(5・6・9・10・13・16)が夢前町の境界

11
213.7m
氷室

24
弥高山
19
20
21
22

26

23

17・北野神社
11
25


9・231m
10
15
16
14
御立・239・2m
@

536  広峯山〜白幣山(広峯山)〜御立〜氷室


地図の自然歩道は302m〜26地点を通過しているが現実は北山肌30m位下に付いている。この辺りとA〜Bが納得できず5月25日再度訪れて確認した。その後も峠からC〜26地点への繋がりを把握するのに時間がかかった。5地点の案内で(302mピークへ)の案内が迷いを起こす一つの原因だった。この地図の細い赤線は25日の結果を踏まえてやっと記載できた。しかしA〜Bのコースは予想です。町境界は26から峠に下っていると思う。25日に歩いたコースはこの地図の下段に乗せている。


◎山行日 : 2011. 5.25 (水)  晴れ 【18日の補充歩き】

◎山行者 : 単独      Age=64

◎走行距離 : 往路 27.1km  往復 55.5km



自宅発(7:15)〜1・(8:09〜8:20)〜2・(8:47)〜3・(9:02)〜4・(9:16)〜5・峠(9:27)〜

6・舗装路/分岐(9:38)〜7・独協大G(9:41〜9:45)〜6・舗装路/分岐〜8・ゴルフ(10:00〜10:09)〜

9・尾根(10:13)〜10・(10:15)〜5・峠(10:19)〜11・(10:29 休 10:45)〜12・(10:54)〜

3辺り探索〜3・発(11:10)〜1・(11:50〜12:00)〜往路帰宅



bT36の(5)当たりとそこから下った峠までのコースそして一番難解だった峠から302mへ向かってのコースが曖昧だったので確認のために再度広嶺山へ向かった。

結果302m辺りのモヤモヤはスッキリ。峠からの上りコースも(11)地点が302m尾根かと思い込んで難渋したが302mピークには立っていない事が分かり全てが解決した。今回(11)地点からほんのわずか南に下って見ると絶好の展望が得られた。

「ついで」と言う事で「どんな道なんだろ」と気になっていた独協大学のグランドまで下って見た。道は明確で細流の東山肌に付いていた。引き返しは(6)から奥への林道を上り前回のコースに合流した。

  
(6)地点を振り返る:南から(9:39) (7)独協大G(サッカー)に着く(9:40)大学生としばらく会話した

 
(8)手前『左行者道』の石標(9:57)  (8)南から(10:08)ゴルフのプレーを見る

 
(9)からの眺め海も良く見える(10:10)仁寿山・姫路城見える   (11)からの眺め海も良く見える。太子町の毛無山方面も見えた。(10:33)右手前独協大G



歩いた歩いた今日も歩いた。

自然歩道で302(m)、そこから始まる境界歩きは時にゴルフの敷地を通過。

尾根越え谷越えヤブも越え、下った所は玉田地区。

舗装路歩きで山富地区、そこに在する氷室神社の社裏から上って行けば、

確かな踏み跡延々続き、着いた氷室(△)はシダに埋もれる。

返すは長い横ばい尾根から下って立った午後の峠、別のコースで302(m)。

これで今日は終えたも同然、斜光受けつつ心地よい疲労感と達成感で心は充実自然歩道。




◎所在地 : 姫路カンツリー倶楽部の北尾根から南山塊(町境界:夢前町と姫路市)

◎地形図 : 2万5千図  『姫路北部(ひめじほくぶ)』

◎山行日 : 2011. 5.18 (水)  晴れ          

◎山行者 : T・カブト:馬場・大柿(車)     Age=64

◎コースの見所 : @広峯神社   A広峯神社から302mの間自然歩道歩きは超快適 

             B氷室神社から△氷室経由南尾根

◎走行距離 : 往路 26.7km    往復 53.3km


広峯神社P〜広峯神社〜近畿自然歩道西進〜白幣山(Ca310m)〜302m〜町境界西進〜峠〜

町境界西進〜尾根越え〜231m〜町境界西進〜御立(みたち)寄り道:239.3m三等〜町境界西進〜

玉田地区舗装路歩き〜山富地区〜氷室神社東尾根〜南北尾根〜氷室(213.7m四等)〜

尾根南進〜独協大越え峠〜町境界東進〜302m〜近畿自然歩道東進〜広峯神社〜広峯神社P


自宅発(7:04)〜明姫R〜高砂西LP〜R2〜御国野交右折〜R372西進〜

1・広峯神社P(8:12〜8:19)〜2・荒神社(8:50)〜3・分岐(8:58)〜4・(9:05)〜

5・(9:15)〜探索難渋〜A・(9:40)〜B・峠道(10:00)〜6・独協大峠(10:11)〜

7・尾根(10:15〜10:20)〜谷筋(10:28)〜8・ゴルフ場(10:32 休 10:40)〜

9・231m(10:51〜10:57)〜10・(11:05〜10:11)〜11・ゴルフ場(11:29)〜12・(11:46)〜

13・(12:00)〜14・御立(12:07 昼 12:47)〜15・(?)〜16・舗装路(13:11)〜

17・北野神社(13:25)〜山富橋(13:35)〜引き返し(13:50)〜18・氷室神社(13:56)〜

19・(14:06)〜20・(14:11)〜21・(14:30 休 14:35)〜22・(14:40)〜23・(14:47)〜

24・氷室(14:54〜15:07)〜23・(15:12)〜25・TV(15:23)〜〜7・(15:44)〜

6・峠(15:48)〜C(15:58)〜26・(16:10)〜5・遊歩道(16:11)〜3・(16:30)〜

1・広峯神社P(17:05〜17:19)〜往路(やや変更)〜自宅(18:21)      

独協大峠=仮称


夢前町境界踏破完了まで一スパンとなった。そのスパンは、これまでの様に尾根歩きで無く、尾根越え(尾根横断)や谷越えやゴルフ場に接したり舗装路歩きが入る初めての歩きなのでなかなか歩く気になれず最後になった。また、△氷室が在る尾根は弥高山〜大谷〜アドヶ岳/狼谷(10.11.10)を歩いた時「横ばいのええ尾根やなー」って馬さんと話した尾根でも有り興味を持っていた。

今日も同じ所に車を止める。1・広峯神社P(8:12)まだ藤の花が見られウグイスが鳴いていた。発(8:19)何度見ても歩いても旧参道の石垣と土塀は風情が在り、栄盛の時代は如何ばかりの賑わいがあったのかと想いを馳せながら通過した。拝殿では太鼓が鳴り、祝詞(私にはお経に聞こえたが・・・)が上げられ何やら御祈祷されているらしかった。


風情ある旧参道(8:32ピーク白幣山     鳥居近くの丁石標『王将と桂馬』珍しいと思うが(8:34)

播但道を走りながら眺めては「ドームの様にキレイなコブやなー」と思っていた荒神社が祭ってあるピークへ上る事にした(イラスト看板に依ると白幣山・広峯山)。『荒神社』の道標に沿って自然歩道から外れ念願のコブへ上ると荒神社(小振り)・吉備神社(仮社)が建っていた。2・荒神社・吉備神社(8:50)

境内に『地域夢プラン 夢廣嶺日本一マップ広峰物語』とのイラスト看板が立っていた。
@広峯神社:全国祇園社(牛頭天王)の総本宮 A吉備社・荒神社(白幣山山頂)天平六(七三四)年 吉備真備が遣唐留学から都へ戻る途中、この山で神威を感じ創建された。

吉備真備:奈良時代の学者、陰陽師。二度にわたる遣唐をして、日本ではじめて学者から右大臣まで出世した。学問の神様して祀られている。牛頭天王は元々インドの祇園精舎守護神。日本には密教と共に伝来し、疫病神・厄神と崇められた。また『荒ぶる神』の代表として素蓋鳴尊と習合関係にあると考えられている。

他に主な事では『黒田完兵衛』『増位寺は聖徳太子の命により恵便が開き後年行基が薬師堂を立て中輿開山した。増位寺は大洪水で堂塔は傾き危うくなったので移されたのが現在の随願寺となる』など13項目もの興味ある史実(『峰相記・播磨鑑』による部分も多い)で紹介されていた(広嶺中学校区地域夢プラン実行委員会)。


白幣山(荒神社・吉備神社)の境内に立つ看板(8:50)三枚撮りの一枚

「こんな史実がこのコブに伝わっていたとは・・・」物凄く知識が深まった?気で頂きを後にした。歩道に戻って進み、須加院への分岐。3・分岐(8:58)その先で右段差の山肌に人影があり「植物の観察ですか」その人はお茶の葉を摘んでおられ、そこは昔の茶畑だったのか茶の木が数十本植わっていた。快適に歩き一つコブを越える。4・(9:05)

302mの右(北)下に差し掛かった時、赤ビニテープに『独協大分岐・302mピークへ』の案内が有った。5・(9:15)境界は302mの先から西へ下っているので境界杭が無いか探しながら進む。右(東)の尾根に赤ビニテープのマーキングが入っていたのでそれを辿って見たりして時間を費やした。

地図の遊歩道(破線)との位置も考慮すると全く現在地が掴めなくなる。馬さんはマーキングが有った「302mから下ろう」と言ったがそれは境界から外れているので・・・結局曖昧なまま「ここから下ろう」で下り始めた。A・(9:40)

このA地点について一言。
帰宅後も地図を読みながらどうしても納得がいかず難儀しています。それは、302m先からの地図破線(自然歩道)の記載が「間違っているのでは・・・」と言う事。私たちが下った険しい谷筋は地形図に表れてなく不審ばかり。(10.11.10)に氷室池から上った時は302mまで(3段の急登が続き・・・と記述あり)今回の引き返し地点で休憩をしたのを覚えているし道は更に同方向へ緩く下っていた。

さて、本文に戻って
Aからは、始め難無く下れたが次第に深い谷筋に成り間もなく危険を伴う崖の様な岩床となっていく。イバラや柴を切り開きながら下り「何処に下り着くか楽しみや出たとこ勝負や」で下る。B・峠道(10:00)道は良く踏まれていた。どれ位歩けば峠に着くのか・・・これによりB地点も逆算できる。6・独協大峠(10:11)峠まで11分掛り破線道に出合わなかった。谷西の谷筋の地形を考慮しB地点に下ったと判断したが・・・。


Aから下った谷筋の中頃(9:59)  土砂流出防止の石垣下り中程で沢山見られ、谷の一ヶ所には規模の大きい
石垣(約高2m幅3m)も有り(9:52)

机上でブツブツ言うより再度現地を歩いて確認した方が良いのは分かっているが・・・。峠から東へ(302m)と進行方向へもマーキング有り。帰りはここから302mを目指す事に決めた(計画ではここから氷室池方面へ下り自然歩道を上って帰ることになっていた)。木と木に巻いた赤ビニテープに『自然歩道へ・広峯へ 東』『独協大左 南』『氷室池右 北』『ゴルフ場尾根へ 西』丁寧に案内があった。

赤ビニテープは須加院方面への道にも沢山巻かれている事からこの辺りを歩き尽している人と思われる。ゴルフ場尾根方面へは切り開きと地面に浅い階段が付けてあった。中頃で振り返ると302mピークが見えた。7・尾根(10:15)マーキングは△氷室への尾根に入っていた。人の声が聞こえ、ゴルフ場が近いと分かる。境界の方へは杭も調査もマーキングも無し。

  
(7)への上りで振り返る・左26番右302m 谷筋(10:28)南から   左石標の裏面

コンパスで方向を決めて下り始める。(10:20)軽い柴ヤブで獣道を追いながら下ると谷筋にはそこそこ踏み込まれた道が在った(赤ビニテープマーキングあり)。谷筋(10:28)「とりあえずゴルフ場の脇まで行こう」上っているとかなり大きな石標が立っていて『左行者道』裏に『亥?年男』と彫ってあった。「何処かに行者山が在るのか・・・」と色めき立ったが左スギ林に道らしき形跡なし??。

少し上ると鞍部に出てゴルフ場の境に出た。8・ゴルフ場(10:32)カート道を歩かせて貰っていると4人乗りのカートが上がってきてティーグランドに降り立つ。先んじて「一寸歩かせて貰っています」不審そうな顔つきで「何してるんですか」「町境界を歩いています」二人ともカブトを着用していたので?不審は解けた。

何番ホールだったかそこからは谷越えのホールだったので「ここから打つのは勇気が要りますね」反応が無かったのは私のマナー違反だったか・・・。届かず谷へ一人、届いたがバウンドして谷へ、後の二人は奥と右手前のラフで止まった。ティーグランドの外れで「ここで休もか」馬さんから定番の『ヨモギ大福』頂く。発(10:40)

 
(8)鞍部から北の眺め(10:32)  (9)231mへの上り:高さ2m幅2mこんな露岩多数有り(10:51)

ここからの上りは等高線通りの急登が『蟻地獄』状の山肌でズルズル滑りながら上る。太く元気な山桜が点々と生える。大きな露岩が重なり、連なる。当に『行者山』だったが頂きは期待外れで何も無かった。あの『行者道」』は何処に・・・。9・231m(10:51)展望なし。主に横ばいピークに『鹿児の木』が目立った。発(10:57)下草無く緩く下る。10・(11:05)北西尾根を探索に入り先の小コルで引き返したが先のピークまで難無く行けそうだった。10・(10:11)

しばらくは自然林で快適だった。肩からは書写山のケーブルの山上駅が見えた。下り掛けると本格的な柴ヤブになり、鉈がフル稼働する。ここでも人の声がしてきて間もなく出た所はゴルフ場造成で崖(2m)になっていて回り込んで下りる。11・ゴルフ場(11:29)何番かのグリーンが有り、その縁を歩いているとここでも無傷の新しいゴルフボールを数個拾いグリーン周りに投げ込んだ。やって来たゴルファーに訳を言うと笑みを浮かべポケットに収めた。

 
(11)への下り奥右書写山(11:21)  (11)から北の眺め(11:33)

此処までもその後もかなりの数のゴルフボールを思わぬ所で見かけたが『カラスが運ぶ』と聞いている。自然林へ入って上り切る。12・(11:46)展望なし。向かう方は「柴やぶや」が、直ぐ開ける。そして近年のもので無いが今日二度目の切り開きが出た。13・(12:00)歩く前から「御立と氷室は寄り道になるので忘れないように」とお願いしていたその△御立近くにやって来た。

「△御立はここから南へや」と、御立へ向かいながら玉田地区への下り分岐を探したがマーキングも杭も無かった。14・御立(12:07)保護石・タグ・展望無し。三等三角点の文字だけが彫ってあり、天の四角が欠損。ここで昼にした。馬さんは移植ゴテを取りだして石標周りの掃除開始。この清掃作業は何年も続いている。

 (14)御立:西から(12:07)

昼発(12:47)今日も長居の昼だった。引き返し、ここと思う所から下り始める。左谷筋一帯は孟宗竹の林。境界尾根に乗ると山陽道を走る車の走行音がうるさくなる。新緑・黄葉・冬枯れの時期にR67から眺めて「このスバラシイ高木雑木帯に在る境界を下るのは何時の事か・・・」と思っていたが今日の今下っている事に満足だった。

15・(?)傾斜が急になる。左深い谷筋の向こうに大きな尾根が見えた「馬さんもしかしたらあの尾根違うか」「ここまで来たら下りるしかないわ」間もなく左下に山陽道と市街が見えてきてホッ。高速道路の直ぐ横を下って畑を通過して舗装路に出た。16・舗装路(13:11)一直線の舗装路歩きが始まる。正面になだらかな尾根が横断する。(13)から北への尾根で(13)からショートカットに使える。

舗装路の行き当たりに神社有り。17・北野神社(13:25)案内板に依ると
抜粋:祭神は『菅原道真』『境内の東南すみに砂岩長円形の墓石のようなものがある。弁慶の母親の墓で若し家族に病人があるとこの墓石を削り取って飲むと効験があるといい伝えている。この墓石は村翁夜話集には「熊野別当弁信の墓といい伝えている。」と書かれている(町史による)置塩中学校地域夢プラン実行委員会(砂岩長円形の墓石のようなものは窪みが数か所有ったので本当に削って飲んだのかも知れない)

 山陽自動車道最寄りからの眺め(13:12) 
麓・書写の里とロープウエイ軌道

 
同北の眺め  弁慶の母墓(13:24)天の丸石は石質が違っているので別物(石)と思う

R65に出て歩く。山富橋(13:35)再度正面に横断尾根が見える。何も疑うことなく「あの尾根の先端から上り返しや」と進む。『近畿自然歩道氷室池』との道標も何処かで見た記憶が有る。先端を目指し歩き続ける。山富川渡る。「尾根先端切れ落ちているけどあんな所に神社在るんか・・・」怪しくなる。地図を見直すと目的の神社は既に通過していて引き返し開始。またしても『注意力散漫』にガックリ。引き返し(13:50)

ゴルフ場のフェンスに沿って右折が正解だった。神社が見えてきて「氷室神社や」勘が当たって本当に氷室神社だった。18・氷室神社(13:56)鳥居をくぐり掃き清められた参道を進む。一礼拜、即「上りは何処から・・・ごっついヤブやー」と探すとここにも赤ビニテープを見つける。入り口はヤブっぽかったが確かな踏み跡が付いていた。

ジグザグ上るが古い空き缶をあちこちに見る。始めは拾って『ある対策』をしていたが余りにも多くてその後は見過ごす。左下に山富団地がチラチラ見える。19・(14:06)右樹上から実に実に見事な稜線の書写山が見え感動する。道は確かなものの枝葉が身体に擦れ「この位の方が山歩きの実感があるなー」「山富団地をを避けてここを歩くコース設定が面白いで」なんて話しながら進む。20・(14:11)

 
(20)辺りからの眺め(14:16)ほぼ左寄り山上駅   (21)辺りからの眺め(14:23)左9番231m

歩いた△御立への山並みやゴルフ場も見え隠れする。21・(14:30)ここからの南展望は(8・9・10)辺りも全開で見える。その少し先でオレンジ休憩。正面に△氷室尾根が横たわっていた。発(14:35)緩い下り上りで22・(14:40)塩ビのパイプ(径50ミリ)が所々地表に出ていた。氷室尾根に乗る。23・(14:47)『氷室神社1H』『氷室三角点通過氷室池40分』の案内あり。

先ずは△氷室へ向かう。シダヤブ状になる。直で下るコースと△から下るコースのマーキング有り。やや長く感じながら進む。「△なかなか無いなー」「あっ在った―」と馬さんが先に杭を見つける。しかし、石標が無い?探すとシダに覆われて埋もれていた。24・氷室(14:54)馬さん又もや清掃作業に入る。「ここへ来る人は少ないやろけど」発(15:07)〜23・(15:12)

  
(24)△氷室:南から(14:54)  清掃後の△氷室   塩ビパイプ(15:17)

午前通過した(7)でこちらへのマーキングを見ていたので峠までは難無く戻れる事が分かっていた。25・(15:23)TVアンテナが立つ。塩ビパイプが露出している所があったがそれの起点がここだと思う。西から南の展望良し。囲われた姫路城も見える。その後同じような地形が続き現在地が曖昧なまま進んだ。「ここが(7)違うか」良く似た地形だったが違っていた。(8)へ下る分岐通過。その後直ぐ着いた。7・(15:44)

    
(25)からの眺め(15:20)山間に仁寿山・姫路城が見える   独協大峠:南から(15:48)

トントン下って薄暗い峠に着く。6・峠(15:48)休む間もなく302mを目指し上り開始。町境界は峠から302mの西へ記されているのでマークが東へ寄らない事を願っていたが次第に東寄りになった。と言うのもその地形は崖状とシダ柴ヤブで歩けなかった。C(15:58)鞍部の様な所に出た。東へはシダ柴ヤブ。左へ折れて上る。

境界の標か沢山のテープが巻かれている木があった。最高点に着く。26・(16:10)板に鉄板で44と貼られていた謎を感じる。頂きから僅か1分で遊歩道に出た。遊歩道(16:11)後は快適に歩く。3・(16:30)〜1・広峯神社P(17:05)今日も8時間近く色々と不思議あり、間違いあり、新発見ありの楽しい一日でした。

  
302mに掛る謎のプレート:東から(16:10)  C近くのマーキング     (26)の石標

手持ちの2万5千地形図『姫路北部』で広嶺山近辺の境界線が途切れているのは何故なのだろう(弥高山北で途切れ302mから始まる)今日の歩きにて一件落着。夢前町の境界も、忠実では無いが丁度20分割で踏破した事になった。次の目標は『安富町境界かも』

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氷室
引き返し点
10
12
白幣山・2
18・



@

弥高山

12
13

青線=18日コース