bR31 馬瀬〜大坂山〜飯盛

数曽寺山塊歩き初めは、ここから入ると決めていた。
入ってみればシダのラッセル、おまけに露でベトベトに。
これじゃ界まで行けないと思って立った初めのピーク、そこから開けて歩け歩け。
大坂山から大きな下りで、元気と勇気を頂く婦人、
さて、そこからの展望は、これを見ずして数曽寺を語るな・・・。
馬瀬(うまぜ)公民館〜234m〜馬瀬(うませ)299.1m四等〜町境界(社町と西脇市)〜
西進〜459m(数曽寺山塊最高峰)〜点・大坂山(450.0m三等)〜320m〜
284m〜飯盛(187.7m四等・町境界西端)
◎所在地 : 加東郡社町吉馬・上三草・山口・馬瀬地区の北面岩稜山塊(西脇市との境界)
◎地形図 : 2万5千図 『西脇(にしわき)』 『比延(ひえ)』
◎山行日 : 2005.2.12 (土) 晴れ
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=57
◎コースの見所 : @ A B C
◎走行距離 : 往路 1=31.0km 2=39.0km 往復 74.0km
自宅発(7:23)〜R=175〜滝野町曽我1・自転車デポ(8:20 発8:25)〜R=144南下〜R=372〜
2・社町馬瀬公民館(8:35 発8:55)〜3・(9:30)〜4・234m(9:51)〜5・(9:55)〜
6・馬瀬299.1m(10:06)〜7・(10:26)〜8・町界(10:40)〜9・459m最高峰(10:57)〜
10・(11:05)〜11・(11:13)〜12・(11:20)〜13・大坂山450m(11:38 おにぎり
発12:10)〜14・(12:16)〜15・(12:30)〜16・(12:40)〜17・峠(12:50)〜
18・(13:10)〜19・鉄塔(13:16)〜18・(13:21)〜20・(13:24)〜21・(13:30)〜
22・(13:48)〜23・(14:00)〜24・(14:10)〜25・鉄塔(14:24 おやつ 発14:35)〜
26・(14:50)〜27・鉄塔(15:05)〜28・(15:23)〜29・3町境界(15:28)〜
30・(15:45)〜31・(15:51)〜32・(16:00)〜33・飯盛187.4m(16:06 発16:18)〜
34・(16:33)〜1・(16:40)〜自転車で走る〜(約8.0km)〜2・馬瀬公民館(17:12)〜
35・妻と合流(17:20 発17:31)〜往路〜自宅(18:34)
1月29日角尾山から眺めた、引尾山(279.3m四等)を通過している町境界の続きを辿ると、大岩塊大岩稜連なる俗に言う『数曽寺山塊』へと入っていた。島田君達は、あちこち歩いているが私も歩きたいと思いながら踏み込めず未知の山域。また、西脇市と他町境界歩き(山域のみ)も、余す所この稜線を北上して、西光寺山のず〜と南に在る点名『大峯 618.2m四等』手前まで歩けばほぼ歩き終えることになる。そんな訳で、今度はこの方面に足を向けることにした。
下山地点は何処にするか・・・本来なら西脇市の界を下りたかったが、直ぐ南の界先端に点名『飯盛187.4m四等』が気になってこちら側へ下りることにした。R=175から東に外れて飯盛の方を見ると裸木が白く光って凄くきれいだった、多分、枝に付いた水分が凍って(霧氷と言うのかな?)光っていたのだろう。この美しさが、この後災いするとは思いもせず見入っていた。
R=144に出た所、右角にお堂が在って、そこに数体の石仏が静かに祀られていた。彫られた年号を読むと安永八年(1777年?)だった。その近くが下山ポイントだったので、そのお堂に自転車をデポして馬瀬へ向かった。
1・自転車デポ(8:20 発8:25) 走りながら見る冬枯れの木々は変わらず白く光ってきれいだった。左に全体が岩の山々を見ながら走って目的の馬瀬公民館に着いた。
2・馬瀬公民館(8:35) 車は公民館の広場に止めさせてもらうつもりだったが鎖が張られて入れなく、道との間のスペースに置かせてもらって支度をして発った。
発(8:55)
尾根先の西裾を流れる谷川に沿って歩いて、尾根に取り付こうと思ったが谷川の側溝が高くて渡れず。暫く奥へ入ると橋が架かっていて渡ったが、崖が続いていて山に入れず、尾根先の方へ逆戻りして太い山桜の所から山へ入った。(初めから民家の間を抜けた方が近道になるが犬に吠えられるだろう)少し柴藪っぽく急登だった。下草無しで上がって行ったが、しばらく民家から犬に吠え続けられた。間もなく赤く塗られた小さなお祠が南向いて祀られていて、新しいお札が納められていた。山裾民家の地神様かもしれない・・・。

馬瀬公民館 南から 始めに見かけた小さなお祠 南から
祠への道も付いていたが余りふまれていなく、そこら辺りからシダが出始めた。道らしき跡が上へと続いていたが、シダと柴に覆われてそれを歩くことが出来ない、シダの丈も腰辺りになってきておまけに、何故かバベの木の枝が地面近く這うように横たわっていて行く手を遮る。更に、あの木の枝に付いて光ってキレイだったものが融けて露になったのだろ。それは、半端じゃなくたちまちびしょ濡れになってしまった。シダのラッセル等続いて「一日分の四分の一位のエネルギーを使ってしまったか」との思いで上りきった。
3・(9:30)
「いつの日かまでは道が付いていた」と思う形跡は在ったが、何処を通過してもシダ柴藪だった。下り斜面が急で、おかしいと思い方向を確認すると、やや西向いて少し下っていた。気が付いた所に丁度横道(まるで獣道でもなさそうだった)が走っていてラッキー。それに乗って尾根に復帰すると、そこには歩くのに十分な道が付いていた。やはり山越えの道は付いていたのかも知れない。背丈の低い松と柴尾根は難なく進め、右後方には源平合戦古戦場にもなった三草山と右前方には清水山が見え、R=372も見えていた。そして、町境界尾根が遥か?上方に待ち構えていた。
4・234m(9:51)
ここからの下り右側は、ザレで怖い位の激斜面だった。対峙する進行尾根に巡視路だろうプラ階段を見てホッ。下り切るとそこは十字路だった。
5・(9:55) 左右(東西)の谷に巡視路が付いていた。ここから300段近いプラ階段を登って、傾斜が緩んで来て間もなく道の右端に石標が立つ馬瀬に着いた。
6・馬瀬299.1m四等(10:06) この後も道が在るか心配だったが、明るくは無いが踏み跡が付いていた。妻を待ちながら歩いて
7・(10:26) 見渡せば、相変わらず気になる尖がり山が東の方に見えていた。○○富士って言う山だろうが同定できない。(秋津富士?)また、手前山間にでっかい寺院が建築されていた。
ここからの下り右斜面も急斜面でザレていた。コルに小さな白のプラスチック板に西の谷を指した矢印で『馬瀬』と書いた札が掛かっていて踏み跡が在った。ここからの上りは一段ときつくなった。この巡視路を当てにして、このルートを考えた訳でなかったので、歩きながら「もし、この巡視路が付いていなかったら多分途中リタイヤするだろう」と思いながら歩いていた。それ位道を外れるとシダ柴藪って事。
8・町界(10:40)
(8)町界手前から気になる尖がり山・その右下白い所建築中の寺院 大坂山直前から振り返える
いつか辿る北への界も踏み跡を確認して今日は南へ向かった。しばらく横ばいが続いて上りにかかると細くクネクネ曲がったバベの木が多くなり、バベのトンネルみたいな植生になる。展望は界に乗ってから殆ど無し。中上りで
9・459m最高峰(10:57) 数曽寺山最高峰459mと書かれた木製板が掛かっていた。北面の立ち木が切り開かれて、目前に比延山、北の方に白山から妙見山に天狗山・西光寺山の頭だけが見えて、雲を被った笠形山から千ヶ峰や篠ヶ峰も見えていた。破線の道は見つからず。
踏み跡はかなり明るく横ばいで進んだ。
10・(11:05) うっかりしてると西へ下ってしまいそうな山容だ。向きを変えて、所々で南の谷が見える程度の展望で「ただ界尾根を歩く」と言った感じで歩いた。
11・(11:13) ここから南の尾根に微かな踏み跡が付いていた。チラリと見える大坂山(本当は手前の尾根肩)が、やけに高くそびえている感じ。それにしてもサルトリイバラが多い、油断をしていると顔など引っ掻かれるから特にご婦人は要注意。中下りで少し上り返して
12・(11:20) ここで左が大きく開けて、仏谷の両側支尾根が見え、これも歩いて見たい心境に駆られた。
少し辛抱しての急登が終えるとるんるんるんで大坂山に着いた。
13・大坂山450m三等(11:38) おにぎりを食べながらの展望で、北東から西にかけて全開となって東に最高点が美しく尖がって見え、その右奥に和田寺山が大きく緩やかな稜線で目を惹いていた。南遠望は六甲山系が霞み視程良ければ淡路島や明石大橋も見えるだろう。南から西にかけて、馬瀬も1本と数えれば6本半の支尾根が在り、これまた歩いて見たくなる。(半=大坂山から南への支尾根で324mから枝分かれしている尾根のこと)このピークには「数曽寺山」のプレートが掛かっていたが、点名で数曽寺山(御所)は、この界のず〜と東に在る335.6mだと思う。
北面の一部が切り開かれていて(9)地点と同じ展望が得られた。南尾根に良く踏まれた道が付いていてこの尾根も巡視路としても使われているようだ。それにしても建設中の寺院はどれほどの大きさなのだろう・・・この距離から見ても本堂の屋根の造りが分かる位だった。
気が付くとかなり時間が経過していた。まだ、計画の三分の一位しか歩いていなかった。
発(12:10) 進行方向への界も明るい道が付いていて緩く下って尾根肩。
14・(12:16) うっかり、踏み跡が在る北向きの尾根に乗りかけていた。
西に下り始めると一寸した岩場と大きな露岩の横を下る。急下りが一段落して岩盤の上に立つと足元から展望が開けて、この後峠から先、上り切ってから歩く険しい岩稜が何とも美しくも厳しくも見えた。
15・(12:30) 2回目の急下りをしていると、下の方で女性の声がしてきた。両者が次第に近づいて行きやがて対面すると、結構お歳を召された3人の婦人だった。聞くと、西脇市のマックスバリュウの近くに住んで居られ、失礼ながらお歳を聞くと一人は70歳と言われ『前回上った時にコシダ(小さいシダの意)が多かったので今日は鎌を持って来た』との事。老いて益々盛んかな・・・60〜70歳の3人連れだった。
(15)からの展望・鉄塔尾根は大坂山からの南西尾根・右寄り険しい山塊21・22・23・27番など
リーダーと思う人との会話では、この辺りもかなり歩いて居られるようだった。この急登を楽しげに登られている様子を見て『私達はまだまだ若輩』かと思い知らされた。見るほどに『飯盛』は遠く険しかった。
16・(12:40) ここからの下りは一枚岩の大岩盤で下り切るとコシダが出て更に下って峠に着いた。
17・峠(12:50) 西脇市側からの登山者が多いようで凄く踏み込まれていた。ここからの上りはプラ階段が出て暫く急登が続いた。振り返ると大坂山がズッシリどっしりと座していた。
傾斜が緩んで南面が全開、南に延びる何本もの岩尾根を見ながら横ばいを行く、そして、鉄塔が見えてきた。オット歩き過ぎた!!界から外れてしまっていた。299.1m(上三草)の在る尾根の下見をすると踏み跡は在った。
19・鉄塔(13:16) 北の深い谷の上に(21)から(27)への岩尾根も見えた。引き返して界分岐を探す。大坂山の方から見た時は「分かりやすい」と思っていたが現地に立つと判断が難しかった。 18・(13:21) 布を2本巻いて界に乗って下る。横断する破線は何となく在る様な気がしたが・・・。
20・(13:24) 界尾根は藪で細い谷を右に渡ってその尾根を上った。右全開で大坂山方面が見えた。
藪っぽい急登で
21・320m(13:30) 向きを西に変えるポイントを探りながら進んでいると、切り開き?が在ってうまく乗れた。次第に岩尾根になって左右の鋭い切れ落ちが続いた。上り切った所から振り返ると西光寺山・高山・テンロク・妙見山・白山が同定できた。
22・(13:48) ここは、地図では簡単そうだが、少し思案の後界に乗れたが、北の谷へ下れる(激下り)開きが在り、谷からそのまま北の250m尾根に道らしきものを見た。シダ藪っぽい中進んで、西の谷筋下に金城池が美しく、そこから隆起するデッカイ尾根の頂(金城山)も魅力的だった。
24・(14:10)
ここからの下りは一枚岩の大岩盤で右にウエストワンズG場その右脇に延びる幾つかの小ピークの先端が飯盛だった。左に廻谷下の池がコバルトグリーンに染まっていてとてもきれいだった。何と言っても目を惹いたのは、その谷の東の尾根に在る二つの尖がり山(槍)だった。これは見逃すわけにいかないと、眺めながら下って行く。大きく下って上り返す途中の鉄塔でおやつを食べた。
25・鉄塔(14:24)

(24)から飯盛(この尾根先端)方面を眺める (24)から眺め・谷筋は廻谷・奥三草山
この鉄塔への巡視路が廻谷から上がってきていたと思う。そしてここから続いているのだろう巡視路が284mの方へ向かって付いているのが見えていた。
発(14:35) 巡視路はピーク下20m位まで上った所から横ばいの後尾根を下っていた。妻を先行させておいて、私はピークに上って、更に南の330m地点まで歩いたが藪っぽいながら微かな踏み跡を確認して妻の後を追った。
G場を見下ろしながらG場に沿って付いた巡視路を行く。
26・(14:50) ここから北方面を見ると山の間に高山が見えた。調子に乗って歩いていたら再び鉄塔下に出た。
27・鉄塔(15:05) 界からオーバーランしていた(後で分かった)ここから(28)への道が無くなり、藪を下って見えていた巡視路に乗ったが巡視路は谷の下手から上がってきていた。284mを越えたかったがシダ藪の急登で、これを越える気力が無く、横ばいの巡視路でこれを回り込んで、先の界尾根に乗った。
28・(15:23)
明るい道を歩いて
29・3町境界(15:28) 『界』とだけ彫った石標が立っていた。緩く下ったコルから北へ巡視路は下っていた。その先に鉄塔が建っていて、そこからは、道が消えたが塞がりも無く柴・ツツジ・松等の植生を歩いた。横ばいは続いていたが次第にシダが出始めて塞がり始め、深い所では腰の辺りまであった。
30・(15:45) シダは消えることも無く下って行って
31・(15:51) ここからの下りは柴藪の急下りで尾根も無く果たしてコルに着けるか・・・。うまくコルに着けた。
32・(16:00)
北へが界だがやり過ごして、最終ピークの飯盛へ向かった。潅木帯でシダを踏みながら上って三角点に着いた。
33・飯盛187.4m四等(16:06) ここの基準点はごく最近、空中写真測量が実施されたらしく、真新しい対空標識が立っていた。古い物は見た事があるが白い標識板も60cm角位あったと思うがこんなに新しい物は初めてで、観測機の性能が大きく向上したのか大きさも30cm角と小さくなっていた。さて、何所から下り始めるか・・・傾斜がきつく藪っぽい・・・大体の方向を決めたのは北向きだった。
発16:18) 相変わらずサルトリイバラが多いのに困りながら下った。
飯盛山 三角点と対空標識 南西から 大坂山から下り時出会った御婦人方先頭がリーダー・中の人が鎌を持っている(16)近くで
下り付いた所は山肌が削り取られた所で池の傍で会社の横だった。
34・(16:33) R=144に出て自転車デポ地点へ引き返した。
1・(16:40) 、私は車へ向かって走ったが、これがまたR=372に乗ると上りが多く疲れた体に追い打ちをかけた。約8.0kmを走って
2・馬瀬公民館(17:12) 妻はR=114からR=372に出る角のセブンイレブンで待っていた。
トップに戻る 歩きの記録に戻る