10・
柳峠
21・
原山・
496.9m

24・365m
23
19
13

11

@

22

15

29・大和・200.6m
bS06   鎌倉山〜原山〜大和

ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている


歩いた歩いた。「これでもか!!」今日も歩いた8時間。

山に入れば元気一杯、山に入れば「水を得た魚」。

ヤブも覚悟の原山からは、高木雑木で快適歩き、拍子抜けと思っていたが、

里の近くでヤブになる。石標大和は上りの途中、この先地獄の三段上り、

終えて下った終盤は、シダ柴ヤブで思わぬ苦戦。




普光寺〜鎌倉寺〜西の覗き〜鎌倉山〜北尾根〜市町境界〜368m〜柳峠〜459m〜

3町境界/小天井(460.2mm)〜多可町・西脇市境界〜多可町・西脇市境界外れる〜

北尾根〜原山(497.1m二等)〜西尾根下る〜365m〜

大和地区(ルネッサンスの森分譲地)〜ハーモニーの丘分譲地〜大和(201.0m四等)〜

行者道〜459m〜南尾根下る〜250m〜普光寺。




◎所在地 : 加西市河内町鎌倉谷・普光寺周辺(多可町八千代区境界尾根)と
         多可町八千代区大和川(大和・下三原)の南山塊尾根

◎地形図 : 2万5千図   『西脇(にしわき)』

◎山行日 : 2007. 5.12 (土)  晴れ
    
@ ’00. 2.27(行者道周回) B ’04.12.25(行者道一部)
A ’04. 1. 1(大和〜原山)

◎山行条件 : マイカー登山:CL大柿・馬場・北村・多田・神尾     Age=60

◎コースの見所 : @普光寺 A鎌倉寺 B西の覗きと展望 C鎌倉岳から展望

             D点々と出る石仏 E△原山から先の高木雑木尾根 

◎走行距離 : 往路 33.0km(前回参考)  往復 66.0km(前回参考



自宅発(8:00)〜明姫〜R=79〜平荘町里・たいこ弁当(8:30 発8:40)〜

加西市河内町普光寺1・(9:12 発9:27)〜2・(9:35)〜3・(9:44)〜4・(10:09 

発10:20)〜5・鎌倉寺(10:22)〜西の覗き下(10:28)〜6・西の覗き(10:35 

発10:40)〜7・△鎌倉山(10:47 発10:56)〜8・(11:00)〜9・鉄塔(11:10)〜

10・柳峠(11:22)〜11・(11:33)〜12・(11:43)〜13・459m(11:52 発11:55)〜

14・(12:00 おにぎり 発12:25)〜15・小天井(12:30)〜16・(12:36)〜

17・(12:44)〜18・(12:49)〜19・(13:03)〜20・(13:26)〜

21・△原山(13:35 発13:50)〜22・(14:07)〜23・(14:12)〜24・365m(14:22)〜

25・(14:36)〜26・(14:47)〜27・(14:52)〜28・分譲地(15:00 〜15:10)〜

29・△大和(15:35 発15:43)〜30・(15:53)〜31・(16:00)〜

32・(16:13 発16:20)〜12・(16:34 発16:39)〜13・(16:45)〜

33・鉄塔(16:58)〜34・寺分岐?(17:14)〜35・250m(17:30)〜2・(17:50)〜

1・普光寺(18:00 発18:16)〜往路〜たいこ弁当(18:48 発19:05)〜自宅(20:00)



今回も神尾さんに車を出してもらい、神明参加者を乗せて我が家に到着、同乗して楽チン登山になった。平荘町里の高級レストランに寄って、腹こしらえとおやつを買い込んで、普光寺を目指した。普光寺への参道を入っていくと、彩り鮮やかな山門の横を通過し、駐車場に着く。『カチーン・カチーン』の音はゲートボールをしているようだった。 1・普光寺(9:12) シャガの花に囲まれ、支度を済ませて発つ。 発(9:27) 山門の近くから下山尾根裾の農道を歩いた。

気になる右下山尾根は裾から切り立ってヤブっぽかった。 2・(9:35) 下山終点尾根先に小さな祠があったがそこから上はヤブのようだった。尾根を回り込むと第一目標の△鎌倉山と、その手前に覗き岩(抹香岩)が見えた。前回(’00. 2.27)はこうもハッキリ見えていなかったと思うが・・・。道の傍らは田植えの準備のため、草刈がされていた。その、刈り払いされた草の中に、鹿の落ち角を多田さんが見つけ、私が預かる?集落を抜け登山口に着く。 3・(9:44) 立派な行者道(ハイキングコース)のマップ看板が設置されていた。 

 
登山口(3)へ向いながら(9:36)後方鎌倉山    普光寺山門

 鶏舎跡から抹香岩役行者像(ズーム)

鶏舎は撤去され、気になっていた抹香岩の彫り物が一段と大きく見えた。浮彫石仏のようだ。案内に従って直登の林道から右に外れ、山行きの話をしながらスギ林をジグザグと上ってい(HP地図のコースは東に振り過ぎていると思う)。間もなく明るい道が東へ入っていた。やがて西へ向い、尾根に乗った所で、皆で現在地の確認に入ったが決定的な確認は出来なかった。 4・(10:09) 『もうすぐ鎌倉寺が在るからそこで確認しよう』という事で発った。 発(10:20) 露岩が出て直ぐ鎌倉寺に着いた。 5・鎌倉寺(10:22) 昔は展望があったのだろうか、今は展望は無い。

お城の「武者返し?』を思わす反りの石垣の上に祠があり、下段には護摩堂が建っていた。境内に建つ二体の石灯篭の一本には『文政七申十月吉日・永代毎月十七日夜燈』と彫られていた。永代毎月十七日夜燈とは凄い願?を掛けたもんだ。護摩堂の東の井戸跡は改修されて綺麗になっていた。緩く上っていくと『のぞきの下』の案内があり全員でそこへいく。 (10:26) 高さ20mくらいだろうか崖の下に着くとモチツツジが沢山咲いていた。岩肌には役行者が彫られていた。 (10:28) 
引き返して『西の覗き』へ向う。6・西の覗き(10:35) 前回も覗いた(展望)が役行者が彫られているのを知らなかった。今回はしっかり見た。展望は下山尾根の終盤と行者道の小天井から先が見えた。 発(10:40) 上っていくと、先ずは『法起大菩薩』に迎えられた。 7・△鎌倉山(10:47) 今日歩くコースの60%くらいが目視できたように思う。多田さんからパイナップルを頂く。 

  
西の覗きから河内地区(10:35)       西の覗き役行者像(10:36)

 
鎌倉山から(10:47)小天井・大天井・右奥原山     鎌倉山△:法起大菩薩:西から(10:48)


鎌倉山と言えば忘れられないことがある。私が地形図を手に入れられない頃 やまあそ からこのコースの地図とレポをまとめて送ってもらい、とても嬉しかった(以後も、ある時期まで沢山送ってもらった)△原山が大きく回りこんで小さな双耳峰で座していた。そこからの下り尾根は (25) から尾根に沿って道のような切り開きが (27) 辺りまであり『もしかすると遊歩道でも付いたか?』と思った。 鎌倉山発(10:56)

少し下ると左(西)が開け、七種山から七種薬師の尾根の奥に明神山が覗いていた。遊歩道を進んで 8・(11:00) ここからの下りは急下り、間もなく右側がヤブツバキ(太いのもある)の群落、左は植えっ放しのヒノキ林、下り切って小コブを越え 9・鉄塔(11:10) 鉄塔の足の間から左に笠形山の全景が見えた。368mは右下をトラバース。トントンと下って 10・柳峠(11:22) 

『皆さん!!今日はお疲れさんここから鎌倉谷へ下ります』なんて言ったりしてると神尾さんがマーキング?前回は何の案内も無かったが『鎌倉山頂1km・鉢尾峰(大天井)1.6km・東の覗き450m・鎌倉登山口へ下山・八千代町下三原(柳)へ・ここは柳峠』の6枚の道標が一本の自然木にその方向を指して打ち付けてあった。今となっては人の往来は全く無いのだろう掘り切りの峠は笹で塞がり始めていた。下記の頃には幹線峠だったのだろ。

 柳峠の道標(11:22)

’04. 1. 1(大和〜原山)の時、不動明王の石仏の先、(そしてコルに着いた時前方より人の声がしてその姿が見えてきた。見ると70〜80歳の(夫婦と知り合い)3人だった、MTBの話に始まり「大和から上がって来た」と言うと婦人は大和近くの三原から河内町に嫁いできておられ、そして何時ごろまでか大和や三原等は当時の加西郡内に所在していて峠(現在の境界)を越えて加西郡で行われる運動会に参加していたと、昔話をつい最近の事のように話された)

峠からは界尾根の右下に付いた道を上っていく。道の左右は女竹の密生帯がしばらく続く。 11・(11:33) この先が『東の覗き』で (11:40) ここにも崖南面に行者像が祀ってあったと思うが確認せず進んだ。相変わらず尾根南下の道を上る。間もなく水平尾根に乗る。 12・(11:43) 展望なし。(この時点ではここが (12) と分かっていなかった)そしてコブに立つ(12と13の間)。 (11:45) ここが (12) と思っていた。『△大和から上ってここに取り付くのか』と思って△大和側の尾根(山肌)に前回のマーキングが無いか探したが無かった。

左(北)に太い樅の木が群生。『次のコブを越えた先が (13) や』と言いながら進んでいると、いきなり大きな石仏が建っている所に着いた。 13・459m(11:52) 南展望あり。思っていたより、コブ一つ早く大日如来に着いて??。とは言え、南に鉄塔が建っているし巡視路が下り、おまけに普光寺へ下れるとの道標あり。最終下山地点であるだろうけど全員??  

 
(13)大日如来/459m(11:52)東から     近くの高い枯れ木の梢で鳴くヤマガラ

「ここでの昼食は木陰が無く暑いからもう少し先で」また、そのうち現在地確認もハッキリするだろうと言う事で発った。 13・(発11:55) 下って上り返したコブでおにぎりタイムに入った。丁度12時のサイレンが鳴った。  14・(12:00) 爽やかな風が何処と無く吹き抜けた。 発(12:25) 下って上りに掛かると右へトラバース道あり。上り切りは460.2m小天井。 15・小天井(12:30) 北が狭いながら切り開かれて笠形山の全景が見えた。

町境界は相変わらず柴ヤブだった。少しガマンすれば開けることは分かっていたが (16) からの水平道も捨てがたく(見せたく)遠回りを選んだ。下っていると先ほどのトラバース道とt合流。 16・(12:36) 鋭角に折れて逆戻り、本当に水平道。柴が道に倒れ、邪魔している所もあった。町境界に乗って間もなく道は界尾根から左に外れ水平のまま延びる。「どうする?」ヤブっぽい界尾根を歩いた。 17・(12:44) 続いて 18・(12:49) 緩く下り切ると左手に道があったがもう自然に返りかけていた。

幅広の尾根は時々倒木が出る。左に赤土部分が目に入り(尾根から少し下る)ここは必見。足元からズリ落ちて、原山から大和への下山尾根と集落、その右奥に△坂山・△観音山。遥か最奥に笠形山の全景が目に入る絶好のポイント。 19・(13:03) その後平坦尾根の中央の謎の土塁の上を歩く(その高さは1mに満たない)。とても不思議に思うが、おそらく人工だろう。界尾根を横断する破線を見つけようと探すが今回も特定できなかった。 

 
平坦尾根の倒木越え(12:53)     (19)赤土地肌で眺め中(12:59)大柿のザックに鹿の角

(19)赤土地肌からの景色
△坂山・△観音山・△笠形山・大和への上り尾根を見る

倒木出るも高低差なく、快適尾根と言えるだろう。土塁が無くなる所もある。次第に上りにかかるも所々で倒木が出る。明らかに残る道跡をジグザグと上っていると尾根左右に、何故か点々とヤブレガサがかたまって生えていた。この上りは意外と長く感じた。 20・(13:26) 高木雑木も生え、ようやく止まっていた風を受けホッ。原山の頭が覗いていた。   

 
『快適尾根』とはこんな状況    原山への上り:こんな所もある

東へ下る境界尾根と別れ、気持ちよく歩く。上りに掛かると、朽ち掛けた松の倒木(前回は無かった)に悩むがそれを抜けると尾根東面が伐採された原山に着く。 21・△原山(13:35 おやつ 13:50) 展望は東面180度(前回は展望無し) 北方面は千ヶ峰〜篠ヶ峰。妙見山の手前に黒木山の遊歩道やサーキット場、西脇・八千代区境界尾根も長い範囲見えていた。東尾根は見える範囲ヤブも無く歩けそうだった。おやつを食べて発つ。 

 のんびりゆっくり休んで笑顔の
集合写真 『地獄の三段上りが待ってるぞ〜』南から(13:44)

下り尾根はまるで遊歩道のように明るかった。『鎌倉山から見た物は本当に道かも知れない』とこの時点では思った。一段目下り切り、開きはそのまま北へ下っていたから、うっかりしてるとコースアウトの可能性が大きい。今日は皆で現在地と進路を確認しながら歩いたのでここも難なく通過した。サーキットの車がスタートしたのか爆音が聞こえてきた。北に比べればやや塞がっていたが全く問題なし。

ヤブも覚悟で入ったが直ぐに高木雑木尾根の快適歩きに変わった。右(北)山肌は杉林とそれが伐採?倒木?そのために野間山城跡から観音山の方までが全開した。所々にモチツツジが咲いていて写真を撮りながら進んだ。植林は自然林に戻って 22・(14:07) 西への尾根の方が明るかった。下りに入ると、高木雑木に大きな露岩帯、まるで石庭のような雰囲気。鞍部は動物の運動場になっていて、素晴らしい尾根が続いた。 23・(14:12) 

 
(23)へ向う尾根(14:10)      モチツツジ

また、露岩が出て右植林の上から笠形山から千ヶ峰・妙見山が見え、その前に坂山・観音山・野間山城跡尾根が小ピークを連ねていた(左ヒノキ林になっていた)。 24・365m(14:22) ザレのような頂。これへの上りから山椒が目立ち始め、多田さんがそれを採り始め、私と馬場さんが手伝う。振り返れば (23と22) の頭が植林の上に覗いていた。発(14:28)

右凄い切れ落ちにも、何故か山椒が群生し、左はヒノキ林。視界塞がったまま、短激上りで 25・(14:36) 南面は崖のような切れ落ち尾根右側は自然林で快適に下る。間もなく左が開け鎌倉山からグルリッと原山を経由して (23) まで一部途切れるも一望でき、△大和からの上り尾根も確認。そんな景色を見ながら下った。鎌倉山から見た『尾根に沿って道のような切り開き』は伐採地でとても歩けるようなもので無かった 26・(14:47) 

ここから小シダが出る。シダの中に謎の物体(写真)を拾い蓋を開けようとしたが簡単に開きそうにない、そんな時『毒かも知れないから開けない方がいいのと違う』それに従って放置したが・・・。。 27・(14:52) 下りから柴ヤブに突入『とうとう来たか』下っていると建物の屋根が見え、そこに着くと、長年放棄された粗末な別荘(失礼)廃屋だった。これまた失礼ながら屋根の上に上がらせてもらうと396(’06.12.3)△坂山・△観音山から野間山城跡の方までとこの後上る△大和から (12) への尾根が見えた。 28・分譲地(15:00) 

 
(28)屋根上からの眺め(15:01)左から二つ目が観音山   △大和:北から(15:35)

神尾さんと私は先行して『家が建っているからには道が在るはず』と道を探したが見つからなかった。しかし、それらしき形跡を見つけ、皆を呼んでそれを下っていると舗装路が見た。舗装路を下っていると『ルネッサンスの森』との小さな看板が分譲地に立っていた。 麓・(15:10) △大和への上り口へ田圃の畦も通って向い、今度は『ハーモニーの丘分譲地』から上り返す。道最奥部からヒノキ林に入り自然林に変わって尾根に乗り、木立をすり抜けながら上った。石標が出なく「おかしいなー」と言った時、馬場さんが「見えたー」と言ってホッ。上りの途中、少し緩んだ所にあった。 29・△大和(15:35) 展望なし。           

「ここで三時半か・・・」地獄の三段上りの前に休む。大福モチを差し入れしたが多田さんは拒否、何故か・・・。 発(15:43) 等高線には表れていない急登を終える。 (3:47) 少し下草が出るも踏み跡は在る。 30・(15:53) 右ヒノキ林、横ばいをいくと左樹間から原山手前から (27) 辺りまでが見え「一歩一歩の積み重ねを実感」二段目の急登取り付き 31・(16:00) 口数が減ったかな・・・。右ヒノキ林は間伐され、終盤は両手も使っての『よじ登り』状態。 32・(16:13)

休みながら西の尾根地形を見、地図と合わせ現在地確認、多田さんが飴玉配給。鎌倉山と (4) 辺りが見える。 発(16:20) ザレの尾根を進むと左樹上から原山周辺が見え、尾根左直ぐ下に、白い花を一杯付けた木が生えていた(名前は分からなかった)。尾根と左側は高木雑木帯、上りに掛かると、右ヒノキ林も自然林になって、三段目の急登に入る。ますます口数が減り、黙々と上り切った。 12・(16:34) 水平尾根に乗って「行者道は・・・」尾根を越え、少し下ると道に出た。皆で現在地確認。午前、通過した時は、尾根南下を通過した関係で、ここはほぼ直線的な道になっていて見逃していたことが分かり謎が解けた。発(16:39)

コブを一つ越えて 13・(16:45) 夕陽が河内城跡尾根上に近づきかけていた。「最後の下りや、さあーいこか」巡視路なので鉄塔までは道が在る、地図の破線はどうかな・・・。プラ階段があるが所々で根元から倒れた木の根が持ち上げて天へ向って階段が付いていた。どんどん下って先ずは鉄塔に着いた。 33・鉄塔(16:58) 鉄塔の足の間から鎌倉山や東の覗きが見えた。 巡視路は快適だったが「何処まで・・・」と思いながら下っていると17時のサイレンが鳴った。 34・寺分岐?(17:14) 

道はここから左の谷、普光寺へ下っていた。「皆さん!どうしますか・・・」〈ここまで来たんやから最後まで行こう〉そこからも道は付いていて「この分なら最後まで・・・」と思う間もなくいきなりシダ原になった。

 
(34)先シダ原突入(17:14)     (2)直前尾根のお社(17:50)

大きなアップダウンは無かったが、シダと柴のヤブが延々続いて、経過時間の割りに進んでいなく現在地が曖昧になってしまった。 35・250m(17:30) 右に鎌倉山登山口や鎌倉山が見えて (35) 地点確認が出来た。西の空は夕焼け空に染まっていた。 (35) からの下りで一度地肌が出るが最後の下り始めは厳しいシダ柴ヤブだった。

それも次第に解けて、朝見たお社に下り付いた。 2・(17:50) 「お疲れさん」やっと、ヤブと長い山歩きから開放され、皆さん生き返りました。いやいや、それは私だけだったかも・・・。誰かが言いました「二回分歩いたなー」って。


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20
7・鎌倉山452.4
14・
35・250m
15・小天井