351 石山〜東山〜西ヶ洞山〜草野

峠から、入ったとたんにシダ柴ヤブ、急登凌いで尾根に立ち、ちょっと寄り道「石山」へ。
踏み跡現われ東山、隣のピークは西ヶ洞山。展望しながら峠へ下り、上り返しは又もや急登、
遠方望める虚空蔵は両肩落としてすまし顔。
破線コルから大柿布を点々見ながら上って行けば、疲れも忘れる大展望。
点名「草野」でへばり気味も気合を入れて3町境界。
ここまで来れば先が見えたと、思って下ればドンデンガエシ。
不来坂〜町境界南進〜石山?(427m)〜東山(471.1m四等)〜
西ヶ洞山(にしがほらやま)467m〜オロ坂(峠)264m〜町境界南進〜破線尾根〜
草野(496.1m三等)〜3町境界〜丹南町・三田市境界東進〜日出坂峠〜草野駅。
◎所在地 : 篠山市今田町上小野原・休場と
不来坂・油井・草野地区に挟まれた旧町境界(一部三田市)
◎地形図 : 2万5千図 『篠山(ささやま)』 『藍本(あいもと)』
◎山行日 : 2005.9.10 (土) 曇り
’95・7・7@藍本駅から虚空蔵・草野(八王子山)・藍本駅
’98・8・7A陶の里から虚空蔵・草野(八王子山)・休場
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=58
◎コースの見所 : @石山からの展望 A(8)からの展望 B(16)草野手前からの展望
◎走行距離 : 往路 55.0km 往復 110.0km
自宅発(7:40)〜R=175〜小野市中古瀬南交右折R=567〜R=372〜
篠山市今田町下小野原交右折〜R=292横断〜オロ坂〜
1・JR草野駅自転車デポ(9:05 発9:16)〜R=176〜
2・辰巳地区P(9:25 発9:40)〜3・不来坂(9:47)〜4・尾根(10:15)〜
石山(10:20)〜4・(10:24)〜5・TV(10:50 休み 発10:58)〜
6・東山(11:13 おやつ 発11:35)〜7・西ヶ洞山(11:40 発11:47)〜
8・展望(11:54)〜9・(12:00 おにぎり 発12:20)〜
10・貯水タンク(12:28)〜11・オロ坂(峠)12:40〜12・(12:50)〜
13・(13:08 おやつ 発13:13)〜14・コル(13:40)〜15・破線尾根(13:57)〜
16・草野(14:25 発14:36)〜17・(14:47)〜18・展望(14:55)〜
19・鉄塔(15:03)〜20・3町境界(15:10)〜21・覘き岩(15:20)〜
22・408m(15:36)〜23・(15:45)〜24・(16:10)〜25・(16:14)〜
26・(16:32)〜27・下り切り(16:44)〜迷走〜渡渉〜
28・土手(17:13 発17:18)〜1・JR草野駅(17:26 発17:35)〜
R=176〜2・辰巳地区(17:50 発17:55)〜R=176〜
1・JR草野駅(18:05 着替え 発18:30)〜往路〜自宅(19:56)
※町境界=旧今田町と丹南町&三田市と丹南町
御狩山に上った後、しばらくして次の山歩きは、御狩山から眺めた町境界尾根続きのとんがり山「東山」を越えて「虚空蔵山」の北に在る3町境界(1市2町)から東に下る、市町境界で日出坂峠に下ることに決めた。そして、その準備に入ったが日出坂峠辺りの状況が把握できず不安のままその日が来た。篠山へ行き始めの頃は「遠いなー」と思っていたが回を重ねるうちにそんな思いも薄れて、この頃では無意識のうちに走っている。
以前から不思議に思っているのだが篠山市が誕生してからも、道路地図に今田町だけが町名で残っているのは何故だろう・・・単なる誤植なのだろうか・・・。R=372からオロ坂に向かっていると、後で辿る界尾根(オロ坂の北)に貯水タンクだろう大きな円筒形の構造物が2基見えた。オロ坂には石仏が祀ってあったが『ここを歩く時に詳しく見られるから』とやり過ごして草野地区へ向かうと前方に日出坂峠が見えてきた。
舞鶴道高架橋の接地点でもあり福知山線も通過しているし、複雑な地形。自転車を何処にデポするか探しながらゆっくり走る、結局美しく改修された草野駅にデポして不来坂へ向かった。
1・JR草野駅自転車デポ(9:05 発9:16)R=176に乗って不来坂へ向かっていると松尾山が聳えて見えた。今度は車をどこに置くか(置けるか)探すが見当たらず辰巳地区の国道脇の広場に置かせてもらった。
2・辰巳地区P(9:25)
北を見ると見事に尖がった「とんがり山」が見えていた。
発(9:40) 車が行き交う峠に着く。
3・不来坂(9:47) こから、林道だったらしき跡から上り始めたが笹や柴で塞がり『これなら何処を歩いても同じ』と直登に入ると間もなく急登で身の丈を越すウラジロと柴のヤブに阻まれる。しかし、鉈がその威力を発揮して突破できた。
そこまでのヤブがウソのように開けるも急登が続く、やがて露岩帯になると傾斜も緩み北(右)展望が得られて辰巳地区の稲穂で一面黄色く染まった田圃が印象的だった。界は誰かが歩いたのだろう小枝が折られていた。そして尾根に着いた。
4・尾根(10:15) 展望無き尾根には左右に踏み跡が在り、妻を休ませて私は東に在る「石山?」へ向かった。
直ぐのコブは送電線が通過していて鉄塔が建ち、予想通り北から巡視路のプラ階段が上がって来ていた。巡視路で東へ進むと巡視路は石山の手前コルから南へ下っていた。その直ぐ先が石山?だった。最高点から少し下ると、古市の方から何時も見ていた採石場の断崖の上に出た。
石山(10:20)

石山(崖)から松尾山(左)奥に三嶽展望、ブルーシート下にR372
石山は、まさに石山だった。展望は白髪岳から三嶽・八ヶ尾山までが同定できた。雑木帯の尾根を引き返し、東山へ向かう。
4・(10:24) 界尾根は難なく歩けた。一部北が開けて御狩山の右肩に小さく白髪岳が覗いていた。20m位?オーバーランしてしまったが引き返して、ヤブっぽくて(短い)分りにくかった界尾根に乗れた。 (10:42) 界には何かの文字が彫られた石が立っていたので目印になった。
南の谷は草木一本生えてない地肌が見えていたが地滑りかなんかの跡の様に思った(地図の谷筋に砂防ダム多し)。上り返していると北が開けてトンガリ山や西寺山と麓の集落が見えた。傾斜が緩んだ所にNHKのTV用アンテナが立っていてそこでおやつを食べた。
5・TV(10:50 休み 発10:58) 御狩山から見たときもかなり険しく見えた東山への急登が始まった。
そんな時、界石標の字は『青』と彫られているのがここで判明した(東面)。慶佐次氏も、ここを89年2月に歩かれているがこの字の事には触れられていなく、私は地図で地名を探したが見当たらなかった。そして、汗だくで東山頂上に立った。
6・東山(11:13) 期待の展望は無し、何故か最近の焚き火跡があり、御狩山で見たのと同じ6×4cmのプラスチックに「山想同人・峰(赤字)」と書いたプレートが下がっていた。ここでもおやつを食べて
発つ(11:35)
立って直ぐ前方が開け、西ヶ洞山が見えた。短い急登でそこに立つ。
7・西ヶ洞山(11:40) 頂上直下で、北から東が全開して東山の左右に白髪と松尾が覗き、三嶽方面も霞みながら見えた。東には海見山から栢野山等が目高で見えた。
発(11:47)
下り始め、踏み跡明るい南東尾根に誘い込まれる所だったが難を逃れ、変わらぬ雑木の界尾根を下る。界標は石標からプラ杭に変わっていた。方向が変わる尾根肩に出ると足元から開け、西には和田寺山と西寺山・その奥に西光寺山等が見え、南には最高峰の虚空蔵山がどっかり座っていた。『遠いなーあの近くまで行くのか・・・』と思った。
8・展望(11:54)
青と彫られた石標 (8)から虚空蔵山の展望
西ヶ洞山 : 西から
下小野原から下立杭地区も俯瞰しながら下って行くと間もなく松と雑木で展望が塞がった。界がやや分りにくい所も有ったがやがて建物跡のような地形の所に着いておにぎりタイムに入った。
9・(12:00) 麓では明日投票の衆議院選の選挙カーが候補者の名を連呼しながら走っていた。
発(12:20) 御狩山でもそうであったがクモの巣に悩まされた。今日も木の枝で巣を払いながら進み、横ばいの後緩く下っていると、工事中の貯水タンクの上に出た。
10・貯水タンク(12:28)
直径20m高さはビルの4・5階位有ったと思う。タンクは2基で外壁の塗装工事に入っていた。界で峠に下りたかったが工事で掘り返されたガラが押し出されていて危ないからと止められた。工事の人に連絡道を聞くと東の谷へ下っているとの事で、その谷に沿って付いた道を下った。峠の石仏も見たかったがそれだけの余裕が無く、また峠からの界は高い法面で上がれないのでフェンスが途切れた所から山に入った。
11・オロ坂(峠)12:40
界の方へ近寄って行ったが朽ちかけた倒木が重なっていて谷筋を上った。初めは杉林だったが高木雑木に変わって、ガレとザレと急登と蚊に悩みながら上った。右に界尾根が迫って、傾斜が緩んだ尾根の所で、それに乗って妻を待った。
12・(12:50) 尾根には踏み跡があって少し古びた赤ビニテープのマーキングがあった。再度急登を終えて
13・(13:08)
相変わらず蚊に悩みながらおやつを食べる(虫除けスプレイするも効果無し)。
発(13:13) やや東向きに進んで下り始めたが身の丈を越すウラジロ地獄が待っていた。どれ位続くのか・・・そんな時、シダの中で昼寝していたのだろうイノシシが右方向へ走り去った。シダは消えて今度は柴ヤブ、ここでも鉈が役にたつ。
ヤブも収まって雑木に埋もれるコルに着いた。
14・(13:40) 98年に虚空蔵山から下って来てここから道なき谷を西に下っていると林道(地図破線)に出て休場地区に下っているがこの時のマーキングが残っていた。(この日はオロ坂まで行く計画だったがMTB連れでの柴ヤブ突破は無理と判断して休場へ下った)ここから東へ下れば油井地区へも下れる(破線に合流?)。
ここからは踏み跡が明るくなるも急登だった。上り切って
15・破線尾根(13:57) 油井地区への下山案内と踏み跡は在ったが休場へは見当たらなかった。緩く上っていると展望が利きだして、岩尾根になった所からは大展望、中でも一番印象的だったのはトンガリ山の尖がり度で、実にお見事。遠くの西光寺山から西寺山・白髪・松尾・三嶽・八ヶ尾までも同定でき、辿ってきたピークも連なって見えた。
ゆっくりしたいところだったが残り距離を考えるとそうもしていられなく、と言っても18分も休んでいた。だらだらと上って点名草野に着いた。
16・草野(14:25) 八王子山の札が下がっていて標高540mと記されていて???。ここからも草野駅への案内があった。私も95年にはこれを使って下っている。
発(14:36)

(16)草野手前から奥白髪嶽、松尾山・右端奥三嶽の展望
視界が閉ざされて岩稜めいた尾根を行く、上り返して
17・(14:47) ここには太さ20cm位の萱の木が生えていて、少し古いがその内の2本に雷が落ちたのだろう地面にアースしたせいで樹皮が吹っ飛んで溝ができていた。ここから日出坂峠への険しい下り尾根が見えた。ほぼ横ばいに進んで
18・(14:55 展望ポイント) 道からほんの少し外れて西を覗くと「陶の里」とその北隣に10月1日にオープンする「兵庫陶芸美術館」も見えた。
薄暗い林を下ると、鉄塔手前で、ここからも草野駅への案内板があってかなり明るい踏み跡が水平に付いていた。妻に『未だ後は長いし険しそうだから「ここから1人で草野駅へ下れば近道だけど」と言ったが妻は「付いて行く」と言った。
19・鉄塔(15:03) 最後の急登を上り切って
20・3町境界(15:10) 界尾根にマーキングと踏み跡を確認してホッ私だけおやつを食べる。妻は少し先で待っていた。緩い下りから急になる所は南面が大きな岩場でそこに立つと、この後歩く界尾根が眼下に見えて最後の尾根肩まで見えた。
21・覘き岩(15:20)

(21)覗き岩からの展望
岩の北面を下って行くがハッキリした尾根が無く心配な所も有ったが色あせたマーキングを探りながら下った。下り切ると岩稜になり、北面が所々開け送電鉄塔も見えた。『こんな急斜面の何処に巡視路が付いているのだろう』と思った。また、振り返ると虚空蔵山が聳えていた。かなり疲れを感じながら進んで
23・(15:45) もし、この先のコルが峠になっていて、草野へ下れるならそれで下ろうかとも考えた。しかし、左右の切れ落ちは厳しく峠では無かった。
疲れのため2人の口数も少なくなっていた。上り切って北西尾根で草野に・・・と思ったが尾根に開きも在るし『最後まで頑張ろう』と思い直して進んだ。車の走行音や工事の音が大きくなってきて樹間から草野地区や駅も見えた。丘ピークを越えて下っていると予想通り巡視路に出た、それは整備されていて気持ちよく下れた。これで、難なく駅まで行けると思うと疲れも和らいだ。
短い急下りの後横ばいが続いて、尾根先端から少し下ると鉄塔が建っていた。
26・(16:32) 足許に舞鶴道が走り、近くにJRとR=176が寄り添って走っていた。さて、巡視路は草野の方へ下っているだろうかと心配したが藍本方面へと振り分けになっていた。長い間急階段が続いて下り切った。 27・
下り切り(16:44) 地図の破線を歩こう(歩けると)と思っていたがそこには「多紀造園」だったと思う。
資材置き場が建っていて高い塀に囲まれていてアウト!!。舞鶴道の下を潜るトンネルがあって、、潜ると南への実線(舗装路)につながる。北へも舗装路が上がっていたがこれは間もなく行き止まり(これは鉄塔下から確認していた)。さてどうする・・・その塀を回り込めないかと探したが急斜面で蔓ヤブで断念。高架橋の麓を歩いてフェンスに突き当ってから左の薄暗い杉林へ入り、北へ向かって進んでいるとJRのトンネルの入り口の上に出てアウト!!。
引き返して竹林に入り北へ進むと身の丈ほどの草ヤブになった。掻き分けて草野駅方面を目指す。やがて身の丈を越すススキ原に・・・。葉先の上から田圃で仕事の人が見える。『しばらく辛抱すると、そこに行ける』と思いながら向かっていると川に出た。水面までは低く川を突っ切りたかったが川底を見ると、ずり込みそうで諦めた。時にはススキを背中で掻き分けながら川に沿って進んだ。
そんなススキも一時途切れたが川は渡れなかった。再び竹林の中を進んでいると激ヤブで歩けなくなり東向きに進むと川に出た。ここはラッキーにも川底が砂利だった。水深は膝ぐらいあったが『渡るのはここしかない』と決めて10m位をジャブジャブと渡った。岸に上がってからもススキで大変だったが何とか田圃にたどり着け、疲れから大腿筋がつりかけ、そこに座り込んで休んだ。
28・土手(17:13) 手持ちの水分も残りわずかになっていたが、もう心配なく駅に向かった。
発(17:18)
川沿いの道を歩いて駅に着く。
1・JR草野駅(17:26 発17:35) 妻を待たせて自転車で車へ向かったが不来坂の上りでは又もや足がつりそうになるも乗り切って車に着いた。
2・辰巳地区(17:50 発17:55) 駅に戻って近くに新築された草野公民館で着替えたり休んだ。『妻の持久力は大したものだ』と思った。
公民館を発つ頃には薄暗くなりかけていて、もう闇に没しようとする中走っていると、社町馬瀬地区の手前で腕に反射板を巻き、その手に電灯を持ち、大きなザックを背負ってひたすら馬瀬地区の方へ向かって歩いている50歳位の男の人を見かけた。
装備から夜間歩行だと思ったが走り去ってから念のため車を止めてその人を待って『車に乗られませんか』と声を掛けると『お寺を巡礼しているので』と言われ、『有難うございます』と深々と頭を下げられ、心のこもった礼を言われた。『お気を付けて・・・』それ以上の問い掛けはしなかったがその言動に、私は心を洗われた。私はとっさに『この人は西国三十三札所を徒歩で巡礼されていて、第二十五番札所御嶽山清水寺から第二十六番札所法華山一乗寺へ向かって歩かれているのでは』と思った。
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