12

10
11・
柳谷
797.5m
5滝

高朝田

13

17

21・大戸・660.0m
30

23・24

22
371  柳谷〜僧屋敷〜大戸



久し振りの神河町。△入炭山か△柳谷か迷った後の行き先は柳谷に固まった。

見上げる空はウルトラ快晴、心弾んで神河町。

R=80走りながら歩く界尾根見上げれば、険しく切り立ち手応え十分。

二度目の道標新たな発見、それでも「左・・・」は未だ読めず。

ワクワクしながら柳谷、遮るもの無き頂は東西南北全開だった。

進む尾根も意外に開け、距離が稼げて△僧屋敷。

少し下った東の崖にへばり付いてるヒカゲツツジは蕾も見ない花未だ遠き。

西に雪彦、東に笠形、かいま眺める山並み幾重。

界尾根越える破線の道とは異なる方向北への道に入ったまでは良かったけれど・・・。



宮野地区〜宮野掛ヶ谷(宮野地区西の破線谷)〜水力発電所跡〜掛ヶ谷の滝〜

掛ヶ谷の貯水池〜西の谷上る〜夢前・神河町境界南進〜

柳谷(やなぎたに)797.6m四等〜僧屋敷(そうやしき)683.3m四等〜689m〜

大戸(おおど)660.0m四等〜678m〜高朝田(たかちょうだ)地区へ下る。




◎所在地 : 神河町宮野・高朝田地区と夢前町熊部地区の町境界尾根

◎地形図 : 2万5千図 『寺前(てらまえ)』

◎山行日 : 2006. 3.20 (月) 快晴       

◎山行条件 : 歩き/単独     Age=59

◎コースの見所  : @水力発電所跡  A掛ヶ谷の滝  B掛ヶ谷の道標 

             C△柳谷360度大展望  D△僧屋敷先の崖・岩稜・ヒカゲツツジ

             E尾根から点々と覗く不行岳(大天井)と地蔵岳

◎走行距離 : 往路 @55.5 km  A57.0  往復 110.8km

              播但道 : 神崎南LP往復(750円×2=1500円)



自宅発(6:24)〜加古川・姫路B/P〜播但道〜市川SA(7:17〜7:22)〜神崎南LP〜R=8

〜1・高朝田(7:40)〜2・宮野地区(7:45〜発8:10)〜3・水力発電所跡(8:24)〜

谷渡り(8:26)〜4・ザイル岩(8:35)〜5・掛ヶ谷の滝(8:51)〜6・道標(8:58)〜

7・突き詰め(9:05)〜8・貯水池(9:16)〜9・(9:23)〜10・町境界(10:14 探索 

発9:40)〜11・柳谷(9:50 おやつ 発10:20)〜12・(10:35)〜13・朽ち大木(10:33)

〜14・峠?(10:40)〜15・(10:50)〜16・僧屋敷(11:08 おやつ 発11:20)〜

17・(11:46)〜18・(12:03)〜19・(12:12)〜20・(12:15 おにぎり 発12:35)〜

21・大戸(12:50 発13:00)〜22・(13:08 発13:16)〜コル(13:24)〜

23・(13:31)〜コル(13:39)〜24・(13:47 探索 発13:57)〜25・678m(14:16)

〜26・峠?(14:26 発14:35)〜27・下り始め(14:55)〜28・(15:12)〜

29・林道終点(15:18)〜30・養鶏所跡?(15:25)〜1・高朝田(15:34)〜

2・宮野地区(15:44 発15:58)〜往路〜自宅(17:20)



妻が重度の坐骨神経痛(素人所見)で歩行もままならぬ状態(お蔭様で3月25日現在ではほぼ通常に戻っている)で山歩きが出来なく、今日も単独になった。そこで、何処に行くか迷ったが旧大河内町と神埼町との境界に在る△入炭山から境界尾根を南下して尾切れとなる△大嶽までか、今日歩いたコースにするか前日まで迷った。播但道を走っていいると、余りにも七種山山塊がスッキリ見えたので市川SAに寄ってしばらく眺めた。

その後、歩くだろう界尾根を眺めながら下山地点の高朝田地区に向かった。橋を渡って谷筋の実線に入ったが集落の外れで直ぐに地道になり、鹿除けゲートに突き当たった。ゲートは簡単に開けられたが車の乗り入れを断念して最奥の民家の納屋に自転車を置かせてもらった。 1・高朝田(7:40) 折り返し、前回と同じ宮野橋の空き地に車を置かせてもらう。 2・宮野地区(7:45) ここは、川向こうに立岩嶽が見事なまでにそそり立っているが何回も見るとやはり威圧感も感動も薄れてしまう。今度は立岩嶽に対峙した△僧屋敷の東の切り立った崖が気になり始めた。 発(8:10) 

最後の民家に住民(60歳代男)が居られたので『この道を上ると熊部へ抜けられると聞いているのですがその道をお知りでないですか』『私には分からない』との事だった。谷は2度目なので余裕を持って入って行った。 3・発電所跡(8:24)〜谷渡り (8:26) 季節的には前回と変わりないが変わった事と言えば「雪が無いこと」だった。崖の下を通過して、ガラ・ザレ道になって倒木と大岩に行く手を阻まれる、ここはそれなりに上へ上ると直ぐ道に合流する。 (8:31) 

険しい地形になって谷側が崖になる。間もなく右へ踏み跡が入っていた。右が明るく開けて大岩壁が見える。高さは何十メートルあるだろうか・・・今日はその大岩壁に3本のザイルが垂れていたので近づいて見ると、頂上近くに小さく見ても直径30cmを越していると思うスズメバチの巣があった。先ほどの踏み跡はクライマーの道かと思った。 4・ザイル岩(8:35) そこを発つと、道の一部に石畳を見る。左崖下から滝の水音が絶えない。どんな姿の滝なんだろう・・・。そして危ない箇所を上り切る。 (8:40)

  
(4)辺りの大岩壁下方右寄りにザイル  (5)掛ヶ谷の滝

上り切ると今までの険しさから楽しい谷筋歩きに変わる。滝の水音も遠ざかって、周りの木々に早春の息吹を感じながら谷川に並行して横ばいに進む。滑ら滝も続いたりするが所々で倒木が谷に倒れ掛かっていた。次第に傾斜が増して谷から離れるが道は明確で何の心配も無く歩ける。道が右に折れて太い樅の木が目に入ると左下前方に滝が現れる(上写真)。瀑布は3段で、二筋、二筋、一筋になって落ちていた。滝はわずかながら緑が目立って趣きも良くなっていた。

今日は休むことなく写真だけ撮って通過した。 5・掛ヶ谷の滝(8:51) 左は崖、右は岩場で谷筋を回りこむが道は横ばいで進む。やがて杉林に入って行くと道の左の杉の根元に例の道標がもたれ掛かっていた。 6・道標(8:58) 今日は表面も乾いていてよりハッキリと見えた。「右 山三千 左 ???」左???に頭をひねっている時、ふと気が付いたが「右」の字の下に前回(’05.12.10)は全く気が付かなかった指を指している浮彫を見つけた。前回は勝手に「左 熊部」と紹介してたが、そうでもなさそうで、一体何と言う字が彫ってあるのか未だに見当が付かない。

  
(6)道標左の「熊と部」は漢字の変体文字で全く読めなかったが「熊と部」であるらしい
高さは45センチ
右と山の字間には指差しと想う浮彫が見られる。
(4月16日 「やまあそ」からのメール)あの道標から左に入るのが正規の峠道のようです。
それと彫られている文字は『左 ごんげん 右山ミチ』です。権現とは雪彦山の中腹にある賀野神社のこと。


3ヶ月振りに見つかった愛用のボトル

判読をあきらめて先へ進み、杉林を抜けて谷川を渡る。 (9:02) やや道が悪くなって岩場に突き当たる。 7・突き詰め(9:05) ここは岩を伝って、少し怖い思いをしながら谷川を渡り上って行く。池の下の谷川で「カワガラス」が飛んだ。今日も冷たい風が吹き降ろし、間もなく池に着いた。 8・貯水池(9:16) 今日は寄り道も無く界尾根の谷へ入った。そして、前回おやつを食べた所で、前回縦走終盤「△日和」で落とした事に気が付いたボトルが倒木の下に落ちていた。倒木を潜る時に引っかかって落としたか・・・。 9・(9:23) 中に残っていたお茶は凍っていた。

倒木の下枝を切り払い、潜ったり上を越したりしながら上る。界近くに在る薄氷が張った水溜りに「ヒキガエル」が卵を産んでいて、その中にヒキガエルが潜んでいた。自然界に生きる物の強さを見た。そこから界尾根は見えていた。 10・町境界(10:14) 早速夢前町側の植林に踏み入って、前回は雪で分からなかった、ここから熊部地区へつながる道(在ると思っている)の探索に入った。北へ南へと探したが結局見当たらなかった。 発(9:40) 今日は巡視路を南へ進む、急登の植界を1段、2段と凌いで上っていると禿げ地に建つ鉄塔が見えて来て上り切る。 11・柳谷(9:50) 今日一番のお楽しみポイントに挙げていた地点だった。

見える見える「まさに360度展望とはこの事や」と思い、おやつを食べながら眺めた。数えれば限が無いくらいの山座同定ができた。北の山間に暁晴山・西に振ると不行岳と大天井と地蔵岳・その左にウリュウド・山肌を上下2分する形で林道が横断している。南には何処から見ても実に見事な山容の明神山や七種山山塊。その奥、海の上に家島諸島。東に振って明石海峡大橋の主塔・六甲連山・笠形山から千ヶ峰(手前の山々も)この後たどる尾根を確認しょうとするが (13) から△僧屋敷先まで位が前山に隠れて見えず同定出来なかった。


(11)△柳谷からこの後辿る方向を眺める(678m地点は不明確)

△柳谷の石標は最高点に生えるススキに囲まれて立っていた。山頂の状況は地肌が見えていて、背丈の低いシキミが南面180度に沢山生え(植えられたと思う)サルトリイバラが一面に張り巡って、アセビも点々と生えていた。 発(10:20) 進む方向にも巡視路が在って難なく進めた。 次のピークの左下を通過していたので「巻き道」かと思って歩きかけていたが「界を外れて何とする」思い直して尾根に乗る。 12・(10:35) 頂で方向を確認している時、気が付いたが巡視路は貯水池に下っている道だった。

少しヤブっぽい下りも直ぐに開けた。左は自然林右杉林、横ばいから下っていると右杉林に何の木か分からない(ミズナラかも)が朽ち掛けた、周りが4抱えは有ろう木が立っていた(根元から3m位)。 13・朽ち大木(10:33) 左が切れ落ちの自然林も杉林帯になって薄暗くなる、尾根が無くなりより慎重に方向を定めて下った。コルに着くと両町の山肌に逆戻りの形で「明らかに道」と思える道が付いていた。 14・峠?(10:40) 

帰宅してから“やまあそ”が何時か△僧屋敷を踏んでいたことを想い出してHPを見ると’04.5.28に南の谷から現地へ上がって来ていて「道が在る」と記していた。思いは同じだから旧峠道かも知れない。夢前町側はどうやら道の名残が在るようだけど神河町側は・・・切れ落ち山肌に道??後日地図を見ているとハッとひらめいた事があった。それは『こんな急斜面に道など』と思っていたが (6) 地点の石標と繋げて見るとこの地点が尾根を越えるには一番適していることが分かった。

もう一点は道標の所で、前回も気になりながら探索をしなかったが道標から谷川に向かって長くはないが石垣を見ていた。もしかするとそれは道の石垣だったとすれば道が繋がっていて、峠の可能性は高くなる。もう一点は聞き取り調査の時『熊部へは左の谷へ入って行く』とも聞いた記憶がある。これが『熊部へは道標から左の谷へ入って行く』だったとすれば間違いなく (14) 地点は峠と言うことになる。更には道標が「左 ・・・となっていたこと」


当初は貯水池から西の谷(左の谷)と思い込んでいたが上記が正解かも知れない。左右桧林のコブを越えて行く、次第に左右共に切れ落ちとなってシイの木だろうか株立ちが目立つ。 15・(10:50) 尾根肩から△僧屋敷が覗いた。倒木が出始めるが苦になる程のものでなかった。左足元から切れ落ちる凄い斜面に生える樹間が開け、先ず△南小田ーTが目を惹いた。その右下為信地区へ下る峠、一番奥に△平石山から△高星山の水平尾根、その右に八幡山から高畑山・白岩山辺りまでが見えた。デッカイ株立ちのシイが倒れていて大きく右を巻いて通過して上りにかかる。 (11:04) 左疎林の桧林になって上り切ると展望無き△僧屋敷に着いた。 16・僧屋敷(11:08) 

  
(15)先から北の眺め中最奥平石〜高星 △柳谷:南から  △僧屋敷:南から

△僧屋敷から北東の植界尾根が明るく開けていて、うっかりしてると誘い込まれそう。東面の山肌は自然林で切れ落ちていたが視界が塞がっていて状況は掴めなかった。北から冷たい風が吹いていたが冬の冷たさでなく、おやつを食べて発った。 発(11:20) ヤブっぽい短い中下りをすると尾根が開けて岩稜(左崖又は切れ落ち)に変わった。アセビが今にも咲きそうなところまで蕾を膨らませていた。裸木の間から△僧屋敷の北東から東に「への字」に折れる尾根が見えた。それは物凄い岩場・岩稜で、スタート地点の宮野地区から見上げた険しいピークの裏側だろう。その奥には霞んだ笠形山の稜線が見えた。

 
△僧屋敷の先の崖から覗き見の北東尾根の岩場

やがて。最大の岩場(崖)に差し掛かった。垂直の崖にへばり付いた群生のヒカゲツツジやドウダンツツジは崖に対して水平に幹と枝を出していたが蕾は未だ見られなかった。右桧林の界は「山深い尾根なのになぜ」と思う開きが続いた。そんな所から下っていると、右桧の間から大天井が見えた。コルからの上りは尾根左下10m位まで自然林が残されていたが他は植林帯だった。短いながらつま先上がりで上り切る。 17・(11:46) 

下っていると、ここからは不行岳・大天井と地蔵岳が見えた。左の切れ落ちは続いて樹間から高朝田地区が覗いていた。2段の急登も右に不行岳・大天井と左に笠形山までが見えて疲れも和らぐ。 18・(12:03) 自然林に変わって株立ちのシイ・コナラ・ヤブツバキ・ソヨゴ等の混生が続いて 19・(12:12) ここでいきなり柴ヤブになった 南西尾根に乗らぬよう注意しながら界尾根を少し切り開きすると元の開きが出て、間もなく右の幼木植林帯に下刈りが入っていた。見渡す限り深い谷筋、険しい山なのに作業者は何処から上がって来たのかそればかり考えながら進んだが、この下刈りが入っていなければヤブ尾根だったと思う。

右幼木帯の上から不行岳・大天井の左右前後の山が丸見えになって、それを眺めながらおにぎりタイムに入った。  20・(12:15) 後ろから吹いていた冷たい風もここでは途絶え、不行岳の左後方に大きく居座るウリュウドは見応えがあった。今後5年、いやいや3〜4年もすれば△柳谷以外では不行岳・大天井等の左右前後の山が丸見え展望は植林が成長して得られなくなるだろう。 発(12:35) 

 
(20)から中央不行岳(後ろに大天井)地蔵岳  △大戸:南から
左台形はウリュウド

 丘コブを越えて下っていると右下からミシミシ・バキバキと獣だろう歩く音がして息を殺して様子を伺ったが姿を見ることは無かった。遠望では七種山山塊の奥に明神山が覗いていた。コルからの上りは露岩が出、下刈りも続いて上り切る。  21・大戸(12:50) 豆マイナスドライバーが落ちていた。 太い樅の木が数本生えていた。展望は辿って来た方へ少し戻れば不行岳の左右前後の山が見える。方向を確認(南小尾根も誘われやすい)して発つ。(13:00)右桧林で視界は塞がるも難なく進めた。 22・(13:08) 

東の尾根に岩場を見つけ、早速探索に入ると岩場にヒカゲツツジが生えていて北の視界が開けた。南小田ーT〜Uまで、その奥に△平石山からR=39へ落ちる界尾根。その尾根に飛び出る天狗岩が肉眼で確認でき、更にその奥に達磨ヶ峰も見えた。元に戻って急下りを開始。 発(13:16) 10m位下った所で方向を確認すると「時すでに遅し」方向を間違って東に下っていた。そのまま西に振れば良かったがマーキングをしていたので、それを外す為に上り返す。上っていると県内では滅多に見られない「四国五葉の松」が生えていた(幼木)

(22) へ上って直ぐ右へが界尾根だった(ハッキリしてない)。コルへの下りは私の苦手とする尾根から外れるパターン・・・。何度も地図を見ながら下って、ここは上手くコルに着いた。 コル・(13:24) 右杉林で植界の短急登、上り切って横ばいで尾根先へ進むと、太い赤松帯で切れ落ちていた。  23・(13:31) 方向決めがチト難しかったがコルに着いた。 (13:39) 峠の様な雰囲気を感じたが峠でもおかしく無い地形だ。疲れもあってか、ここからの上りで今日最大の苦戦を強いられた。中程で東山肌に明らかに人の手による切り開かれたトラバース道が在った。「オッこれは助かる」と思ったが我慢して界を辿った。振り返ると樹間から (23) 地点が見えた。 24・(13:47) 展望無し。

疲れもあってどうするか迷ったが「一期一会」西の開けた尾根の探索に向かった。雑木尾根で視界は閉ざされていたが「先端まで行けば大展望があるかも・・・」と期待をして進んだがなかなか展望が無く、尾根先から少し下った所で樹間から北が開け△大戸から689m等が見えた。元に戻って 発(13:57) 少し進むと左に大きな岩場(崖)が在ってそこから展望。右に先ず気になる高朝田へ下る破線谷を見たが等高線通りの道が在るとは考えられない激斜面、その裾に高朝田と寺前地区が見え、寺前城跡の尾根、その奥に入炭山から大嶽、その奥に笠形山から千ヶ峰までが見えた。

(24)先の崖からの眺め
手前の谷を下って高朝田地区に着いた。奥左端
千ヶ峰・右端笠形山 

岩稜が続いて緩く上って行くと右に又もや不行岳の左右前後の山が見えた。岩稜が続いたままで岩頭ピークに着いた。 25・678m(14:16) コンクリートと今まで1、2度見たかのアルミ製の杭が立っていた。この時点では把握していなかったが「やまあそ」はここから南西尾根を下っていた。その尾根は見える範囲少なからず植林帯尾根に倒木を見た。ガラと言うか岩盤と言うかそんな所を下っていると小さなコブ手前コルで大きなウリハダカエデが倒れていて下枝を払ってなんとか通過した。この辺りから慎重に破線の道を探りながら下ったが形跡も無く、又北側は激斜面でとても道が付けられる様な山肌では無かった。

ガラ尾根を下って行く、前方尾根や山塊を眺めると、これまた右に左にうねって幾つものピークが連なっていた。そして下り切った。峠は・・・峠は・・・と左右を覗きながら進んでいると神河町側に地図とは全く逆の方向にかなり明るい道が引き返す形で緩く下っていた。 26・峠?(14:26) 夢前町側は形跡が無かったことから、ここが地図の破線が越している所かは明確でなかった。今になって思う事は「開きも在ったのに何故もう少し先まで探索をしなかったのだろう」ってこと。

道の方向は逆だったが道の入り口に130×60×15cmの扁平な天然石が下に石を噛ませて水平に保たれていた。「石仏の台だったのか・・・」あるいは休むための「腰掛石か・・・」どちらにしても間違いなく人の手に掛かってのものだった。 

  
(26)南から:左から下って来て向こう側へ下る  (26)北(下る方向)から

夢前町側はヤブツバキが生えていたと思う。 発(14:35) 明るい雑木帯を北向きに緩く下って行った。この道は何処まで続くのか・・・。高度計を見ると600mを指していた。678mピークの東尾根を巻いた先で10m位高度を下げる。先程の尾根下は大きな岩場になっていた。ザレ・ガレ場になって道も曖昧になってしまうが経験と感と状況判断を活かして何とか道を確保?して行く。道?は横へ横へと付いていた。「何で横へ・・・何処まで・・・」と思いながら進んでいると炭焼き窯跡が出てホッ。 (14:46) 

焚き口も天井もしっかり残っていた。ガラ場は何処までも続いた。杉林尾根を通過した。一升瓶が転がっていてホッ。まだ横へと進んだ。下には谷筋が在るので適当に下っても良かったが道らしき跡をたどった。間もなく2つ目の炭焼き窯跡が出た。右下100年近い樹齢の杉林、前方には大きな尾根が迫っていてここで道も消えたかの様に思え、ここから直滑降に入った。 27・(14:55)
 
1つ目の炭焼き窯跡
この後2つ目の窯跡に出会うがほぼ同じ位の形を保っていた

(26) 辺りからだったか左膝に少し違和感が出ていて、それが痛みへと移りかけていた(持病)。道無き杉林の中を滑るように下ったが、炭焼きが行われていた頃にはこの谷にそれに使われた道が在ったと思う。南(右)に岩尾根が続いた。やがて右の谷から水音が聞こえ始めて杉林が消え、大ガレになっていった。何処かに道跡を見つけたいと、注意を払いながら下ったが見つからなかった。

道どころか下れる所さえままならぬ状況になりつつも炭焼き窯跡が出た。炭焼きは30年周期で山を巡っていくと聞いたことがある。つまり、炭にする為に切った木の切り株が芽を吹いて、次に使うまで成長するのに30年掛かると言うこと。点々と在る窯跡は同じ人が木を求めて移動しながら窯を造って炭を焼いていたとも考えられる。1度消えていた水が再び湧き出て、左は急斜面の山肌になっていた。鉈をフル活用しながら下っていると、谷は細く深くなって低い滝の連続になって谷は下れなくなった。

しかし、「どこかに炭焼きの人が使った仕事道がある筈」と思ったから焦りは無かった。谷の右か左か・・・それは、左に在った。今も使われているかの様にしっかり残っていた。道は杉林になってからもしばらく続いたがやがて消えた。左の谷からも水が流れ出て、それに沿って下っていると谷川の向こうに本格的な作業道が出てそれに乗ったが今度は倒木が道を塞いだ。 (26) から下っている破線の谷は確認できなかったがそれの北と思う山肌は倒木の海だった。それを見て、もし破線を下っておれば今以上の倒木に遭っていたかも知れない。 28・(15:12)

谷が合流する所からは傾斜も緩くなって曖昧になりながらの道を辿って下っていると谷向こうに林道終点が見えた。 29・林道終点(15:18) ほぼ地図通りの地点だと思う。ハンターだろう新しい車のタイヤ痕が付いていた。いい加減な時間に林道に出られてホッとしながら下っていると、地図の畜舎マークの所に着いた。 30・養鶏所跡?(15:25) 今は建物も無く、道の左(西側)は大規模な石垣が積まれて数段、右は地均しで6〜7段になっていた。養鶏用の錆びた金籠を見掛けたから養鶏場だったと思う。 

 (30)養鶏所跡を振り返る
正面の山の右の谷から下って来た跡地に生えた茅が刈り払いされている

(1)高朝田地区に下りついた
左手前の納屋の端に自転車をデポ

養鶏所跡からは右の清流に沿って、水音を聞きながら下って、鹿網ゲートを出ると民家が見えて来て自転車デポ地点に着いた。 1・高朝田(15:34) 丁度、自転車を置かせてもらった家のご夫婦が居られて、会話の中で播磨町から来た事や宮野から貯水池への谷を上って・・・等など話して別れして車へ向かったが、夢前町へ山を越す道が在ったかどうか聞き取り調査をすれば良かったと今になって思う。


トップに戻る  歩きの記録に戻る




16・僧屋敷・683.3m
14

@

15
18・689m

20
25・678m→
26
27
29
19
28