えていたが向かう谷筋へは確かな横ばい道が残っていた。その道も次第に不明瞭になるもそれなりに横へ進んで細流谷筋へ向かう。「谷筋には道が在るかも・・・」の期待と「猛烈な蔓などのヤブか・・・」気を揉みながら着くと道が在った。13・谷筋(10:28)
(13)尾根横断道:北から(10:24) 谷筋の道(10:32) 道の石垣(10:33)
良い方の予想が的中した。おそらく一宮町と繋がっていた道と思う。太い杉が何本も谷に倒れ掛り道を塞いでいたが数年前に最悪の倒木だけは切断されていて助かった。道を造る為の石垣も残っていて荷車なら通れる幅の道だったと思う。やがて道は倒木と蔓のヤブで通れなくなり谷の左から右へ移り急斜面の植林帯を上る(谷の左に岩盤を掘削して付けられた道が見える)。
14・(10:38)谷が分岐する所、大きな炭焼き窯跡在り。道の形跡はこまでだった。おやつ食べながら「道はどっちの谷・・・?」発(10:45)境界は植林尾根直登も左の谷の踏み跡らしきものを上る。間もなく界尾根に復帰した。15・尾根(11:05)此処だけが北面が開けて△大河の奥に鉾立山方面が見えた。
それにしても母栖山から現地までの境界線は何が作用してこのようなU字形で決められたのか・・・。関電側は雑木林だった。ここから馬さんは2回目?の歩きとなる。右(東)は植林帯の中に赤松が点在する。左高木雑木は次第に素晴らしい生態になって行く。木間から殺風景な関電施設が見える。16・(11:15)〜17・(11:25)左右植林帯になって間もなく鉄塔下に出た。18・鉄塔(11:30)
(17)辺りの巡視路(10:22) (18)鉄塔下からの眺め(11:40)
南から西が全開する。奥に明神山その手前に△文殿一番手前に鎌倉岳尾根が横たわる。発(11:41)植林帯を上る。19・3町境界(11:44)左へ矢印で『三角点614.8m』の案内あり。右への一宮と安富町の境界を北へ進むと雑木林なるが朽ちかけた倒木が多く気分良くない。20・(11:48)
その後道は快適になる。その道が何処へ行ったか塞がってしまうも頭上大きく開けたコブに着く。21・安黒(11:55)新設三角点(真鍮製)展望は北東に△大河と鉾立山方面が見えていたと思う。タグ無し・保護石?太い松が伐採され枯れシダが繁り低木のアセビが生えていた。
(21)枯れシダを分けて見つけた 馬さんがシダなど刈り払いしてスッキリ
△安黒(11:56)
ここで昼にする。発(12:15)枯れたシダの中に伐採された木があって非常に歩き難い。シダと倒木から少し解放され、なるい地形を下り行くと再び倒木帯になる。適当に下っていると明るい道巡視路に出た。「帰りにこの道歩いて見ようか・・・」快適に歩を進める。松の実を食べていたのか道右の松の木からリスが下りてきた。鹿網ゲートを2回通過して下り切る。22・(12:34)送電線と交差する。
左右植林帯で見る物も無く、引き返し地点へ向かって歩くだけ。時々右(東)が開ける。地図には表れていない急上りと感じるのは疲れのせいか・・・。右鉄塔への巡視路が周回する。(23)手前コルへ左からシッカリした道が上がって来て右の谷へ下っていた。上方に尖がりピークが見える。「あれが(23)か・・・」23・663m(13:06)
「やっと着いた」と言う感じだった。残り時間と距離を考え始める。今日を終えると、境界踏破完了までワンスパンに成る。その時の下山地点と(コース)考える鉄塔が見える。その鉄塔への巡視路が在ると言う(馬場さんに貰った誰かのHP地図)今日はそれを確認して歩き引き返す計画。
(23)少し先から一宮側が数十メートルの断崖絶壁に成る(木が生えているので怖くはない)。「この辺りや「もう少し上や」と言いながら薄暗い植林帯を上るが見つからない。残り時間も少なくなるし疲れも出て「もう諦めよう」馬さんは「もう少し上って見よう」結局(24)ピークまで上り更に少し先まで見たが巡視路は無かった。24・(13:30)
復路(23)近くで見つけた基壇(13:45)
少し休んで引き返した。発(13:36)引き返し開始。往路では分からなかったが(23)手前(復路で手前)断崖の上に約1m四方の石垣の基壇があった。「祠か行者像が在ったのでは」と考えられる。23・663m(13:48)このあたりからだったか鹿ヶ壺の『千畳平』が見え、その上の『ウリュウド?』は前々から見えていた。22・(14:12)往路見た巡視路をたどる。A・鉄塔(14:30)大展望有り。
氷ノ山・植松山・大甲山・黒尾山等一杯見えた。この後歩く△島田尾根は谷の向こうに見える。界尾根に復帰する。21・(14:40)〜19・3町境界(14:54)一宮と山崎町の境界に乗り△島田へ向かう。右は樹齢100年近い杉林、左は大きなアセビ主体の自然林。太い樅の木も沢山生えている。25・(15:02)
西の△島田方面に宮山(山崎)と水剣が一際目を惹く。東には明神・文殿などが見える。プラ階段で下って行くと直ぐ右へ踏み跡がありマーキングも見た。「何処への道かな・・・」更に下る。プラ階段を辿れば島田方面の鉄塔へ行けると信じ切っていた。
(25)鉄塔横下る(15:02)
左△宮山・右奥△水剣山
間もなく前方が開け、見渡すと通過する筈の鉄塔が右の深い谷の上に建っていた。間違っている事に気が付く「このまま下れば凄い近道で母栖ノ滝へ向かえる」思案の時間。B・(15:15)馬さんが「引き返そう」私「・・・」かなり下っていたが馬さんの後に付いて上り開始。「間違ったと思わず歩けば気楽」とは言うものの・・・。25・(15:40)
先程見てやり過ごした踏み跡が△島田への道だった。馬さんは「鉄塔から△島田への案内板が有ったはず」と探したが見当たらなかった。快適に下れた。26・(15:44)コルからの上り右は高木雑木帯でピーク近くでは山肌を岩や石が覆っていた。頂きを越えると鉄塔が建っていた。27・鉄塔(15:48)
北に大きな『白倉山』が座っていた(今度はこの頂きにむ立つつもり)鉄塔から僅かな距離で△島田に着いた。28・島田(15:50)展望・タグ無し。保護石四個プラス山盛。境界は、ほぼ直進で谷筋を下っているが当初から等高線とR=29から辺りの地形を眺めて「是は無理やろ」と思っていたので少しは未練が有ったが体力、残り時間ですんなり諦めて巡視路を下る。
(27)への上り(15:45) (28)△島田:南から(15:52)
鉄塔下通過して間もなく一本レールが上がって来ていた。29・池(16:10)池?砂防ダム?の水は濁りながらも鯉が数匹泳いでいた。もう夕方を感じる。時間的に滝へ行く余裕が有るの・・・馬さんは滝へ向かって歩いていた。池から離れて少し下ると滝の頭が見えた。水はそうめん滝のように幾筋に分かれて落ちていた。
崖の様な山肌斜面をジグザグと下って行く。この道は金鉱跡から上りに使った道と繋がっていた道と思うが・・・。「下った分だけ上るんやろ」馬さん「そうや」間もなく滝への分岐があった。『滝まで100m』この道は山肌が急峻な為土石が流れて埋まりかけていた。小尾根を回り込むと滝壺?に着いた。30・母栖の滝(16:20)
(29)母栖池:西から(16:10) 母栖ノ滝(16:25)
そうめん滝の下に龍神の滝(私称)がありその下方には見える範囲滑ら状の滝があった。総延長は数百メートルありそうだった。あんなこんなで他に類を見ない形態の滝だった。傍らに建つ小屋には『○○不動明王』が祀られていた。引き返しはトボトボ状態。29・池(16:40)
完全舗装の関電管理道を歩いて車に向かった。31・ゲート(17:00)宮山(山崎)の上僅かな高さに夕陽があり「あの夕陽が山に隠れると一気に暗くなるな・・・車までかなりかかるのでは・・・」と思いながら歩いていると意外と早く車が見えてきた。1・(17:06 発 17:25)R=29に出る頃には夕闇が迫っていた。
今日も馬さんは元気でした。おやつを有難うございました。次回もおつきあいよろしく、お疲れ様でした。
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A
地図のポイント修正(11.12.11)
11.12.11の歩きで白倉山からの下山時、下記地図ポイント24折り返し地点は下記地図から北へはみ出て白倉山分岐だった事が分かった。
修正地図(箇所)はbT46のHPに記載する
※従って祠跡もこの地図範囲以内に無い事になる
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