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9・西谷
239.4m→


6(212m)→





←妻合流


巡視路
入り口
bR66  西谷(12月24日計画コース)



予報とは、真反対のウルトラ快晴。当初の計画キャンセルで、ならばで決めたこのコース。

アンラッキーかラッキーか長々続く巡視路は整備されてドンドン進む。

後半は巡視路外れて倒木柴ヤブ、コース外すも復帰して時間に余裕の中国道。



香寺町恒屋地区と福崎町高橋地区をつなぐ道〜町境界北進〜212m〜

西谷(239.4m四等)〜町境界北進〜中国自動車道。



◎所在地 : 福崎町の福崎工業団地の西から北西の町境界尾根。

◎地形図 : 2万5千図  『前之庄(まえのしょう)』

◎山行日 : 2006. 1. 1 (日)  ウルトラ快晴       

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : @(9)手前鉄塔から西の展望  A恒屋城跡 

◎走行距離 : 往路 @37.3km  A40.3km  往復 80.2km



自宅発(7:48)〜姫路B・P〜播但道〜船津L・P〜R=81西進〜香寺町広瀬北交右折〜

R=312北上〜高橋交左折〜福崎工業団地縦断〜R〜23〜1.新池・自転車デポ(8:38)〜

R=409〜2・(8:50 発9:13)〜3・(9:31)〜4・(9:43)〜5・(9:50)〜

6・鉄塔(10:00)〜7・(10:08)〜8・(10:16)〜9・西谷(10:25 おやつ 発10:43)〜

10・(10:48)〜11・(10:54)〜12・(11:19 発11:25)〜13・(11:40 発11:45)〜

14・(12:00)〜13・(12:05)〜14・(12:12 おにぎり 発12:25)〜15・(12:33)〜

16・(12:43)〜17・(12:53)〜1・自転車(12:57)〜2・(13:09)〜妻合流(13:20)〜

高橋交〜往路〜自宅(14:14)



ご来光登山は時間が早いので、近年は実行出来ないでいる。今年も例にもれず遅めの出発になった。自転車デポ地点は分っていて、R=312から近道と思える福崎工業団地を縦断してみたが意外と複雑?な道で「間違っているのでは・・・」とヒヤヒヤしながら走り、R=23に出て、中国道の穴門を潜って自転車デポ地に着いた。 1.自転車デポ(8:38) そのまま下ってR=409に出て、昨年の12月24日棚原山に上った時に下見をしていた町境界に着いた。 2・(8:50) 

ついでだから直ぐ南の小ピークに在る△中寺に上りたかったが今日のコース状況が不明で、もしも手こずる事があって、元旦から下山時間が遅くなるとイヤなのであきらめた。 発(9:13) 松に少々の柴が生えていたが下草も無く、上って行くと直ぐに開け、コンクリート標が出た。予想外の開きで元旦から『これはついている』と内心にっこり。上り切って、横ばいに入って間もなく何処からか幅2m足らずの道が出た。しかし、道は長らく使われていなくシダや小松が生え始めて塞がりかけていた。道は界から外れて (3) の西側を巻き始め、道から右に外れて界に乗ったがシダと柴の小ヤブだった。 3・(9:31) 

(3) に上り切ると進行方向から道が来ていた、道と言っても小松が生えて歩き辛い位に塞がっていた。松の小枝を払いながら少し進んでから『もしかすると「この尾根先端に何か祀られていてその為の道では・・・」と思い引き返してヤブを進んで尾根先端まで行って見たが何も無く引き返した。 (9:37) 間もなく (3) 取り付きで別れた道が左から上がって来て先へと続いていた。道は何故か刈り払いされていて遊歩道の様になっていた。左が開ける所では棚原山方面と前方に (6) 地点だろうかヤブっぽいピークが見えた。 4・(9:43)

(4)辺りの明るい道

緩く上り返して 5・(9:50) 明るい道はここまでで道は尾根左上へ続いていたが笹とシダと柴で完全に塞がって歩けなく、界の右に外れて、シダ柴ヤブの少しましな所を探しながら上った。(明るかった道は塞がって間もなくの地点、界左下急斜面で終点)道は、鉄塔を建てる為の資材搬送用に付けられたのではと思う。歩き始めの『にっこり』は何処へやら・・・。先行きを案じながら上り切ると、全く予想していなかった非常に明るい道が左から上がって来ていて進行方向の尾根に消えていた。

妻が上がって来るのを待って道を上って行くと鉄塔が建っていた。 6・鉄塔(10:00) 実は送電線が通っている事を全く把握していなく、ここに来て初めて気が付いた。で、送電線マークを追うと三角点の西寺を通過している「運が良ければ、少なくともそこまで巡視路が付いている」と思った。西の尾根にも微かな踏み跡が付いていた。巡視路は進行方向へ下っていて、それを下る。左は植えっぱなしの桧林、右は混生林。巡視路は最近整備されたのだろう道端の草も刈られて遊歩道の様になっていた。

初めの上り切り 7・(10:08) 2つ目のかかりで左へ巡視路が入り、右前方へ踏み跡が付いていた。短い急登で上り切ると後方が大きく開け、左下は工業団地で同じ色調の工場が立ち並び、遠望では (3・4・5・6) 通過尾根が見えた。空はすっぱ抜けの青空、初日を受け、快適に歩ける道が続いた。そんな時『もし、道が付いていなければ』と思い道の横を見るとシダと柴のヤブが延々続いていた。この道が無ければどれ程の時間を要した事か・・・。『道が在ってラッキー』と思った。最近思う事がある「山歩き」それとも「道歩き」道歩きには道歩きの良さは在るがスリルと緊張を味合うにはやはり「山歩き」に限る。私の言う「山歩き」とはそこに道が在ろうが無かろうが、山を歩く事。

 
(8)手前からの展望・建物群は福崎工業団地  (8)辺りの巡視路・変わらず快適

ほぼ横ばいで 8・(10:16) 道は続く、空は快晴。中上りをしていると上方が開けて鉄塔が建っていた (10:22) 西側のみが開け、展望がきいた。展望していると先行の妻から『三角点に着いた』との声が聞こえた。それは目と鼻の先に在って、石標は道の一部に頭を出していた。展望は無し。 9・西谷(10:25) 良い天気だったが動きを止めると寒く、上着を着ておやつを食べた。 発(10:43) 『少なくともこの先の尾根分岐までは道が在るだろう』と思いながら進む。 10・(10:48) 予想通り、道は右(東)の尾根に入っていたが進行方向へも同じく明るい道が付いていた??。

下って行くと、桧が北から倒れ込んで道を塞いでいて左へ回り込んで通過し、上りに掛かると高木雑木帯になって落ち葉で滑りながら上り切る。 11・(10:54) 道はここから北の支尾根に下っていた。進む方向を確認し道なき山へ踏み込む。と、言ってもヤブでは無かった。コルまで下ると、横ばいで、大きな「アオキ」の群落が在りビックリ!!そこを通過すると、今度は太い「クヌギ」が重なっての倒木と笹ヤブで界尾根が進めず右に巻いて通過したがそれからが大変だった。

急登の大柴ヤブ、久し振りに「骨のあるヤブ」に本気になった。しかし、短時間で突破できた。頂上周りはズタズタになったPPヒモが目に付いたことから何時の時か「マッタケ山」だったことが伺えた、また頂の北面に明らかに「道だった」と想える跡が在った。 12・(11:19) 展望無し。広い平地でここから南の尾根続きに在る「恒屋城跡」に関わる跡かとも想われた。町境界は余り例の無い角度で折り返していて慎重に方向を定めて下り始めた。 発(11:25) 

尾根が無いので不安を抱きながら下っていると尾根が出てホッ。踏み跡は無かったが下草無し、ヤブでも無く順調に下って横ばい尾根を進む。松の朽ちた倒木が目立ち、尾根肩に立つ。 13・(11:40 跡で確認) 『ここから向きを西に変える』と思いながらも決断が出来ず長らく地図とニラメッコが続く、正面樹間からはG場と大倉山が見えた。決断は『もう少し下る』 発(11:45) 高木雑木帯、ここからも木の間からG場の上に大倉山が三角形の素晴らしい姿を見せた。左を見ると、やや上方から尾根が下ってきて終点と思う方向へ滑り込んでいた。

ここで、下り過ぎている事が判明『どうする・・・』時間はタップリ、天気も良し。妻は『引き返そう』と言った。と、言っても下った尾根で無く、アオキの群落の急斜面谷をトラバースして界尾根に向かった。私は先行して界尾根に着いた。 14・(12:00) 界を確認する為に尾根を上った。道だった形跡在るも朽ちた倒木とイバラが多かった。上り切ると見覚えの在る (13) 地点だった。 13・(12:05) この間に頭が丸く尖がった川原石?が数個頭を出していた。稀に見ることがある界標石だろう(高さ10〜15センチ
)。

 
(13)地点から更に下った所から見る大倉山   (13)と(14)の間で見た境界標石

元に戻ると妻が着いていて、おにぎりを食べて発った。 14・(12:12 おにぎり 発12:25) すぐに横ばいになって尾根先端 15・(12:33) 残す所も少なくなり下っていると右の谷に雪が残っていた。ヤブっぽい横ばいを行き中国道の上に立つ。 16・(12:43) 自動車の走行音がうるさくも間もなく竹林になって下り、工場の横に下りついた。 17・(12:53) うららかな天気の中、新池の畔の自転車デポ地に戻った。 1・自転車(12:57) 思えば (13) 前後3段の地形や (15・16) 辺りの幅広尾根は郭跡だったかも知れない。


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