355 黒頭峰〜奥坪山〜瓶割峠〜金山

黒頭峰から瓶割峠、今度今度と思いつつ、久しく残った虫食い界尾根。
この間だけでは短いからと、金山経由で追入へ下る。
あの頃あの日あの時の苦い想い出3町境界、今は開けてスンナリ通過。
高倉地区高蔵寺〜黒頭峰(くろずほう/くろつぼ)620.6m二等〜町境界西進〜
奥坪山(554m)〜新・旧瓶割峠(東・西)〜3町境界〜界南西進(金山へ向かう)〜422m〜
旧鐘ヶ坂峠〜金山(540m)〜鬼の架橋〜寺跡〜滝跡〜追入(おいれ)地区金山登山口。
◎所在地 : 篠山市高倉・石住・追入地区と丹波市春日町・柏原町の町境界尾根
◎地形図 : 2万5千図 『柏原(かいばら)』 『宮田(みやた)』
◎山行日 : 2005.10.10 (月:体育の日 ) 曇り
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : @高蔵寺散策(紅葉の穴場?)
A金山城跡の探索(この時期展望は黒井城址方面のみ)
B鬼の架橋と断崖巡りと同所からの大展望
◎走行距離 : 往路 1=67.4 km 2=71.9km 往復 138.5km
自宅発(7:25)〜R=175〜西脇市〜氷上町稲畑錦橋交右折〜R=290〜
R=176(柏原駅前)〜鐘ヶ坂トンネル〜篠山市追入1・金山登山口(9:05 自転車デポ
発9:10)〜2・高蔵寺(9:19 発9:45)〜3・夏栗山分岐(10:18)〜4・(10:33)〜
5・黒頭峰620.6m二等(10:50 おやつ 発11:03)〜6・(11:16)〜
7・奥坪山554m(11:30)〜8・(11:58)〜9・新(東)瓶割峠(12:03 発12:11)〜
10・旧(西)瓶割峠(12:15 おにぎり 発12:37)〜11・3町境界(12:51)〜
12・(13:00)〜13・422m(13:18)〜14・旧鐘ヶ坂(13:20 発13:25)〜
15・金山540m(13:50 発14:05)〜16・鬼の架橋(14:07 おやつ 発14:35)〜
17・寺跡(14:40 発14:45)〜滝跡へ向かう(14:50 戻る15:00)〜
大乗寺分岐(15:06)〜1・金山登山口(15:25 発15:29)〜自転車で走る〜
2・高蔵寺(15:40)〜妻合流(大山下B/S15:52)〜鐘ヶ坂公園〜
(16:00 着替え 発16:30)〜R=176下小倉交左折〜R=86〜奥野々トンネル〜
山南町〜R〜77〜R〜175〜往路〜自宅(18:41)
記録を見ると98年2月22日に佐中ダムから夏栗山〜黒頭峰に上っているがこの時、黒頭峰へ向かう時「高蔵寺」とつながる道を確認していて、黒頭峰から瓶割峠への界尾根を歩く時は「高蔵寺から上って黒頭峰から瓶割峠までの町境界を歩く」と記していた。で、その日が来たが妻が久し振りの山歩きで長い距離は不安との事で瓶割峠から林道で追入地区へ下ろうかと思った。しかし苦い想い出の3町境界が懐かしく今はどうなっているか今一度踏みたく思い3町境界経由で金山に上って追入地区へ下る事にした
鐘ヶ坂トンネルにちかずくと大規模な道路工事がされていた、昨年の台風被害の修復と思いながら見て通過した。相変わらず狭くて暗い鐘ヶ坂トンネルを通過して追入地区の旧街道へ入って、金山登山口へ行き、そこに自転車をデポして高蔵寺へ向かった。
1・金山登山口(9:05 自転車デポ 発9:10) 高蔵寺は初めてだったが国道沿いに立つ標識に沿って左折し、山間に入って行った。国道から外れると一気に長閑な景色に変わり、正面に予想に反して夏栗山かと思うドーム形の黒頭峰が見え、間もなく夏、黒双方の山が視界に入った。

高蔵寺へ向かう道から左黒頭峰・右夏栗山 高蔵寺山門 山門を過ぎると真正面に黒頭峰を見る
立派な山門の横を通過して駐車場へ向かうと、お寺の後方の谷の上に黒頭峰が座していた。
2・高蔵寺(9:19) 人影無く、車は無断で庫裏正面の砂利敷きの駐車場に止めさせてもらった。紅葉は見られないが確かな秋の感じを受けながら支度をしていると庫裏からご婦人が出てこられ、駐車の快諾を得、黒頭峰への道を教えてもらう。『気を付けて上ってください』ときずかって下さった。
発(9:45)
もみじ並木の舗装道を上っていくと地図に「卍」マークの所に本堂が建っていた。余り広くない境内の右端に樹高28m幹周り5mの太い樅の木が生えていた。寺の裏手に張り巡らされている鹿網のゲートを潜って右の谷に沿って上り中央の支尾根に取り付く(少し分り辛い)。「夏栗山登山道・100メートル地点・大山緑の少年団」と書かれた木の札が掛かっていた。この札は100m間隔で掛かっていた(本堂から上った距離と思う)。
道は急登を避けて植林帯の尾根の左へ回り込んでから尾根に乗った。 300m地点(9:58) 右が混生林で頭上が明るくなった所で振り返ると白髪岳と松尾山がひと際目を惹いた。左右共に植林帯になって間もなく横道に合流した。右へが「大ヶ谷」上ってきた方が「高倉」となっていた。左へ緩く上っていると夏栗山・黒頭峰分岐に着いた。
3・分岐(12:18) 何となく記憶があった。ここからは横ばいで進むが左右の自然林は山桜の古木や栗の木、樫の木も多く、見所の一つかも知れない。夏栗山からの境界が下りてくる地点からは忠実に界を辿った。と言っても道と大きく離れる事は無い。
間もなく右の谷(佐中峠)へ分岐有り、その先で左右植林帯に入り、北から寒い位の風が吹き抜けていた。間もなく黒頭峰への取り付き。
4・(10:33) 道は横ばいで先に延びていて、黒頭峰への明確な道は見当たらず??横ばいの道を少し進むと黒頭峰への案内板が立っていた。横ばいの道を探索すると、そのまま横ばいで延びていたが先細りで消滅の気配だった。もう1本は南の谷へ下っていたがこれは獣道かも知れない。
引き返して黒頭峰へ上り始める、ここに来て’98に巻いた布を目にした、植林帯から自然林になると傾斜がきつくなって行く。アセビ、カシ、ヒサカキ等常緑樹が多くやがて傾斜が緩んで水平になると、先ずは佐中峠分岐に着き、数メートル先に三角点の石標が立っていた。
5・黒頭峰(11:50) この山から三尾山が眺められるただ1ヶ所の切り開きは’98に私が切り開いたのだが、今も木々で塞がっていなかった。(切り開きには賛否両論あるもこの程度は容認願う)
正確には北東方向に見える三尾山
動きを止めると寒く、上着を着ておやつを食べて奥坪山へ向かった。
発(11:03) 明るい踏み跡にマーキングが有り、また最近誰かの手によって邪魔になる木を切る整備がされていた。素晴らしい自然林が残っていて、中でも太い山桜や栗は見応えがあった。次第に薄暗く傾斜がきつくなる、樹間から大きな山容の奥坪山の一部が覗いた。下り切り
6・(11:16) 『峠では・・・』と思っていたがそれらしき形跡は無し。杉林の篠山側に少し下って見ると湿地帯のようになっていた。妻が下りて来るのを待って奥坪山へ上り返して行く。短い急登の後は中上りが続いて、ほぼ上り切った辺りに「分水界の径」との道標が出た。やがて横ばい(扁平)の雑木林を行くと「奥坪山554m・瓶割峠・黒頭峰」との道標が立っていた。
7・奥坪山554m(11:30)

私が愛用している鉈で全長47cm刃の部分は17cm 「分水界の径」の道標
マーキングが無ければコース取に一苦労しただろう平らな山頂もコースが出来ていて安心縦走が出来た。要所と言うか所々に分水界の道標が立っていて踏み跡もしっかり付いていたので「支尾根に誘い込まれるかも」と心配していたがそれも無く歩けたが展望の無いのが残念。
春日町側は雑木林の切れ落ち状態、篠山市側は植林帯が点々と出て露岩の所もあって 8・(11:58) 奥町から初めて(’96.6.6)瓶割峠を目指した時、旧道が分らず、薄々付いていた新道に入ってしまい、その道も中途で消えてしまい深い谷から仕方なく上った尾根がこの辺りだったと思う。そんな事を想い出しながら下って新(東)瓶割峠に着いた。 9・新瓶割峠(12:03) 木製手書きの「丹波市」の標識が立っていた。
ここには工事に寄付した人(主に追入と大山宮村)の氏名と金額(最高150円下は3円)石工は氷上郡大新屋村難波金兵衛や発起人・人足何人等が彫られた石盤が峠の両脇に整然と並べられれていた。ここに立つのは今日で3回目だが過去2回は半ば落ち葉に埋もれた墓石のようで余り気持ちの良い物ではなかった。前回は何とか道を確認できたが今では道が在ったと知る者でなければ分らない程に消えていたが尾根を回り込む所まで行って見ると尾根辺りだけに道を確認できて私の布が1本残り、赤ビニテープのマーキングが入っていた。 発(12:11)
新(東)瓶割峠:篠山市側から
@手書きの丹波市標識A篠山市か丹南町の標識B瓶割峠(東)390m・瓶割峠(西)・
奥坪山・追入の道標C石盤2箇所
付録
この峠(東)と奥町を繋いでいた道を走破したく、麓から歩いて峠に着けず、ならばと次は峠から下ってやっと繋がったが道には木が生えていた。当時の道がしっかり残っている所も数箇所あり、美しく積まれた長い石垣も確認している。ただ深い谷筋では葛と柴のヤブ、勿論橋も朽ち果てて道を確認できない所もあった。
初めて瓶割峠を目指した時、奥町の広場近くにお住まいの老婦人に峠への道をたずねた時、 @新峠道は篠山の旧陸軍が物資輸送を目的に付けた A旧峠は麓から上り切った所に茶店が建っていた(今は祠?の石垣の基台が在る)。 B牛の売り買いをする人が牛を連れて峠を越していた。 C奥町は宿場町(宿泊地)として栄えていた。 Dこの地区から譲葉山を越えて柏原の学校へ通っていた人がいた。 E今田町の立杭から盛んに峠を越えて陶器が運び込まれていた。 等々懐かしそうに想い出しながら話して下さった(祖父母から聞かれた話も入っていたかも知れない)。
コブを一つ越えると旧(西)瓶割峠。 10・(12:15) ここも寒いくらいの風が吹き抜けていたがここでおにぎりを食べた。私は「割れた瓶の破片でも落ちていないか」と探すと瓶でなく瓦の破片が篠山市側に数個落ちていた。奥町へ下る道は昨年の台風に因る倒木が道を塞いでいたが切り開かれていた。道標は「瓶割峠(西)390m・譲葉山・瓶割峠(東)・追入・奥町」 発(12:37) 笹に覆われて微かな踏み跡でしかなかった道も今では多くの人が入っているのだろうかなり踏み込まれていた。展望は相変わらず望めないまま3町境界に着いた。 11・3町境界(12:51) ここにも道標が立っていて、もう何処へ行くにも迷う事は無いだろう。
旧(西)瓶割峠から譲葉山へ行った時、金山へ行った時、金山から旧(西)瓶割峠へ回った時。今から思えば読図が未熟だった事もあるがこの辺りの地形が把握できず’98.6.6と7日連続で来ている、それほど苦労(スリル)した想い出深き場所。それらの時の巻いた布や案内プレートが余り傷むことなく、廃棄される事も無く残っていたのが嬉しかった。柏原側は植林帯篠山側は自然林で金山への道も良く踏まれいた。ただ(12)地点では道も塞がりぎみのY字尾根でしばらく思案した。 12・(13:00) その後は順調に進んで柏原側が開けてR=176と上小倉地区が見えた。『この辺りがトンネルの上かなー』と思いながら通過して 13・422m(13:18)
植林帯を少し下ると切れ落ちになってズルズル下って掘り切りの旧鐘ヶ坂峠。 14・(13:20) 何か無いかと先ずは薄暗い植林帯を篠山市側へ下って見たが何もなし、道は谷の西面に下っていた。今度は柏原側へ下ってみると、こちらは東面に下っていて間もなく倒木で遮られもして先細りしていた。 14・(発13:25) これまた急登で峠から上り切って金山へ向かっていると左桧林から奥坪山、黒頭峰、夏栗山がチラリと覗いたので少し枝を切らせて貰うとよく見えるようになった。

切り開きでよく見えるようになった山々左から奥坪・黒頭峰・夏栗山 この岩カエルに見立てました
道草を繰り返しながら上っていると篠山市側トンネル?に向かって道が下っていた。下草無き道が一変してヤブっぽくなる、金山に向かって最後の急登が始まる。露岩も多くなっていく、そんな時カエルの顔(上写真)に似た大きな岩を見つけた。更に大岩が重なり合う。あちこちの岩の上に立ち岩の裾を探ったりしながら高木雑木が美しい城跡に着いた。そして最高点へ立つと少し咲き始めたススキが一面を覆い尽くしていた。 15・金山540m(13:50) この日の展望は杭に書かれてもいる「黒井城跡」が譲葉山の右肩に見えているのみだった。 発(14:05)
少し下り「鬼の架橋」に着く。 16・鬼の架橋(14:07)
鬼の架橋は「眼鏡橋」とも呼ばれ、岩と岩の間に大きな板状の岩が橋のようにかかっている。岩は風化に強い灰色珪岩で、自然が作り出した奇観として、安藤広重も『六十余州名所図鑑』に描いている。』とガイドマップに書いてある。この橋から境界に沿って西方面は岩場が続き岩頭の北面は高さ50m位?の断崖になっている。初めの最高点にはハーケンが打ち込まれて崖の要所にボルトが2〜3箇所打ち込まれていた(錆びているのでかなり古い)。
界の続きに602m(3町境界)を分岐に西と南に界が延びている何時か歩く日の為に少し下見をしたが界は岩場にヤブ状だった。展望は360度なるも遠望は南北180度西面。金山の西面に三尾山が覗き(奥坪、黒頭峰、夏栗山は見えない)左手前に大きくゆったりした山容の譲葉山、その奥に清水山、大きく跳んで高見城山方面が霞みながら見えていた。
ススキに覆われる金山城跡 南から 橋近辺からの展望最奥清水山・右譲りは山
山猿橋でうたた寝
R=176の工事は大規模で復旧工事とは考えられなかった(後で分ったが新鐘ヶ坂トンネル工事だった)おやつも食べて追入登山口へ向かって発つ。 (14:35) 馬場跡通過 (14:40) 寺跡 (14:40 発14:45) 今度は一度行って見たいと思っていた「滝跡」ここへの分岐を見落とさないように下って行く。尾根前方が開けて大山宮地区から南が全開で見えた。朽ち果てそうな滝跡への看板を見つけて道から外れた。道はほぼ水平に付いていたが急斜面で消えてしまい、追って来ていた妻は引き返した。谷筋に着くと高い崖の下だったが滝の気配無し、探索に入ると3cm角位の磁器の破片2個を見つけた。この辺りの何所かに不動明王が祀られていた事を確認して引き返し道に戻った。 (15:00) 大乗寺分岐通過 (15:06)
石の鳥居を潜ってジグザグと下っていると石柱が転んでいて「右たきあと左山園林寺?」と書かれていた。お堂に着くと間もなく登山口に降り立った。1・金山登山口(15:25) 50歳(男)位の人が金山などの説明看板を見ておられ、「鬼の架橋」に興味を持たれて『鬼の架橋までどれ位の時間が掛かりますか』『1時間位と思いますが今からでは往復するには暗くなり始めるしその靴(革靴)では滑って危ないと思います』その人は諦めて車に戻られた。発(15:29) 妻も後を追って歩き始める。
妻と合流して鐘ヶ坂公園で着替えて休む。(16:00 発16:30) 柏原側の新トンネル工事は完成間じかの様に見えた。R=176下小倉交左折してR=86を走って奥野々トンネルを通過してから下見をちょいとして帰路に就いた。
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