382  鍋倉山城跡〜権現古道〜雪彦峰山線


権現古道を歩く前から気に止めていたこの尾根に、

古道に関わる新発見の期待を胸に歩いて見れば、

コース自体は意外と易きも波状に現る短急登に体力奪われ歩も鈍る。

半ば過ぎから視界が得られ元気回復古道に合流。さて、新発見は有ってか無しか・・・。




山之内小学校〜鍋倉山城跡〜340m〜446m〜権現古道〜502m〜雪彦峰山線。



◎所在地 : 姫路市夢前町山之内小学校から北上する尾根

◎地形図 : 2万5千図  『寺前(てらまえ)』  

◎山行日 : 2006. 7.15  (土)  曇り       

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=59

◎コースの見所 : @鍋倉山城跡 A終始見られる樅の木の大木 

             B雪彦(岩場3峰)の遠望  C賀野神社

◎走行距離 : 往路 @55.3km A63.1km  往復 122.7km

              播但道=福崎北L・P往復800円



自宅発(7:20)〜加古川・姫路BP〜播但道〜福崎北LP〜R=23西進〜前之庄交右折〜

R=67〜R=504〜雪彦峰山線〜1・東屋(8:50)〜引き返し〜2・(9:13 発9:30)〜

3・城跡(9:48)〜4・(10:00)〜5・(10:08)〜6・(10:20 おやつ 発10:28)〜

7・340m(10:53)〜8・(11:15 おやつ 発11:19)〜9・(11:25)〜10・(11:34)〜

11・(11:45 おにぎり 発12:14)〜12・(12:24)〜13・(12:28)〜14・(12:39)〜

15・446m(12:54)〜16・(13:04)〜17・古道・お堂跡(13:13 探索 発13:30)〜

18・(13:42)〜19・502m(13:13:52)〜20・神社分岐(13:55)〜21・(14:05)〜

展望東屋1・(14:14 発14:18)〜自転車で走る〜2・(14:36 発14:42)〜

妻合流(14:51)〜雪彦温泉(15:05 発16:52)〜往路〜自宅(18:21)



先週の9日に歩こうと思いながら雨で歩けなかったので今日歩く事にした。 やまあそ と歩いた「権現古道に関わる何かが得られるのでは」と言う期待を抱いて向かった。小学校に自転車をデポすれば移動時間の効率も良く、体力の消耗も大きく抑えられたが下山後雪彦峰山線を自転車で上るのが辛いので上部に自転車をデポする事にした。1・東屋(8:50)賀野神社上の展望東屋周りには10台位の車が止まっていてクライマーが出発の準備中だった。展望東屋から今日歩く尾根の半分以上が眺められた。

(1)展望台から今日歩く尾根を眺める(8:49)
中央の尾根を右から歩いた。賀野神社は中央左寄りに見える

展望東屋から岩壁を眺めると、既に数組のクライマーが壁にへばり付いていた。そこに自転車をデポして (21) でU夕ターンして登山口へ引き返した。中ほどでロードレーサー(自転車)に乗って上がってくる若者がいた、声を掛けてすれちがう。登山口の少し北側で道が膨らんだ所に車を置かせてもらって支度にはいった。 2・(9:13 発9:30) 先ずは「史跡 鍋倉山城跡」の案内杭を見に行く。「この城に関する資料は乏しいが戦国騒乱の余波は山之内にも及び、この山にも砦状の城を築き、鍋倉市之丞が城主を勤めた。」「鍋倉氏の亡くなったあと山崎町長水の城主広瀬氏の家臣、利瀬弾左衛門が入り、この城を守った。鞍部に本丸があり、山頂には二の丸があったといわれている。近年まで利瀬弾左衛門の塚もあった」

何度もこの案内杭を横目に見ながらやり過ごしていたが、今日はやっと城跡を見ることになる。登山口は尾根先端より少し北に「なべくら○○○」と書いた木製のゲート。いきなりのジグザグ急登を上り切ると平地でロープのアスレチックス、木製のテーブルベンチが置かれて公園になっていた。 3・城跡(9:48) 絵看板(かなり汚れている)によるとこの先の鞍部は峠で地蔵祠、その延長尾根に展望台(昔ののろし台)が記されてあった。進行方向の山肌は3段になっていた。

下り切ると峠で尾根の西寄りにお堂(祠を保護するためのものか・・)が建っていてその中に本来の祠があった。
 (9:40) 中にはかなり風化した大師坐像が祀られていた。お堂は痛々しいほどに荒れていたが救いは、お大師さんにお供えの花が生き生きしていたこと。 

 
峠のお堂とそこに祀られている大師坐像 (9:41)

とても暑い中、上りに入る。道跡が在り難なく上れるが時々クモの巣が顔に当る。植生は杉や桧の中に太い樅の木(1〜2抱え)が尾根と両脇に絶えることなく生えていた。朽ち果てかけた自然木の階段が所々に見られたが最近は上る人もいないのだろう。∧の下に白と彫られた石柱(加工石)が転がっていた。次第に傾斜がきつくなって上り切る。 4・(10:00) 展望なし。右(東)から少し風が吹いてきて一息入れる。ここからは薄暗い横ばいが続き太い樅の木は相変わらずはえていた。鹿の寝床が点々と現れる。

 
(4)手前の尾根に生える太い樅の木no並木

5・(10:08) 展望なし。ウグイスがしきりに鳴いていた。尾根が無くやや北寄りに下っていて方向を修正、短い急下りしてコルに着くと左(西)から風が上がってきていて早くも休憩に入った。 6・(10:20) 蚊が羽音をたてて顔の近くを飛ぶ、『これからは蚊にも悩ませられるな』と思いながら冷たいものを食べて発った。 発(10:28) 短急登の後、緩く上って行く。樅・桧・杉の林が続き下草なき尾根が続く。コブから下りで左右樹間から家の屋根がちらちらと見えた。 7・340m(10:53) 短い急下りの後、ほぼ横ばいでコブを越える。次の上りで数年ぶりに鹿の角(上写真)を拾った。全長36センチと短めだったが形は良かった。 

上り切って2回目のおやつに入った。 8・(11:15) 展望なし。南東から涼しい風が吹く平坦なピークだった。城跡で記してあった「展望台・昔ののろし台」は何処だったのだろう・・・(4か8?)。西にハッキリした尾根が延びていてチト思案した。 発(11:19) 下ると険しさを感じるヤセ尾根の後、初めて少しばかり塞がり気味な急上り。上り切ってホッ、視界は無いまま樅の木が生えるほぼ横ばいを行く、短急登を終えると、今日最大の塞がりとなった。 10・(11:34) と言っても今日の場合で苦になるものではない。低木の間をすり抜けて進んでいると左前方が大きく開け雪彦(岩場3峰)が見えた。

 
(10)今日初めて視界が大きく開け見えてきた雪彦(岩場3峰)(11:30)

山歩きらしい尾根を行く、左(西)は絶えず開け、△ウリュウドが座する尾根も長く延びていた。上り返した所の大きな露岩帯でおにぎりタイムに入った。 11・(11:45) 振り返ると重なる尾根の奥に明神山が頭を出していた。ジャージを脱いでおにぎりを食べていると腕時計の所に黒いゴミが付いていて掃っても落ちなかった。落ちないはずでそれはヒルだった。その後右手でも鮮血を吸われていた。もちろん妻には内緒にしていた。 発(12:14) 丁度コースの半ばだった。

発って直ぐ、『大きな虫が木の葉の中に潜った』と妻が言ったので、そこを探すと、何年振りかに見る体調6〜7cmのミヤマクワガタ(上写真)がいた。短く上り切ったピークの西下方は伐採地で新興のお寺が在る所だった。 12・(12:24) 下りはやや塞がり、上りはヒサカキ等でより塞がって切り開きながら上った。 13・(12:28) 展望なし。太い樅の木は続いていた。下草が消えた尾根を行く。下っていると、左樹間から展望東屋と坂根集落と再び雪彦(岩場3峰)が見えた。尾根はザレに変わって下り切ったコルでは蒸し暑さが一気にやってきた。左山肌は最近伐採れた所だった。 14・(12:39)

暑くて辛い上りが続いた。振り返ると重なる尾根の上に明神山が頭を出していた。中ほどから植林帯に入いると、その中に太い赤松が沢山生えていた。視界は塞がり上り上り切って進む傾斜が緩む。 15・446m(12:54) 薄暗い植林帯が続く、下ると杉林の横ばいになる。間もなく尾根左下直ぐに広い平地が出る。100坪を越えていたと記憶する。見事なまでに平地に人の手が掛かっているのでは・・・寺か社跡かと気になったが疲れて探索するだけの気力が無く、泣く泣く?やり過ごした。 16・(13:04)

そこからは、右(東)は樹齢の3〜40年の桧、左はこの尾根初めての潅木帯、この潅木帯がほぼ平らな尾根左(西)に残るのも気ななった。赤土で固められた様な草も生えぬ薄暗い水平道?が続いた。やがて浅い掘り切りに出て打って変わって尾根が塞がった。『やまあそ と辿った権現古道が近い』と思いながら上って行くと塞がりも消えてお堂跡に着いた。 17・古道・お堂跡(13:13)

(17)お堂跡:南から (13:13)
@旧お堂の屋根瓦A石仏が安置されていた扁平な自然石その下に加工石柱が2本敷かれこの周りに
礎石が在るB前回我孫子川に下った所C樅の木の西根元に石組みが在ったD北への水平道跡

かなり疲れていて余分な事がしたくなかったが『これだけは確認しよう』と思っていた古道の探索に入る。ザックを置いて空身で引き返し、前回 やまあそ と『古道はあの尾根に付いているのでは』と言っていた所(尾根)に引き返し、掘り切りの所に戻る『これが(も)古道跡では』と探索に入る。溝は東に下り、道跡の形跡を残して尾根に乗っていたが以後消滅していた。お堂跡から尾根東面も歩いて見たが道跡は確認できなく尾根に戻った(道跡は尾根から20m位と記憶する)。

尾根から西を覗くとお堂跡から坂根と繋がる(やまあそ情報)道が見えた。お堂跡に戻り改めて辺りを探索していると太い樅の木の根元西側に奥行き幅50cm位の石組みを発見した。上蓋石と思われる石(初め石標かと思った)が一枚転がり、崩れ落ちた石組みの中の土を鉈でかき出していると手応えから土の中にも在るようであった(土は除けず)。その前には北に向かって水平に道跡が在ったが(これは前回確認していた)これも間もなく消滅していた(深追いせず)。賀野神社と繋がる古道か・・・(やまあそ とのTELでは やまあそ も道は確認していてそのように想い神社の方から道を探したが見つからなかったと言った)。

 
尾根から見て東へ下る掘り切り(13:21) (17)お堂跡・初代の峠の祠跡と思われる石組み

新発見に満足している時『ヒルやー』と妻が叫んだ。見ると靴と腰に付けているボトルにヒルが付いていた。ここで、おにぎりの時にもヒルがいた事を打ち明けた。妻は急いでその場を去っていった。私は他に発見が無いかと今度は扁平な石の下の加工石が「もしかすると石標では・・・」と想い石を持ち上げると加工石柱の上に縞模様の蛇の子供がいて、そろりと石を元に戻して妻の後を追った。発(13:30)

コブを越えてからの上り返し、前回は難なく歩けたが今日はタケニグサと例の鬼イガが繁茂していて難儀した。後は、すんなり歩け 18・(13:42)〜19・502m(13:13:52) と進んで神社分岐に着いた。その後誰かがやってきたのか「かんべ」の道標の字が読み易くなり指し浮彫もハッキリしていた(自己写真比較) 20・(13:55) 我孫子川からここへの道が無いかと尾根東面をしばらく歩いたが獣道以外は見つからなく尾根に戻って終点へ向かった。

  
(18)辺り西向きで立つ石標(13:39)(20)神社分岐の道標(13:53)

雪彦峰山線に出た。 21・(14:05) 展望東屋に戻ると朝出会ったクライマー男女半々位が戻って来ていた。大阪からで明日も登ると言っておられた。そこから自転車で車に向かったが下っていると朝出会ったロードレーサーの若者が又上ってきていた相当な根性の持ち主。挨拶を交わして下ったがさて、ペダルを回さず何処まで下れるか(走れるか)・・・車までは無理か・・・。馬頭地区への分岐からは今にも止まりそうになったが反動を付けては進んで結局一度もペダルを回さずに車に戻った。

引き返し妻と合流して雪彦温泉へ向かう。駐車場でスパッツを外して登山靴を脱いでいると夫婦共にヒルが数匹付いていた。他のハイカーもヒルが付いているらしくワイワイ言っていた。風呂からあがって食事をしていると外が暗くなり雷鳴が鳴り始めた。間もなくドラム缶をひっくり返したような吹き降り(豪雨)になり稲妻がはしる。車にさえ行けなく皆足止めをくい、2回停電になった。小降りになったところで急ぎ車に乗ったが帰りにもかなり降った。


トップに戻る  歩きの記録に戻る





@・東屋

21

※ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
 不明確とポイントが抜けている

20
19・502m
18
17
16
15・446m
14
13
12
7・340m
6・おやつ

3・城跡