※ポイントbヘ地図を一度削除した関係で
 不明確とポイントが抜けている

20・穂壺城跡・156.8m
18
359  高見城山〜穂壷城跡


久し振りの高見城山、展望良きも風が冷たくおやつを食べて下った所に平地2つは郭跡か、

危なきザレコル上って見れば又もや出ました城跡が、

北東界尾根るんるん下りで突如現る行者堂。巡視路下って舗装路から、上れば又もや城跡現る。

おにぎり食べて進んだ尾根は想定外の快適歩き、ひょっこり出たとこ妙見宮は

丁度見頃のモミジで染まる。清掃作業のお人に聞けば穂壷城祉はヤブの中・・・。




丹波悠遊の森〜東屋〜高見城山(485.0m四等)〜町境界北進〜180m〜R=290〜

208m〜妙見宮〜穂壷城跡(156.8m四等)。




◎所在地 : 丹波市氷上町佐野・稲畑と

           同市柏原町鴨野・北山・田路・母坪(ほつぼ)に挟まれた町境界尾根

◎地形図 : 2万5千図  『柏原(かいばら)』  

◎山行日 : 2005.11.19  (土)  曇り一時雨   @’98.9.13

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : @丹波悠遊の森隣接お寺のモミジ   A高見城山から360度展望 

             B次々現れる城跡   C妙見宮のモミジ

◎走行距離 : 往路@58.5km   A62.2km  往復123.0km



自宅発(7:13)〜R=175〜山南町井原交(8:30)〜1・自転車デポ(8:46)〜

2・丹波悠遊の森P(8:59 発9:17)〜3・お寺(9:30)〜4・禅座坂(9:38)〜

5・東屋・259m(9:50)〜6・本道分岐(10:00)〜7・亀井戸跡(10:29)〜

8・高見城山(10:34 おやつ 発10:40)〜9・郭?(11:22)〜10・城跡?・(11:40 

発11:45)〜11・(12:08)〜12・行者堂(12:19)〜13・鉄塔(12:33)〜

14・R=290(12:40)〜15・(12:58)〜16・鉄塔(13:03 おにぎり 発13:20)〜

208m城跡(13:22)〜17・鉄塔(13:38)〜18・(13:45)〜19・妙見宮(13:55 

発14:00)〜20・穂壷城跡(14:19 発14:26)〜1・(14:43)〜自転車で走る〜

1・丹波悠遊の森P(14:52)〜引き返し〜21・妻合流(14:59)〜往路〜自宅(16:30)



今日は17時00から送別会(戸村)に出席の為、遅くとも16時30には帰り着かなくてはならない。と言う事で「今日は近短コース」地形図を見ながら『近短 近短 近短コースは・・・』R=175を走る時に何時も穂壷城跡の標識を見ては「一度上ってみたい」と思っていたこともあってこのコースに決定した。妙見宮上り口に自転車をデポして丹波悠遊の森へ向かった。 1・自転車デポ(8:46) ’98.9.13に(丹波遊悠の森〜高見城山〜石戸山〜石戸山東林道〜牧場跡?〜峠〜丹波悠遊の森)を歩いて以来2度目の丹波悠遊の森は見頃の紅葉に入っていた。 2・丹波悠遊の森P(8:59)

砂利敷きの静かな駐車場に車を止めて支度をすませた。 発(9:17) そこに立つ絵看板を見ると、お寺の方から東屋経由で高見城山への道が描かれていたので、先発の妻を呼び戻し、それで上るべくお寺に向かった。お寺に近付くと境内や参道のモミジが紅葉して凄くきれいだった。 お寺(9:30) メインの木は枝ぶりも見事で大きめの葉のモミジだった。住職の奥さんが居られて『高見城山に上りたいのですが道は・・・』『それやったら向こうの方(一般道)がやわらかくて上り易いですよ』『東屋の方から上りたいと思って・・・』『それやったらここからです』と教えて下さった。モミジが余りにもキレイなので聞くと、写真を撮るために阪神の方からもやって来るとのことだった。 


木の頭の方が散ってたがまさに赤のジュウタンを敷いたよう


お寺の東に在る墓地の左上を通過して上って行ったが笹に覆われかけていた。間もなく峠に着くと看板と五輪塔(H45cmで)があって看板には「禅座坂と五輪塔:前座坂は僧が座禅をして悟りの域に達した場所と伝えられている。付近にある五輪塔は室町時代末期のものと思われる」と書かれていた。 4・禅座坂(9:38) 禅座坂とは座禅坂の書き間違い??尾根の北側に付いた道をジグザグと上っていると東面が開けて左から弘浪山・白山・安全山・五台山・清水山・譲葉山・夏栗山・黒頭峰・金山方面と言う視界が開け、間もなく東屋に着いた。 5・東屋・259m(9:50) 

前回もここに寄り道をしていて、先ほど見た展望が写真に残っているが現在は木が生長して東面の一部が開けているだけでこれと言った展望が無くなっていた。 休む間もなく先へ進んだ。正面に鋭く尖がった高見城山、左下に丹波遊悠の森の建物等を見ながら、2つのコブは左下を通過してほぼ横ばいで丹波悠遊の森からの道に合流した。 6・(10:00) 時々緩みながら、今日の最終地点穂壷城跡への長い尾根を見ながら急登を繰り返し上っていると下ってくる人(50歳位男)がいた。

『石戸山から縦走ですか』と聞くと西脇市の人で『雲海の写真を撮りに来たけど今日は駄目で今度はモミジの写真を撮りに行く』と言われた。私の歩くコース等も会話して分かれた(中ほどで右鴨野地区への道だろうか古い踏み跡を見た)そして例の「亀井戸」の看板に着いた。 7・亀井戸(10:29) 看板には「山の裾から18町 朝日輝き 夕日さしこむ 三葉柳の露の下 一丈五尺の井戸の底黄金の束が7、8つ」と伝承歌も書かれていた。

岩盤でとても井戸が在ったとは考えられないが、鉈の先でそこの窪みを掘って見たが直ぐに岩盤に当り、はかない夢は露と消えた。その先で道は石戸山へと本丸への分岐点、本丸へ向かう。上り切ると小郭で人造石の愛宕神社の小祠が東向きに祀られていた(前回も在り)。郭の中ほどに生える木に赤ビニテテープが巻かれていて、「ここから下ると界に乗って穂壷城跡へ下れるのか」と思い、本丸へ向かった。そこから3段目が本丸(頂上) 8・高見城山(10:34)

高見城山 南から
杭の左向山・右譲葉山・その右の奥三尾山・三岳・手前に夏栗・黒頭

冷たい風が吹き抜けて体が冷える、長居は出来ない、風を避けておやつを食べて下山に掛かる。発(10:40)先ほど見たテープまで下って郭の先端から尾根らしき所を下ったが厳しい下りで切り開きをするも妻が慎重に下るので時間が掛かる。大きな岩を巻いて下った辺りで樹間から西に尾根が見え、界尾根から1本東の尾根に乗っている事が分り、激斜面のトラバースに入った。界尾根を見ると物凄く大きな球状の岩がテラス状に飛び出ていた。

正確に界尾根を下っていればその上に下り付くのでどうなっていたか・・・まっそれはそれで面白かっただろう。(頂上から一段下の郭から界が下っていたようだ)尾根と言ってもハッキリしない尾根と界尾根の間には全長数十メートルの岩盤谷が在って、それを渡る時、2メートル程滑り落ちてしまった。湿った岩盤の上に苔が生えていて、滑るだろうと注意を払っていての結果で、もし注意をしていなかったら何処まで滑り落ちていたか分らないくらい危険極まりない所だった。

妻を待ってサポートして妻を通過させ、界尾根に乗る。その大岩の下近くにたどり着き進んでいると高木雑木が生えるかなり広い平地に出た。 9・郭?(11:22) おそらく郭跡だろうと思いながら進んでいると又郭跡だろう2段目の平地が出た。そこを過ぎると露岩ヤセ尾根になって松とムロが出てその後真砂土の地表になった。肩に出ると正面に鋭く尖がったピーク (10) が立ち塞がる、真砂土が続いて、おまけに急登である。 (10:25)


(9)尾根肩から(10)を見る

右を見ると穂壷城跡への尾根が小さなコブを連ねて下っていた。とにかく滑る、妻を待ちながら下る。上りも滑る、上写真の中腹白い所では危険で左右へも逃げれず妻は『上れない』と言う始末、ここでもサポートして上り切ると、なんとここにも平地があった。まさか別城ではないだろう、高見城を守る砦跡か・・・。先へ進み最高点に立つとなんとなんとここも広い平地だった。 10・城跡?・(11:40) 北側は足元から切れ落ちて樹間から展望が利いた。踏み込まなかったがおそらく西の尾根にも城跡が続いていると思う(巡視路に繋がりそう)。

段の境目から穂壷城跡へ向かう明るい踏み跡が在り、妻を先に発たせ、私は一段目に戻って西面に見かけた段状の探索に入った。見張り台のような所が一ヶ所在り、曲輪らしき形跡も見て妻の後を追ったが高見城は難攻不落の城かに思った。しかし「高見城は・・・天正七年(1579)織田信長の命を受けた明知光秀の兵火によって落城した」と丹波悠遊の森に立つ看板に記してある。俗に言う「明智光秀の丹波攻め」で丹波のお寺のほとんどがこれによって焼き尽くされている。

なにが目的でこんなにも踏み込まれた道が在るのだろう・・・城の搦め手道跡か??すばらしい尾根歩きが続いた。頂上から下った尾根の続きも凄い岸壁が長く続いているようで歩いて見る価値が有りそうだった。尾根の左に白山・弘浪山集落等、正面は五台山までも確認出来、右は向山・清水山等の山塊を見ながら下る 。 11・(12:08) ここには高さ数メートルの岸頭が在って、そこに立つと穂壷城跡までが見えた『未だかなりの距離があるなー』と思いながら眺めた。


(11)からの展望・最奥愛宕山・左五台山・手前尾根の先端穂壺城跡

シダによって道が少し曖昧になるも左の尾根を外さないように下る、間もなく広場に出ると、思いも寄らぬお堂(1間×1間半)が建っていてビックリ!!?。今では祭る人も居ないのだろう荒れていた。中を覗くと陶製のようで、彩色された役行者が足元に2佛を従えて?祀られていた。 12・行者堂(12:19) 近くに有った榊とお茶を供えて発つ。下ったコルは峠だった(勿論使われていない)上り返した先に鉄塔が建っていた(大きなのに建て替えられていた) 13・鉄塔(12:33)

 ここから先へ進んでもR=290の萱刈峠崖の上に出るのでスンナリ巡視路で下ると峠の東の大きな土石採堀所の前に下り付いた。 14・R=290(12:40)上り返しは何処からするか(出来るか)は現地で考える事にしていたので、峠の西か東かしばらく考えた結果、尾根から東に下る小支尾根の植林帯を上る事にした。又尾根の奥の方に鉄塔が建っていたので『もしかすると巡視路が在るかも・・・』と思いながら池の土手を歩いて行くと、有りました巡視路の赤プラカードが立っていた。

左は土石採堀所で崖の上から高見城山方面が全開となる。右の桧林との境を上り、やがて雑木林になると間もなく界尾根に乗り横ばいを行く。尾根左側は植林帯で尾根右下に段差が在り何だか怪しい地形・・・『まるで城跡のようだ』と思いながら上って行ったが余りにも等幅で続いていたので『なんや林道か・・・』と思い直し明るい道を上って鉄塔に着いた。 16・鉄塔(13:03)


土石採堀所崖の上から眺める。尖り高見城山・手前の道はR290

ここからも高見城山方面が全開で、辿って来た尾根もほぼ視程に入った。直ぐ上の208mを北に回り込むと穂壷城跡までが眺められ、、中ほどに紅く染まった木々の塊が在った(後の妙見宮)ここでおにぎりタイム。冷たい北風と共に小雨が降り始める、雨は次第に大きくなり空を見上げると止みそうに無い雲行き、リタイヤか・・・と案じたが間もなく小降りになった。 発(13:20)

妻を、208mの北側を巻く巡視路を歩かせ、私は208mへ上った(道は無い)。頂上は高木雑木が生えるヤケに広い平地だった。 208m城跡(13:22) 妻より早く巡視路に出たかったので探索することなく下っていると大きな段が巡視路に合流するまでに4段在って、それらは東側を巻いていた、これの何段目かが (15) 地点まで延びているのだろう。従ってR=290の萱刈峠は天然の掘り切りでそこより東の大きな山塊は全てが城に関わっている可能性を感じた(一帯を確認探索するのも面白いかも・・・)。

妻と合流して界尾根を進む。展望は無きも道は遊歩道のように明るく距離が稼げた。天然と植林が入り混じり緩いコブを越えると前が開けて一段と穂壷城跡が近くに見える。 17・鉄塔(13:38) 短急下りで着いたコルから右下に民家の屋根が覗いた。その先のコブ手前から巡視路はコブ右へと流れていてコブへは柴ヤブ・・・しかしそれを突破しなくては・・・いざ入ってみると踏み跡が微かに残っていた。 18・(13:48) 下っていると左植林帯、右が竹と桧の混生林、下り切ると旧峠だった。草地を進んでいると開けてきて前方に東屋が見え、竹箒で清掃されている2人の姿があった。 19・妙見宮(13:55) 


東屋の左を通過して右に妙見宮を見ながら先へ進む見事に色付いたモミジ

老人会の人達が清掃奉仕をされていた。『城跡に行きたいのですがここから行けますか』『高見城か』『高見城から尾根を歩いてやって来たんです』『まーようやるなー』『穂壷城跡は深い掘り割りを3本越えて行けるけど誰も上っていないから笹ヤブで・・・個人の持ち山なので手入れも出来ないし・・・』『とりあえず上って見ます』お礼を言って別れた。鳥居は北側に建っていてこちらにも数人の人が清掃をされていた。 (発14:00)

尾根を行くと下の母坪地区と尾根に在る墓地を繋ぐ道に下った。お地蔵(峠?)さんが祀ってあって道は先ほど聞いた掘り割りなのだろう幅1m高さ3m位だったか・・・本当に掘り割られていた。尾根に上がると墓地になっていて、そこからは草ヤブで歩き辛く、尾根左下に逃れると小さな墓標や墓石が建っていて「安政・天保・文政」の年号が入っていたがこれは風化していなかったから後に建て替えられたと思う。

大きな掘り割りを3本通過して郭を通過して行ったが本当にヤブだった。左薄暗い桧林右自然林の境を斜めに上って行く、間もなく頂上めがけて直登して本丸跡に着いた。 20・穂壷城跡(14:19) 展望なし。密生ではないが胸まで位の笹が高木雑木の中に生えていた。東への尾根には見える範囲で3段の郭が在った。その方向に下りたかったがR=175沿いは工事中でもあり朝見た時に『ここへは下れないな』と思っていたので引き返して本丸の取り付きから母坪地区へ下る事にした。 発(14:26) 


穂壷城跡本丸:南から

歩き出して間もなく妻が『三角点の石標や』と言って思い出した『そうや、ここにも三角点があったんや』うっかり見落としてしまうところだった。本丸の取り付きから母坪地区へ下って自転車デポ地へ戻った。 1・(14:43) 発って間もなく右上に妙見宮で清掃をされていた人を見かけて手を振って別れ、その後妻を後に、私は自転車で走って丹波悠遊の森へ向かった。

※数日後ふと思った・・・
 (10)地点は行者山で行者堂はここに建っていて後年現在地へ降ろされたのでないかと・・・。



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丹波悠遊の森

5・
259m
14
13
12
10
8・485.0m
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16・208m・城跡
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