bR44  山中大師〜JRトンネル上〜ナースバシ


 霊験あらたか岩大師、夫婦揃って手を合わし界に乗って先ずは北へ。

町の字先から歩きながらも、地形と方向どうにも合わず???。

?マークが消えないままにトンネル上でおにぎり食べる。

界の南の尾根に居ると分かった時はリターン中。

往路辿って界南下、どんどん進んでちょこっと寄り道「ナースバシ」で一休み。

雷ゴロゴロ鳴り出して、急げ急げ峠を目指す。




阿草地区山中岩大師〜町境界〜町境界北上〜町界から外れる(迷い)〜

福知山線トンネル上〜引き返し〜町境界南下〜ナースバシ(438.6m三等)〜

481m〜小峠〜阿草地区山中岩大師。



◎所在地 : 丹波市山南町阿草の東から南東・篠山市との境界尾根

◎地形図 : 2万5千図  『谷川(たにかわ)』  『篠山(ささやま)』

◎山行日 : 2005.6. 4   (土)  曇りのち土砂降り       

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : @ 山中岩大師  A (4・5・6・7)地点尾根歩きと展望 

             B (10)地点前後篠山市側の高木雑木帯

◎走行距離 : 往路 56.3km  往復 121.8km



自宅発(7:24)〜R=175〜西脇市〜寺内北交右折〜R=36〜比延峠〜大峠〜

1・小峠・自転車デポ(9:05 発9:10)〜2・山中岩大師(9:15 発9:52)〜3・(10:23)〜

4・(10:33 おやつ 発10:48)〜5・コース確認(発11:00)〜6・(11:10)〜7・(11:16)〜

8・トンネル上(11:36 おにぎり 発12:03)〜7・(12:25)〜4・(12:45 休み 12:51)〜

3・(12:57)〜9・(13:26)〜10・(13:31)〜11・ナースバシ(13:45 おやつ 発13:58)〜

12・(14:02)〜13・(14:09)〜14・(14:16)〜1・小峠(14:28)〜自転車で走る〜妻合流〜

2・山中岩大師(15:00 発15:30)〜阿草地区〜R=77〜R=175〜自宅(17:27)



今日は18時から所要が有るため遠方の山へは行けない。ならば何処に行くかと迷った結果、5月14日小峠〜白髪岳〜松尾山〜大峠を歩いた帰りに下見した、小峠から北へ延びる町境界を歩くことにした。下見以来、このコースを歩くとすると。 @小峠に自転車をデポして篠山川から上るのが一番手っ取り早かったが「とりつき」が渓谷と崖で不可 A大国寺〜ナースバシ〜トンネル上〜引き返して小峠。これは距離が長すぎる B今日のコース。(下見の際「山中岩大師」と書かれた柱を見ていて、(この時は現地へ行かず)ここから上れそうだった)。

コース取りが決まって、界からほんの少し外れて一つ在る、三角点の名を調べると「ナースバシ」と言う意味の分らない山名だった。「ナースバシ」・・・何処かで聞いた山名と思っていると『兵庫丹波の山(下)』に載っていた。もう一件は『やまあそ』が2004年2月1日に私も考えついた山中岩大師から上ってナースバシから大国寺へ下っていた。まだタニウツギの花が咲く大峠から小峠に下って自転車をデポして山中岩大師に着いた。 1・小峠・自転車デポ(9:05 発9:10)〜2・山中岩大師(9:15) 車は手前の草原に止めて登山支度をし、山中岩大師へ向かった。

近年建った新しい東屋に「山中岩大師」の謂れが書かれたボードが掛かっていた。それには『旧京街道端であり、旅人が足の無事を祈願したといわれる。特に足の病に霊験があり、神経痛、癌完治や受験御礼等に各地から参拝する人があとをたたない。高さ7mの岩に大師の像が浮かんでみられる。像の足許から湧き出る清水に霊験がある。 阿草部落百生会が管理 1982.2 阿草文化財管理委員会』と書かれていた。(百生会=百姓会でなく“百まで生きる会”の意味だと思う)

東屋の左に石段があって、少し上った岩の下の小祠に「黒川地蔵大菩薩」と「役行者神変大菩薩」が祀られ、その上の高さ7m幅10m余りの岩盤の付け根の小祠に御大師さんが祀られていた。案内の「大師の像」は何処に・・・と前から横からしばらく眺めて探したがそれらしき姿は見当たらなかった。また清水の方は岩の割れ目から湧き出ていたらしいが現在は微量が湧き出ているようで、前面をコンクリートで堰き止めて小さな水溜り(40×30cm)が作られて、その中にサワガニが棲んでいた。と言えば水はキレイなように想えるがとても飲めるほどの清い水質でなかった。


山中岩大師の東屋 西から(入り口方面)左手から岩大師へ  御大師さんが祀られている祠右の黒い所が霊水

発(9:52) 祠の左からいきなりの急登が始まる。混生林の中に道らしきものが付いていてそれで上って行く、やや緩くなった頃に鹿網(マッタケ山の境界)を通過する。露岩が出てきて赤松・ソヨゴ・ツツジ・久し振りのムロが生えていてチクリチクリと痛い。更に緩くなると道がハッキリしてきて、振り返ると高山・猿藪(こちらから見ると尖がっていない)・天狗山が見えた。展望が塞がって間もなく町境界に着いた。 3・(10:23) 方向確認する。右へはナ−スバシで開あり、ここは左(北)へ進む。道は凄く明るくなってコルには左から踏み跡が上がって来ていた、上り返しで振り返ると松尾山と白髪山辺りが見えた。

右側がマッタケ山で珍しく針金で囲まれていた。上り切って 4・(10:33) ここでおやつを食べながら地図の「比高」マークの方へ出てみると尾根から西面がざっくりとずり落ちていた。それだけに展望は抜群で高山・猿藪(ここから見ても尖がっていない)・天狗山がより確実に見え、手前の谷に奥山地区が見えた。 発(10:48) 針金とスズメ脅しのキラキラテープに沿って下って行き、軽く上り返して 5・(10:55) 何で思い違いをしたのかここを地図の(4)地点を見ながら(5)と思い込んで???。素晴らしい赤松尾根を見ながら「この尾根は別尾根」と、しばらく考え込んでしまった。やがて、勘違いに気が付いて素晴らしい赤松尾根を歩き始めた。発(11:00) 

  
(5)地点で切れ落ちに根張で耐えて生えている赤松 (7)への岩稜 北から(紐がうるさい)

尾根左は切れ落ちていた。 6・(11:10) 真砂土の地肌が広がりその上に背の低い松が生えて私の好きな場景、振り返ると松尾山と白髪岳辺りが見え、少し先へ行くと西が全開して篠山川と川代公園の吊橋も見えた。そして問題の 7・(11:16 地図を見ると急下りになっていた。尾根先に立って地形を確認すると、開きとキラキラテープと角プラ杭の立つ尾根はやや西に向かって下っていた(今地図を見ても確かに尾根先からの尾根は西に向かって下っている)。

界尾根は確認できず山肌としか見えなかった。また、ここでは立っている地点を見誤っていたかも知れない。つまり界尾根と西尾根との分岐の地点に立っているとすれば私が乗った尾根が界尾根になる。そこで、右の開きが界尾根と思い下ったかも・・・。展望は直ぐ塞がって、急下りが続くはずなのに間もなく緩くなって行き??。

下り切ると右桧林になって右から横ばい道が来ていた。丸いエンビのパイプが尾根に打ち込まれて続いた。これを界杭と思ったが方向が合わなかった??。やがて方向が東向いてホッとしたがもう一つスッキリしないまま歩いていた。そして尾根先に着いた。 8・(11:36) 下見の時は物凄い断崖だった、それを確かめるべくザックを置いて空身で下って行った。


樹間から見えた鉄橋

しかし断崖は出てこなかった??。右激斜面木の間から覗くと見覚え有る鉄橋が見えた。やがて篠山の方から電車がやって来て間もなく鉄橋を渡る大きな音が消えてトンネルに入ったことが分り、トンネルの上に来ている事が確認できた。引き返しておにぎりを食べながら地図を見ていた。半信半疑のまま 発(12:03) やっぱり方向が合っていない・・・ここに来てやっと町境界の南に良く似た尾根が在ることに気が付いてその尾根を歩いている事が分った。『木を見て森を見ず』視野を広げて見ておれば今回の間違いは防げたかも知れない・・・。 7・(12:25) 入念に町境界尾根を探したがやはり尾根確認するには至らずその先端だけがその地形らしく思える程度だった。先行の妻を追う、もちろん引き返しはスムーズだった。


(6)からの展望・奥左松尾山・右白髪岳

4・(12:45)
 R=36も見えていた。小休みして 発(12:51) 間もなく 3・(12:57) 赤ビニテープで山中岩大師への案内を書いて発つ。難なく進めてコルに着くと右(南)谷から涼しい風が吹き上げていてしばし風の中に身を置く。 (13:02) 篠山側は太いホウやシデ・クヌギが生える自然林。山南側は桧林が続いてコブを越えてコルから古いV字の道が出て上へと続いていた。(東の谷の実線とつながっていたかも知れない) 9・(13:26) 界は何の支障もなく歩けた。 10・(13:31) 

下りから消えていたV字の道が出た。左自然林には多くの太い蔓が木に巻き付き地面を這っていた。コルから東の谷へ道が下り(ほとんど消えている)進行方向へは明るく残って何処まで続くのか先のピークの西山肌に水平に延びていた。そこから篠山側に(4)地点以来の思いがけない展望が得られ、三岳・西ヶ岳・鋸岳連峰・そして左端に丘ピークの夏栗山が見えた。中登りをしてナースバシへの尾根分岐に着いた。方向も合っているし間違いないと思っていたが三角点を見るまでは何時もながらどきどきする。

尾根には広い開が在って計算通りの距離で三角点に着いた。 11・ナースバシ(13:45) 島田君達はここから東の尾根を辿って大国寺へ下っているがその尾根も広い開が続いていた。おやつを食べていると北の方で小さく鳴っていた雷が直ぐそこにやって来て地響きもせんばかりの雷鳴。急いでおやつを切り上げて小峠へ向かった。 発(13:58) 気持ちよく吹いていた風も予想通り雨の前の風だった。雷に追われるように急ぎ足で開を進んだ。直ぐのコブから右の桧が消えたが界は広く切り開かれ、傾斜も小さく歩き易かった。東側深い切れ落ちで 12・(14:02) 

13・(14:09) ここは古峠だった。緩く上って行くと太い赤松が沢山生えていてとてもキレイだった(マッタケ山ではない) 14・(14:16) やがて右が桧林になって快適な道を下って尾根先に立つと、そこは見覚えの有る小峠だった。 1・小峠(14:28) 妻が降りて来るのを待っている間に雷鳴の方を見ると見た事が無いほどの黒い雲が空を覆っていた。自転車に乗って下る。、急な坂道でペダルを踏むことも無く下っていると、とうとう雨が落ちてきて、車が見えだした時には土砂降りに風が出て暴風雨になった。

それでも余り濡れることなく車に着いて、妻を迎えに引き返した。そのままま帰路に就くつもりが、雨が小降りになったので環境の良い山中岩大師へ戻ってそこで着替えたり休んだりした。その時、岩に浮かぶ大師像は・・・と思い像を探しに上がる。霊水が湧き出ている上の岩盤に像を見つけた。像と言っても顔は両目と鼻、これはかなりハッキリと判別出来た。その下の割れ目が横断して肩から下が丁度コケシの体の部分のよになっていた。

(写真に撮っていたが写真には見た目程ハッキリ写っていなかった)私がそう想った(見た)だけかもしれないけど・・・。気象条件によって見えるのかも知れないと思ったり、あるいは昔は像がハッキリ浮かんでいたのかも知れない・・・。また雨が降り始めて帰路に就いた。そして、小野市の『ひまわりの丘公園』辺りに戻ってきた頃再び大雨になった。

※@下見の時からトンネルの上が町境界と思い込んでいた(先入観)事も界を外した要因。 
  A山中岩大師さんへのお参りが真剣でなかった?。なども町境界を外した原因かもしれない・・・。


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A山中岩大師

431m
11・ナースバシ・438.6m
13:02

@小峠

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13
14