387  置塩城跡〜南条山(谷山)〜塩田


ポイントbヘ地図を一度削除した関係で不明確とポイントが抜けている

チョット歩くつもりで出たが、やっぱり欲出て先へ先へ。

この時期堪える激上り、3度目立った谷山(△南条山)は夏草繁って視界塞がる。

「もしかして」と持ってた地図に記したコース棚原山の西の支尾根に入って見れば、

善戦苦戦の繰り返し。




櫃蔵神社〜城山(349m)置塩城跡〜谷山(△南条山)439.7m二等〜棚原山へ向う〜

386m〜棚原山手前西尾根に乗る〜257m〜塩田(しおだ)256.0m四等〜尾根下る。



◎所在地 : 姫路市夢前町糸田地区界(置塩城跡から塩田温泉南尾根)

◎地形図 : 2万5千図   前之庄(まえのしょう)  『姫路北部(ひめじほくぶ)』

◎山行日 : 2006. 9. 2 (土) 晴れ(さわやか)  

@’02. 2.24  (暮坂峠〜谷山〜棚原山〜八葉寺〜暮坂峠)     
A’02.12.15 (暮坂峠〜谷山〜棚原山〜八葉寺〜暮坂峠)         

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=59

◎コースの見所 : @櫃蔵神社と境内の大銀杏 A置塩城跡(国指定)と本丸からの展望 

             B谷山から西の展望 C谷山から386mへの自然林
              ※冬枯れの時期には(16〜24)の尾根からも左右展望期待できそう  

◎走行距離 : 往路 40.7km  往復 81.6km



自宅発(9:00)〜明姫ロード〜姫路B・P〜中地LP〜R=415〜R=67〜

夢前町糸田1・自転車デポ(10:25)〜2・櫃蔵神社(10:35 発10:47)〜

登山口(10:50)〜3・三の丸(11:26)〜4・本丸(11:35 発11:47)〜5・(12:10)〜

6・(12:30)〜7・谷山/△南条山(12:40 おにぎり 発13:16)〜8・(13:25)〜

9・(13:39)〜10・(13:46)〜11・(13:55)〜12・386m(14:07)〜13・(14:10)〜

14・(14:20 おやつ 発14:26)〜15・(14:46)〜16・(14:58)〜17・(15:00)〜

18・(15:06)〜19・257m(15:10)〜20・(15:21)〜21・(15:33 発15:40)〜

22・(15:50)〜23・塩田(16:10 発16:18)〜24・(16:26)〜1・(16:52)〜

自転車で走る〜2.櫃蔵神社(17:02 発17:11)〜引き返し妻合流(17:15)〜

ウエルサンピア(17:24 発18:32)〜往路〜別所PA食事〜自宅(19:37)



朝8時から自治会の行事「クリーンキャンペンに参加してから」と言う事で、行き先は何故か近場の置塩城跡に決まった。B・Pを走りながら見る山並みは数ヶ月振りにスッキリハッキリ見えていた。計画コースを歩くか否かは五分五分の確立であったがとりあえず歩く時の為に下山口に自転車を置いた。 1・自転車デポ(10:25) 川東岸の道を走って神社に着いた。 2・櫃蔵神社(10:35) 

車は神社の木陰に置かせてもらい支度を済ませた。 発(10:47)登山口は夏草に覆われていたが間もなく草が消えて本来の遊歩道が現れた。一丁からスタートして六丁近くから傾斜がよりきつくなった。 (11:00) 「つくつくぼうし」の蝉しぐれに「みんみんぜみ」が鳴く。九丁目で尾根に乗り右の谷に急接近 (11:05) その谷の突き詰めを東にトラバースする。道端に炭焼き窯跡(昭和初期作で内径1m強)が在る十二丁。 (11:12) 

炭焼き窯跡は行く先々で見ているがこれほど小さなものは他で見たことが無い。露岩が点在し始め、下草に笹が出てきて城跡入り口に着いた。 (11:20) あちこちに発掘調査跡を覆ったブルーシートが目に入り往時を偲ぶ雰囲気は皆無。二の丸から三の丸 (11:26) と進み本丸へ向った、すると本丸の方から人の声が聞こえ始めた。

本丸への上りで右険しい谷筋の先に朱色屋根のヤマサカマボコ方面が全開した。上り切ると老若男女(成人)20人近くが居た。 4・本丸(11:35) 訊くと岡山県津山市から来られ、城跡巡りをされているようだった。ここでも夏草に覆われた平地に広くブルーシート張られていた。視程良く七種山・薬師・両カマ尾根に槍等が確認できた。 

 
城跡に着いた所(11:20)     (4)本丸:西から:津山からの団体(11:34)

「考古資料で見る新姫路市の歴史」より
置塩城は、戦国時代に播磨守護赤松氏によって築かれた播磨地方最大の山城で、その居城として使用されました。永禄12(1569)年以降、織田信長の播磨侵攻が始まると赤松則房は織田方に味方し、置塩城で毛利方の攻撃を撃退するなどの戦功を上げています。天正8(1580)年、播磨を平定した羽柴秀吉は置塩城以下9城の破却を命じており、この段階で廃城になったものとかんがえられます。

本丸から姫路城も見えるとの事で双眼鏡で探したが見つけられなかった。しかし、播磨灘や島々は見えた。団体さんは去られ静けさが戻った。動きを止めると意外と涼しく計画コースを歩くことにした。ここでおにぎりを食べる予定だったが蚊が多くて中止。本丸から見える谷山へのコースを探したが身の丈ほどの夏草に覆われ、しかも崖の様な傾斜、『これを下るは妻に無理』と判断。

で、ここへの上りで見つけていた巻き道から回り込むことにした。 発(11:47)本丸への中腹まで引き返し、南面に付いた微かな踏み跡を水平に進むと、その先の広場は本丸南曲輪群だった。そこから中腹を回り込み谷山へのコースにのる。谷山に初めて立った時から狙っていたコースであったが既に何人(何組)ものハイカーが歩いていると知る。

その中にマイカー登山の川上さん達がいる。踏み跡を辿って急斜面を下る。切り開きに赤の細い角プラ杭が打ってありそれも目印に進む。 5・(12:10上りに掛かっても予想以上に開きがあって『これは助かる』と思いきや次第に塞がり始めて鉈の出番となった。激登りの途中で南が開ける所があり息抜きをする。

やがて右(南)が桧林になると塞がりから抜けるが激登りは続き間もなく登り切った。 (12:24) 展望無し。妻を待って谷山へ向う。右桧林左潅木帯の植界を進む。初めのコブには廃棄アンテナが倒されていた。 6・(12:30) そうそう昨年は余り思わなかったクモの巣がここにも多くて大変。二つ目のコブはミニ岩稜で南が開け眺めている時、尾根から左の林へ白い物が走った。何かと思い探し当てるとなんと中形の「三毛猫」だった。

しばらくにらめっこしたが間違いなく三毛猫だった。こんな所に何で・・・??。そして間もなく谷山に着いた。 7・谷山/△南条山(12:40) 地形図では「南条山」となっているが私が何処かで誰かに又は何処かで何かで得た山名は「谷山」。谷山とは当南東山裾谷山地区の呼び名と思う@’02.2.24  (暮坂峠〜谷山〜棚原山〜八葉寺〜暮坂峠)のレポを読み直したが谷山についての記述は無い。

過去2回は冬枯れの時期だったので草も枯れて西180度展望は良かったが今回は草(主に茅)に覆われていて、それを掻き分けて先端に立たなければ展望は得られなかった。書写山から的場山方面が視程に入った。杉林の中でおにぎりを食べる、汗でビッショリだったがしばらくすると肌寒くさえ感じた。 発(13:16) 


(7)谷山/△南条山から三の丸(奥)と本丸を眺める(12:42)
平成13〜17(2001=2005)年度にかけて発掘調査が行われた。礎石建物や庭園跡が確認されている。

境界に入って間もなく掘り切りと思う所を通過して幅広コルに着く。 8・(13:25) しばらく中上りは尾根右に大露岩が連なる(一箇所大岩の上から南展望を作る)。上り切って横ばいを行く。谷山から棚原山へは二度(上記)歩いているので気楽に歩けると思っていたが (9) 地点で東への尾根に明るい踏み跡が在ってしばらく悩んだ。 9・(13:39) そこ以外は素晴らしい自然林が残りしかも、以来かなり人が入っているようで快調快適に歩けた。

そんな時、首ひもとフヮスナー付きービニールケース(20×13)が落ちていた、中には眼鏡(安物)と鉛筆が入っていた。 10・(13:46) 太いヤシャブの木も生えていた。 11・(13:55) 北尾根へは高木雑木で下草無き露岩混じりの急下りを確認。方向が変わって下っていると北が開け、七種山・薬師・両カマ尾根。手前に後で歩く△塩田への尾根が横たわり左の方に明神山が見えた。

ヤセ尾根コルを通過する。ヤブツバキの群落になって薄暗いが快適に進めた。 12・386m(14:07) 右(東)桧林になり緩く下り上ってコブに立つ。 13・(14:10) 前回歩いた2回とも右は桧の幼木帯で棚原山から八葉寺への尾根が良く見えたが桧が成長して何も見えなくなり、草ヤブっぽくなっていた。少しばかり切り開きをしながら上っておやつを食べながら△塩田への分岐の確認に入った。 14・(14:20)  


(11)先から@七種山 A薬師 B両カマ尾根(14:39)    (14)から下りの倒木帯(14:42)

時間が有れば目の先の棚原山へ立ちたかったが朝が遅くあきらめた。 発(14:26) ヤブでなかったが尾根が無く、コンパスが指す方向に向って心配ながら下った。等高線を見て、相当な激下りを覚悟していたが意外と楽に下れ、ホッとしたのもつかの間、太い杉の倒木が出始め、更には例のエゲツナイ激イガも待っていた。『いっそ左の植林谷に逃れようか』とも思ったがそれらを切り払い倒木の下枝を切り、潜り抜けて下ると界は開け、短く上り切る。 15・(14:46)

下りは柴ヤブっぽくもあったが苦にはならない。間もなく前が開け、谷の向こうに歩くだろう尾根が横たわっていた。かなり離れた位置で尾根の方向が東西で『現在地からは乗れないのでは・・・下り地点を間違えたか・・・』と不安のまま進んだ。短急登は太い葛の間を抜ける。左は太い杉林、右自然林を上り切ると左右自然林でほぼ横ばいが続いた。

しかも不思議なくらいに明るく開けて快適に歩けた。 16・(14:58)〜17・(15:00) 先ほど見た尾根に向って進んでいたので安心した。笹とコシダを踏み分けて短急登。 18・(15:06)妻を待って進む、ツクツクボウシがしきりと鳴いていた。コシダは続き短急登で 19・257m(15:10) 右(北)が開け再度七種山・薬師・両カマ尾根等が見えた。左樹間から、城跡や界尾根がチラチラ見えるが枝がじゃまして写真に撮れない。

短急登でふたコブの初めのコブに立つ。 20・(15:21) 赤松が生える良い感じのコブ、先に見える二つ目コブも松が主体のコブ、その左奥に△塩田と思うピークが見えていた。あれほど明るかった尾根道がうっとうしくなりヤブっぽいコブ。 21・(15:33) どの辺りからだったか右足膝から太股に掛けてツリ気味がここに来て危うくなりエヤーサロンパスをスプレーする。 発(15:40) 

ヤブっぽい尾根が続く、右下に点在する塩田温泉の建物が見えた。間もなく立った露岩コブは城跡から界尾根が今までで一番良く見えた。 22・(15:50) と言っても枝間からで写真は木に登って撮った。△塩田は目前だった。右足膝から太股に掛けてのツリ気味は消えていた。△塩田へは丈が腰辺りまでのシダを掻き分けての上りだった。少し南から上り詰めたが一面シダに覆われて石標どころか角ポールも見えない『もしかして尾根を間違った・・・』歩き回って足で探ったがなかなか見つからずシダを鉈で刈り払っていると見つかった。 23・塩田(16:10) 展望なし。


(22)からの眺め 本丸 谷山 (11)地点等が見える (11:54)

石標が立つピークの西は凹で平地になっていた、もしかして城に関わるピークだったかも知れない。 発(16:18) シダ柴ヤブっぽい界を進むと丈が腰辺りまでのウラジロが出てしばらく続いた。上りだと堪えたと思うが下りだったのでたいして苦にはならなかった。間もなくシダが消えて歩き易くなった。 24・(14:26) 右樹間が開けて明神山が見えた。地元の方に、塩田地区の方から見る明神山の姿が一番美しいと訊いたことがある。

  
△塩田からの下り尾根(16:23)   △塩田:南東から(16:08)

後は下るだけ、気の緩みが有ったせいもあるが尾根もハッキリせず、なかなか手強かった。下の方では車の走行音がして柴ヤブに近い下りが続いた。そんな時、トランシーバから妻の声『姿が見えないから声をあげて』大きな声を出したが聞こえないとの事で引き返した。妻は尾根からやや北寄りに下っていた。下り付いた所はピッタンコ自転車を置いた所(墓地の下で谷川の土手)だった。 1・(16:52) 冬枯れの季節が適したコースかと思う。


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19・257m

11
12・386m
15
14
16
18

@

23・塩田・256.0m
24
20


3・349m
7・谷山・439.7m
(11:34)
三の丸
  ↓
本丸
 ↓