328 釈迦如来〜R=24(二ヶ坂)〜宇仁山〜愛宕山〜奥山寺。
すっかり開けた行者道、開け過ぎたか行者道。
想わぬ笹藪倒木乗り越え、やっと着いた二ヶ坂からの、界はここも倒木だらけ。
そこをパスして踏み行く界も、所々で柴藪倒木。難儀しながら乗り越えて、進んでいれば遊歩道、
その終点からは大展望。もう一頑張りと思った峠で、上からぽつぽつ冷たい物が・・・。
河内(こうち)町〜行者道〜389m(釈迦如来)〜町界南下〜R=24(二ヶ坂)〜町界東進〜
宇仁山(254.7m三等)〜愛宕山〜270m〜奥山寺(260.3m四等)〜峠〜奥山寺(清嶺山)。
◎所在地 : 加西市河内町・大工町と西脇市明楽寺町・水尾町に挟まれた尾根と町境界
◎地形図 : 2万5千図 『西脇(にしわき)』
◎山行日 : 2004.12. 25 (土) 曇りのち小雨
◎山行条件 : 歩き/妻 Age=57
◎コースの見所 : @ 行者道の石仏群と展望 A 愛宕山への遊歩道と同所からの展望
B 奥山寺(清嶺山) 加西市指定文化財=仁王門と多宝塔
◎走行距離 : 往路 1・奥山寺34.0km 2・河内町41.2km 往復 79.6km
自宅発(7:34)〜R=175〜社町滝野社インター交左折〜滝野町〜R=349〜社工業団地〜
引き返し〜R=145(滝野市川線)〜加西市〜国正町でR=145から北へ外れる〜
1・奥山寺(8:45 発8:50)〜西進〜R=79〜R=24〜2・河内町(8:45 発9:08)〜
鎌倉山行者道〜3・お堂(9:12 忘れ物引き返す)〜車(9:17)〜3・お堂(9:23)〜
役行者〜4・(9:30)〜5・不動明王(9:35)〜6・普賢菩薩(9:40)〜7・弥勒菩薩(9:52)〜
8・(10:03)〜9・釈迦如来389m(10:09 おやつ 発10:20)〜10・(10:26)〜
11・(10:38)〜12・(10:42)〜13・R=24(11:15)〜14・(11:20 おやつ)〜
発11:23)〜15・(11:38)〜16・(11:45)〜17・(11:58 おにぎり 発12:12)〜
18・(12:23)〜19・分岐(12:45)〜20・宇仁山254.7m三等(12:50)〜
20・(13:03)〜21・(13:24)〜22・(13:35)〜遊歩道出る〜
23・愛宕山(13:54 発14:00)〜24・270m(14:16 おやつ 発14:25)〜
25・(14:35)〜26・奥山寺260.3m四等(14:42)〜27・砦跡(14:53)〜
28・峠(14:59)〜29・奥山寺(15:15 発12:24 自転車で走る)〜2・河内町(15:41)〜
引き返す〜30・(15:49 妻合流)〜R=79南下〜加古川市〜R=375〜上荘橋〜
R=65〜自宅(16:44)
八千代町方面へ行く時、R=34を走りながら見るこの尾根には何時も「加西と西脇市の町境界が在る」と思い、眺めながら走っている。そこで残念なのは町境界の北側に見る皆さんもご承知のゴルフ場建設が始まりながら中止になってしまった無残な姿。そんな中で私が凄く気に入っている所(山)が在ります。(多分26・奥山寺260.3m四等の北側尾根だと思う)尾根から垂れた山肌の緩やかな傾斜角度が何とも美しい。
今日はこの町境界の反対側の南を走って出発地点に向かう事になる。小野の、ひまわり公園辺りから眺めると鎌倉山から五峰山等は濃い霧に被われて全くみえなかった。R=175から外れて目的のR=145に乗るべく走っていたが中国道の高架下を潜ってしまい、どうもおかしいと思って地図を見ると、道をまちがっていた。引き返してR=145に乗って走り、地形図の国正町から北に外れた。この辺りに自転車デポ地点を探したが見当たらないまま走る。間もなく右手に大規模な採石場を見ながら進んでいると奥山寺(おくさんじ)の道標が立っていて結局ここにデポすることにしてお寺に向かった。1・奥山寺(8:45 発8:50)
お寺の散策は下山後にして、立派な山門の脇に自転車をデポして登山口へ向かった。大工町に近づいたとき右の山の支尾根にカラフルな東屋?が建っていた。「余談=大工町の南に、馬渡谷町(もおたにちょう)と読む地名が在る。馬なのに“もお”とはこれ如何に。そう言えば夢前町の莇野(あぞの)にも、馬谷(もうたに)が在る。」やがて河内町に着いた。鎌倉山の行者道を時計回りの逆に歩くため、登山口辺りに駐車地点を探すが見当たらず集落の外れへと至って広場に止めた。 2・河内町(8:45 発9:08)
時計回りで鎌倉山行者道を歩いたのは、’00.2.27で、下山口を詳細に覚えてなく、通り道で住民(70歳位男)にたづねる。『鎌倉山の登山口は何処に在りますか』 『鎌倉山からは海も見えるぞ・・』 『何処から来たんや』等話していると、その人が登山口が見える所まで同行してくださった。行者道に乗って上り始め、お堂下でハッとした。自転車の鍵を車の中に忘れていた。(2回目) 3・お堂下(9:12) 忘れ物引き返す 車(9:17) 〜 3・お堂(9:23) お堂の下に建っていた鳥居は倒れてバラバラのまま放置されていた。立ち木が伐採されて展望がすこぶるよくなっていた。そこから少し上った岩場には役行者2体など石仏が祀られている。
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24・
270m
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9・389m
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26=奥寺山・宇仁山城
260.3m
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20・宇仁山
254.7m
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(3)お堂と崩れ落ちた鳥居
お堂上の岩場と石仏
変わらず緩く上っていると季節外れのモチツツジがキレイに咲いているのを見たり、北に鎌倉山を眺めたりして上りきる。 4・(9:30) 左の山肌にヒトツバの群落を見ながピークに立つと右に大岩が重なっていて、その北蔭に北向きの不動明王が祀ってある。この行者道コースには全部で十数体の石仏が祀ってあるが北を向いているのはここだけと思う。 5・不動明王(9:35) 前方に釈迦如来から二ヶ坂、二ヶ坂から宇仁山を経て角尾山(つのおさん)へと扁平な尾根が見えた。
短く下って、前回は尾根通しで歩いたと思う次のコブ、今日は尾根の東に道がついて中程に普賢菩薩が祀られていた。 6・普賢菩薩(9:40) 上り切ったピークからの展望は東から南にかけて全開になっていた。 (9:43) その後は羊葉で覆われて微かな踏み跡だったコースも完全に開けていた。間もなく(5)の東を巻いて緩く下る切り開き道が出来ていた。その後、短いながら急登になるが東から南全開で展望は良く、上り切るとここには弥勒菩薩が祀られていた。石垣の基壇からの高さは170センチ(実測) 7・弥勒菩薩(9:52)
前回は山肌一面に生えていた赤松はマツクイムシの被害に遭って枯れ、緑の葉全てが赤くなっていたが、年月が経って白骨化して立っていた。心地よい横ばいでやがて左高木雑木右桧林になって上って行き、広く立ち木が切り開かれた釈迦如来に着いた。 9・釈迦如来389m(10:09) 鎌倉山が丸見えで、頂上が同じく開けているのが分かった。ここには弥勒菩薩と同じ位の大きさの釈迦如来石仏が祀ってある。私感であるが、こういった石仏は時代を感じる(残る)樹木の中に佇んでいてこそ本来の意味、価値が伝わるよに思うがこうも立ち木が伐採されて風雨天日にさらされてしまっては・・・。おやつを食べて発とうとした時、ふと見たアセビの木には早々と花が咲いていた。 発(10:20)
前回は『明楽寺へ』の小さな板の案内が立っていたが今日は見当たらなかった。界は巡視路だったが例にもれずここも所々倒木で塞がっていた。緩く下ってヒョイと上がったコブ 10・(10:26) 倒木は少なくなって破線コルに着く、巡視路だろう東へだけ(北山肌)道が付いていた。(西破線は無し)その直ぐ先 11・(10:38) もう少しで東の尾根へ下るところだった。いきなりの倒木と笹薮の界に乗る、倒木と笹薮はその後も続いて、妻を待ちながら下って 12・(10:42) ここからの下りで短く藪も下草も消え、右桧左高木落葉樹、太い山桜も数本生えていた。
再び藪になってイバラも出る、西が開けて私の車が見えた。界の倒木を避けて下っている内に界から東に外れて下っていた。等高線以上に斜面は急で界に戻るのをあきらめてそのまま下ってR=24に下り着いた。 13・R=24(11:15) 上り返しの界を見ると、桧がなぎ倒されてとても歩けそうになく、それを避けるべく峠まで歩いて、資材置き場の中へ入って池寄りの所で一休み、アンパン一個食べる。ここの破線は林道だった。14・(11:20 発11:23)
上り口を探しながら池の方へ下って桧林から上り始めた。いきなりの急登と中程から柴藪になってしまった。それを上り切って 15・(11:38) 「尾根はどうかな・・・」と思っていた藪はここでも待っていた。少し我慢して進んでいると左桧右雑木になって藪は開けた。 16・(11:45) ここからはしばらく心地よい横ばい歩きだったが次第に塞がり始める。頭上が明るく開けてはいたが凄い倒木群(ソヨゴ)の手前でおにぎりタイム。先方を見ると大きく飛び出た宇仁山も見えていた。 17・(11:58 おにぎり 発12:12) 少しの辛抱で開け、左右素晴らしい高木雑木帯になった。
それも尾根先までで潅木帯に変わって下り切る。 18・(12:23) ここは’02.12.22に島田君と向井さんが界尾根南に在る山田町から上って来た所である。(宇仁山〜奥山寺〜奥山寺(寺)へ下っている)その谷を見るとレポート通り身の丈を越すほどの笹藪(細い竹)だった。「さぞかし苦労して上ってきた事だろう」と思いながら辿る方を見るとこれまた急登だった。島田君達がMTBを担いで奮闘している様子が目に浮かんだ。上り切って少し進んだ所、東へ支尾根の所に「基ー11」と入った真鍮製の基準点?が埋まっていた。
さて、ここからが今日最大の藪になった。サルトリイバラ・倒木・柴が塞いでいた。それを抜けるとやや開けて 19・分岐(12:45) と言っても直ぐに分かった訳でなく『多分』と言った程度だった。妻を待機させて私だけ宇仁山へ向かった。横ばいで、周囲の立ち木がまばらで明るかったが倒木が縦横に重なっていて、それを乗り越えながら行った。果たして在るかな三角点石標は・・・倒木が消えて倒れ掛かったソヨゴの下に隠れるように埋まっていて、展望はゼロだった。 20・宇仁山254.7m三等(12:50)
(7)弥勒菩薩 やや西向きに建っている
(9)釈迦如来 奥へが鎌倉山 右へ二ヶ坂
釈迦如来に咲いたアセビの花
(10)からの下り・力強い根張りの樫の木
宇仁山への倒木尾根
これも基準点と呼ぶのかな(19)手前と(21)で
(19)に戻って柴藪気味の界を下っていると右の谷から意味不明の人の叫び声が断続的に聞こえていた。妻と「あの叫び声は何やろー」と話しながら下っていると、妻が「尾根の左の方にハンターがいて早く下って行くように」と言われたとのこと。危ない、あぶない・・・。コルに着くと、ここだけの立ち木が広く切り開かれていた。不思議に思ってしばらく考えた結果は・・・狩猟に関係があって、獲物が追われてコルを越える時、待ち構えていたハンターが獲物を撃ち易いようにとの工夫かな・・・と。
でこぼことコブを越えて行くが西の谷から、獲物を追い込んでいるのか叫び声が絶えなかった。 21・(13:24) ここのピークの頭は広く平らで「基ー9」の真鍮が埋まっていた。11と9を見て10が抜けている、見落としか・・・。 もう城跡(砦)が始まっているのかも知れない。その先着いたコブでは南尾根から先へと明るい切り開きが出た。島田君のレポートによるハイキング道だった。 22・(13:35) 高木雑木で横ばい尾根に遊歩道ときたらるんるんに決まっている。先の東から南に方向が変わるコブには鉄製のベンチと屑篭が置いてあった。
中下り中上り時々倒木に遭いながら進んで、次のピークは手前より右下を巻いて行くといきなり全開になった。そこは南向きで、山肌を少し削り取ってデッキになっていて、石仏三体と小形ながら本格的な作りの祠(愛宕さん)が祀ってあった。 23・愛宕山(13:54) 条件が良ければ淡路島もクッキリと見えるだろう展望だったが今日は霞んでいて近場しか見えなかった。 発(14:00) 界に乗ったが遊歩道から藪に変貌、ギャップが大きかった。
やがて踏み跡が出たが倒木は続いた。 24・270m(14:16) ここも平らなピークでおやつを食べて発つ。 発(14:25) 間もなく凄い倒木、柴藪、笹も出た。 25・(14:35) 下りきると界は開け、上り切って 26・奥山寺260.3m四等(14:42) 平たく開けたピーク、そんな広場に静かに石標が埋まっていた。島田君が言う「城跡」の始まりである、右は凄い樫の木林で薄暗い尾根を行って 27・(14:53) このピークは前後ともに2〜3の段状になっていて明らかに城跡と分かった。下っていると、ポツリと冷たい物が頬に当ったと思うと雨だった、計画のコースは後三つのコブを越す予定なのに・・・。下りきると大きな峠になっていた。(私の地形図には破線なし) 28・峠(14:59)
西脇市、加西市側にもしっかりした道がついていた。加西市寄りに、ぎっしりと漢文が彫られた石碑が建っていたが中程から折れていた。(文の何がしかの内容は島田君のレポートの参照ください)雨の量が多くなってきた、計画コースも残り少ないが時期が時期だけに、雨に当たって風邪でもひくと・・・。島田君達と同じくお寺の方へ下った。樫の木から雑木になり太い杉林を下ってお寺に着いた。 29・奥山寺(15:15) 帰りに散策を予定していたが雨にたたられて中止にして、帰路に就いた。
(22)から直ぐの遊歩道
(23)愛宕山 南から 奥が辿る界尾根
土塀の外から奥山寺の立派な庫裏
多宝塔への石段と城のような石垣は見事