bR42  植松山



順調に上って行って杉の倒木、道は何処かと探すうちにコース外すも復帰する。

右に左に谷を渡り植林急登長い上り、終えれば間もなく植松頂上。先ず目に入る盟主黒尾。

など、等、などの眺めは満足。

帰りに寄り道「小河内滝」は適度の水量飛沫を浴びてタップリ吸い込むマイナスイオン。




岩野辺地区〜植松山(1191.1m三等)往復。




◎所在地 : 宍粟市千草町岩野辺地区の北東に在る山

◎地形図 : 2万5千図   『千種(ちくさ)』 『西河内(にしごうち)』

◎山行日 : 2005.5.8 (日)  曇り    @’96.8.18   

◎山行条件 : マイカー登山(5人) 生田(CL)・森・北村・馬場・大柿    Age=58

◎コースの見所 : @ 小河内の滝 A 植松山頂上から東180度展望 

             B 植松山頂上池(一見の価値あり)  C 運が良ければ「つちのこ」?

◎走行距離 : 往路 109.0km  往復 ?km



※ 現在地確認曖昧したがってスタート以後の通過地点bニタイムは不明確なところあり。

自宅発(7:40)〜JR魚住駅(8:00)〜加古川BP〜姫路BP〜R=29〜山崎町〜

一宮町道の駅(9:07)〜波賀町〜斉木口交左折〜R=429〜トリガタワ(9:38 発9:43)〜

千種町〜1・S/G(9:56 発10:10)〜2・(10:55 おやつ 発11:05)〜3・滝分岐(11:23)〜

4・(11:38)〜5・植松山1191.1m三等(12:18 おにぎり 発13:05)〜4・(13:37)〜

3・滝見物(13:48 発14:04)〜1・S/G(14:48 発15:05)〜トリガタワ経由〜

R=29〜山崎・(16:00 千年ふじ観賞 発16:32)〜往路〜自宅(17:45)




生田さんが担当で計画された山。自宅まで迎えに来てもらい、送って頂くと言うラクチン山行き。魚住駅で全員揃って植松山へ向かった。「千種町経由で」と思っていたが我が生まれ故郷波賀町経由だった。一宮町の道の駅で一休みして波賀町斉木口交差点左折してR=429を走る。波賀と千種をまたぐトリガタワは何れトンネルが掘られると聞いていたがその工事の進み具合は一時中断状態だった。トリガタワで車を止めてもらって「トリガタワの由来」やモニューメントを見る。

『その昔、千種町岩野辺と波賀町斉木との境界の峠に観音様をお祀りしたお堂があり、両町か←この裏に
  トリガタワ由来文
ら村人が参っておりましたが、ある日、双方の村人がお互いに自分の村にこの観音様を持ち帰りお祀りしたいといいだし、この峠で話し合ったがどちらも譲らず夕方になっても決着がつかないので古老の提案で、明日の朝一番、鶏の声を合図に村を出て早くここに来たほうが連れて帰ることで話し合いがつき、夕闇の中、それぞれの村に帰っていきました。岩野辺の人々が山をおり高橋の所まで帰ったとき、急にあたりが夜明けのように明るくなり大石の上で黄金の鶏が目前に現れ大きく羽ばたき、「コケコーロー」と天に向かって鳴いたので村人は大変不思議なことが起こったと驚き、これは、観音様が岩野辺に来たいというお告げに違いないと、早速引き返して観音様を大切に持ち帰りお祀りしたそうです。これが現在、岩野辺福海寺の本尊だと言われており、その頃からこの峠を「トリガタワ」と呼ぶようになったそうです。』


 
「トリガタワ」のモニューメント    千種側から波賀町側から

タワから下っていると正面にドーム状の植松山が見えてきた。R=429から登山口の駐車場に向かって上る、鹿網ゲートを通過して舗装路から地道になって駐車場に着くと車が五台止まっていて上りかけている人も居た。 1・S/G(9:56 発10:10) 初めの谷川渡り (10:15) 誰かが杉丸太を沈めていてその上や石を伝って渡る。杉林を上っていると平地が目立って、タタラが在ったのだろう「金クソ」が沢山ちらばっていた。 (10:19) その後昨年の台風や豪雨で洗い出されたのだろ石畳を見たが頂上に建っていたと言われる「福海寺」への参道の名残か・・・。(この後も何箇所かで見た)左の谷筋から水が流れている所で、早くも下ってきている人(70歳?夫婦)に会う。 (10:22) 

聞くと「谷川を濡れずに渡れるように石を並べたり、倒木の邪魔になる枝を切ったりしている内に体力を使い過ぎて頂上まで上れなくなって下山している」とのことだった。見ると腰には「腰鉈」を携えておられた。この歳にしてこの気力に脱帽!!どの辺りで引き返されたのだろう・・・。間もなく谷川を渡る。 (10:31) 次第に右の谷が深くなっていき、傾斜がきつくガレになって行く、辺り一面の雑木や杉が根こそぎ倒され、杉の倒木が並列に連なって道を塞いだ。CLはそれを避けて道を探して上へと上がって行く。私は最後尾で追いながら上って行き、馬場さんは独自のコースで左の谷寄りに上っていた。10m位上った辺りで下の方に道を見つけ、間もなく復帰した。私は道を塞いだ杉の所に引き返して倒木の枝打ちをして通り易くし、マーキングをしてメンバーに追いついた。そこでおやつタイムに入った。 (10:55)

 
道から外れて苦闘しているところ @北村A馬場B生田    道に復帰して休憩 @北村A森B生田C馬場

おやつを食べていると早くも御夫婦(30歳?)が下りて来られた。 発(11:05) 間もなく傾斜が緩んで心地よい水音を聞きながら上って行き、谷川を左から右に渡る。傾斜がきつくなって「小河内の滝」への分岐 3・滝分岐(11:23) 滝へは寄らなかったが案内が無ければ分らない位微かな踏み跡になっていた。この上(先)が滝の右側面の岩盤で急斜面。一抱えに余る太い杉が根こそぎ倒れていた。上り切って滝の頭も右崖の木が根こそぎ谷川に倒れ込んで、朽ちかけた木橋の道を塞いでいた。

そこを通過して谷川を右から左へ移ると、さっきまでの険しさがウソの様に緩くなりホオジロのさえずりも水音も軽やかに聞こえてきた。道はそのまま奥へと続いていたが谷川を右へ渡る。 4・(11:38) ここから尾根を上って、一度緩んでから延々と桧林の中直登、左後方が開けて谷向こうに広範囲の植林帯が見えた。右の谷に一筋の流れを見ながら上って道は不明確になりマーキングを頼りに上って行く。私は源頭を見に行くと、岩盤の間からとくとくと湧き出ていた。水周りの清掃工事をして後を追う。

遅れついでに直登して尾根を南に上っていると頂上池が在って其れを見に行く。植界から少し入った所に在って最大長東西2m最大幅1m深さは20cm位。池の縁は切れ込んでいて自然に出来たもので無く人工的に思えたが・・・。中には蛙の卵が浮遊していた。ここに福海寺が建っていてその池??。身の丈程の笹の中にアセビが満開だった。少し上っておーいと声を掛けると返事があってその方へ進んで三角点と小さな祠の横を通って展望利く東面に出て合流した。 5・植松山(12:18) 東正面に均整の取れた一際高い山、黒尾山が目に付いた。

次はここから北へ回り込んだ尾根に在る「ヒルガタワ 1117m」次は東山から一つ山など・・・。島田君達は私の実家横から上って大甲山、ヒルガタワを経てここまで来て岩野辺へ下っているが、私も歩いて見たい・・・。森さんはラーメン、北村さんは雑煮、他は定番のランチ。北村さんに雑煮を頂く。頂上は肌寒い事もあって暖かい雑煮は一層美味しかった。(スタート時生田さんから全員にどら焼きを頂く)初めて上った時は余り印象に残っていなかった山だったが改めて“良い山”と思った。祠の傍らに立つ白い角杭には「霊峰植松山福聚寺」と記され登山口からのプレートには「石原山 福海寺」となっているのは・・・異なった寺が建っていたのか・・・。


植松山で山座同定しているメンバー左から生田・北村・馬場・森

      
頂上池 南から         石標の近くに在る金属製の祠発(12:13:05) 

全員で頂上池を見てから下った。 4・(13:37) 下りはやはり早く 3・滝分岐(13:48) 滝を見に入る。道は倒木で塞がっていたがそれなりに谷川を渡って近寄って行くと、水量も適当で見頃だった。 不動明王も飛沫を浴びて今の時期は寒そうだった。 発(14:04)

  
北側から見た小河内の滝    滝と向かい合って祀られている不動明王

後は往路を下って、道を外した所で倒木の枝打ちをして倒木の下も潜れるようにし、より通り易く道も分かり易くして駐車場に戻った。 1・S/G(14:48) 直ぐ近くを谷川が流れているので夏場なら汗を流すことも良いだろう。 発(15:05) 帰りに山崎町の「大歳神社」にある県指定文化財 天然記念物の「千年ふじ」を観に寄ると、もう盛りは過ぎていたが多くの人が観に来ていた。
「千年ふじ」=天徳4年(西暦940年)に植えられたと言われている。

’96.8.18 に上った時は始めのうち道も分かりにくかった。植松山頂上からの下りは南西尾根の924mを踏んで下った。今回道を外した辺りからも見えたハゲ尾根がそれであるがここを下ると日名倉山・後山・三室山・千種スキー場なども見えるお勧めコースも終盤は激下りで難儀した。(現在は踏み跡が在るかも知れない)


高野山真言宗石原山福海寺福聚寺跡地
96年に上った時に撮った写真で頂上に出る所に掛かっていた。


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