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・こっとん亭

361   大瀬の滝〜閻魔坊〜上岩 (大河内町物語その3)


五輪塔群どこに在る・・・と、思っていた時「やまあそ」情報。

お宝地図を参考に決めたコースで五輪(オリンピックではない)を目指し、

そこへはピッタリ着けたけど、終盤近くの上岩へ尾根が分らず行ったり来たり・・・。

何とか点名上岩通過、その先端の立岩嶽は足もすくむ大断崖。




こっとん亭〜大池(寺前城跡西の谷)〜大瀬の滝〜谷突き詰め〜西尾根に乗る〜尾根南進〜

Ca480〜閻魔坊(元最明寺跡Ca420m)〜南の広尾根探索〜尾根に復帰〜500m〜

TVアンテナピーク〜上岩(395.6m)への尾根外す〜迷走〜

17・上岩(あげいわ)395.6m四等〜尾根先端(立岩嶽)〜少し引き返す〜宮野地区へ下る。



◎所在地 : 神河町(旧大河内町)上岩・高朝田・宮野・南小田(下部)地区が
                                        取り囲む北から東山塊

◎地形図 : 2万5千図  『寺前(てらまえ)』

◎山行日 : 2005.12. 3  (土)  曇り一時小雨       

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : @大瀬の滝の不動明王と役行者の像(今回見落とした) 

             A(7・8・12・13)からの展望は雑木帯も多く黄葉が美しい 

             B立岩嶽の大岸壁 

◎走行距離 : 往路 57.0km  往復 110.0km     播但道往復 : 1500円



自宅発(7:40)〜加古川・姫路B/P〜播但道〜神崎南LP〜R=8〜

宮野地区1・立岩嶽麓(8:50 発9:05)〜2・こっとん亭(9:09 発9:26)〜3・大池(9:53)〜

4・祠前(9:58 発10:02)〜5・大瀬の滝(10:05)〜6・(10:34 おやつ 発10:40)〜

谷突き詰め(11:00)〜7・尾根(11:22)〜8・2連ゲート(11:35)〜9・下り始め(11:42)〜

10・寺跡(11:45 発11:55)〜11・(12:10)〜12・尾根(12:15)〜

13・(12:23 おにぎり 発12:36)〜14・(12:46)〜15・TV(12:50)〜16・(12:55)〜

引き返し〜15・(13:00)〜14へ向かう〜引き返し〜15・TV(13:34)〜

16・(13:50 発14:00)〜17・上岩395.6m四等(14:13 発14:25)〜18・(14:38)〜

19・(14:50 発15:03)〜20・(15:25)〜1・(15:30)〜R=8自転車で走る〜

2・こっとん亭(15:43)〜引き返し〜21・妻合流(15:46)〜

2・こっとん亭(15:55 発16:05)〜往路〜自宅(17:12)



今日は妻が夕方6時から用事があるので、土曜日とは言え余りゆっくりと山歩きが出来ない。それに願ったり叶ったりでこのコースに決めた。また、私のお宝で 

@「大河内町内の滝と修行者を見守る不動明王像、役行者像3体」の内の一つ「大瀬の滝の不動明王と役行者の像:寺前大瀬の滝大岸壁を掘り抜き安置されている」 

A地図へのポイント記入で寺前城跡の北497mに「城跡・城山の五輪塔群・音立かんす」と記入されている。すでに「音立かんす」と「はめむろ」は『やまあそ』の情報で、実際の場所とは違っているが解決?済みなるも「城山の五輪塔群」が不明(358:11月13日)で記さなかったが城跡で五輪塔群を探したが見当たらず「これは一体何処に存在するのか」気になっていたがこれも『やまあそ』情報で「閻魔坊」とやらに在ると場所が判明した。 

B初め立岩神社は立岩嶽の頂上に祠を建立し(現在も跡地あり)奉祀したと伝えている・・・(立岩神社由来看板より)。「立岩嶽の何所かに今も何か祀られているかも知れないし、無ければそれはどん所に祀られていたかを探る」

このようなお楽しみを抱えて家を発ち、下山地点の宮野地区に着いた。 1・立岩嶽麓(8:50) 自転車デポ地を探しながらゆっくり走っていると「山ノ神まつり」の幟が1本立っていてその近くにご夫婦(50歳代)が居られたので「山ノ神まつり」の事を聞くと『昔から山仕事を主業にしている人達が川向こうに小さな祠を建てて「山ノ神」を祀っていて、そこには広場(境内)があって子供の奉納相撲もある』『どこからそこへ行けるのですか』『川向こうへは当日だけ川に梯子を渡してその上に板を敷いて作った簡易橋で行く』とのことだった。 

立岩嶽を西から見上げる・右下に自転車デポ

また、今年の10月15日と11月12日に立ち寄った産地直売所で野菜などを買った時に居られた奥さんで、私たちを良く覚えておられ再会を喜んで下さった。『ところでこの前の谷筋を上って熊部地区へ抜ける道は在るのですか』『私も2回ほど熊部へ抜けた事がある、途中に滝が在って石仏があり 左熊部 と彫ってあった。左の谷を上って行ったと思う』いろいろ聞いたがこれ以外はハッキリしなかった。熊部と繋がっていた事が分り、しかも実際歩かれた人と出会え、偶然と思えない不思議を感じた。奥さんに黒豆を頂いてお礼を言って近くに自転車をデポして「こっとん亭」へ向かった。 発(9:05)

「こっとん亭」に車を置かせてもらう。 2・(9:09) 車も人もゼロ。支度をしていると宮野地区から寺前城跡にかけて虹が架かった。この時期、この時間帯に虹を見るとは・・・今日は朝から良いこと続きだ。 発(9:26) 正面に城跡を見ながら大池への谷を目指した。途中で道を尋ねて池への道に乗って歩いていると集落外れに鹿網ゲートが出た。近くで畑仕事をしている人(50歳位男)が居られ『最明寺(さいみょうじ)跡へ行きたいのですが』『西明寺(さいめいじ)か、池の上に在るわ』寺の読みが違っていたことが分った。

お礼を言ってゲートから離れて行った。橋を渡って間もなく左道端に「大日尊入り口」の古びた木の札が立っていた(微かに踏み跡があった)。「弘法」と言い「大日」と言いこの地域は下に「尊」が付けられている・・・。左桧林の上に黄色や赤茶の紅葉がスッゴク美しかった。ピンカーブを過ぎると左に大池が見えて来て水神さんが祀られているのか祠が建っていた。 3・大池(9:53)

地形図で、池の奥の建物マークは実在せず、大きな岩を配して山茶花が植えてありこれは庭園だったのか・・・。池から谷への入り口に縦30cm横2m位の板が3枚縦並びの看板が立っていたが何が書いてあったか、貼ってあったか全く不明の状態。いよいよお楽しみの始まり、谷へ林道が付いていて入って直ぐの分岐を右にとると広場があり、木製と人工石の祠が建っていた。お宝によると大池のところに「水神雷神の祭りと大池の大師祭り」と記されているので、どれかに該当するのだろう。 4・祠前(9:58) 

(4)地点の祠
林道はこの祠の左から更に奥へと延びている

夫々にお参りして 発(10:02) 次は「大瀬の滝」が何処に在るかと細流の谷筋を見ながら上っていると谷の方へ、幅1m位の道が下りていたので『何かあるのかなー』と見ていると看板らしき白い板が見えて、そこへ行って見るとそこが「大瀬の滝」だった。 5・大瀬の滝(10:05) 滝と言っても水量はチョロチョロでとても滝と言える物では無かった。しかも悪い事に滝の上に取水用のパイプが這っていて風情も台無しだった。

看板には「大瀬の瀧 : 今からおよそ七四六年前建長八年(1256)北条時頼この地に来り七堂伽藍を建立し行基菩薩御作の薬師如来を安置されたのが最明寺の開基と傳えられています。この瀧は最明寺参道の霊地として○伽三密(身・語・意三修の秘法))の教風を仰ぎ疾病雨乞等の祈祷の道場として歴世村人が崇敬の寄信を捧げた信仰の道場であると伝えられています。 2002年4月再建」エッここが最明寺跡??「七堂伽藍を建立し・・・」ならばその跡は何処に・・・それを探して岩場の谷筋を上ったが伽藍が建っていたような平地は無いまま北の572mから下って来たコルに繋がるかなり明るい踏み跡に合流し、林道を上った妻が待つ林道終点に出た。

丁度その辺りが建物跡のような気配を感じたが・・・。谷筋にはかなり明るい踏み跡が続いていた。石垣やら石畳(気を付けて見ないと分らない)も確認出来て『元最明寺(伽藍)への道かも』と思いながら上った。所々で道が流され倒木も出てガラ場上る、道は消えて次第に柴で塞がる所も出る、現在地確認を兼ねておやつを食べる。 6・(10:34 おやつ 発10:40) 「上岩奥山(城山)公団造営地・・・」の黄色のプラ看板があた。ヤブもきつくなり、ほぼ谷を突き詰めた辺りで炭焼き窯跡が有りそこから西の尾根を目指して激上り開始。 (11:00) 結局寺跡らしき所無し。

少し上ると桧の幼木帯になって南が開け、寺前城跡の先に、白く光った瀬戸内海とその上に淡路島が見えた。妻がユックリなので待ちながら上って、待望の尾根に立った。 7・尾根(11:22) △深谷から寺前城跡まで同定できる地点だった。この後辿る尾根が鹿網と共に延びていたが伐採されていて歩き易かった。『やまあそが既に歩いている尾根や』と思いながら歩いて 8・2連ゲート(11:35) ここから少し下ると左下に大池が見え始める。

そこから「閻魔坊」が在ると思える場所を眺め調べる。明瞭な台地が一番可能性が有ったがその手前から探索に入るべく、妻をそのまま尾根を行かせ、1人でコルより手前から南に下る事にした。 9・下り始め(11:42) 下っていると鹿網が出て、それを乗り越えて少し横ばいに進んでいると杉林の中に平地が出てそこが寺跡(30坪位)だった。 10・寺跡(11:45)

 
(8)からの展望上尾根13番     (9)近くからの城跡(台形)と大池

そこには小さいながら礎石らしき石が点在し、城跡と同じ角ポールが立っていて「寺院建立 鎌倉時代 建長七年(一二五五年)」「寺前西山寺院跡」「寺院消失年 室町時代末期 元亀二年(一五七一年)」「建立者 北条時頼 山王本寺佛 最明寺とする」「設置 大河内町教育委員会」(ポール面ごとに色分け)大瀬の瀧と一年違いの建立年になっている。「閻魔坊」とやらは何処へ・・・。次に『五輪塔は何処に・・・』と探すと一体だけが南端に実在したが輪の部分は壊れて地面に落ちていたので修復して写真に収めた。

 
(10)寺跡 南から        寺跡の五輪塔(24×23×43cm) 東から

尾根から地形を眺めた時、最も寺跡らしき地形(台地)は、ここの南に在ったのでそこへ向かった。 
発(11:55) ヤブっぽい所を探索しながら抜けると、深い谷筋に出た。谷は上の方で突き詰めになっていて崖のようになっていたので『もしかすると不動明王が祀られているかも・・・』と思い上って見たが何も無かった。しかし取水地の可能性を感じた。辺りを探索していると、大きな方形のコンクリート塊が二個土に半ば埋もれて在り、柱が立っていたような穴が一つ空いていた。桧の倒木の斜面を横切って台地に着く。 11・(12:10) 自然林の小尾根で先端まで行ったが何も発見できなかった。

道のような形跡が在ってそれを歩いて
 12・尾根(12:15) 妻は (13) で風を避けて昼飯に入ると連絡が入った。「やまあそ」が言っていたコルの掘り切りは見る事が出来なかったが峠の掘り切りではと想う・・・。鹿網に沿って急登、左自然林右は桧幼木体、その上から北が開けて△南小田(T)が目を惹いた。更に高度を上げて行くと、「やまあそ」が下った伐採尾根が見えて来て、まるで山火事に遭ったほどに地肌が見え、南小田地区も見えて来た。上り切って横ばいに進み 13・(12:23) 風を避けておにぎりを食べながらこの後歩く尾根や長く険しい山容の夢前町との界尾根を遠望した。いつか歩く予定の宮野地区から夢前町熊部へ抜ける深い谷「宮野掛けヶ谷」も魅了される。 発(12:36)

(13)から
この後歩く尾根を眺める。この尾根の先端が「立岩嶽」と思い込んでいた

変わらず鹿網に沿って急下りしてコルに着くと右は太い桧林になった。短く上り切ると道が出た 14・(12:46) この道は何処から付いていたのか?お陰で左右共に切れ落ちた尾根も快適に歩け、最高点に着くとTVアンテナが立っていた。 15・(12:50) 展望なし。安易にここが「上岩」だと思い伐採された柴の下も探したが石標は無かった。道は尾根に沿って先へ続き下っていた。

『ここに無ければもう少し先か・・・』 (16) 辺りまで下ったが無い・・・妻を先にやって又探すも無し、妻から『まだ無い』と連絡が入った。私は現在地の確認のために引き返したり戻ったり木に登ったりして見たがどれもこれもアウト!!最後の手段 (14) まで引き返して (15) まで入念に現在地確認しながら引き返した。地図を見ると△上岩はかなり下った先に在る。 15・(13:34) もう先へ下るしかない。

妻と連絡取ると『下のほうに集落と橋が見える』私も下って行く。そんな時、左樹間から小尾根先に断崖が見えてやっと現在地がハッキリした。北向きの尾根に乗って下っていた。TVアンテナのケーブルが埋設されており、それrに関わる為の道だった。△上岩への分岐と思える辺りまで引き返したが雑木に塞がれて△上岩への尾根も見えず取り付きがさっぱり分らなかった。しかし、大体の見当で下り始める(布を2本巻く)。 16・(13:50 発14:00) 斜め方向に少し下ると切り開きが出て難なく歩け、尾根もハッキリしてきた。 17・△上岩(14:13)

  
(16)△上岩への分岐辺り        (17)△上岩 南からコーラのビンは近くに転がっていた

やれやれやっと着いた思いだった。 (15) に着いてから1時間15分も掛かっていた。ここも全く展望無し、おやつを食べて 発(14:25) 緩く下って尾根肩に着いた。 18・(14:38) 道は無くなり左(西)の尾根は下の方から燃え上がっていた、山火事だろう。方向確認して下る。高木雑木帯になり下草も無く快適に下れた。何時かいつかと思いながら下っていると、いきなり右に断崖が出た。そこからは右は断崖が続き、妻を待たせて1人で探索に入る、先端まで下って見たが祠は無かった。断崖(垂直)の上は木を伝って歩けそうな段差が在ったのでそこも歩いて回って見たが何も無かった。樹間から真下に小田原川が見えてその横に「立岩神社」のお社の一部が見えた。 19・(14:50 発15:03)


祠が建っていたかと思った岩の上、左側は断崖右が岩尾根

引き返すときに『ここに祠が建っていたのでは』と思う岩頭が在ったが・・・。下る時に見つけていた道らしき所(倒木で分りにくい)まで引き返して確認すると、それはやはり道だった。杉林を斜めに谷へ向かって下った後はガラの谷筋を下ると大きな砂防ダムが在って、それを越えて下り民家の間を抜けて舗装路に出た。 20・(15:25) 「信寂庵」前を通って自転車デポ地に戻って私は自転車で車に向かった。


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上岩
395.6m
10・閻魔坊跡

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