336    永富村(社町ウエストワンズG場周り


永富村『永く富める村』と読めば、こんなリッチな村は何処に。

上り始めはシダ藪出たが、やがてシダ消え展望開け、花を見ながら上り行く。

岩盤露岩岩稜はシダ柴小藪も在ったけど中盤以降はルンルン巡視路。



ウエストワンズG場入り口付近の池〜永富村(305.7m三等)〜330m〜町境界〜

西進〜284m〜3町境界〜西脇市と滝野町境界〜R=144。




◎所在地 : 加東群社町吉馬地区東のウエストワンズG場周り

◎地形図 : 2万5千図 『西脇(にしわき)』  『比延(ひえ)』

◎山行日 : 2005.4.2 (土) 曇り      

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : @ (7)から360度展望   A (14)から南北の展望 

◎走行距離 : 往路 32.9km  往復 66.2km



自宅発(7:20)〜1・S/G(8:31 発8:50)〜2・(8:59)〜3・(9:02)〜4・(9:12)〜

5・(9:24)〜6・永富村305.7m三等(9:40 発9:50)〜7・(10:05 発10:13)〜

8・(10:45 発10:59)〜9・(11:15)〜10・(11:50 おにぎり 発12:10)〜11・(12:30)

〜12・3町境界(12:40)〜13・(12:51)〜14・(12:55)〜15・鉄塔(13:09)〜

16・祠(13:20 発13:33)〜17・池(13:38)〜18・R=144(13:45)〜

1・S/G(13:57 発14:14)〜往路〜自宅(15:35)


今日は夕方から雨の予報「近場でしかも短いコース」と言うことで、西脇市と滝野町の境界が少し“虫食い”で残っていたのでここに決めた。今日一つ在る点名『永富村』はなんとリッチな名前の山、ならば麓にこの名に絡む地区が在るかと探したが見当たらなかった。合併して村の名前が消えてしまったのかも知れない・・・。何処から上り始めるか決めかねたまま現地へ向かった。R=144からG場への道を走って、尾根先に在る池に向かう地道へ入ると車を止めるのに適当な場所が有った。 1・S/G(8:31 発8:50) 

とりあえず直ぐ上に在る池へ向かい堤へ上がると、バス釣りだろうかボートに乗った二人(男)が竿を出していた。池の右に道が付いていて、これこれ、と思いそれを歩いて尾根先へ向かった。今は使われていなく柴で塞がりかけていたがそれなりに進んでいると、小さな池の下に出た。堤に上がると、この後歩く尾根とピークが池越えに見えた。 2・(8:59) 池の管理道は北から来ていて、それを歩いて尾根先へ着く。 3・(9:02) 尾根には道らしき跡が在って上り始めたが、すぐにコシダの藪になった。「これが長く続くと大変やなー」と思いながらしばらく辛抱して上がって行った。ウグイスの鳴き声や、咲きかけたツツジの花が気を安らげてくれる。間もなくシダ藪から開放されて肩に着いた。 4・(9:12) 

一度は通り過ぎたが「まてよ!!」と思い引き返して気になった石、岩を見直すと、殆どが地中に埋もれていたが『これは人工的に組まれている』と思い、凄く高い確率で古墳の石室と思った。展望が開けてきて直ぐ南の尾根も快適に歩けそうだった。G場の西には以前歩いた『飯盛』の尾根が横たわっていた。4・(9:12)上り切ると尾根と南面が岩盤だった。踏み跡?が在って小枝が折られ、折れ口からすると人が歩いてそんなに日が経っていないことが分かった。

上り中ほどで露岩が出て扁平な石の下に小動物の棲家を見た(日々使われている形跡あり)。上り切ると、標石の横に大きな対空標識が横たわっていた。今年、点名上三草・山口上で見た対空標識の長さが二倍の60cm幅は15cmで同じだった。 6・永富村305.7m三等(9:40) 『平成14年3月までこわさないで下さい』と杭に書かれていたからこの時期に測量されてのだろ。展望なしもつつじとアセビが咲いていた。 発(9:50)

  
点名『永富村』の対空標識南から 点名『永富村』から少し先で色違いのアセビ


(7)からの展望・尖り右11番・左13番

短い横ばいから下りにかかるとアセビとつつじが沢山咲いていてピンクかかったアセビも見かけた。ここもイバラが多く痛い目にも遭いながら上り始めた。短急登も周りが開けて岩盤ピークに立つ。 7・(10:05) 正面下『廻谷』の上に横たわる岩尾根には、二つの槍が突き出て美しく相変わらず惹かれる。北を遠望すると大坂山や最高峰も見え、東は三草山やその麓の昭和池で水上バイクが白波をたてていた。ここの南にも大岩盤山塊が在った。 発(10:13) シダ柴藪っぽくなってイバラも多い。露岩を乗り越え左下にG場を見ながら進む。廻谷から「こすり跡」が上がってきていたコルから一段上り切った所でおやつを食べた      8・(10:45) 

振り返ると辿ってきた尾根も見えた。 発(10:59) ここからの上りは等高線以上に急上りでシダで塞がり気味だった。上り切ると岩稜に岩が積み重なる面白い尾根となって横ばいを行く。 9・(11:15) 以前に巻いた布が下がっていて、後は2月12日(bR11)に歩いた巡視路に出て3町境界を目指した。何でも数えるのが趣味??でも無いが、G場へ来ている車を数えると181台止まっていた。鉄塔下の岩盤に腰を下ろし、プレーを見たりしながらおにぎりを食べた。10・(11:50 おにぎり 発12:10)歩いてきた尾根の殆どが視程に入る。             

鉄塔から、前回は界を外れて歩いたので、今日は界を忠実に歩いた。次は284mここも、今日は界を外さず越える事にした。(妻は巡視路を歩く)始めは柴藪っぽかったが直ぐに開けて上り切った。 11・(12:30) 尖がった山だったので「頂に何か在るかも・・・」と思っていたが何故かケルンが存在した。前回簡単と思っていた下りの方が藪だった。眺めると妻は早くも3町境界近くを歩いていて、後を追って行く。12・3町境界(12:40) ここからは未知の山域。踏み跡は無かったが下草も無く難なくコルに着いた。すると。左から巡視路が上がって来ていた。前回3町境界先のコルから右の谷へ下っていた巡視路がここへ繋がっているのだろう。

巡視路はラッキー?にも次のピークへ上っていた。気温も上がっていて、短急登も疲れた。13・(12:51) 後は横ばいの後下るだけとのんびりモードに入る。何たって整備された巡視路だから・・・。右は切れ落ちて金城池が見え始める。間もなく岩尾根になって、しばらく展望。 14・(12:55) 南の谷下方に在る池の水が緑に染まって美しかった。妻はもう鉄塔近くまで行っていた。


(14)地点アセビとツツジのツウショット  (16)地点の祠 西向きに建つ

走るように妻の後を追って 15・鉄塔(13:09) 巡視路は何処へ・・・と探すと尾根の上に付いていた。尾根先に立つと足元から開け、さて、巡視路は何処へ下るのか・・・岩盤から地道に変わり、混生林を下って緩く上ると瓦の破片が目に付いてきた。お堂でも建っているか建っていたかもと思いながら進んでいると一番の高みに祠が建っていた。 16・祠(13:20) 祠の内部を見ると蜂が巣をしていて、その巣を誰かが掘り出していた。巣の形状からするとミツバチのように思ったが、そうとも言い切れなかった。中には木像が納められていたが、蜂が食い荒らして顔はノッペラボウになっていた。

余りにも哀れなお姿に掃除だけでもと内外を即席箒で掃く奉仕作業。 発(13:33) 界を確認することなく発って巡視路を下り、池の所に下った時にハッとする。界は何処だった・・・もうあとのまつりだった。界は祠から西に下っていた。 17・池(13:38) 前回飯盛山から下ってきた所を通過して 舗装路に出た。 18・R=144(13:45) 結局雨にも遭わず車に着いた。 


トップに戻る 歩きの記録に戻る



@

9・330m
6・永富村
  305.7m
14
13
12
11・
284m
10
15
16
17

×