後は急な上りも無い、ここまで来たら計画通り走破できると思った。 発(15:10) しかしいきなり倒木の連続で先行き暗雲立ち込める。界尾根は倒木でとても歩けない、右に左に倒木を避けながら下って行った。もう一つの『塩野』への尾根が長くうねっていた。その手前山肌に一面物凄い倒木帯を見る。遅れる妻を待ちながら下っていると左に安志峠や材木会社・ゴルフ練習場等が見えて、凄い傾斜で落ちていた。 27・(15:24) 

コルからは倒木が無くなるも、もう薄暗くなった植界を上る。ここから南の谷へ下る事も考えたが倒木の海だと・・・。 28・(15:40) 一度は考えた「安志峠に自転車デポ」も今となっては後の祭り。だらだらと上って薄暗くだだっ広いピークに着いた。 29・302m(15:52) 北に下れば安志峠・・・界は柴と笹藪っぽかったがR=29から見る限りでは一面植林帯だ。妻を待って発つ。

界には踏み跡は無いが歩くのに何の支障もなかった。薄暗いのにまだ先は長い・・・。緩く下っている時、何かに導かれたかのように尾根右に寄って行くと、そこにはしっかりした作業道が在った。「渡りに船」とはこの事かと思った。塩野(368.6m)への尾根もこの時点では何ら問題なかったが何時倒木帯に遭うか分からない今年の山、ここはこの作業道を使って下界に下る事にした。それは思った通り快適だった。後はどこを通って何処に下り付くか・・・。

道は、植林帯の山肌を尾根に平行してと言うか水平についていたが尾根との間隔が広まっていった。やがて尾根が見えなくなって、西に延びる支尾根山肌が見え始め、一面なぎ倒された倒木に圧倒された。(26)塩野から見えていた山肌だった。道はそれに向かっていて、谷を回りこんだ所で倒木で進めなくなった。 30・(?) 已むを得ず北の谷へ下って下山に向かったがその谷も倒木で塞がっていた。倒木が無ければ見えていた道を使って下れたはずである。

急斜面にへばり付きながら横へ横へと進んでいると先ほどの道の続きだろうか作業道が見えてそれに乗って更に横へ横へと進んでいると前方が開け (13) の赤白鉄塔と前後の尾根が見えてその稜線に夕日が沈みかけていた。 31・(16:13) その後深い谷を回り込むとやっと谷に沿って下り始めて間もなく林道終点に出た。 32・ダム(16:23) 「この林道を下れば塩野地区に着ける」と思いホッとした。
bR25  宇原坂〜宇原〜禅師山〜峠(217m)〜塩野


この山塊の最終章、宇原坂から安志峠は少し距離が短くて、

同じ点名「塩野」と「塩野」二つ踏み越え塩野へ下る・・・。

と思って発つも、笹藪・寄り道・倒木多く終盤遭えなく計画変更。



狭徒地区〜宇原(うばら)坂〜町界北上〜377m〜宇原(434.3m四等)〜禅師山(434m寺跡)

〜峠(217m)〜塩野(422.6m四等)〜302m(町境界から外れる)〜南谷筋林道〜塩野地区



◎所在地 : 宍粟郡山崎町宇原・川戸と安富町狭戸・塩野の町境界

◎地形図 : 2万5千図 『安志(あんじ)』

◎山行日 : 2004.11.27 (土) 晴れ

◎山行条件 : 歩き/妻      Age=57

◎コースの見所 : @ (4)から南に海も見える展望  A (15)禅師山廃寺跡(養法寺)

             B 今回見れなかったが『六角古墳跡』

◎走行距離 : 往路@47.8km A50.0km往復 105.0km



自宅発(7:50)〜加古川・姫路・太子・龍野・R=29B・P〜R=29〜1・安富町塩野公民館

(8:57)〜2・安富町狭戸(9:08 発9:30)〜3・宇原坂(9:45)〜4・(10:25)〜

5・(10:35 発10:39)〜4・(10:49)〜6・(10:54)〜7・(11:03)〜8・(11:09)〜

9・アンテナ(11:25 おやつ 発11:37)〜10・(11:45)〜11・(11:56)〜12・(12:20 

おにぎり 発2:32)〜13・反射板(12:34)〜14・宇原(12:42 発2:53)〜

15・寺跡(13:00 発13:15)〜16・(13:19)〜17・(13:23)〜16・(13:31)〜

18・鉄塔(13:34)〜19・(13:34 発13:43)〜20・(13:50)〜21・(13:53)〜

22・(14:06)〜23・峠(14:20 発14:28)〜24・鉄塔(14:40)〜25・(14:54)〜

26・塩野(14:58 おやつ 発15:10)〜27・(15:24)〜28・(15:40)〜29・(15:52)〜

30・(?)〜31・(16:13)〜32・ダム(16:23)〜33・(16:25)〜1・(16:58)〜

自転車で走る〜2・(17:03)〜1・(17:11)〜発(17:15)〜往路〜自宅(18:35)


当初の計画『この山塊を南北に走る町境界、これをを3分割で縦走する』その3分の3目に当たる今日のコース。最後安志峠に下りたかったが距離的に少し短い、それではと302m地点から南へ延びる尾根に目をつけた。これにはもう一つの点名『塩野』が在るのでそれを踏んでR=29からも見える『六角古墳跡』に下ってそれを散策してみようと思った。

通い慣れた道を走って 1・安富町塩野公民館(8:57) ここから北の山裾に『六角古墳跡』が見えている。後のお楽しみにと引き返して安富町狭戸に着いて宇原坂への入り口の広場に車を止めた。2・安富町狭戸(9:08) この道は結構車が通過していた。 発(9:30)坂に近づくと墓地が右手にあり(地図にマークあり)そこら辺りから上り口がないかと探し始めたが見当たらなく上へと上がっていると、結局宇原坂に着いた。3・宇原坂(9:45)

上り口が見つからないどころか何処を見ても凄い笹(細い竹)藪で上れそうな所さえ無かった。仕方ないので法面の際からその藪に突入した。身の丈を越す笹藪を掻き分けながらの急上りは大変だったが笹が「根曲がり笹」でなかったので救われた。50m位上ると笹が消えてホッとする、ソヨゴ・ヒサカキ・太いヤシャブの植生に変わり何となく切り開きがあるように感じた。240m辺りで源頭を見た。(9:56) なぜか太いヤシャブが目に付く、振り返ると前回歩いた宇原坂への尾根の黄葉が美しかった。

少し緩み始めた頃2〜3段で2重の石垣が在って??地形も掘り起した溝のようなものが波状にあって??と思うのは私の勘繰り過ぎか・・・。やがて横ばいになって右手が開けて私の車や瀬戸内海とそこに浮かぶ島も見えた(こんな所から見えた)シダ尾根を進んで 4・(10:25) ここで「何か在るはず」と気になっていた西尾根分岐点、途中から見た時は藪っぽい尾根と思っていたが取り付きは問題なし、妻を置いて、私一人で向かった。
石標に向かって倒れ込む桧
(26)塩野石標 南から
下草なし、快適に進む、獣道かも知れないが踏み跡が続いていた。コブを越えるとここもシダが出て太いヤシャブが生えていた。左右が木の間から見え隠れする、思った以上に幅広尾根で帰りの為にマーキングをしながら逸る心で進んで 5・(10:35) 展望なし、辺りを見て回ったが期待に反して何の形跡も無かった。 発(10:39) そして 4・(10:49) 妻と合流して先へ進む。 

ここからは何故か切り開きがあって難なく進めた。 6・(10:54) 右が桧林になり植界を上って 7・(11:03) 自然林に囲まれたコブで、そこに生える太いヤシャブの一本が水平に寝ていてそれに上って先の方へ出ると、これから辿る(9〜14)までの山が見えた。短く下ると素晴らしい自然林尾根が在った。 8・(11:09) 

ここの地形は少し複雑で中上りする。更に複雑になって妻を待たせて上って行く、道らしきものも出て上り切った頂には現役と思えるTVの受信アンテナが建っていて、メスのヤマドリが飛立ってビックリした。妻を呼んでおやつを食べた。 9・(11:25 おやつ 発11:37) 短く藪っぽい横ばいを行くと開けたが今度は枯れ松の倒木が待っていて、それを乗り越えたり迂回したりして進んでいると、待ち構えている(13)ピークが見えた。 10・(11:4)
31
29・302m
28
27

16

15
13
10
25
22
20
17
33
32
30
塩野
26・大富豪・
   塩野
   422.6m
24
23・217m・峠
21
19
18
11
9・377m

@

14
宇原
434.3m

宇原坂 安富町側から
(4)へ向かう尾根のシダで丈は低い
←峠のお堂
←もみじ
方向を変えて左桧林との界を急上りをしていると右に塩野地区と『六角古墳跡』も見えた。      11・(11:56) 緩く下って上り返すと西が開けて二コブの一つ高倉山と龍野の鶏籠山・的場山・城山・大倉山と、その奥にここからも海が見えた。 更に上ると、塞がっていた尾根の西が狭いながら開け、ここで高倉山やその北から東方の山々を見ながらおにぎりを食べた。 12・(12:20) 

界東側にはやぶ椿が群生していた。 発(12:32) 下草なし、緩く上ったコブ東支尾根に巡視路が付いていて辿る尾根にもついていた。 それを歩いて着いたピークには、北向きの反射板が建っていた。 13・(12:34) ここから三角点へ切り開きがあるかと思ったがそれは無く、少しの間、草藪を下ると左桧林の植界となって開けた。

井上さんから 「(15)辺りが寺跡」との情報を得ていたので「三角点への尾根にも寺に関連する何かが在るかも知れない」と思いながら注意深く歩いたが何も無かった。 14・宇原(12:42) 石標は直ぐに見つかった。その隣(西)に金網の囲いが残っていて『宇原無給電中継所』のプレートを取り付けたままになっていた(5m四方位)。

幅2m位北が切り開かれていて山崎高校やジャスコ、町並みが見えその奥には長水山は見えていたが黒尾山は見えなかった。 (発2:53) 反射板には戻らずその北側を通過して本来の巡視路に乗った。ほんの少し下ると平地となって、事前情報を得ていた寺跡に着いた。 15・寺跡(13:00) 中程にポツポツと見る扁平の石は礎石だろう。北の左右端に石が集まっていて何故か丸く扁平なコブシ大強の川原石が沢山あった。段を下りると同じ位の面積の平地が在った。

(100u強?)ここが本堂跡なのだろうしっかり確認できる2間の4間位の礎石が並んでいた。そこに『鐘掛松株跡・昭和14年枯れる・根回り2.5m』『禅師廃寺跡(養法寺)・標高434m』『宇原部落昭和58年植林』の木製標柱と石柱で『禅師山廃寺跡(養法寺)片側には天正八年豊臣秀吉の長水城攻略の際兵人にかかり焼失したと伝えられている』が立っていた。

「寺=利水」山城の場合は立て篭もりの場合が多いからさほど「利水」が気にならないが寺となると、これは人(僧)が日々生活をするのだから水は極めて重要と言うことで水場は何処にと見える範囲探したがそれらしき所は分らなかった。
(9)からの倒木尾根
(7)ヤシャブの木の上から
18
鉄塔
 ↓  
13
 ↓
鐘掛松株跡には五輪塔の五輪が二個置いてあった。ここに生えていた杉は昭和58年に植えられたものだろう。 発(13:15) 横ばいを行くが左右に段状の地形が在って坊跡か?間もなく 16・(13:19) 塩野地区が立てた「廃寺跡」のプラスチックプレートが立っていた。ここから北西に気になる地形在り、そこへ向かう。

右桧左自然林(コルからは反対になる)そこへは巡視路がついていたがコル手前から右山肌一面桧の大木が台風によってなぎ倒されていた。緩くだり緩のぼりする間にも地形に変化ないかと目配りしたがこれといって変化が無いまま 17・(13:23) 先端から更に下へ巡視路は下っていた。この面だけに丸形の大岩が沢山あったが果たして何か意味なすものか・・・。
上の段の左端川原石
下の段の礎石 北から
下の段の木製標柱2本
松の株跡
塩野(422.5m
 ↓
19
(19)に在る基壇の一部(お堂跡と思う)
(17)へのコルからの眺め
引き返して妻の後を追う。 16・(13:31) 左の植林はなぎ倒され展望がきいて山崎方面が見えた。上り返しは石や岩が出て尾根に見過ごしそうな石垣や廃寺跡のプレートを見て妻が待つデッカイ赤白鉄塔に着いた。 18・鉄塔(13:34) 巡視路を歩いて下っていると一抱えもある柿の木が生えていた。根元から5m位の所まで枝が出ていないというめったと見れない真っ直ぐな柿の木に感動した。(葉も実も付いてなく、熊の爪痕なし)短く上って 19・(13:34) 

右へ下る巡視路に誘われるところで気が付いて現在地確認。 発(13:43) 踏み跡無き所を下っていると右から巡視路がやってきていた。前方が開けてこの後辿る予定の塩野(422.6m)やその先の尾根が見えて、果して計画通り歩けるか不安が過ぎった。しばらく心地よい自然林尾根を歩いて 20・(13:50) この辺りで巡視路と分かれて界尾根に乗る。下草は無く踏み跡は微かだが周りは明るかった。 21・(13:53) 

方向が変わって下り切って妻を待つ。 (22) なかなか下りて来ない・・変な方向に下りられては困るので迎えに上がった。そして (22) へ戻って (22)発(14:06) 右桧林の界を進んだ先で幅広尾根になって今日初めてコース決めに悩んだ。コンパスを信じて下っていると確かな尾根と方向が定まり植界の急下りが続いた。、下に祠が見えてきたかと思うと雌雄の雉が目前より飛び去りビックリした。

ヤマドリの場合もそうだが二羽が飛び立つときは必ずそれぞれ反対方向に飛び立つのは敵から身を守るための習性なのだろう。 23・峠(14:20) 祠は平成15年に建て替えられていた。探すと瓦の破片があったので以前は瓦葺きのお堂だったと思う。ここから巡視路兼廃寺跡への道が下った尾根東下についていた。

この時期になると斜陽が早く、この時間帯になるとなんだか寂しさを感じる。計画コースはここから上りが続き、道が在るやら無いやら分からず・・・妻は少し疲れた様子・・・勿論塩野地区へは明るい道がついている・・・(川戸へは草や笹が生えた道)『塩野へ下るか』と言うと『先へ行く』と言う、それでは急いだ方がいいと 発(14:28) 

右桧左高木雑木の界についた巡視路を上り 24・鉄塔(14:40) この上で巡視路プレートを見たが巡視路は何処へ行ったか分らなかった。上りが続いてスピードが鈍るもほぼ上り切って 25・(14:54) 桧の倒木が行く手を塞ぐ、おまけに笹(竹)藪になって来た。少し離れると姿が見えなく笹だけが動いていた。

少し開けて来て上り切ったが南から桧の倒木が多く、三角点石標が見つかるか心配しながら探していると対空標識の木枠が見つかり、その近くを探すと倒木の下に石標が見つかった。 26・塩野(14:58) そこから離れて、倒木に座っておやつを食べた。倒れた木の上から南の山並みが見えていた。 
しばらく下ると、前方の中空と地面が黄色く染まって何かと思うと高さ15m位の2本のイチョウの木が生えていた。その美しさに感動しながら橋を渡ると左谷向こうに林道が入っていた。(30)地点横道途中で倒木によって遮られた道はここにつながっているかも知れない。 33・(16:25) 更に下っていると道の右と谷間が開けてここからも(18)地点の鉄塔周りがみえた。右に広い規模で『柚子畑』が在って、間もなく道の分岐点を通過して山裾の道を歩いて公民館へ向かった。

『六角古墳跡』の直ぐ下を歩いたがもう散索する元気も時間も無く下に見えている公民館へ向かっていると、農道をおばーさん(80歳代?)が手押し車を押して散歩から帰ってきておられた。宇原坂から尾根伝いに歩いて来た事など話しながら歩いているとお堂の前に着いた。お堂の縁に座られたご婦人(70歳代)が3人居られて 『何処から来たんや』 『加古川の方から』 『禅師山寺跡を通って来た』 と言うと 『大きな柿の木があったやろ』 と言われた 『すごく立派な柿の木だった』 『』柿の実はなっとったか』 など聞かれた。この人達も何時の日か禅師山寺跡へ上られたのだろうと思っただけでそれ以上は話さず公民館へ向かった。 1・(16:58) 妻を待機させて自転車で走って車へ向かい、折り返し公民館に戻るともう暗くなりかけていた。

※今年の倒木は異常で、根元からなぎ倒されている木がほとんど。今思った事は 「それまでに来た台風や豪雨によって地盤が異常にゆるんで根張りで自らを支えきれなくなかったのが大きく影響したのかも知れない・・。
(31)辺りからの展望
林道に出た所
(18)の鉄塔
   ↓
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11
13
 ↓
鉄塔
 ↓