9
4
11
16
19
18・仁礼
583.6m
17
14・
947m
15・
河久保
822.4m
5
20
10.
1253m
①松の木橋
3
猫石
2
№479 笛石山~後山~お甑山(大馬鹿門)~河久保~仁礼
又また来ました千種町。千種富士の『招き猫』に招かれ着いた猫石は、笛石見上げる猫だった。
笛石山から後山へは、時に植林在るものの軽岩稜に原生林、岩頭点在ヤセ尾根は、
薄れた記憶も感動再び。三種のドウダン、ヤマボウシ盛りの花が生気呼ぶ。
後山や大馬鹿門で眺める山並み霞か雲か視界悪くもこれも味有り。
河久保(△)前後辿った尾根の北山肌に残りし雑木、見ては感動眺めて感激。
仁礼(△)下るポイント決めで、手前か現地かこの先か
三者択一手前の尾根と決めて下ればアラ珍しや斜面の途中に石標有り。
猫石までに覗いた『河久保(中央)』(10:21) 猫石上から(10:41) 猫石東から(10:42)
猫石西から(10:44)藤さんと『何処から見ると猫に見えるのかな』と、言いながら一周してると西から見て猫に見えることが分かった猫と言うか『トトロ』か・・・まるで笛石山を見ているように思えた。
馬さんからぜりーの凍ったのを頂き生き返り猫石を発つ。猫石(10:41~10:58)分岐に戻って少し上ると気憶薄れた笛石山に着いた。 3・笛石山(11:07)00.6.4 松の木橋でばったり島田君(やまあそ・M氏・〇○さん)に出合って以後同行(大馬鹿門~後山~笛石山)どちらもMTB登山だった(私妻同行)この時は笛石山から河呂地区へ直に下っている(この時既に現在の道が在ったかどうかは不明。下に記す絵看板には集落から笛石山~猫石へと道が書かれている。ちなみにこの時は、松の木橋9時発で集落着(下山)が17時と記録している。
ここで、今では忘れていたり、この伝説を知らない人の為に再度記しておこうと思う。
『笛石山‹宇野一門伝説の山›894m案内図 昔悲しい笛石山に・・・と千種音頭に歌われているこの山には羽柴秀吉の中国征伐にまつわる山崎長水城主宇野政頼一門の哀話が語り伝えられています。伝説では宇野主従が『しきぐさの里』に逃げのびて来ましたが笛石山の頂上から笛の音が聞こえ敵軍に先を越されたとおもい無念の自刃をして果てました。この笛は宇野援軍の到着を知らせる為竹山城(大原)の使者が吹いたものですが時すでに遅かったわけです。この哀話を偲んで笛石山となずけた由来の山です 千種町・千種観光協会』この文言は、河呂バス停に立っていた手書きの絵看板の片側半分に記されていた。この看板は再生されて何処かに立っているのだろうか・・・。
笛石山:東から(11:11)00年にはススキが生えていたのに・・・。 猫石での冷た~いゼリー(10:47)
笛石山=絵看板では、石標の有る所が笛石山と言う事で無く三角を形どる山全体が笛石山と言うことでそこに猫石が在ると言う描き方がされている。しかし、何で『笛吹き山』で無く『笛石山』なのか『猫岩(大きさからして岩と思うが)』で無く『猫石』なのかの疑問は残る(拘ってはいません)。
笛石山発(11:15)ここからは、ヤセ尾根と軽岩稜、右(東)側に原生林が多く残り、上に立てば足も竦むほどの岩頭が点在する(立てば展望良し)。素晴らしい尾根歩きが延々続く。 4・(11:28)~5・(?)~6・1008m(11:48)コブ先端から後山までの険しそうな尾根が見えたが霞んで残念。 7・(12:00)ここから太さが一抱え位のブナが出始める。シャクナゲも出始め上り切り肩で昼にした。 8・1094m(12:15)大馬鹿門も前後尾根も見える。
下方で水音がし、辺りにシャクナゲも一番多く生えてベニドウダンとサラサドウダンが咲いていた。藤さんからコーヒを頂く(他からもおやつ出る)安さん「寒いから上着を着る」と言った位止まれば涼しさに熱いコーヒーは美味しかった。 昼発(12:47)
(6)から後山(右尾根)方面(11:54) 昼食前の上り(12:14) 食後のコーヒー(12:37)
1094mと思う所から振り返ると辿って来た尾根ピークが連なって見えた。コブを越えて下ると一般道と笛石山の分岐だった。 9・(13:01)その後も上りが続き 10・1253m(13:19)県境尾根に乗る。サラサとベニドウダンが咲き乱れ、樹間からは目前に迫った後山が見える。ここからも耐えの上りが続き、無人の後山に着いた。 11・後山(13:36)計画では12時40分到着になっていた。スタートが30分遅れだったのでペーストしては悪くなかった。「残り時間が少ないのでここは通過」と言っていたがザックを下ろし、写真を撮る。 駒の尾山も周りの山も未だ霞んでいた。 発(13:44)
(11)後山:南から(13:41)
河久保~仁礼等の尾根も霞んでいたのが残念だった。大馬鹿門からの上りは意外と長いが後山からの下りは楽下りだった。一番に着いた藤さんが「マムシがおった」多くの人が去ってやれやれと日向ぼっこをしていたのかも知れない。 12・大馬鹿門(14:10~14:17)
大馬鹿門上方(手前)から(14:09)大馬鹿門から(14:13)最奥植松山と思う・その前河久保
さて、始めて歩くコースに向かう。少し下ると一般道から外れ直に下って行く。何となく踏み跡らしきものと赤ビニテープのマーキング有り。植えっ放しの幼木ヒノキ林を下る。大馬鹿門を目指し上っている時に目に着く岩頭群の所を通過するとばかり思い楽しみにしていたがそれは、尾根からかなり離れた所だった。やや歩き難い程度でコルに着いた。 13・(14:40)ここからは、下草が無くなり尾根右(南)はヒノキ林左は混生林っぽい感じ。黄色の角プラ杭が等間隔に打ってあった。横ばい尾根を進んで下りに入ると前方が大きく開け尾根が無い。東寄りに下っていて左(北)へ大きく修正した。 14・947m(14:45 迷い 14:55)
(14)横ばいピーク西から(14:45) (15:03)辺りの尾根を行く (15:09)樹上に河久保が覗く
(15)河久保:東から(15:30)
感動的な自然林が現れたと思うと植林帯になったりもしたが自然林のインパクトが強く、尾根左は、ずーと自然林だったような気がする。6日に千種高原から下る時に眺め“歩きたい”と思った尾根を歩いていた。「感動で涙が出るわ」なんて言ったりもした。前方樹上にピークが覗く「あれに上るんか」それは河久保(△)だった。尾根左はミズナラ・コナラ主体右は赤松が目立った。上りに入って3段目に石標が立っていた。 15・河久保(15:25~15:40)少し長い休みとなった。おやつを食べて発つ。
植林帯を通過。 16・(15;49)ここから南の尾根で下れば松の木橋へ直行で下れる(馬さん希望?だった)これも考えたが△仁礼が気になってこれを経由して下る事にしたが大馬鹿門から一般道を下るよりこれを使った方が時間的には随分早くなると思うし価値あると思う(コース状況は不明)。
(15:57)辺り (15:58)ヤマボウシ (16;03)辺りの素晴らしい尾根
(16)からは一面落ち葉積もる素晴らしい尾根を下る。ヤマボウシが群生する。右に笛石山辺りが対峙。右植林帯になる。南へ向きを変えるポイントを探りながら下る。「地形からしてここと違うか」「もう少し先やろ」二度目「こことちがうか」決定的なものが無くなかなか決まらない。「もう少し先か」前方樹上の奥にピークが見える。仁礼へはピークは無いはず。 17・(16:10)結局初めに決めかねた所から下る事にして植林山肌をトラバースして引き返した。 発(16:18)間もなく確かな尾根が在りそれを下っていると先行者から「石標が在った」石標は中下りの斜面に立っていた。 18・仁礼(16:28)
このような斜面に立つ石標は、そんなに多くは無いと思う。「先に下っといて」写真を撮ったりして下ると尾根から南に外れた谷筋辺りから声がしてビックリ。何故だかは訊かなかったが全員谷筋を下っていた。尾根に戻り下った。 19・(16:46)丘ピークを越えて下る。舗装路沿いに鹿網が巡らされていてゲートを探し、R=72に出た。 20・(15:00~15:05)雨がポツリポツリ落ち雷も鳴り始めたが車に戻り着替えて発ってから間もなく本格的に降り始めた。一級の周回コースに追加。
波賀町の道の駅『みなみ波賀』に寄って恒例のアイスクリームを食べ『宍粟50名山』のスタンプカードに印を押してもらった(希望者)。ちなみに馬さんは、残す所『波佐利山』一箇所となっていた。後日の情報では16日に上るとのことだったが・・・。
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13
12・
大馬鹿門
1095m
6・1008m
7
↑
1094m