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広根からバイクを担いで林道へ、ススキたなびく初秋の林道、
祇園に向かってカッ飛ばし・・・。と思っていたが計画変更。歩きに変えて広根を発てば、
台風豪雨爪あと激しく土石流が谷を洗い、土石流が谷を埋める。
小野山・祇園に福峰山・尾長谷と辿った後でコース外してシダ藪下る。
広根〜近畿自然歩道〜林道〜小野山(444.5m四等)〜祇園山(435.6m三等)〜
福峰山(334.5m四等)〜尾長谷(211.8m四等)
◎所在地 : 上郡郡上郡町鞍居川南の主尾根
◎地形図 : 2万5千図 『二木(ふたつぎ)』
◎山行日 : 2004.10. 2 (土)
◎山行条件 : 歩き/井上主人 Age=57
◎コースの見所 : @ (5)と(6)の道標と(8)の石仏
A 太い赤松や自然林を見ながら林道歩きも楽しいかも
◎走行距離 : 往路 61.5km 往復 122.5km
自宅発(6:32)〜姫路・太子B/P〜福田L・P北直ぐ(7:09 発7:22)〜R=5〜
相生市〜真広交(7:46)〜上郡町〜R=373〜R=28〜1・県総合庁舎(8:10)〜
発(8:18)〜R=28〜2・広根(8:40)〜発(8:50)〜3・(8:57)〜4・(9:04)〜
5・(9:15)〜6・分岐(9:37 発9:40)〜7・池(9:54 発9:58)〜8・林道(10:10)
〜(発10:15)〜おやつ(10:17〜10:27)〜9・小野山(10:42)〜発(10:54)〜
10・(11:10)〜11・(11:23)〜12・五差路(11:35)〜13・(11:44)〜
14・(11:48)〜発(12:08)〜15・祇園山(12:19 発12:34)〜16・(12:53)〜
発(12:58)〜17・(13:38)〜発(13:42)〜18・福峰山(13:50 発14:00)〜
19・(14:08)〜発(14:17)〜20・(14:25)〜発(14:30)〜21・(14:50)〜
22・(15:10)〜23・(15:21)〜24・峠(15:46)〜25・尾長谷(15:54)〜
26・(16:00)〜25・尾長谷(16:04)〜27・(16:22)〜1・県総合庁舎(16:30)〜
発(16:35)〜2・広根(16:55)〜発(17:08)〜往路〜自宅(18:46)
13
15・
祇園山
小野山〜祇園山〜福峰山〜尾長谷
11
7
12
14
27
26
25・長尾谷
15・祇園山
10
9・小野山
8
(4)手前に在る店『さんげん屋』
スタート地点の道標(近畿自然歩道)
@
24
23
22
21
20
19
18・福峰山
17
16
16
6
5
4
今日は井上さん夫婦と「大稗〜おすぎ地蔵〜けい坂〜粟鹿山〜仏岩〜大稗」(井上案)を計画していたが天気が不安定で中止になった。そこで私は単独でMTB用にとっておいた西播の山へ行こうと思い井上さんに話すと、「同行したい」との事。久しぶりにMTBを連れて行こうと思っていたが歩きに変更した。待ち合わせ場所に予想より早く着けて井上さんを待って発つ。
姫路・太子B/P〜福田L・P北直ぐ(7:09 発7:22)
R=5を走って相生市と上郡町の境界「椿峠」に差し掛かると台風21号の影響で左法面が大きく崩壊し、警備員によって片側通行規制になっていた。上郡町に入ると明日を投票日にひかえた町会議員選挙の候補者が道端(3〜4箇所)に立って投票のお願いをしていた。下山地点付近に車のデポ地を探したが適当な空き地が無く、井上さんが見つけた今は閉められている県総合庁舎の駐車場に置かせてもらってそこを発つ。
1・県総合庁舎(8:10)
R=28で稗田まで行ってしまい、広根に戻って道が少し膨らんだ所に止めた(井上車)。
2・広根(8:40) 準備をしていると婦人(70歳代)が通り掛かられたので、井上さんが『小野豆の方への道は在りますか』と尋ねると『道は在るけどマムシがおるで』『蛭はおりますか』『昼も夜もないマムシはおるで??』蛭=昼と解釈されたようだ。直ぐ横を流れる川も大雨の被害を受けて護岸が流されていたりした。その婦人も今まで経験の無い大水だったらしい。
発(8:50)

横の橋の所に「近畿自然歩道」の道標が立っていた(鞍居バス停0.7km平家塚ふれあい公園3.7km)。山並みを見ると何処を見ても送電鉄塔が目に入った。谷の舗装路を奥へと入って行く、道には土石が流れ出ていた。やがて池に着く。 3・(8:57) 池の水は濁っていてその奥には茅葺き屋根の店が建っていた(上写真)。その直ぐ奥にもう一軒家が建っていて犬の散歩から帰ってこられた婦人(40歳代半ば)と会話する。ここは谷の合流点で凄い土石と水が寄せてきて一時避難したとのことだった。東の谷は『つづら谷』と言って相生市に抜けられると聞いた。(気になるな〜) 発(9:04)
谷が狭くなっていき車回しを過ごして直ぐ道端右に石の道標を見る。高さ1m幅30cm表には右 山三ち(やまみち) 左 た川の(たつの)と彫ってあって天には「たつの」の方を指している腕と手を確認した(上半身が彫ってあるように思う)裏には明治八年亥十一月建之三谷と彫ってあった(二人で判読したが完全ではない?)。 (9:15)
←崩れている
指
↓
た
つ
の
左
右
山
三
ち
明
治
八
年
建
之
三
谷
亥
十
一
月
(表)
(裏)
その先から谷幅が一段と狭くなって谷に重なり合う大岩や岩盤は水で、コケ等が洗われて凄くきれいになっていた。道の所々に水で洗い出された石畳と思う形跡を見て、思いがけない発見に往時を想う。凄い岩盤やヤブ椿の群生など見ながら峠(林道)を目指した。杉林が目立つようになって東(左)の谷の破線を見逃さないように進む。(後日この破線を使って町界を歩く計画ある為)
谷川の水量は収まって洗い出された岩肌や岩が実にきれいだった。そして破線の分岐に着くと、ここにも道標があった。ここのは 左 たつの 右 をのす(小野豆) と彫ってあった。左が龍野を指すとは想像すらしていなかったので新発見だった。自然歩道の道標が立つ(鞍居バス停2.7km平家塚ふれあい公園1.7km)この破線を早く歩いてみたいと思いながらそこを離れる。 6・分岐(9:40) 杉林から自然林に移って所々で倒木が出たが既に切り開かれていたり道も少し整備されていた。(これは池の所の民家の主人がして下さったとの事だった)
池の手前西(右)の谷に岩盤を流れ落ちる滝を見る。ここは行政のしっかりした木製の橋が架かっていて、その直ぐ上が石垣の堤の池だった。 7・(9:54) ここで一休みして発つ。池の右を回り込んで行ったが満水の池に滑り落ちそうな所もあって恐々過ごして谷を詰め丸太階段を上ると、石仏に迎えられて林道に出た。 8・(10:10) 石仏は大師坐像で高さ55cm施主岡田政エ門嘉永六年丑十月(1853年江戸時代と思う)周りに瓦が散乱していたからお堂が建っていたのだろう。
ここでおやつタイムと思ったが視界悪く少し先の明るく開けた所で腰を下ろして休んだ。 (10:17〜10:27) 太い赤松が目立ちススキも咲いていた。林道のいたる所に水溜りができていた。今日立つ予定の四つの点名のうち初めの点名「小野山」へ向かう。間もなく林道分岐で右は右上に在る鉄塔(ここに小野山が在る)に向かっていたので、これを上ろうかと思ったが過ごして進むも鉄塔から離れて行きそうで潅木帯を登ると先ほどの林道に出た。それを歩いて鉄塔下に着くと、ブルで広範囲にわたって均していたが石標が立つ所は残されていて一段上にあるのを、井上さんが先に見つけた。 9・小野山(10:42 発10:54)
道はピークから西へも下っていた(ヘリポートとつながっていた)私たちは林道を戻って直ぐのピンカーブから林道を外れて小藪を抜けて正規の林道に下りた。横ばいを進んでいると運動場の様に前方が大きく開けた。鉄塔を建てる時のヘリポート兼資材置き場だったかも知れない。 10・(11:10) ここから東山肌にきれいな道がついていた。(この後右に左に道が出る)


(10)地点H・Pと思うが・・・。東から
(10)先で見かけた三本爪?の動物足跡
高低差がほとんど無い林道を西へ西へと歩く、林道南の414mに面白い形の破線(林道)も確認して(入り口だけ)進んで次はこの先に在る北への破線、これも入り口は林道だった。いよいよえげつなく曲がっている林道へちかづく。左下の荒地マークの所はススキが一面に生えていた。右へ曲がり始めると左は竹と雑木が混生していた。 12・(11:35) 右直ぐの尾根へ林道が付いていたので上がって見ると、尾根と山肌に東西の林道?が付いていて合計5本の道となっていた。
元に戻って進んでいると左が崖のように切れ落ちる、下を覗きながら歩いていると又もや右に林道を見た。が無視して歩く、余りにも林道が多くて気にしなくなっていた。そして、 13・(11:44) ここで大切な林道分岐だったことに気が付いて引き返した。正規林道に乗って(ここも5本の道になっていたと思う?)緩く上った肩でおにぎりタイムとする。 14・(11:48 発12:08) 自然林に挟まれて緩く上って行くと祇園山に着いた。 15・(12:19)
先ず目に入ってきたのは南向き(神明寺地区)のお堂と石標(大正10年大旱魃の『雨乞祈一念碑』)と二基の燈篭だった(右は大正六年 左は大正二年?)神明寺地区の雨乞い山で神明寺氏子中の手で建てられていた。お堂の中には二つの石の祠が安置されていて『播磨 山の地名を歩く』の本によると中には木像が祀ってあって、この木像を水で洗えば、必ず雨が降るというので、村人は洗い、祈ったらしい。三角点石標はお堂の裏の最高点にNHKのTVアンテナと共にあった。
お堂前には比較的めずらしい太い「カゴノキ」が群生していてその樹間から神明寺地区とその右上に飛び出した「福峰山」等が見えていた。(祇園山から東へ下る道在り) 発(12:34) ここから山中歩きになる。幅広尾根は右桧左自然林の界を緩く下って行く。今年はクモの巣に遭わないと思っていたらここに来て襲来、それも粘度の高い「ジョロウグモ」の巣だった。(これには最後まで悩まされた)
展望も無く井上さんと地図と地形を合わせ、コンパスで方向を確認しながら進んで行ったがよく似た地形で現在地が曖昧になっていった。そんな時いきなり禿山に出た、私と井上さんとの現在地が合わない、私は手前の“出べそ”と思っていたがそれよりも進んでいた。 16・(12:53) ここに鉄塔跡が在って現在地確認できた結果、井上さんの方が正しかった。ここから祇園山が見えた。 発(12:58)
378mを通過する時右下(北)にチラリと水平林道を見かけた、これは(14)地点東のコルに繋がっているかも知れない・・・。まもなく再度鉄塔跡に出た。西が全開でこの後辿る点名「尾長谷」から最終ピークへ至る尾根が「遥か彼方」に見え、その一番奥に見える大きな山塊は「那岐山」だろうか・・・と言いながらそこを離れた。
西に出っ張る尾根に入らないように気を付けて右植林の藪っぽい植界を下っていると、左自然林の中に道らしきものを見たが過ごして下る。尾根から少し西にずれていて復帰する。どうやら先程の道らしきものが正規ルートだったようだ。自然に出来たとは思えない位細く切り立った分水尾根を歩いて 17・(13:38) ここでおやつを食べる。西の谷からか赤ビニテープが巻かれていた。発(13:42) 枝でクモの巣を払い除けながら上ってだだっ広いピークに着いて、寄り道となる福峰山へ向かった。
気分よく歩ける尾根で、上り返しから地形が段状になっていてもしかすると山城(砦)跡か・・・と思った。横ばいで尾根先へ着くと石標が立っていた。 18・福峰山(13:50) 台風で枝葉が疎らになった雑木の間から集落が見え、あちこちから選挙のお願いコールが聞こえてきた。木に掛かったカラフルな布切れが有って何かと思えば「鯉のぼり」の残がいだった。近くの木にロープが掛かっていたのでここで鯉のぼりを揚げていたようだが『誰が何の為に・・・』 発(14:00)
←右写真
引き返して 19・(14:08 おやつ 発14:17) まだまだ先は長い、少し藪っぽい所もあったがほぼ横ばいで距離を稼ぐ、そして小さなコブに着き現在地確認に入ったがハッキリしない、暫く思案したが決め手が無い。そんな時井上さんがポケットからなにやら取り出して見始めたと思えばそれは『GPS』だった。地形図に北緯、東経共に秒の単位まで線引きされているのでピンポイントで現在地確認ができた。 20・(14:25 発14:30) 藪も無く快調に進んで 21・(14:50) この鉄塔は生きていた。鉄塔から下るとき直ぐ近くから中形の鹿が走り去る。その後順視路が出てそれを歩く。
巡視路はコルから255m右下を通過していたがここは計画通り255mに立った。 22・(15:10) 計画段階でここから南西に下って峠から東町へ下ることも考えたが、結果は今日のルートに決めた。255mから下った先で左に大きなピークを見た井上さんが現在地が怪しいと言って暫く思案したがそのまま進んでコルから上り返すと鉄塔が建つピークに着いた。 23・(15:21) 振り返ると(21)地点方面と西は尾長谷への辛くなりそうな上り斜面などが見えた。巡視路は送電線に沿って下っていたが私たちは計画通り北尾根に入った。
計画の北から西へ折れる地点(A)に注意を払って下っていたが結果はそこを外して、柴藪の急下りで直接峠に向かって下ってしまった。 24・峠(15:46) 峠道は尾長谷地区の方へはハッキリ残っていたが東町の方へは笹で塞がっていた。さて、最後の三角点「尾長谷」を目指して・・・と言う時井上さんが『私はここから下山(尾長谷へ下る)する』とのことで私だけ計画ルートを辿る事にした。
読図は私より長けているので車に戻る事については何も心配することなく峠で別れた。尾長谷へは明るい道が付いていて難なく着いた。 25・尾長谷(15:54) 写真を撮ってプレートを付けてそのまま巡視路を進むと禿山(鉄塔跡コル)に出て上り返して 26・(16:00) 方向を確認すると北を向いていたので尾長谷へ引き返した。 25・尾長谷(16:04) 方向確認して発つ。藪っぽくイバラも出たが井上さんを長く待たせられないので小走りで進んだ。「直線的に進む」と思っていながら暫くしてから安易な方向、やや左に折れて進んでしまった。下に池が見え始め、ルートを外している事に気がつくもそのまま下って早く車に戻る事にした。(下った支尾根はもう一本東かも知れない)
シダ藪の急下りを終えると巡視路だろうか道が出てそれを歩いて池の横を通り抜けて集落に出た。 27・(16:22) 山裾を歩いていると台風21号で床下浸水した家も在ってあとかた付けをされていた。そして車の所に戻ると丁度井上さんも戻って来た所だった。 1・上郡町県総合庁舎(16:30 発16:35)〜 2・広根(16:55 発17:08)〜往路〜自宅(18:46) 井上さんは着替えて私より先に発たれた。


378m先の鉄塔跡から西方面
尾
長
谷
↓
26
↓
最
終
ピ
|
ク
↓
福峰山の鯉のぼり
祇園山のお堂 南から