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516 笠形山〜西内山(西内山はH18.10.20新設)
※西内山は新設で点名不明だったが“やまあそ”に教示願った。
天気良さそう。試し歩きとススキ見たさに笠形山へは神社コース。
心配していた長い階段、登り詰めて笠の丸で一息入れて頂上目指す。アセビはどの木も花芽一杯。
小鳥さえずり涼しい風に後押しされて上り切る。ぐるり見渡す山々は、未だまだ緑が濃いかった。
下山町界ヤブも覚悟が胸も躍る良き界尾根だった。
しかし終盤界から外れ、界に戻らず舗装路歩き。
◎所在地 : お馴染みの山(下山は『笠の丸』直北から八千代・市川町境界を下る)
◎地形図 : 2万5千図 『粟鹿町(あわがまち)』
◎山行日 : 2010.10. 6 (水 ) 晴れ
◎山行者 : 単独 Age=63
◎コースの見所 : @笠形寺の槇(県指定文化財) A笠形神社(市川町指定文化財あり)
B笠の丸&笠形山(360度)からの展望 C(13・14・15)露岩尾根
◎走行距離 : 往路 47.3km 往復 95.9km
◎有料道路 : 播但道 500円×2=1000円
自宅発(6:48)〜明姫R〜播但道〜市川南LP(7:30)〜R=34〜1・寺家(7:45〜8:05)〜
2・(8:10)〜3・寺(8:30)〜4・神社(9:05〜9:13)〜5・(9:25〜9:28)〜
6・笠の丸(9:50 休み 10:00)〜7・3町境界(10:04)〜8・分岐(10:06)〜
9・笠形山(10:20 昼 11:30)〜8・分岐(11:40)〜7・(11:44)〜10・(11:50)〜
11・(12:09)〜12・(12:11)〜13・(12:15)〜14・西内山(12:28)〜15・(12:38)〜
16・602m(12:43)〜17・(12:55)〜古道(13:00)〜18・舗装路(13:05〜13:10)〜
舗装路歩き〜19・舟坂峠(13:40)〜20・元祖?舟坂峠(13:45〜13:50)〜
1・寺家(14:15 散策 14:43〜往路〜市川P(うどん)〜自宅(16:04)
今日は、少し長い距離で少し高い山の『試し歩き』と言う事で笠形山へ向かった。コースは、グリーンエコー笠形の往復を考えていたが直前になってコースの変更をした。何本も有るコースも神社コースの上りを未だ経験していなかったので、これを歩く事にした。丁度、笠の丸へ急登りの長い階段も「試しに持ってこい」と考えた。ならば気に掛け続けている『笠の丸』近くから南に下る市川町と八千代区の境界、これを久し振りにヤブ覚悟で歩いて見ることにした。
播但道の市川南LPでおりて走っていると、次の日曜に秋祭りがあるようで道端に竹の先に色紙のぼんぼりが付いたシデと言うのかそれが点々と立っていた。地区別に色分けがしてあった。彼岸花も延々と沢山咲いていたが盛りは過ぎていた。左右の山並みを見ながら走って船坂トンネル(トンネルには“船”の字が使われている)の手前の広場に車を止めた。1・寺家(7:45)
寺家地区P南から(8:03)右端 602m 今に残る笠形寺の土塀(8:31)
トンネルが出来るまでは、本当に山奥で長閑な感じだったが今では道も広くなりそんな気配が感じられなくなった。仙人滝コースに在る『蓬莱岩』や下山で下る界尾根を眺めながら支度を済ませて発った。発(8:05)仙人滝コースの入り口には、林道工事中で通行注意の看板が立っていた。その先、正規の登山用Pに『クマ注意 市川町内でクマの目撃情報あり十分注意すること』との看板が立っていた。2・(8:10)峠への道と分かれて上る。鳥居の横にはキレイな公衆トイレが出来ていた。
鹿ゲートを抜けて植林帯の中を上る。右細流の水音と小鳥のさえずりに心を癒されながら上る。丁石仏が目に入ったが気に留める事も無かったが橋を渡って直ぐの石仏に目をやると十七丁だった、一番は何処に・・・。その後も石仏は続き笠形寺に着いた。3・寺(8:30)蔵王堂にお参りして神社参道に戻り上る。石畳は無かったが道の両縁石は当時のままかわ分からないがとても良い状態で残っていた。その傍らに石仏は続いて建っていた。休み堂で二十六丁(神社まで30分)。
(8:37)地点の神社参道
縁石は古来からの物か・・・間伐が入って明るくなっていた
ここから簡易舗装路歩きになる。林道終点(8:55)八角形の屋根の東屋が建つ(神社まで15分)。二七・二十九と見るも二十八丁は見落としか・・・旧参道と思う所を歩いたのでその間に有ったかも・・・。朽ちかけて大きな切り株が道端に続く。4・神社(9:59)『笠の丸まで徒歩約1km40分・頂上まで約2km徒歩60分』何れも徒歩が入っているが他に何か方法が有るのだろうか・・・有るとすれば『走り』となるが・・(突っ込み過ぎ・・・)・。丁石仏は32丁まで確認。
時間的な事もあってか小鳥も鳴かず静寂の神社境内を歩く。町指定重要文化財、初めの拝殿と奥の本殿は東向きに、中宮等の御社は南向きに建っていた(今日初めて気が付いた)また、周囲の立ち木が伐採され、かなり明るい雰囲気になっていた。この伐採には風倒木と湿気による建物への被害などを避ける意味も有ると思う。最後に姫路城心柱跡を見る。看板には『昭和34年国宝姫路城の大修理の時、天主閣の心柱とするために、笠形神社の御神木であった桧(長さ42m周4m)がこの地よりはこばれました』数か所の有望木の中から選ばれたと記憶しているがこれだけの神社の御神木の提供に賛否両論の中、決断した氏子中の功績?は後々の世に語り継がれるだろ。姫路城は今年から平成の修理に入っている。発(9:13)
薄暗い植林の中を上っていると“ゴツン”何が起きたかと頭上を見ると大きな岩が迫り出ていてそれに頭をぶつけていた。ヘルメットを着けていたから事無きだったが着けていなかったらタンコブだけで済んだかどうか・・・。谷筋を渡ると大きく開けベンチも有る展望所。5・(9:25)南全開。ぱっと見、遠望では、鶴居城跡から観音山尾根が目を惹いた。高御位山・善坊山等が同定出来た。六甲連山は霞みの中。ススキを愛でながら一人静かに想いのまま秋の遠望は格別。妻と歩いた楽しかった記憶もよみがえる。
(5)展望所から南の眺め(9:25)
山で時々歌いながら歩く歌「いつのことだか想い出してごらん あんなことこんなことあったよね 嬉しかったこと楽しかったこと何時になっても忘れない」2番から歌詞替え歌「春のことです想い出してごらん あの山この山上ったね ミツバツツジやヒカゲツツジに心癒され歩いたね」「夏のことです想い出してごらん・・・」発(9:28)仙人滝分岐通過、この後間もなく地獄の急階段上りが始まる。
両側笹原の直登。間もなく周りが開け、振り返ると先の展望を大きく上回る大展望。音も無く上方から猛禽が滑空してきてアッという間に彼方に消えて行った。桧の植林帯が迫って来ると階段上りが始まる。一段上り切る。ここまで体調他OK。2段目の上りに入る時「そうや階段の数を数えよう」どうも忘れがちになっているが歩きにアクセントを付けるだけの事。2段目96段・3段目64段(岡部川水源)・4段目128段=合計288段。1段目は何段だっか・・・50段?70段?・・・。
地獄の階段下からの南面の眺め(9:33) (6)笠の丸:南から(9:49)
「階段を外して歩ける中の階段上りは根性?がいる」なんて自分で自分を褒めながら上り切るとそこが笠の丸。6・笠の丸(9:50)おやつ(ミカン・お菓子)を食べながらの展望。雪彦山(岩場)も何時になくキレイに確認できた。下山界尾根も全望。少なくとも歩き始めは笹・草ヤブっぽい。頂上に人影有り。発(10:00)アセビはどの木も花芽を一杯付けていた。直ぐ右手の木に赤ビニテープがまいてあった。このマーキングは古い地図に記されている(5)展望場辺りと繋がるコース分岐だと思う(私はこのコースの踏み跡の記憶が在る)。
このコースは階段上りを避け、またエスケープコースとして有れば非常に良いコースと思うが近年の地図から破線が削除され、コース自体も草ヤブになっている。7・3町境界(10:04)下山分岐確認、布を2本巻く。直ぐ先グリーンエコー分岐。8・分岐(10:06)〜9・笠形山(10:20)大きな疲れも感じず頂上に着けた。30歳位の男性が一人居た。姫路市の書写からの人でグリーンエコーからだった。食事をしながらの会話では四国・岡山・島根の山、日本アルプスも登られているようだった。
山座同定は御承知の通り、氷ノ山は雲に隠れて見えなかったが視程を良い方だった。後山・明石海峡大橋は確実に見えた。空を見渡すと優しい雲は動かず、360度一定の高さで数段の色彩雲が出ると言う珍しい現象を見た。しばらくすると同年代位の御夫婦が上ってこられた。加古川市の方でグリーンエコーからだった。島根県の三瓶山連山を一泊で歩く為のトレーニングだとか。食事を済ませて早々下山された。沢山生えていたと思うススキは疎らで期待外れだった。それでも凄く爽やかな空気の中で時間が過ごせて満足だった。発(11:30)
笠形山から北を見る(11:28)奥左千町ヶ峰・段ヶ峰・看板上白岩山 笠形山の石標の字はこんな字だったとは・・・
8・分岐(11:40)〜7・3町境界(11:44)ここから初めての町境界を歩く。計画通りトンネル上の尾根を歩いて下山終了成るか・・・。念願の界尾根に入る。心配だったヤブは無く自然林の快適な歩き。緩い下りで大鹿が右から左へ跳ねて去る。鹿網が地面を這う低笹原を上る。地図には竜ヶ滝コースから分岐しての破線が記してあるがそれらしき形跡見当たらず感じず。10・(11:50)東向きの小尾根に乗らないよう注意。
鹿網に沿って下れば良い。笠の丸からも見える美しいクマザサ原も境界上は只の山で腰辺りのササを分けて東へ移動すると視界が開けて満足。界に戻って下る。ササとススキでヤブっぽい感じを下る。南寄りの小尾根に誘われていて胸高のササを分けて界コルに戻る。(12:05)左の自然林は良し。何故か界は目前のコブの右(南)下を通過してる。下草消えて11・(12:09)左右自然林が続き快適になる。
(10)界を西へ外れて展望(11:57)奥の尾根大中山・七種山・明神山 (11)東から(12:09) (12)辺りから誘いまれた小尾根(12:11)
12・(12:11)竜ヶ滝コースからの破線は全く見えず。それにしても等高線間隔から見てもこんな厳しい急登に本当に道が在り、使われていたのだろうか・・・。13・(12:15)ここから鹿網は右(南)へ下る。左右植えっぱなし植林帯になる。ヤセ尾根左(東)側だけに大きな露岩が点在する。予想外の自然林。ヤブなし・見応えある露岩帯尾根に「犬も歩けば棒に当たる」的心境。「このコースは周回コースにバッチリや、しかし、展望は無い、それもまた良し」なんて思いながら進んでいると左樹間から千ヶ峰山塊がチラリと見えた。
上り切り進んでいると前方が明るくなった。いきなり何か有るか?・・・そろりと近付くと何とカシミールの地図にも載っていない三角点が出来ていた。14・西内山(12:28)展望なし。写真撮って通過。左右切れ落ちと露岩点々続く。15・(12:38)左右切れ落ちと露岩は続く。16・602m(12:43)尾根が無い苦手なポイント。コンパス頼りで植林帯を下って行く。やがて幹線道路が見えてきたが感覚的に、また地形的に北に寄り過ぎていると思う。17・(12:55)
(12:20)辺りのヤセ尾根に大きな露岩が出始める (14)西内山三角点南から(12:27)
山肌を南へトラバース、やや尾根らしき所に着くと作業道跡が下から上がって来ていた。それで下っているとハッキリした作業道が横断していた。「これが地図の大屋から寺家を繋ぐ破線か・・・」と思った。古道(13:00)それを横切って更に下ると幹線道路が見えてきてそれに下りられる法面を探して舗装路に立った。18・舗装路(13:05)
「計画通りの地点に下りれた」と思っていたが確信がないまま舗装路を歩いた。発(13:10)境界は道の右上に在る尾根だと思ったが現在地が掴めなかったので舗装路歩きを続けた。「尾根を歩けば距離は相当短縮出来る、道の右法面上に続く尾根が境界」と思いながらも復帰せず歩き続ける。「もしかして八千代区の方へ向かっているのでは・・・」コンパスを見ると南又は西を向いていてホッ。歩けど歩けど峠に着かず。
後ろから来た車に手を上げて止まって貰い「寺家の方へ行けますか」すると「上牛尾へ出られます」間違ってはいなかった。次にコンパスを見ると北を指していた。下りながら△舟坂峠の西を歩いている事が分かった。ピンカーブ谷筋は『通称名 坂谷・八千代区上三原管理地』の札が立っていた(8日ここに下りて来ることになる)。目前に幹線林道解説の看板が立つ。直ぐT字路で右が市川町左八千代町の県の旧標識が立っていた。19・舟坂峠(13:40)なぜここが峠なのか・・・。
(19)舟坂峠(13:41)奥坂谷へ・右八千代町へ・手前市川町へ (20)元祖?舟坂峠の地蔵堂:東から(13:47)
峠から緩く上っていると地図上の峠に着いた。20・元祖?舟坂峠(13:45)お堂が立っていた。釜坂峠へ繋がる舗装林道が付いていた。計画では境界を辿ってここに下り立ち、上り返しトンネルの上部尾根をを下って車(P)に戻るつもりだったがここからの上り返しは急登でその元気は無く舗装路歩きで車に戻った。発(13:50)〜1・寺家(14:15)辺りに建つ丁石仏(三丁)等散策したりして帰路に着いた。
※後日8日に(16)地点から下りコースとその後の境界確認を実施した(bT16−2)
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4・笠形神社
3・笠形寺
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8・G-エコウ分岐
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@
笠の丸・6
7・3町境界(神埼町・市川町・八千代区)
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10
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14・西内山
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16・602m
青線=計画尾根(未踏破)