bS15   蛇山(岩尾城山


「子山」探せど見当たらず、その天敵の「蛇山」に上る?○×△。

本当は「イタリ山から石金山」御来光登山を計画するも、近年コースに手が入り、

吾らにとっては興味が薄れ、向かいに在る山「蛇山」に上る。

展望中またもや気になる西尾根が、今日その尾根に入って見れば、「人間地獄」が待っていた。



岩尾城跡縦走コース・和田下町登山口〜258m〜蛇山・岩尾城跡(358m)〜

人間地獄〜引き返し〜307m〜応地坂(232m)

山頂にある岩尾城は戦国時代の山城で
天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めにより落城した・・・。




◎所在地 : 山南町和田・若林地区の北山塊(主に岩尾城跡走コース)

◎地形図 : 2万5千図   『丹波和田(たんばわだ)』

◎山行日 : 2008. 1. 1  (火)   晴れ〜曇り

         @’99.6.27   A’06.12.17(マイカー登山 bR97 )

◎山行条件 : 大柿・井上(夫)     Age=60

◎コースの見所 : @蛇山(岩尾城跡) A人間地獄 B応地坂の地蔵と石碑

◎走行距離 : 往路@73.0kmkm  A77.2kmkm  往復152km



自宅発(8:14)〜R=175北上〜西脇市〜山南町仁王の駅(9:14)〜井原交左折〜

R=86〜富田橋右折〜1・坂尻公民館・車デポ(9:30)〜往路引き返し〜

2・和田大橋最寄稲荷山登山口(9:40〜10:00)〜3・(10:22)〜

4・(10:25〜10:29)〜5・258m(10:37)〜6・(10:50 おやつ 10:56)〜

7・(11:15〜11:19)〜8・分岐(11:30)〜9・蛇山/岩尾城跡(11:37 おにぎり 12:15)〜

10・(12:19)〜11・人間地獄(12:21〜12:30)〜12・(12:35)〜

8・忘れ物(12:57〜13:02)〜13・307m(13:14)〜14・(13:27)〜

15・応地坂232m(13:40〜13:45)〜1・坂尻公民館(14:04)〜西谷下見〜

2・稲荷山登山口(14:20〜14:39)〜小新屋観音(14:45〜15:27)〜往路〜

自宅(16:46)



12月の中頃だったと思う。夫婦同志でお付き合いをしている、山友の井上さんと、元旦登山打ち合わせをし「イタリ山から石金山」を歩くことになった。年末に、ふと『このコースはその後(’99.6.27以来)どうなっているかなー』と思いウエブで検索すると、あの日、難儀して上った高田峠からの登りにはスチールの階段が付いているようで、見るも無残な姿(あくまでえも主観)に変わり果てていた。で、興味が薄れ、相談の結果向かいの「蛇山」に上ることになった。

山南簡易道の駅9時30分待ち合わせ時間に合わせ走った。滝野町から西脇市に入ろうかとする時、井上さんが最近乗り換えたと言う車のナンバー「・・・・66」で白の車が私の前に入った。「もしかすると・・・」と、思い信号待ちで止まった時、その車の運転席を覗くと井上さんだった。山南簡易道の駅に揃って到着。 (9:14) ダイコンとハクサイを頂いて坂尻へ向かった。1・坂尻公民館・車デポ(9:30) (’99.12.5に「大谷〜古天神」を歩いた時にも置かせてもらった)往路引き返し登山口に戻る。

一昨年末にも歩いているが(’06.12.17(マイカー登山)のんびり歩くには良いコースだ。 2・(9:40〜10:00) 「岩尾城跡縦走コース・和田下町登山口」の看板から立ち並ぶ赤い鳥居をくぐりながら上っていく。上り切ると、城跡だっただろう平坦地に小ぶりの祠が珍しく(良くあるのかな・・・)西向きに建っている。『初詣やな』お参りをして今年一年の無事を祈った。法性寺の西国八十八ヵ所の巡拝道も兼ねた道を上って鹿網ゲートを通過(巡拝道は西へ下る)二度目の平坦地から軽く上ると、三度めで気が付いたが、大きな石が集積して古墳の匂いがする。 3・(10:22)  

 
(2)登山口(9:57)南から     (4)から石金山(10:29)

(4)への上りで、何処かのお寺から鐘の音が響いてくる。初詣の人を迎える境内の焚き火なんだろうかその匂いが漂ってくる。左トラバース道をやり過ごし上り切る。 4・(10:25) 振り返ると展望よし。石金山(上右写真)・イタリ山・白山・天狗山・妙見山・テンロク・高山の左肩に猿藪が頭を覗かす。 発(10:29) 中上りで 5・258m(10:37) 短急下りでコル (10:40) 次の上りは中ほどから急登で岩盤が出る。ここで振り返り展望。気温は快適で実に穏やかな元旦に満足。上り切って 6・(10:50〜10:56)) 

ザックを下ろし、展望しながらおやつタイム。ここからは、しばらく快適な横ばい尾根となる。緩く下った先左が全開し、展望良し。上り返した処で、城跡を眺めながら小休み。 7・(11:15〜11:19) 正面尾根裸木の間に左肩を鋭く落とした延命寺山・その右に小振りながら鋭く尖がったカザシへの尾根が見えた。 ’00.1.1 に歩いた「篠ヶ峰〜岩屋山〜カザシ〜延命寺山」が懐かしくカザシへの上りで古銭を拾った思い出が蘇る。ちなみに、この時に、岩屋山の送電線鉄塔の工事が始まっていた。仁王の駅から見た無傷の岩屋山は本当に美しかったものだが・・・。

(7)から下ったコル直前左山肌に確かな道を見つけたのは井上さん。柴が切られ、人の手が入っている道が山肌を水平に走っていた。この道は、何処へ・・・何処から・・・。視界閉ざされ 8・分岐(11:30) 一段、二段、三段目で頂上に出た。 9・岩尾城跡(11:37) 『この頂(城跡)は不思議な造りになっている』と、今日気が付いた。それは、天主台のすぐ北に物見台(上り付いた所)とやらが在り、最高地点。何処の城も最高地点に本丸とか天主台が在ると思うが・・・。おにぎりを食べながら、今日も素晴らしい展望を楽しむ。

 
(9)蛇山の物見台(北)から天主台(11:33)    物見台から(11:35)最奥妙見山・中央三組尾・手前ピーク12番

井上さんは、天主台から西の丸へと歩き廻って写真を撮っていたが、私は物見台から動かず。行者山の尖がりは相変わらずお見事。下心は全くなくやってきたがここに立つと気になる西に突き出る尾根(上写真右の 12 ) 今日の歩きは短距離なので『チャンス!!』井上さんに臭わす『あの尾根への取り付きは何処からかなー』地図を見る『岩場マークがあるな〜』二人で確認する。城跡発(12:15) 

一段下って取り付きを探すと、それは直ぐに見つかった。井上さんを残し、私は尾根に入って(下って)行った。一段二段と下ると岩場になった。裸木の間からザレが見えた。『井上さんスゴイわー』と、呼んだが乗り気薄『一人で行ってきてもいいですかー』そうこうしてると、井上さんもやってきて二人で行くことになった。踏み跡が在りコルに着くと「人間地獄」と書かれた、かなり古い道標が杭から外れて地面に横たわっていた。 10・(12:19)

地獄谷とか何々地獄の類はあるが「人間地獄」とは物騒な・・・。また、南へほぼ水平に付いている道は城跡につながっていると思った。コルから少し上ると、広大な真砂帯が現れた (11の東谷面)。 11・人間地獄(12:21) 凄いすごいスゴイと何度思い何度口にし感動・・・。私の“感動”は「これ位の事で・・・」と思われている向きも多いと思うが、この感動が湧いてこなくなった時、私の山登りは終わるんじやないかと思う。想定外の景色や物事などに出会った時は、それが大小に関わらず感動する心を大切にしたい。 

 
人間地獄取り付から(12:21)        人間地獄取り付から(12:24)左岩屋山・右奥篠ヶ峰

人間地獄からの眺め(12:24)
右奥愛宕山・五台山中尾根右寄り大谷・古天神・高釣瓶

北面が全開で、岩屋山と篠ヶ峰から始まり、応地坂への下り尾根の奥に応地坂から北の尾根が見え、その右奥に五台山から五大山が見えた『ここまで来たら先端まで』と、言うことで歩き始めた。 地極発(12:30) 二本の明確な掘り切りを通過し、横ばいで先端に着いた。 12・(12:35) 更に下り方向にも踏み跡が在り、麓の神社マークにでも下れるのでは・・(下山後公民館から帰りに尾根を見てると中腹にTVアンテナが建っていたから間違いなく道が在ると思う)。『やっぱりここも城跡やったんや』と、言うことで引き返した。

下山尾根に戻る時に、目が釘付けになる物を発見。それを見た瞬時に,ノルウエー画家「エドワルド・ムンク(1863〜1944)」の「叫び」を連想して写真に収めた。下山尾根に戻って応地坂を目指す。分岐に着いた時、井上さんが片方の手袋が無いことに気が付いて探しに戻ると「叫び」の所に落ちていた。 8・(12:57) 忘れ物探し 発(13:02) 下って横ばいの時、井上さんが『人間地獄が見える』左後方に、人間地獄(下写真右)が見えたが過去これに気が付かなかった。


「叫び」それとも「フクロウ」(12:48)   奥中央三組尾・手前ハゲたところ人間地獄(13:00)

(13)右にトラバース道在るも尾根を越える。 13・307m(13:14) 右樹間から朝方歩いた尾根がチラチラ見える。その先のコブ手前は大きなヌタバが在る。コブ越えてしばらくすると明るいシダ原に出る。 14・(13:27) ここは東尾根の踏み跡に誘われやすいから要注意。下り方向見上げると△大谷395.0m四等が尖がる。小シダをかき分け短急下りをするとシダは消え小雑木林を下る。コブ手前で左が少し開け覗くと、行者山が威容な感じで天を衝いていた。


(14)方向確認中の井上さん(13:23)前尖り大谷  (14)先からの眺め(13:30)尖り行者山・右端三組尾

 
応地坂のお地蔵様:坂尻方面から(13:41)祠は近年建て替えられている   ’99.12.5の応地坂のお地蔵様写真 

最後のコブも尾根右にトラバース道在るも尾根越えで応地坂に降り立った。 15・応地坂232m(13:40) 南無阿弥陀仏の石碑(文化七・・・)や生花が供えられ、今も手篤く祀られているお地蔵様(宝暦二壬申年銘の子安地蔵尊)にお参りして峠を後にした。 発(13:45) 薄暗い杉林を下る。この坂は’99.12.5は上りだったが公民館から簡単に応地坂に着けたと思っていたが意外ときつく長く感じた(’99.12.5は19分かかっている)下り切ったあたりで牧山トンネル(牧山とは何処を指しているのか・・・)への道と並行した。

民家が出ると同時に若松の栽培が目に入る。坂尻・五ヶ野・山本・西谷地区の地層は保水力が乏しく、稲作に代わる物として薬草や若松?が栽培されている。進行方向左(南)に又もや行者山が姿を現した。1・坂尻公民館(14:04)

 
坂尻公民館近くからの眺め(13:59)尖り行者山・右左肩三組尾  若松の苗(13:54)

出荷待ちの松若松(’99.12.5)

「西谷川に水が無いのは、その昔、弘法大師が水を乞うたが断られ、怒った大師が川の水源を絶ってしまったからだと言う。かってこの奥に銅山があった。銅山と言えば不思議と弘法大師が付き纏うのだが、大師もこの地に足跡を残したのだろう。(兵庫丹波の山・上)より」

車に戻って後、井上さん用の下見「西谷地区〜牛坂〜三組尾〜行者山」で駐車地点を確認して引き返し、帰路「小新屋観音」に詣でた時、井上さんが会話した地元の人は、「岩尾城跡保存会」のメンバーで、あの「人間地獄」は小学生が命名したとの事だった。

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@

5・258m
9・岩尾城址
  358m
10
11
12
13・307m
14
15・応地峠・232m

ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
不明確とポイントが抜けている

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