bR27 黒尾山(もう一つの黒尾山 “2”)
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10年前、大トチノキ見て界越えてMTBでカッとんだ雪が残る林道を、
再び踏むとは夢にも思わず。倒木を、乗り越え潜りひたすら歩いて裏から着いた黒尾山、
目に映りたる景色は水墨画。地図見る度に気になる破線をやっと下った結果は如何に・・・。
小野地区〜林道〜山崎町・波賀町の町境界(牧場跡/開拓地)〜林道〜
黒尾山(1024.7m二等)〜黒尾山南谷筋直線破線〜乗取地区(西安積)
◎所在地 : 宍粟郡波賀町小野から同郡山崎町野々隅原への林道(町境界まで)
上記町境界辺りの牧場跡(開拓地)から林道で黒尾山へ
(同郡一宮町乗取と同郡山崎町野々隅原との町境界)
◎地形図 : 2万5千図 『安積(あづみ)』
◎山行日 : 2004.12.19 (日) 曇りのち小雨あり ’96.9./ ’00.8./’04.4.
◎山行条件 : 歩き/大柿・井上 両夫婦 Age=57
◎コースの見所 : @ (6)オオトチノキ A (10)手前左右山肌大赤松林(必見)
B (12)牧場跡(大国牧場?開拓地)
C (12〜13)にかけて林道下北側の原生林(湿地帯多い)
D黒尾山からの大展望
◎走行距離 : 往路 @71.0km A73.0km B75.0km 往復 149.9km
自宅発(7:05)〜加古川・姫路・太子・龍野・R=29B・P〜R=29〜山崎町(8:00)〜
一宮町道の駅(8:18 発8:31)〜1・自転車デポ(8:38)〜波賀町〜
2・車デポ(8:43 発8:55)〜3・(8:58 発9:00)〜4・(9:21)〜5・橋(9:32)〜
6・トチノキ(9:50 発9:54)〜7・林道(10:14)〜8・(10:27)〜9・集材地(10:40)〜
10・(10:54)〜11・(11:00 おやつ 発11:10)〜12・牧場跡(11:13)〜
13・(11:47)〜14・(12:00)〜15・林道合流(12:15 発12:23)〜
16・(12:50 おにぎり 発3:05)〜16-1・登山口(13:20)〜17・尾根(13:26)〜
18・黒尾山(13:43 発4:05)〜19・(14:22)〜左コース合流・(15:23)〜
おやつ・(15:40 発5:48)〜林道・(15:57)〜20・(16:06)〜2・(16:46)〜
2・(17:15)〜3・(17:20 発7:25)〜道の駅(15:40 うどん 発18:00)〜
往路〜自宅(19:35)
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今日の山行きは私が担当?で決めた。と言っても近々決めたコースでは無い。実は初めに考えたのは10年前になる。今は亡き父に『小野から山越えで山崎へ下れるか』と聞いたとき父は、昔この地区に有力者が居てここに『道をつける』と言ってつけた道で、この道は本来県道のはずだったと言った。そんな事で’94.1.3(平成6年)これを走破した。その時に『界を辿って黒尾山に立って見たい』と思った。その実現の時がやって来た。
井上さんとの待ち合わせ場所の伊和神社前に在る道の駅『播磨いちのみや』に着いた。 (8:18) 井上さんは先着。井上さんにも野菜を頂いたがここでも野菜を買い込んだ。 発(8:31) 今年は行く山々で倒木に出くわして痛い目に遭っている。そこで今日もそれが無いとも言えなく、黒尾山で時間切れとなった場合は乗取地区へ下ることを想定して、ここに自転車をデポする事にした。 1・自転車デポ(8:38) 次は計画通り歩いた時の下山地点『日見谷』に車をデポした。 2・(8:43) 登山の準備をして発つ。 (8:55) 次に登山口の小野地区へ入って公民館に車を置かせてもらった。3・(8:58 発9:00)
舗装路を歩いている時、犬の散歩帰りの人に念のため『ハンターは入っていませんか』と聞くと『ジープが2台上がって行った』とのことだった。私はもしかしたら、「牧場跡辺りに入っているかも」と思いながら上って行った。左の谷川は豪雨や台風にも殆ど荒されず、水はまさに清流だった。間もなく見覚えのある分岐に着いた。 4・(9:21) 最近立てられた大トチノキまで1.2kmのポールが立っていて、その向かい側に「上ノ・小野線」の標識が変わらず立っていた。新しい轍が奥へと付いていて「ハンターでは・・・」と心配したが舗装路から左へ外れて先ずは大トチノキへ向かって歩いた。
ログハウス前を通過して分岐へ向かう 左の地道が『上ノ・小野線』
ここは10年前は
太い杉林だった
上ノ・小野線の
標識
左の本流に沿って上って行く、道の右手は太い杉林で薄暗かったが、その杉が切り出されてその後の植林が幼木で随分明るくなっていた。一度傾斜がきつくなってそれが緩んで間もなく橋を渡る。 5・橋(9:32) 右の山肌からヤマドリが飛び立つ。間もなく杉の倒木が出た。それをかわしながら進んでいると樹齢100年近いと思われる杉が何故か等間隔で右の谷側から道に倒れ掛かって道を塞いだ。下を潜ったり乗り越えたりしながら上る。
左の杉林に、高さ1m位の石垣が広範囲にわたって、縦横に積まれていて何が在ったのか不思議に思う(井上さんの説では昔桑畑だったのでは・・・私もその説が濃いと思った)道はさすがに県道?で在ったと思わせる幅と工事(石垣の規模)を感じながら上り続けた。記憶ではもっと早くトチノキに着けると思っていたが意外と長くかかってやっと道の直ぐ左にある、初めの一本目の前に着いた。と言っても、その気で見なければ見逃してしまうだろう。何故かと言うと、一本目は枯れて朽ちて、今にも崩れ落ちてしまいそうな姿で、根元から2m位が残っているだけだから。
その後2本3本目が20m間隔位で生えている。「もっと太いのが在って看板も立っていたはず」と思いながら上っていると、その2本が見えて来て看板も立っていた。 6・トチノキ(9:50) 比較的民家に近いにも関わらず、切られずに残されて、よくここまで育ったものだと感心したりその太さに感動したり・・・。樹高は27.5m 樹齢推定400年 太さは明記されていなかったが私が抱えて測ってみると6抱え半あった。県指定文化財(平成3年3月30日) 発(9:54)
←右写真の木
一番奥の二本のトチノキ
この木が一番太い(手振れしている)
道はここまでが歩き易い状況(倒木以外)だったがここから先は荒れ放題になった。ある所では道が水流で崩壊している所も在った。婦人達は何を話しているのかこちらの少々急いでいる気持ちも分からずマイペースの歩き・・・。マッ山歩きはそんなひと時も大切にしなくてはと思い直し、婦人達を待っておやつタイムにした。林道は舗装路から外れて一切目に入らなく、倒木はトチノキが見え始める手前辺りから消えていたと思う。
「何時になれば林道に出るのかなー」と思いながら上っていると、やがて前方が明るくなって来てススキが覆う大きな法面に当たる、その右下谷筋に待っていた林道が顔を出した。ススキで滑りながら法面を上り切って林道に出た。私の地形図ではほぼストレートで合流しているが、井上さんが持つ近年の地形図では大きなピンカーブが記されている所。 7・林道(10:14) そこからは谷から離れてジグザグと上り、再び破線に沿って歩く頃には傾斜も緩くなって谷の右へ渡る。
右山肌は木が切り出されて禿山が続き、作業道が走っていた。道と谷川の少しばかりの間にケヤキ・シデ等の高木落葉樹が残っているのに心が救われた。そんな時谷向こうからキジが飛び立った。 8・(10:27) 再び左右植林態になって倒木が出るが切り開かれてトラックの轍も大きく新しい。やがて大きな谷の合流地点に着くと、切り出した木をトラックに積み込む所だった。 9・集材地(10:40) 私の地形図の破線は西の谷へ入っているが数年前に改定された地形図には記されている林道は南へ折れて南の谷に沿って界へと上がっている。(大規模な材木の切り出しは西の谷一帯に入っている)右下に深い谷を見ながら界を目指す。
やがて左右山肌広範囲に、見たことの無いほど凄くきれいな赤松林を見て感動する。傾斜が緩み始め、界の確認に入るが地形に大きな特徴が無くなかなか難しい。道は水平になって切り通しを通過する。(ここが界かと二人で確認したが?)その先で倒木が道を完全に塞いでしまった。10・(10:54)
10年前は林道終点まで行って、残雪の湿地帯を横断し、牧場跡に出て今日歩いた林道をかっ飛ばして山崎へ下った。今日は界を辿る関係で、その界に乗るべく終点まで行かずに左の植林帯に入って、見当をつけて、そこから界に乗り始めた。が、しかし辿ろうとする界は物凄い倒木の海、一目見るなり界縦走は断念せざるを得なかった。それでも界の近くでも歩けないかと目視で探ったがそれも不可能で一旦牧場跡に出ることにした。
植林から出て原生林(人の手が全く入っていない落葉樹帯)を横断する中程でおやつタイム。11・10と11の間(11:00 おやつ 発11:10) 北に在る908m界ピークに霧がかかっていた。湿地帯(源頭近く細流)を抜けて高みに出ると林の前が木一本生えていない緩やかで広大な牧場跡だった。 12・牧場跡(11:13)
’94.1.3(昭和6年)
後方の切り通しの10年後が右写真
’04.12.19(平成16年)
この先間もなく道は塞がれた
908m
牧場跡が見えてきた所
牧場跡に出て908m(北)方面を見る
写真ではその広さと景色が表現できてないが心が洗われる思いがした。未だ界に未練があってその方向を見上げるがやはり倒木で歩けそうに無かった。井上さんと相談の結果「こうなったら林道を歩いて黒尾山に上る事にしょう」と言うことに決まって、牧場跡の縁についた林道を歩き牧場跡から離れて行った。(鎖ゲートあり車進入出来ない)左が主に杉の植林帯、右高木雑木の植界についた水平道を、景色を楽しみながらるんるんで歩いた。そして尾根を回り込むと、やってきました大倒木群、倒木にはもう慣れたと思っていたが上には上があってここのは凄かった。
林道に倒れ掛かった樹齢4〜50年杉
倒木の合間を縫って進む井上夫妻
この倒木でもラッキーな面もあった。それは林道の法面上から林道に倒れているため、林道と法面との間に三角形の隙間が出来てそこを潜って行け、枝が邪魔にはなるが上を乗り越えたり迂回する事を思えばこの方が楽で随分助かった。「何時になればこの海から抜けれるか」と思いながらしばらく倒木と格闘が続いた。やっと抜け出て間もなく、道は少しずつ上り勾配になって行った。 13・(11:47) 西への破線は見当たらず、上り続けて 14・(12:00) ここがこれまでの最高点で西から北の展望が素晴らしかった。
東の尾根に乗れそうだったが下からでは判らない倒木が心配で乗れなかった。ここからは下り一辺倒になって、余りにも下りが続き心配になって、井上さんに現在地確認(GPS)してもらったところ間違いなく林道を歩いていて安心を得た。(14)手前辺りからだったと思うが大規模な倒木の搬出が入っていた。国有林だから出来たものだろう(台風で倒れる以前から実施されていたか否かは不明)そして最低地点に着いた。 15・林道合流(12:15)
野々隅原からの林道合流点で大きな作業小屋が建っていた。それを見ている間に私を除く3人が先へ行き、西の深い谷向こうを見ていた。何かと思えばそこには山肌を移動しているハンターが居た。それにしてもここまで来れたのも大規模な倒木の搬出が入っていたからで、もしそれが無ければここまで来る事ができなかったのではと思った。そんな時一仕事終えたのか猟犬がやってきた。 発(12:23)
今度は激斜面についた林道を登り始める。しばらく上った所で、帰り仕度の3人組のハンターがいた。(ここで榊を採りに来た人にも出会った)井上さんが今年の熊のことを聞くと『捕獲用柵に8頭入って麻酔で眠らせて山に戻した(場所は不明)』と言っておられた。多分鹿と思うが獲物は有った様だった。昼食を何処でするか・・・結構風が冷たくて「風が避けられる所で」と言うことになって上り続け、まるで池の堤と思ったその下で、風を避けておにぎりタイムにした。 16・(12:50)
(15)林道合流点 左上へと上がって行く
(16)おにぎりタイム地点
◎←おにぎり
←
→
動きを止めると一気に冷えた。この上は池、こんな所に池??と思いながら土手の上が気になっていた。私の地形図ではここから破線になって直で谷を上がっているが林道は上写真の矢印の如く左右に折れて上がっていた。(数年前に改定された地形図には実線で記されている) 発(3:05) 土手の上へ上がって見ると、池でなく、まるでグランドのような広場だった。多分林道を造る時に山を削り取った土石の盛り場と思った。
緩い上りで振り返ると、北にとてつもなくデッカイ三角の形をした山が見え、2人でしばらく考えたが同定することができなかった。上の方を見ると雑木林の中に林道が横断していた。「あれを歩くのか」と思っていたがそこまでの北谷筋に黒尾山登山口(あと600m)の案内が立っていた。 16・登山口(13:20) 井上さんはここから黒尾山へ上った事があるとのことだったが何だか倒木の匂いがして私が下見に上がって見ると道は何の支障も無く、揃って上り始めた。(本来の道は谷筋についていたが今年より以前の倒木で塞がっての新道だった)
尾根に向かって斜めに上っていると幅1m近い道に出て、谷に向かって下っていてた。多分これは旧道であろう。それを歩いて尾根に出た。 17・尾根(13:26) 尾根には西にも踏み跡がついていた。東から西にかけて全開で東の町界上893mへの尾根と林道が霧に巻かれながら見えた。西には長年魅せられている険しい山容の水剣山(井上さんも踏んでいる)が在った。右は笹原左は自然林の横ばい尾根を進む、その道はそのまま横ばいで山肌を横断して消えていた。黒尾山へは尾根についた道を上がった。
(17)尾根からの眺め
893m
↓
↑
黒尾山へ
←19
への道
(17)先の分岐に立つ井上さん
尾根を上っていると一抱え余りのブナの木が生えていた。他にはカラマツ・ミズナラが目を惹いた。尾根から左に外れて緩く上っていると廃棄中継等の下に出た。(黒尾山へ初めて上ったのは平成8年9月23日(96年)高畑山の北コルから町界を辿って上ったがその時には廃棄中継塔手前から笹を掻き分けて何処に出るのか不安一杯で上ったが、いまは良く踏み込まれた道がついていた)私達がうろうろしている間に婦人達が先に黒尾山立っていた。 18・黒尾山(13:43) 展望は霞んでいて良くなかった。(暁晴山がどうにか同定できる程度)がそれがまた功を奏して、水墨画の世界をかもし出していて感動もんだった。
ここでも96年の記録と写真を見ると、頂上からの展望はゼロで測量用の対航空標識が立っていなければ標石すら見つけるのに苦労したと思った。また「廃棄中継塔に登って下を見て何とか下山ルートと思える踏み跡を見つけて安心した」と記している。(下写真の場景を知る人はそんなに多くは無いか・・・)
’96年廃棄中継塔の上から頂上の眺め
←標石
←対航空標識
’96年の黒尾山頂上 西から
悲しいかな、自然の力では緑に回復する見込みの無くなった黒尾山頂上の現状 西から
(左=井上 右=妻)
←誰かの登頂プレート
北を見た時あの三角の形をした山が見え、その正体が判った。それは『大甲山』だった。また、ここからの下山予定の『日見谷』へ下る北の町界尾根を見ると如何にも倒木も無く歩けそうだったが現実はどうなんだろう・・・。どの時点でだったか黒尾山からの下りは時間的に見て計画通り下るのは無理と判断して、南の谷筋についた直破線を下ることを提案し、了解を得ていたので貸切だった頂を後にして南の界を忠実に下った。 発(14:05)
少し下ると上りに歩いたコースに出て分岐に着いた。しばらく笹原を横断してやがて下りとなって 19・(14:22) 道だった形跡を探したが見当たらず、それどころか激下りをどう克服するかだった。谷の南は桧林、北はススキ原。下草無き桧林を下ることにした。地図の破線はまとも谷についているが誰が見てもどう考えても「この谷に道はつけられない」と何度も思い、言い合いながら慎重に下った。と言っても谷を下ったわけでない、谷は鹿おも下れない程の激急斜面だった。少し下ると谷寄りに鹿網が出てもし滑り落ちてもそれに掛かって止まるだろう・・・と思いながら下っていたが、やがて倒木が出始めて傾斜も尚増してきて山肌は歩けなくなった。
そんな頃、うまい具合に谷が開け気味になり傾斜もやや緩んでいて谷へ下りた。北側のススキ原は植林帯に変わって、そこにルートを見つけようと下見をしたがそれも無く谷を下った。そんな時、直ぐ横からオスのキジが飛び立ってビックリ!!「今日はこの類の鳥を良く見るな〜」と思った。杉の木が太くなってきた所でその中へ移って下った。「そろそろ左コースに合流する雰囲気になってきた」と思って間もなく左コースのマーキングがある所に着いた。 左コース合流・(15:23)
とは言え、ここから太い杉の物凄い倒木が出て、今年の4月に上った時に付けていたマーキングが無ければ道の確認が出来ないくらいだった。この後は記憶が曖昧だがその道も倒木で歩けず谷に戻ったり杉林の道に戻ったりしながら下ったがとにかく凄い倒木だった。林道がまじかになった終盤は岩がゴロゴロする谷川を下って林道近くで最後のおやつ、バナナ一本ずつを食べた。 (15:40 発5:48)
踏み跡→
14時42分に下っていた谷筋
15時40分この辺りでおやつを食べた
そのまま谷筋を下って林道に出た。 (15:57) 周りは夕方を感じ始めていたが、林道に出た安堵感もあり焦りは無かった。林道を下って左右コース分岐点。 20・(16:06) 跡はテクテクてくてく歩いて下って神社下の自転車デポチで自転車を回収して乗ることなく4人で歩いて車デポチへ向かった。
写真右の岩盤の右奥手に左コースが在る