335   明神山〜小明神〜西山〜城山 


やっぱり名山『明神山』あれもこれも、あっちもこっちも、歩いてみれば大満足。

なが〜い間あたためていて先を越されてしまったけれど(大明神コース)

チャンス到来歩いて見れば・・・。




夢やかた〜Aコース〜442m〜明神山(657.9m三等)〜小明神〜549m〜

大明神コース〜西山(342.6m四等)〜明剣岳〜(大明神コースから外れる)〜

325m〜城山(262.4m四等・天神山城跡)〜本条地区。



◎所在地 : 飾磨郡夢前町神種(このくさ)の北方山塊

◎地形図 : 2万5千図 『前之庄(まえのしょう)』  『寺前(てらまえ)』

◎山行日 : 2005.3.26 (土) 晴れ さわやか

 ’94.7.24(B〜頂上〜AとAuの間谷と思う=この頃はA〜
 Auコースは無かったと思う)
         
 ’96.3.24(B〜頂上〜B)  
         
 ’99.1.16(B〜頂上〜小明神〜549m〜E)  
         
 ’01.7.22(B〜頂上〜小明神〜549m〜変則E)  
         
 ’04.2.24(C〜頂上〜小明神〜549m〜北尾根〜立船野(589m)〜
  引き返し〜東尾根〜568m〜南尾根〜北山(422.8m)〜西村地区)
         
 ’05.3.26(A〜頂上〜小明神〜549m〜大明神コース〜明剣岳〜325m〜
  城山〜本条地区) 

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=58

◎コースの見所 : 

 @ 明神山からの大展望   A (3)〜(6)の間の岩尾根 

 B 西山の直近に在る大スラブ等トニカク大岩盤、大岩稜多々

◎走行距離 : 往路 59.9km  往復 107.7km

◎播但道通行料   往=700円   復=600円



自宅発(7:47)〜加古川B・P〜播但道〜市川南L〜甘地〜福崎町〜近畿福祉大前〜R=23

〜夢前町〜前之庄交右折〜1・自転車デポ(9:10)〜2・S(9:17 発9:35)〜

3・鉄塔(9:47)〜4・Auコース分岐(10:11)〜5・西の丸(10:17)〜6・(10:28)〜

7・Bコース分岐(10:41)〜8・莇野(あぞの)分岐(10:53)〜9・明神山(11:05 発11:25)

〜10・小明神(11:38)〜11・549m(11:50)〜12・(12:00)〜13・(12:11)〜

14・(12:15 おにぎり 発12:37)〜15・(12:57 発13:12:)〜16・(13:19)〜

17・西山342.6m四等(13:38)〜大スラブ〜発13:45)〜18・峠(13:58)〜

19・(14:03)〜20・明剣岳(14:15 発14:20)〜21・325m(14:32)〜

22・鉄塔(14:38 おやつ 発14:43)〜23・(14:50)24・(15:00)〜

25・城山262.4m三等(15:20)〜26・城跡(15:30)〜27・(15:40)〜

28・林道(15:57)〜1・(16:05)〜2・(16:15)〜着替え(16:25 発17:00)〜

播但道福崎北L〜加古川B・P〜自宅(18:26)



’99.1.16に549mから下った時以来、今日のコースを考えていながら『MTBを連れての縦走は果たせそうでない』と弱音が出て、歩き登山?になるまで残していた。現在は「明神山愛好会」のご苦労によって、あっちこっちとコースが整備されて歩き易くなっている。整備前に、549mから明剣岳まで柴藪を抜け、岩盤尾根を歩いた人は、見上げる明神山や七種山方面の展望で如何程の感動を覚えられたか『私には推測できる』と言えばお叱りを受けるか・・・。

“ここは”と思うコースは上って見て、下って見て、四季を通じて歩いた後、本当の楽しさ、辛さ、美しさ、感動等々受けられるのでは・・・と思うが『そんな余裕どこにある』とこれまたお叱りを受けるか・・・。神崎Lで播但道から降りるつもりが、通過してしまって市川南Lで降りた。甘地に入って夢前町への道が分からなくなって道をたずねる。七種山への交差点に出てホッ、そして下山口に決めていた所に自転車をデポした。 1・自転車デポ(9:10) 

明神山を見上げながら走って「夢のさと夢やかた」に着いた。 2・S(9:17)今日は何かイベントがあるらしく白いテントがなん張りか張られていた。スタッフに聞くと「里やま体験・・・」が有るとの事だった。従って駐車場に登山のための車を止めるのが気が引けて、係りの人に承諾を得る。それどころか、私が歩くコースを言うと、明神山までの所要時間まで教えてくださった。 発(9:35) 間違って市川町を経由した事で30分は遅れたように思う。

初めてのAコースから上ることにした。そのまま谷筋(’94.7.24に下ったと思う谷)を上るかと思っていたが折り返して右の尾根に取り付いた。間もなく早くも下ってくる人に出会った(同年代?男) 3・鉄塔(9:47) 左の谷向こうの岩稜尾根に三つの「尖がり岩」が出ていて珍奇岩??その下岩盤の水平断層に見た目は、まさに「祠」と思える形(影)を見ながら上った。(いつも双眼鏡を携帯しているが覗くに至らずも岩の方は“三ツ岩”と言うらしい)立ち木疎らな明るい尾根を上っていると左右切れ落ちた岩稜、大黒岩を通過(9:52)

東を見るとCコースの尾根が横たわっていて、その上に七種山から薬師が霞んで見えた。三ツ岩を見ながら上る。すばらしい岩稜は続いて、今度は傾斜がきつい岩盤“マンモス岩”(10:02)尾根にはトラロープが張られていたが、親切に、そこを通過できない人のために巻き道が設けられていた。(これも短激上り)東に地蔵岳を連れて明神山が天空を突き、下方には上ってきた尾根と「夢のさと夢やかた」が見えた。


大黒岩                   大黒岩から続く岩尾根

上りきった所が 4・Auコース分岐(10:11) ’94年に通過?全く記憶なし、短い急登で 5・西の丸(10:17) 「ポスタードロ、いつかは罰があたるぞよ、早くかえせ」とポスター(ガイドマップと思う)が貼ってあった板に貼ってあった。誰かが、もし本当に剥して持ち帰ったとするなら・・・悪いと思いながら持ち帰った人は・・・。ここで一段落、後しばらくは大きな上りが無い。点々とアセビや椿が咲く尾根を行く。時々左右が開ける。

左は莇野への谷とR=411の谷筋、その上方に夢前と安富町の界尾根が長く延びていた。(あるいてみた〜い)岩盤、地道で完全整備の道が続いて 6・(10:28) 岩盤の上から360度展望が得られた。東は先ず手前からCコース、大明神コースからその先端「城山」辺りも同定。その遥か彼方にはお馴染みの七種山から薬師が霞んで見え、右端に尖がるのは点名「三枝草」か?雑木尾根は視界が閉ざされて、男性二人がベンチに座って休んでいる所に着いた。 

7・Bコース分岐(10:41) あいさつを交わす。「急登だったでしょう」『汗をかいてへとへとや』「今からが本番やで」と残して発つ。姫路から来たとのことだった。物凄い勢いでハイカーが入っているみたいで、道は“荒れ模様”とさえ思えた。上っていると莇野へ下るコース(尾根)への分岐、私はその方へ入る。妻は正規コースで上って合流。 8・莇野(あぞの)分岐(10:53) 

ここには行政の道標も立っていた。莇野の字の上に誰かが“あどの”とのルビをうっていたが・・・。 ここからはしばらくやぶ椿の群落が見られ、ごろた石の所を越えると平地に出て 9・明神山(11:05) 20歳半ばらしき女性が二人コンロを使ってラーメンを作っていた。途中で追い越したご夫婦と分岐で出会った人が次々と上ってこられた。

展望は私が知る範囲で言えば60%氷ノ山は見えなかったが西に見える、白く大きな雪山は那岐山だろうか・・・注目は、やはりこの後たどる本条への尾根筋だった。明剣岳から先は霞んではいたがクネクネと曲がって長く感じた。Cコースで50歳代の人(男)が上がってきたり、西の方を双眼鏡で見ている人あり。


明神山頂上から東方向・左奥左寄り七種山、薬師。右中央西山、明剣岳

発(11:25) 北から冷たい風が吹き上げてきていた。少し下った所で上がってくる人に出会う(同年代?男)Dコースには美しい滝が在ると聞く。小明神手前の展望所で切り倒されて放置された木が見苦しかったので妻を待つ間に少し方付けさせてもらった。 10・小明神(11:38) 今度は熟年男性二人と婦人一人が上がってこられ、龍野と姫路から来たと言われた。

婦人は、私の着衣を見て目を丸くし(と思ったが)問うてこられた。『その服装は・・・など』聞くと大明神コースで3時間位かかったと言われた。まだ冷たい風が吹いていた。ほぼ下り切った辺りで婦人に会う、この人も大明神コースからだった。こちらは主人を待ちながらで『主人は大岩の所で一気に弱った』と言われた。

Eコース分岐を過ごして 11・549m(11:50) かなり汗をかいて上って来られた人に出会う(40歳位男)はっきりは覚えていないが『前を行く夫婦を追い越そうと思い頑張ったけど逆に置いて行かれた』『上は人が多いですか』「次々と上がって来ていたと思います」。私と気が合いそうな感じを受けた。「もう少し?頑張れば頂上です」と言って離れて行った。

ここで出会った人から、『私が出会ったのは“播磨の山猿”さんだと思う』と言ったメールが届いていて返信をしたが、この人もH/Pを持っておられハンドル名は“歩多楽(ぽたらく)”さんだった。後に、この人のH/Pに私の事が書かれていると、井上さんと島田君(やまあそ)から連絡が入った。(’04.2月にはここから下らず北へと入って行った)

下って緩くなった所 12・(12:00) ’01.7.ここから、やや南寄りの尾根に下った時に付けた布が残っていたので念のため取り外した。この尾根からEコースに出て下山したが物凄い柴藪の急下り、おまけにMTBを連れていたので難儀した。(現在の大明神コースの下見を兼ねてのものだった) その後は岩場?となって遅れがちの妻を待ちながら下る、

尾根にも大岩が出て、私はその大岩を乗り越えながら下った。(待ち時間を有効利用?) 13・(12:11) 植林の倒木を越えた先で明神山を見ながらおにぎりタイム。 14・(12:15) 右からの水音はもしかすると滝の音だったかも知れない。ウグイスも鳴いていた。 発(12:37)

いつ頃歩いた人が付けたのか「しばやぶゾーン」と書かれた白いプラ札が下がっていたが、今となってはヤブで無くなっていた。傾斜が緩くなった頃尾根に「ガケ・下山不能」との白いプラ札が、進入を防ぐロープに下がっていた。 15・崖(12:50 ) 妻を正規コースに見送って、私はこのガケを見ずに下る訳にいかないとロープを越えて入って行った。コシダを踏んで進んでいると断崖の上に出た。

妻から「西に下ってしまうけど」と連絡が入るも「それを下るように」と応答。崖の上に出て下を覗く、崖にへばり付いて生えた木を利用して下れば『下れる』と判断して下ったが、少々危なかった。その岩肌には小さいが「イワマツ」がたくさん生えていた。15・(12:58)木登りも岩登りも、登る時より下る時の方が難しい・・・(目線の関係で)。

垂直に近い感じを受ける斜面を下って行った妻が余りにも遅いので「谷へ下ってしまったのでは・・・」と心配したが妻がやって来た。少し上ると、ここで上がって来られた男性(60歳代?男)と会話。私の実家が在る波賀町の方も歩いておられ、辺りの千メートル級の山で三久安山だけが残っていると聞いて、音水湖畔からの林道を上り詰め、尾根に出て北へ・・・と私が始めて上ったコース(’99.11)を紹介した。その人から、見えている点名西山のことと、直近の大スラブのことを聞いて確かめた。 発(13:12) 

話している間に妻は先行していた。コシダと大岩稜を走るように進んで上り切る。 16・(13:19) 東面がスラブで展望良好。お馴染みの七種山から薬師が霞んで見え、東西両鎌尾根も確認できた。発って直ぐ、まるでクジラの背中に乗ったかのような(もちろんクジラには乗ったことは無いが)気分になれる、そんな形の大きな岩が在った(同じ展望あり明神山も見える)その後は展望が塞がった。 17・西山342.6m四等(13:38) 

妻は先へ向かった後、私は大スラブを観に東尾根へ向かうと2〜3分でスラブの上に立っていた。先ず西山の南から東面に、ストンと滑り落ちる広範囲のスラブの下はG場で数組がプレイをしていた。岩稜は東尾根へ続いていた。 今度は西山からの北尾根、ここの大きな崖マークは’04.2月に歩いた、谷向こうの北尾根から見ても“凄い”と思っていた大スラブで見事だった。  


北尾根の大スラブ  矢印は’04.2月の大岩峰    西山の南から東面の大スラブ “おたふくの面”?

元に戻って 発(13:45) 振り返ると、西山の東スラブが見えた。スラブを横切る波状の段差ある柔らかいラインは類を見ないもので、写真で見れば“おたふくの面”にも見える。(実物は段差が1〜2mはあると思う)岩尾根を行って方向が変わると右がヒノキの幼木帯で明神山やCコース尾根が全望。間もなく、その視界も消えて下り切ると、消えかけた峠だった。 18・峠(13:58) 次への上りは急登で、トラバースが在ったがここは我慢してピークを越えた。19・(14:03)

右の植林が消えて潅木帯のヤセ尾根を行く、大岩も出る(上から左展望良し)なかなかいい感じと思いながら進んでいると、前方小高いピーク左に道が付いていた。先に着いた妻が『明剣岳や』と言った。  20・明剣岳(14:15) 岩峰だった。明神山は見えなかったがこの後歩く城山への尾根が視程に入り、残り長いが大きなアップダウンは無かった。大明神コースはここから西へ急降下していた。

“大明神”う〜ん明神山に申し訳ない・・・。チラリチラリ見えていた「里やま体験の・・・」の会場も丸見えだった。 発(14:20) 次のピーク下に赤白鉄塔が建っていたので、手前に付いていた道はそこへの巡視路だった。急下り後、直ぐ下のコルは巨大岩が重なっていた。雑木林を行って 21・325m(14:32) 東の尾根へも巡視路が下る。プラ階段?を下って鉄塔に着いた。 22・鉄塔(14:38)


 おやつを食べながらここからの巡視路を探したが無かった。 発(14:43) シダ柴藪っぽくなってイバラも出た。獣道か踏み跡か?それを辿って着いたコルは消えかけた峠だった。 23・(14:50) G場へは良く残っていたが神種へは殆ど残っていなかった。 右は植てから手入れ無しの杉林に太い樅が残されていた。 

尾根が消えて、潅木の中をコンパスに頼って上る。 24・(15:00) 踏み跡も消えてしまった。シダ原の中で、方向を定めて発った。左に一抱え位のピンクの花房を付けたアセビを見つけた。ピンクっぽいのは見る時があるが、こんなに濃いピンクを山中で見たのは初めてだった。園芸店で買った、我が家に咲いているピンクのアセビと同じ濃さだった。

新発見!!とばかり勇んで、ズームで写真に撮ったがプリントするとピンボケだった。撮った後モニターで確認したが、何せ老眼なもんで・・・。残念!!城山への上りは、イバラとヒノキの倒木が出たが上りきって三角点に着いた。 25・城山262.4m三等(15:20) 南面の雑木が切り倒されていて神種地区と中国自動車道が見えた。おそらく、ここも城跡で在ったと思うが形跡が無かった。

幅広尾根を進んでいると次ピーク右山肌に斜め前方へ切り開きが在って、これを下れば麓の菰生(こうも)地区へ下るかも?上り切るとウラジロ原で北東尾根と下り尾根にに3〜4段の郭が確認できた。 26・城跡(15:30) ウラジロはピーク周りだけに生えていた。マーキングもあり、下って行く。 27・(15:40 )郭の形跡は無しも石は散乱していた。南に向きを変えて、始めは桧林の急下り、次第に緩くなって明るくなるとコルで、そこには林道が上がってきていた。 28・林道(15:57)


(24)で見かけたピンクのアセビ     (28)林道 左から下ってきた

計画コースはコルから次のCa160mのコブを越えて池に下る事にしていたが、林道を見て“それを越える”と言う気力が消えうせて、林道を下って池の所にデポした自転車に着いた。 1・(16:05) 神種への道に出た所に立つ城についての道標と変遷を写真に撮って車へ向かった。車に戻ると、私の車が一台広い駐車場にポツンと止まっていて。

朝の賑わいも無く何も無かったかの様に静まり返り、幾張りかのテントが業者の手によって片付けられていた。妻とは鹿谷中学で合流して役場の南の河川敷Pに車を入れて着替えて帰路に就いた。時間に余裕が有れば即席ラーメンを作って食べたり、のんびりしたりする。この時間帯がもう一つの楽しみである・・・。

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20・明剣岳
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17・西山・342.6m
21・326m
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11・549m
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25・城山・262.4m
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