363 大海山〜三組尾

大海山は3回目、三組尾立つのも3回目。それぞれコースは違えども、
数ある中の気に入りコース。今日はのんびりマイカー登山。
西谷地区生活改善センター〜R=293〜林道(西谷アクタ細谷線)〜〜牛坂〜町境界北進〜
3町境界〜大海山(551.8m四等)〜引き返し〜3町境界〜町境界西進〜カバ坂(345m)〜
古道〜牛坂〜町境界南進〜342m〜528m〜町境界から外れる〜
三組尾(みくにお)539.7m三等〜東尾根下る〜行者山(402m)〜富田地区へ下る。
◎所在地 : 丹波市山南町西谷・小畑・富田地区と多可町中区との境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『丹波和田(たんばわだ)』
◎山行日 : 2005.12.11 (日) 曇り一時雪 @’00.10.8(bP80)
A’01.5.4(bQ01)
◎山行条件 : マイカー登山/大柿(C・L)馬場・北村 Age=58
◎コースの見所 : @(6)先から(10)の間の雑木尾根歩き A(7)〜(8)岩場と展望
B行者山(3体の青銅像)
◎走行距離 : 往路 73.0km 往復 145.0km
自宅発(7:12)〜JR西明石駅発(7:55)〜R=175〜小野市天神交8:30〜
山南町井原交左折〜R=86〜R=293〜1・西谷地区(9:19 発9:30)〜
篠ヶ峰林道分岐(9:44)〜2・林道終点(牛坂)10:30〜3・大海山(10:52 発11:05)〜
4・カバ坂(11:35 発11:38)〜茶店跡〜2・林道終点(牛坂)11:55 おにぎり 発12:05)〜
5・(12:30)〜6・528m(12:52)〜7・(13:05)〜8・(13:31)〜9・(13:47)〜
10・三組尾(13:57 発14:04)〜11・(14:28)〜12・402m行者山(14:42 発14:52)〜
13・富田地区(15:15)〜1・西谷地区(15:57 発16:07)〜往路〜
JR西明石駅発(17:55)〜自宅(18:26)
11月20日を過ぎたある日、マイカー登山の藤原さんからTELが入った。話は担当仲間の杉本さんが当分の間休会されるとの事で、私にピンチヒッターのお願いだった。もちろん快諾で、計画したのがこのコースだった。参加者は皆で4人だったが、生田さんが自治会の年末一斉掃除が入っていてキャンセルになり、3人になった。明姫幹線を走ってセブンIで馬場さんと合流して駅に着き、少し待って北村さんも揃って発った。
何時もは中道で神出まで行くが今回はR=175を走ってみると、以外に空いていて気持ちよく走れた。山南町のR=293から五ヶ野地区の方に入ってしまい少し遠回りして見覚えのある西谷地区に着いて「生活改善センター」の少し先の広場に車を置かせてもらった。気温はかなり低く、山並を見ると天気が気になる様相の中、支度を済ませ発った。
1・西谷地区(9:19 発9:30) 多くの家の軒下に、草の根の様な物が帯状に干して在り、皆で『これは一体何で、何に使うのかなー』と思いながら見た。篠ヶ峰林道分岐を通過して間もなく鹿網ゲートを通過する。
舗装路から地道に変わって初めのピンカーブの所に石標が建っていて「西谷アクタ細谷林道・工期昭和54年〜57年・総工費1.4億円」当時はこれだけの工事がわずか1.4億円で出来ていたのかと価値の違いの大きさにビックリした。大きな谷筋には夫々名前が表示されていて次第に高度を上げて行く、この林道歩きが意外と長く、やっと終点に着いた。
2・林道終点(牛坂)10:30
いつもの様に採鉱穴を覗き見てそこから上り始めた。左雑木右桧林の植生は変わりなかったが下草も消えて凄く歩き易くなっていた。とは言え、急斜面は変わりなく続き、振り返ると、馬場さんはいつの間にか杖(木)を突いていた。それなら「モット良い杖を」と本格的な杖を作って提供、北村さんにもと思い『杖要りますか』と尋ねると『有れば良いな』さっそく見立てて杖を作って渡した。1段目上り切る、2段目上り切る、これで終わりかと思いきや上りは未だ続いた。桧との植界と別れて歩き易い雑木林になり、傾斜も緩くなる『これで上り終えた』と思っていると又上りが出た。「記憶の曖昧さ」を思い知った。
そして上り切ると、今度は本当の「上り切り」で3町境界だった。’01.5.4(bQ01)にカバ坂から上った時に付けた、カバ坂へ下る方向を示したプレートが残っていた。が現在地が確認できて無く『このプレートは取り付けた位置が変わっている』と判断して、それを外して持って△大海山に立った。
3・大海山(10:52) ほぼ計画通りの時間に立っていた。

(3)大海山南から
偶然鉈と外したプレートが写っていた(左端)左馬 右北 石標北足元
大海山に2回立って2回とも三尾山を同定しているが今回は雪雲?に煙って見えなかった。篠ヶ峰への界を確認しょうと北方へ入ると、変わらず廃棄TVアンテナが立っていた。大岩が点在する西面の林に入ると千ヶ峰方面が見えたが肝心の千ヶ峰は雪雲だろうか頭を覆っていた。『おやつにしますか』 『もう少ししてから』と馬場さん。
発(11:05)
引き返して3町境界に戻り、現在地がハッキリしてプレートの取り付け位置は正確だった事が分り、再度プレートを付け、柴やぶっぽい所をカバ坂に向かって下り始めた。コンパスを見ると方向は合っていたが巻いていた筈の布が出ないし『もう少し切り開きをしていたのに・・・』との思いとが合わず緊張する。間もなく左が桧林になって、妙見山が見えた。そこで界から外れている事が分って少し北寄りに修正すると布も出て界に乗った。
界は開けカバ坂を目指して下った。傾斜が緩んだ辺りで界右に新しい鹿網の囲いが出たがマッタケが採れるのだろうか・・・。途中で竪穴の採鉱口を見たりしてカバ坂に着いた。
4・カバ坂(11:35) 飯森山から千ヶ峰・マタニ山の頭は雪で白くなっていた。ご承知の通り加美区の方から舗装路が上がって来ている。「右 まきの 左 たんば」と戒名と施主の名が刻まれた道標石仏を見て再び牛坂に向かった。
発(11:38)
(4)カバ坂 西から
北村さんと道標石仏前方へが牛坂左は加美区へ下る。右は中区の牧野大池へ下る
『この道は牛坂まで横ばいで行ける』と思いながら歩く、間もなく茶店跡が在り、石垣とその段の上に扁平な大岩が横たわっている、この岩は何かの役目を持っていたと思うが・・・(11:42)。その後岩盤谷を通過するがそこは道が消えていた。その先で道が先ほどの谷に向かって折り返していた『この道は何処へ行く道?牛坂へは横ばいの筈なのに・・・』牛坂へ向かう道が無いから仕方なく折り返しの道を歩くと直ぐに牛坂に向かって折り返していた。つまり、逆Z字の形で高度を上げていた。(逆Z字の道は全く記憶に残っていなかった)
牛坂に着いておにぎりタイムにした。 2・牛坂(11:55 発(12:05) 2つ目のピークへ上っている時振り返ると赤松の間から大海山が見え、上り切った。 5・(12:30) 左植林帯は続き、次の上りに掛かる。ここからの上りは「地獄の三段上り」大海山への上りもきつかったがそれ以上の地獄だ。 6・528m(12:52) 左植林帯はこの先で消え左右とも雑木林になる、しかも界尾根には「何故」と思うくらいの開きがあり、ほぼ横ばいが続く。
ある時は落ち葉を蹴散らし、ある時は落ち葉を踏みしめ、小鳥のさえずりを聞きながら歩く冬枯れの尾根歩きは、なぜか心が落ち着く。 7・(13:05) ここから険しさを感じ始め、大きく方向が変わる。右前方に見える大きなピークは三組尾と思うがこれは (9) で三組尾はこのピークに隠れて見えない。やがて左右の切れ落ちも鋭くなって岩稜になる。特に右の断崖(西の覗き)を見るのは3度目なれど見飽きぬ凄さがあって私のお気に入りコースの1つ。岩稜は後にも続き凄さは変わらなく、岩場を上る。 8・(13:31)

(7)先コブへ上る途中から中区を眺める (8)への途中から振り返る左奥妙見山・手前大スラブ
ここへは岩場を上るが木が生えているのでそれらを掴み手繰りながら上れる。北面の木が一昨年の台風で飛ばされて開け、飛び出た岩から展望抜群、ここまでにも見えていたが山容に特徴ある三尾山が良く見えた。その岩に座って、馬場、北村さんに『三尾山が良く見える、あれが三尾山や』と言って話しかけるも馬場さんは何処吹く風、北村さんはそんな私を写真に撮ってくれていた。馬場さん『さあ行こう』私『何で???』で、先へ進む。ここからは今までの険しさとは打って変わって冬枯れの優しい尾根歩きになる、左右切れ落ちからは想像できない雑木尾根の横ばいが続く。
「三組尾への分岐点をを間違わないように」を思いながらそれに向かって上る。 9・(13:47) 展望無し。そこは変わらず三組尾への方へが明るく開けていた。三組尾へ入って直ぐの所に「この尾根を行くと三組尾へ・・・」と記した私のプレートは残っていた。この先で東が開け(東の覗き)西谷地区と私の車が見えた。その上には尖がった延命寺山が見え、そこから続く「カザシ」や「岩屋山」の方は雪雲だろうか白い雲?に隠れていた。
そう言えばR=175の方から眺める岩屋山は富士山の様な形で凄くキレイなのに中区の方から見る岩屋山は何とも魅力の無いだらだら尾根。そして三組尾に着いた。 10・(13:57) 計画では三組尾(13:50) 予定通り到達しているのは馬場さんのお陰かと思う。展望無し。周囲の状況は殆ど変化無し、有ると言えば「焚き火」をしたと思える跡が有った。記念写真を撮ったりしていると雪が降ってきた。雪は止みそうに無い降り様だったが間もなく止んだ。

(8)を発つとここでも落ち葉のジュウタンの尾根が続く 「東の覗き」からの眺め奥から雪雲迫る中央延命寺山
△三組尾 東から
雪がどうのこうのと話していると、馬場さんが『さあ行こう』私『何で???』馬場さんは先を急ぐ。 発(14:04) しばらくは開けていて難無く下れた。『もっと険しい所があった筈?』『コースは合っているのか』と思いながら下った。2、3箇所に前回巻いた布が残っていたので間違っていない事が分った。傾斜が一度緩んだ辺りから樹間が開けトンガリぴーくが2つ見える。 (14:20) 1つ目は地図から受ける感覚からすると「コースから右に大きく外れている」と皆同音だった。
と言っても尾根を外す所が無かったので、先ずはそれを越すべく下っていると岩場に出た。 11・(14:28) 何処を下るかは各々の判断で下った。私だけ右を下ってコルに着いた。皆が揃ったところで上り返した。ここからが以外と長く『まだかまだか』と思いながらようやく行者山に着いた。12・402m行者山(14:50) 展望なし。着いてビックリそこは山火事に遭っていた。下方から燃え上がっているのでなく頂だけが広く燃えていたが焚き火では無いだろう。立ち木に雷が落ちた形跡を見なかったがおそらく落雷で燃えたのではないだろうか・・・。
そんな場景を見ている時、頂で北に向って放水?をしている北村さん『恐れ多くもここは行者山の頂、下には役行者が祀ってあるのに・・・』と私『そうとは知らずに申し訳ない』と北村さん。悪い事が何も無ければ良いが・・・と笑いながら祭祀場に降りる。役行者(H・約25cm?)は東向き、2本角鬼(H・約20cm)は斧を右肩に担ぎ北向き、1本角鬼(H・約20cm)は右手に花瓶のような物を持って南向いて坐る青銅製の像が祀られている。そこから西の方へ回り込むとテラスが在って東の展望が利く。

(12)焼けた行者山の頂・北から 役行者像
頂にての「放水」に対し懺悔するも仏罰を気にしながら下り始める(笑い)。 発(14:42) 計画は麓近くの小ピークの229mを目指す。麓からの参道だろう確かな道が在り、間もなくPPロープを張って道が確保されていた。それも目印にしてぺちゃくちゃ話しながら下る。間もなくTVアンテナが建っていてケーブルは右へ下っていたが私たちは左の道を下った。余りにも下りが続くので、方向と地形の確認を怠っている事に気が付いて方向を確認すると合っていた(これはたまたまだった)。
前回はかなりのヤブ尾根だったのに・・・。そうこう思いながら下り続けてしまった。薄暗い植林帯に入って道が曖昧になってしまったが左の谷へ下ると幅1m位の道が上がって来ていてそれを下った。孟宗竹の林に金属の鹿網が張り巡らされていて、それに沿って北へと進むと間もなく鉄板製のゲートが在ってそこから外に出た。『ここは一体何処・・・???』そこは富田地区だった。 13・富田地区(15:15) 山行計画では里に着く予定は15時、馬場さんの『さあ行こう』と急がされたお陰だと思った。なんやかんやあったがほぼ計画通りの時間に下り切っていたが下山コースからは大きく外れていた。「これは仏罰か・・・」いやいや、これはC・Lの怠慢からの結果です。
左上方を見上げると229mピークが『残念でした又何時かどうぞ』と、言う筈は無いけどそう言われている様に思いながら見上げた。のどかな集落をのんびり歩きながら車に向かったが間もなく鋭く尖がった延命寺山を正面に見た。そして車が見え始める頃、朝方見かけた「草の根の様な不思議な物」を満載した軽トラにがいて、運転をしている人に『これは何なんですか』とたずねると『○○○○』だと言われた(名前を忘れた)それは草か花かの根で薬草で出荷しているとのことだった。
昔は『オウレン』と言う薬草を作っていたがそのブームが去った後にこの薬草を作り始めたとの事だった。慶佐次氏著書の「兵庫丹波の山(上)」で紹介されている三組尾の項で「さて何処から登ろうか、先ずは麓の富田の伊都伎神社へと足を向ける。辺りは一面のオーレン畑・・・」と記されているがこの本を購入したのが平成10年9月その時以来「オーレンとは何ぞや」ともやもやしていたがその悩みが解決した。
これらの薬草は西谷地区のような保水性の悪い土地でなければ栽培は不可能らしい。保水性が悪い土地と言う事は「稲作が出来ない」と言うことに繋がり、昔の食糧難の時は『この奥に在る(大見坂=大海山の北のコル)を越えて加美町の観音寺地区へ闇米を買いに行きそれを肩に担いでまた大見坂を越えて戻って来た』『牛坂のことを地元では“うっさか”と言う』等の昔の話もお聴きした。仕事の手を止めさせて申し訳なかったがそんな話を納屋の入り口で聞いておられた奥さんもなんともにこやかな顔つきでこちらを見ておられた。頭を下げお礼を言ってそこを離れ車に戻った。『馬場さん北村さんお疲れ様でした。お付き合い有り難うございました』
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