bR75 亀ヶ壺〜亀ヶ坪
大河内町物語その6(裏コース)

「亀ヶ壺」何時行けるかな・・いつ行こか・・季節は巡り数年過ぎた。
「大河内町物語」で火が付いて、遂にその日がやって来た。
亀ヶ壺から十三回り、ヒカゲツツジとヤブツバキ、ミツバツツジにアセビの花が
今を盛りに咲いていた。
サテここからが本番と、立った所は3町境界、ここで感動見た花は・・・。
何処までもヒカゲツツジに向かえ送られ、見事な羽色オオルリ一羽。
コースbR71で下った地点を目指して進み。今日は南の芦谷へ。
中程からは予想を超える大倒木に難儀するも清き流れに滑ら滝、深山渓谷断崖絶壁。
歩いたコースは変形ハート(矢じり)。
河原川〜ログハウス〜廃屋(1)〜廃屋(2)〜亀ヶ坪(亀ヶ壺)〜十三廻り(町境界)〜
町境界北進〜3町境界〜町境界北進〜亀ヶ坪(650.4m四等)〜町境界西進〜
678m手前破線南へ下る(芦谷・ト谷)〜廃屋(1)亀ヶ壺コース合流。
◎所在地 : 夢前町夢前川支流「河原川」の支流二本とその源頭北の町境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『寺前(てらまえ)』
◎山行日 : 2006. 4.26 (水) 曇り
◎山行条件 : 歩き/単独 Age=59
◎コースの見所 : @芦谷の滝 A
亀ヶ壺の滝
B十三回りから(20)までの間ヒカゲツツジの群生又は点在
C3町境界北側アケボノツツジの群生又は点在 (他所にも見る)
D(16)から(20)まで北側の展望と岩稜(696m尾根から南の展望)
E
亀ヶ壺と芦谷の清流と川相
F芦谷の中盤下流から見られる道の石垣(倒木が目障りなるも)
◎走行距離 : 往路 51.6km 往復 102.7km
播但道 : 福崎北LP往復(450円×2=900円)
自宅発(5:55)〜明姫ロード〜播但道〜福崎北LP(6:34)〜R=23西進〜前之庄交右折〜
R=67〜河原口B・S右折〜1・ログハウス(7:09 発7:34)〜2・砂防ダム(7:43)〜
3・芦谷の滝(7:52 廃屋7:55)〜4・枯れ谷(8:14)〜4−1・(8:17)〜
4−2・廃屋(8:21)〜亀岩(8:24)〜5・
亀ヶ壺(8:33 おやつ 発8:47)〜
滝の頭(8:56)〜6・(9:09)〜7・(9:18)〜8・(9:28)〜9・十三回り(9:40 発9:46)〜
10・3町境界(9:58 発10:05)〜11・(10:34)〜12・
亀ヶ坪(10:39 発10:50)〜
13・(11:00 発11:07)〜14・(11:14)〜15・(11:19)〜おにぎり(11:23
発11:35)〜16・(11:40)〜17・(11:57)〜696m(12:07)〜引き返し〜
17・(12:26)〜18・(13:09)〜19・(12:59)〜20・峠(13:13 休み
発13:34)〜21・(13:41)〜22・(13:55)〜23・(14:07)〜24・(14:31)〜
25・一輪車(14:54)〜26・コンクリート橋(15:10)〜27・枯れ谷(15:18)〜
28・砂防ダム(15:22)〜3・芦谷の滝・廃屋(15:28)〜
1・ログハウス(15:47 発16:00)〜往路〜自宅(17:20)
※芦谷の下りポイントと通過タイムについて
倒木が出るし谷筋の下りと言う事で現在地の確認及び状況説明が極めて曖昧な内容になっている。但し、合計所要時間は正確です。
本来なら「G・Wに歩ければ・・・」と思っていたが、思わぬ休暇が取れたので迷わずこのコースに向かった。多くの人が
「亀ヶ壺へ・・・亀ヶ壺へ」と向かうのを知って「私は何時になったら行けるだろう・・・」と思いながら、その時を待ち、その時はどんなコースを設定して歩こうかと考えていた。コースbR71で高潮田へ下った時の破線がどうしても確認したく「それなら逆から辿ってみれば確実に確認出来るかも・・・」と、思ってこの様なコースが出来た。3町境界にも立てるし、我ながら満足、満足。だがしかし、かなり大きな不安を持っていた。芦谷の下り終盤の崖マークに歩ける道が在るかどうか・・・。
何時に無く気持ちが高ぶってか当日は5時に目が覚めた。こうなったら「早立ちしよう」と布団から出た。河原川にはキャンプ場先までは入ったことが有るがそこから上は「未知の道」とは言っても今日は「やまあそ」のHPを下見していたのでログハウスまではそれを目指して走った。清流と道の両脇に咲くヤマブキの花と木々の新芽に心も瑞々しく癒される思いがした。遠くて、不安になるほど走って一番奥のログハウスに着いた。 1・ログハウス(7:09) ○○様所有でどうやら不在のようであった。左カーブの所で道の上に杉が倒れ掛かっていた。車の屋根に箱を載せていて、それでも通れなくは無かったが車を置くことにした。地図で言うと、河原川の「川」の字の辺りと思う。

これから歩き始める林道の方からログハウスは橋を渡って東側に多く建っていて
大小合わせて十数棟は建っていたと思う
私に対してか、何処かの家から絶え間なく犬が吠えていた。 発(7:34) 左へ回り込むと左は崖になった。林道は続いて車がかなり通っているのが分かった。川向こうの山肌は垂直で50mは有ろうかと思う断崖が出る。すると間もなく、その崖の下に砂防ダムが在って、水は最下部の水抜きから出ていてた。ダム上部は土石が溜まって広い平地のようになっていて水は見られなかった。「やまあそ」が車を止めた所だ。 2・砂防ダム(7:43)
水が現れて間もなく、左の深い谷筋は流木が流れ出ていて少しばかりの水が流れていた。林道は続いて、間もなくコンクリートの橋を渡る(私の地図に橋マーク無し)何を観測するのか「橋の端」に小振りの百葉箱が設置されていて、配線が地中に入っていた。橋を渡ると、これまた右が測り知れない高さの断崖、その裾に道が付いている(崖を削岩して付けたのだろう)その崖に何とかへばり付いて生き、生長していた木やギボシ・ヒカゲツツジの類が道に落下して道を塞いでいた。しかし、誰かの手によって人なら通行できるようになっていた。
間もなく左に滑ら状の芦谷の滝が見えてきた。落差は20m位だろうか・・・。地図ではこの滝に沿って破線が付いている「この滝の何処を通って下ってくるのか・・・疲れているだろうに、果たして歩ける道が付いているのだろうか・・・」第一の不安が的中したかに思った。滝から目を展じると林道の先に建物が目に入った。近づくと例の廃屋でそこから滝の在る左の谷へコンクリートの橋が付いていた。「これが破線の道か」不安は和らいだ。 3・芦谷の滝(7:52 廃屋7:55)

落下した木等で塞がる道 (3)廃屋:左の橋が芦谷への入り口廃屋の右を通過して奥へと入る
芦谷の滝:実物はかなり迫力がある
行政の案内板が立っていて「亀ヶ壺の滝へ50分」となっていた。廃屋はプレハブ造りで倒壊寸前まで荒れていた。それでも中に入って見ると、お皿や丼椀・汁椀が壊れずに数枚残っていた。さて、ここからがいよいよ本番と気持ちを引き締めて発った。中形の鹿が川を走って横切った。滑らの川床の谷を渡り始める、丁度濡れずに渡れる飛び石状になった岩盤の上を歩いていると右を下にスッテンコロリン、しかしそこは山猿、体を交わして手袋の中に水が入っただけで事無きを得る(運が良かっただけ・・・)。
『以後、川歩きには気を付ける様に』との忠告と受け止め、慎重に歩きながら進んだ。緩い沢上りが続いて、古道は川の右に左に移り付いていたが私は私なりに上って行った。傾斜が緩い所には炭焼き窯跡が在って、しばらくは数えていたがきりが無く途中から放棄した。そして、左右の谷筋には決まって岩塊流が見られ、岩盤尾根が迫り出している所も在る。大水が出た時にはとても歩けないだろうに・・・なんて思いながら上っているといきなり枯れ谷になった。 4・枯れ谷(8:14)
中州も出来ていて、高木雑木帯の一角だった。デッカイ立ち岩も在り、相変わらず緩い上りが続いた。その先で、気に留めていた東の破線谷を見落とすまいと注視していると、確かな踏み跡が付いていた(獣道かも・・・)。 4−1・(8:17) 『これを使う時が来るかも・・・』と思いながら進むと前方に二つ目の廃屋が見えてきた。 4−2・廃屋(8:21) 低い石垣に囲まれた二間半×二間の大きさで屋根、側面ともに波板トタン張だった。窓ガラスは割れ、屋根にはあちこち大きな穴が開いていた。

(8:14) これが有名な滑り台 (4−2)二つ目の廃屋 : 南から
なかなか「亀」が見えないなー・・・と思っていると谷の真ん中に現れた。聞いていなければ亀には見取れない、これは写真の方が亀に似ていた。 (8:24) そこから間もなく谷の上方が明るくなったと思うと滝だった。 5・亀ヶ壺(8:33)
河原口より、東の谷八キロ(徒歩約二時間)の奥地にあり宝暦十二年(1762)にまとめられた「播磨鑑」にも明記され、古くから知られていた。(滝高さ約20メートル、坪深さ約2メートル、幅約3メートル)水が清らかなために、この滝に汚物を投げ入れて汚せば、たちまち水神の怒りを招き暴風雨の災難があるといわれた。この伝承があるために、古くから山之内の各地区から番人が出て滝に汚物が入らないように見守った時期もあった。
河原口B・S近くに立っている「亀ヶ坪」町指定史跡の案内より
水量はやや少な目か、丁度中程に甌穴(壺?)が在ることが分かっていたので左右どちらから上るかおやつを食べながら考えた。左は立ち木伝い、右は岩場伝い・・・。右を選んだ、滑落しないよう3点確保を確実に守って壺の近くに登り、水神様の御機嫌を損なわないように気を付けて流れを横断し、安全な向こう側に立った。勿論、壺の底は波紋で見えなかったがそれがより神秘的だった。

(8:24) 亀岩 亀ヶ壺の滝

亀ヶ壺の甌穴(壺)
滝の頭へは右を巻いて登った、ザレの激登りをしていると左の岩場に段差が見えて、そこに取り付いて回り込んで行く、マーキングも見られたが私は少し登り過ぎていて岩場を下ると横ばいコースに出られ、滝の頭に下った。杉林で平地の部分も在って「宝暦十二年(1762)頃にはここに見張り小屋が建っていたかも・・・」と思いながら壺を覗き込んだ。久し振りに視界も開けて西の608mピークまでが見えた。 亀ヶ壺発(8:56)
滝で一気に高度を上げて再び緩い上りが続く。谷左が高木雑木帯になる。右は岩盤谷が迫り出し其の谷は水気を帯びて光っていた。 6・(9:09) 左深い谷入り口に石に赤ペンキとプラ杭の標しが有り踏み跡も在った。炭焼き窯跡は変わらず続いて在る。 7・(9:18) 左谷筋に、先と同じ標しと踏み跡あり。ここは平地で、波板トタンと陶器のかけらを見かけたから、小屋が在ったと思う。多分、寝食しながら炭を焼いていたのだろう。ふと我に返ると、水量も減り水音も無く、小鳥のさえずりと風の音、自分の息ずかいと共に歩いていた。杉の倒木が出るが支障は無かった。地図で破線が北へ折れる手前位から右山肌へ斜めに上り始めた。杉林の中、十三回りに入る。 8・(9:28)
前方尾根で初めの折り返し、二つ目で岩盤尾根に突き当たると岩盤一帯にヒカゲツツジが群生していた。折り返して着いた尾根で道から左に外れ尾根を少し下って岩頭に立つと、北の谷筋一帯が展望できた。ウグイスが耳が痛いほどの高音で鳴いていた。 (9:32) 折り返しのスパンが短くなって頭上が明るくなり境界尾根(峠)に立った。ここが「十三回り」と言うのか、じぐざぐ登りを十三回りと言うのか・・・。折り返しの数の記録の為、枯れ木を拾って曲がる度に鉈で切り目を入れて数えてみると十回(確信なし)折れて次が峠だった。 9・十三回り(9:40)
現存の道以外に「道跡では・・・」と思う形跡も見たので往時は十三回曲がっていたか市川町側が十三回曲がっていたか・・・。ミツバツツジ・ヒカゲツツジ・ヤブツバキ・アセビが競うように咲いていたが控えめな色のヒカゲツツジに惹かれた。市川町側の谷を巻いて林道が付いていたが谷川も山側も土が崩れて車は通過できない位に荒れていた。左右界尾根に踏み跡は付いていた。

(9)十三回り南から左から上がってきた ヒカゲツツジ
市川町側が開けていたが市街は樹間からチラリと見える程度だった。 発(9:46) 境界に踏み込むと凄く明るい踏み跡(道)が付いていた。小さなコブを越える。左樹間から山並みが見える。次の上り返しから踏み跡は、界から左山肌へ入って行った。安心から不安に変わったが界にも踏み跡は付いていて、雑木帯を難なく上った。頂きに視線を展じた時、ミツバツツジのピンクと違ったピンクの塊が飛び込んできた??。まさか、ここにアケボノツツジ??。上り切って見るとアケボノツツジが群生していた。 10・3町境界(9:58)
それは、どう言う訳か尾根を分けて神河町側だけに生えていた(切れ落ちの山肌にも多く生えている)。この花を初めて見たのは奈良県の白髭岳だった。近場では笠形山でも見られると聞くが見たことが無い。十三回りから七種山へも何時か歩きたいと思っているが、ここから東の界も歩きたい考えているので覗いて見ると歩けそうだった。頂を発とうとした時、頭上の木に大きな羽音がして見上げると、私は見た事が無いし鳴き声も知らないが「のすり『猛禽』」では・・・と思う鳥が止まっていた。「ホホッー・ホホッー」とフクロウのような鳴き声の鳥で中形のカラス位の大きさだった。少なくとも鳴き声の正体は突き止められたがノスリと違うのかな・・・。

(9)3町境界に咲くアケボノツツジ
アケボノツツジは盛りを過ぎていたが散るところまでは進んでいなかった。樹間から神河町側が見えた。 発(10:05) 右が桧林になって用を終えた鹿網に沿って下る。小さなコブに乗ると、より展望が良くなって、寺前市街と城跡・八幡山から入炭山・大嶽・笠形山等も見えた。 (10:13 おやつ) 開きが在って楽に進め、右鹿網から外れて短急登に入り上り切る。 11・(10:34) 途絶えていたヒカゲツツジの群生が切れ落ちの北面に出る。左は桧林。ヒカゲツツジに沿って上り切る。 12・亀ヶ坪(10:39) 北東尾根に踏み跡在り、少し下って見たが続いていた。 発(10:50)
尾根北面にアケボノツツジが点在していた。ヤブっぽくも上り切る。 13・(11:00) 展望無く少し行き過ぎて引き返すも界を確認できず、念のため木に登る。平石山から高星山・大田池・bR71尾根等などが見えた。 発(11:07) 少し下ると左赤松林になって、その樹間に七種山が覗いた。次上りから右桧林で界は明るく開けた。 14・(11:14) 左赤松林は続いて下り切る。 15・(11:19) コルには北側から太い桧や杉の倒木(生きている)で完全に塞がった。おまけに急登の上り返し。それを巻き、乗り越えて進んだが力尽きておにぎりタイムに入った。倒木も上手い具合に腰掛になり展望台にもなった。 おにぎり(11:23)
倒木の上に立つとbR71の△僧屋敷から一部途切れるが高朝田に下った峠までと下った谷筋の殆どが展望できた。やはり、米を食べなくては腹に力が入らん。 発(11:35) 四国五葉の太い松が倒れて枯れていた。それらを越えて上り切る。 16・(11:40) 細い尾根を進んでいると先方の木にオオルリが止まった。何とも神秘的な色、今までに五回位見ただろうか・・・。右側崖と呼ぶに等しい凄い切れ落ちが続く。岩稜を上って 17・(11:57) やれやれと思いながら横ばいを進む。左が開けて十三回りから七種山へと、辿って来た尾根が見えた。

(16)からの展望手前尾根右端僧屋敷・689m・大戸の東ピーク・678m左端(19)
サテ、下り地点は・・・そこで、進みすぎて696m地点に居る事が分かった。南尾根も歩けることを確認して引き返す (12:07) 北に尾根らしき所を見つけてマーキングをしたが確認のため更に引き返して見ると、マーキングは界より西に外れていてマーキングの回収に入る。(696m地点へは立ち寄る価値は十分にある)元に戻って下り始める。 17・(12:26) 直ぐ尾根が現れて、右に崖岩頭が在り、短いが急下りで右に外れる「疲れているがどうする・・・」思い切ってそこに立つと峠への尾根から上写真に続き東も全開。
峠への尾根奥に白い壁が在り??それは「やまあそ」が歩いた「禿げの行者」の岩場だと思った。尾根に戻って下る、踏み跡は続いて快適に進めた。右は崖が続いて、尾根岩稜や大立ち岩の連続は殆ど左を巻いて進むしか方法が無かった。 18・(13:09) 振り返ると先ほど立った崖岩頭肌にアケボノツツジが点々と咲いていて若か緑の中にピンクの斑点が美しかった。次こそ、次は、今度は・・・と思うもなかなか峠に着かなかった。岩稜帯から抜けて上りにかかる、右斜め前にアケボノツツジが点々と咲き、それを経由して正規尾根に戻る。又も岩稜帯になって上り切る。 19・(12:59) 展望なし。
方向を確認して下る。快適な尾根も疲れあり。しかし、前回確認できなかった地図の破線道を見落とすまいと右山肌を注視して進んだ。そして、やっと二本のマーキングと「腰掛け石」が待つ峠に着いた。 20・(13:13) 一息ついて、見つからなかった破線道の探索に引き返した。神河町側山肌を探したが形跡は全く見当たらず。「激急斜面に道の可能性は無し」と山猿判断を下した。前回下った道が尾根越えの破線だと思う。

(20)破線峠南から 左写真の扁平の石
(15)地点先で半分残した10年近く振りの手作り弁当をたいらげて、山の精・木の精・風の精に身をまかせ、しばらく放心。 発(13:34) 夢前町側道跡無し、混生林を下り始める。初め地肌も直ぐザレになり、ズルズル下ってガレになり谷筋に着く。 21・(13:41) ここで水が湧き始める。自然林帯で頭上も周囲共に明るい。早くも炭焼き窯跡が出る、多目の水溜りの所でビックリ「アブラハヤ」が数匹泳いでいた。水が枯れる所が長くある谷筋なのに・・・自力でここまで遡上して来たとはとても考えられない条件なのに・・・。もしかすると炭焼き人が何かの目的で放流したかも・・・とも想った。
右に深い谷筋。 22・(13:55) ここは谷の右に平地に近い開けた所が在り、窯跡とは違う石垣が残っていて建物跡のように想う。谷川と呼べる水量になる。川床は岩盤が続くも「深い谷」とは感じなく下る。左右の谷に石垣が在った。 23・(14:07) 丸太橋を支える橋脚部と想えたがスパンは約8m。川床は一時砂利に変わる。川に沿って道のためのしっかりした石垣が点々と続く、道幅は約1m荷車が通れる幅。 24・(14:31)

(22)開けた所の石垣下流から:813:52) (14:02)時点の川相アブラハヤが生息
「これはこれは楽チンや」と、思う間もなく前方に杉倒木、道と谷を塞いでいた。倒木との戦いの始まりだった。二羽目のオオルリを見る。倒木を越えたり潜ったり、谷川を歩くと倒木と川とに隙間が出来ていて意外と楽に進める所もあった。現在地確認どころでなく、ただ倒木帯を通過する事に集中していた。倒木帯から抜けて道に復帰して下っていると、広場が在って特製の一輪車が転がっていた。 25・一輪車(14:54) 170×60cmのサイズで炭運搬用だろう。ここから先は道が無くなっていた(断崖で道が付けられない)からここは炭の一時集荷場だったと考えられる。

(24)先から始まる倒木(14:22) 上流側から右が谷川

一輪車の下流の石垣高さは2m余り? 一輪車先の道(15:23)
道は続くと思っていたがいきなり途切れてしまった。広い幅の道は、左右高い崖に阻まれてどうにも付けられなかったのだろう、左の崖下に、人がやっと歩けるだけの道が付いていた(上写真)ここから先は少々危険な個所(岩場)も通過して右に落差3m位の滝下で川を渡る(昔は橋が付いていたと想う石垣が在ったかも)。石垣は流されて消えたり現れたり・・・何度目になるだろうか・・・谷川を歩いて下る、頭上を雑木若葉が覆い薄暗い岩盤谷川を下る。谷は間もなく深く切れ込んでいく、その右岸を下っていると谷を渡るコンクリート橋が付いていた。 26・コンクリート橋(15:10)
高さ20mは在ろう滝の頭だった。左からの大岩盤崖尾根を削岩して道が付けられていた。その直ぐ先では目を疑うほどの大石垣、まるで城郭の石垣だった。左山肌に沿って高3〜5m位で長く延びていた。先端から対岸へ橋を架けていたようで対岸の石垣はもっと高かった。先端まで行くと下れそうになかったので手前の、石垣が崩れた所から谷川に下った。これだけの大工事をするだけの価値が何処に有るのだろう・・・。炭・材木の搬送だけではとても採算が合うものでなかった。
コン橋先の大石垣・下流から(15:15) (27)枯れ谷上流から(15:18)
右岸に石垣は残っていたがやがて消えてしまった。道、石垣は何処へ・・・不思議に思いながら下っていると水が消えてしまった。 27・枯れ谷(15:18) 右から岩稜尾根が迫り出して来ていた。その尾根を回り込むと下方に砂防ダムが在って消えた水の原因が分かった。ダムにより土石が堆積し、それに吸収され、道はその土石によって埋もれてしまったのだろう。ダムの左よりダムを越える(道は無い)振り返ると、特に右尾根はもの凄い岩尾根だった。28・砂防ダム(15:22)
やがて道(林道)に乗れ、左右植林帯になり、難なく下れた。植林帯から抜け、谷は右下5m位を保っていたように思う。私は惰性で下っているように思った。左植林帯に戻って、深くなった谷の大岩は丸みを帯びて滝が続き芦谷の滝の頭から左に回ると廃屋が見えてきた 3・芦谷の滝・廃屋(15:28) 今日歩いたコースも想い出しながらひたすら下って車に着いた。 1.(15:47 発16:00)
※追記 「やまあそ」からの情報
@芦谷のことを「ト谷」とも言う
(私は芦谷の名を兵庫登山会の案内板より知った「3地点にて」)
A芦谷の何処かに坑道が在り調査する計画があった
(私はこれを知らなかったが下流域の道は鉱石運搬用の道だったのだろう)
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