界は変わらず切り開きありMTBが共でも何ら問題は無い。次ピーク右トラバースあり、妻にそれを辿らせて私は界を上った。妻は西尾根に乗って引き返す形で(12)へ上ってきた。 (12:55) このピークから西の谷は松茸山の表示とユニヒモが張り巡らされていた。(近年のもので無かった)緩く上って横ばい幅広の尾根を行く。この辺りは鹿の寝床が沢山有り太いアセビも生えている。 13・(13:15) 

ここには15p×10p地表から頭が15p位出た割り出したままの御影石が埋まっていた472m標高点か・・。左桧林の植界下って吼子尾山へのトラバースも在ったが上り返して 14・(13:20) 城跡に近づいていたので其れに関わる何かが有るかと期待していたがそれらしき物は無かった。

下ったコルには矢印形の案内板が立ち木に打ち付けられていて「がんばれ あと250m」と書かれていた。そして島田君が下山に使ったと言う微かな踏み跡が薄暗い植林の中を東芦田に下っていた。このあと50mごとに案内標示がしてあったが、古くて近年このコースは使われていないようだ。始めの急登を上りきって掘り切り一本と合計3つの郭(曲輪)を越して4段目が吼子尾山の頂だった。 16・(13:38)

2m四方高さ2m位だったかアングルで組まれた展望櫓が建っていた。慶佐次氏は1985年9月に上られているが櫓のことは触れられていないので、それ以降に建てられたのだろう。その上に上がる梯子も台も丸太が使われていたが梯子の方は朽ち落ちる手前だった。それでも危ない思いをして櫓の上に上がって見た。

上がったからと言って余分に見えたものは、奥の方の東芦田ぐらいだったと思う。京都の松尾山(青葉山)だろう親子のトンガリピークは下からも見えたかも知れない。東半分が全開で親不知・クロイシ・五台山・篠山の三岳方面・白髪と松尾山・高山と猿藪近い所では五台山・安全山・西は杉の切り開きが有り奥から粟鹿山・岩屋山・大箕山と並んで大きく見えた。
塩久(しおく)峠〜吼子尾山(くずおさん)
6・421m
15
14
13・472m
19
20
22
吼子尾山頂上から南に下って振り返る
吼子尾山頂上 西から東の展望
五台山
  ↓
クロイシ
  ↓
(11)へ向かう尾根
(9)破線が通る緩いコルでH側を眺める
『塩久峠』は丹後からの塩が着く所、塩着く、塩来るが訛って『塩久峠』になったという『兵庫丹波の山(上)慶佐次盛一氏の著書による』県境界は短いながら桧林の急登だった。 5・(10:24) H側が柴ヤブ混生林に変わった。地図で直ぐ下を通っている送電線は無くなっていた。赤松が多い混生林で笹ヤブっぽい界を上り返して 6・樽水展望(10:40) ここは2こぶピークだった。

東尾根先が明るく開けていたので(A地点)行って見ると、Fの樽水集落が広範囲にわたって見えた。(この後吼子尾山まで展望無しでした)界左の谷の高木雑木帯が美しい。それに見とれているとガサごそと物音がするので覗き込んでいると、右から左へ中形の猪が歩いて去って行った。雑木林に癒されながら緩いクランク界を進んで 7・(11:05) 

正面谷は桧林になって混生林との界を緩く下って行き軽い笹ヤブを上り返していると先週巻いた布が出た。その時には現在地確認が曖昧だったが今日明らかになって頭の中がスッキリした。 8・(11:25) 先週南に向かってトラバースした所を見ながら先の破線コルに下る。9・峠道探し(11:35) ここで先週探していなかった峠道を探したがF側は急斜面の雑木林で完全に自然に返っていた。

H側は緩い谷だったが草が生えて道らしき形跡確認できなかった。先を行く妻の後を追って上って行き難なく吼子尾山分岐に着いた。 10・峠道探し(11:53) 先週の事を思い出しながらおにぎりとオレンジを食べた。尾根の開は蓮根峠へよりも吼子尾山への方が数倍明るい。さて、いよいよ吼子尾山へと向かう。

下ったコル近く左より島田君が辿って来た水平ルートが合流する。緩く上って 11・(12:25) 次のコブからの下りで左桧林の間から東芦田がチラッと見えた。尾根右は赤松・ナラ・太い樅・アベマキ等の植生で山桜の葉が赤みを帯び始めていた。

H側から見る塩久峠
塩久峠へ向かうのどかな景色
吼子尾山→
←榎峠
塩久峠
  ↓
17
23
休み

21

18
16・吼子尾山
   519.3m

12

11・
418m

10

@

※北近畿豊岡自動車道は03年当時は計画段階

トップにもどる
歩きの記録にもどる
(18)へ戻っていよいよ西尾根に乗って下り始める。 (14:50) ヤブの心配も有ったがとりあえず初めは問題なく下れた。南面は雑木林の物凄い切れ落ちが続いて北(右)は放置された桧林。 19・(15:02) 胸の高さの笹ヤブになり、それを抜けて 20.(15:10) 東から南が開けて五大山と愛宕山・遠望では高山・白髪・西寺山辺りまでが見えていた。

植界を下ると尾根ひだりが美しい雑木林になった。 21・(15:18) 下草に丈の低い笹が出たり一部「これは困った」と思う笹ヤブ尾根が有ったが桧林に逃れて進んだ。薄暗い植林帯を通って 22・掘り切り(15:32) ここにはJ−PHONEのアンテナが建っていて口塩久から草ヤブの中に一本レールが上がってきていた。

「いっそこれに沿って下るか」とも考えたが思い留まって計画通り尾根を下った。この尾根が以外と長く「麓はまだか未だかと思いながら下り続けて最終ピーク手前コルから電撃線に沿って東に下って稲荷神社の所に下りついた。その前は青垣町総合運動公園であった。 23(15:55) 少しの間歩いた後MTBに乗って車へもどった
(18)へ向かって桧林広尾根が続く
「心に残る山」の一つになる素晴らしい山でしばし憩いながら下山ルートも考えていた。一本目は胎蔵寺へ二本目は田井縄へ下る破線ルート三本目は田井縄へ下る破線の途中から西に延びる尾根(375m〜253m)であった。どれも興味はあったがやはりこれしかないだろう三本目で下ることに決めた。島田君は残念ながら天候不良でこの展望を見ることなく下山したのかと思うと気の毒としか言えない。

一時間近く居て去り難い頂を後にした。( 14:25)南尾根にも6段の郭が在って左右の山肌は鋭く切れ落ちていた角の無い丸みのでっかい御影石が散在していてその間を下って行くと明らかに掘り切りと思える所が在った。 17・掘り切り(14:33) 辺りかと思うが破線のルートは無かったように思った。やがて桧林のユル尾根になってるんるん気分で下って 18・(14:40) 

激下りが始まる所で、あと500m(頂上まで)の古びた小さな札が有った。「これはヤバイ!!下り過ぎている」西の尾根に乗るポイントを探し当てた所で、胎蔵寺ルートの有無確認をしていない事に気が付いた。破線以外にもルートが何処かに有るかも知れないと思いながら(17)まで引き返して見たがやはり形跡は無かった。
(17)辺りの大岩群高さ幅とも数メートルある。
石の割れ目は人工で無く自然のものであった
bQ75


レポートは先になりますがその前に、急ぎ訂正とお詫びを致します。

訂正の内容=今回立った『吼子尾山』にこれまで通り私のラベルを掛けたのですがその際
に山名を『吼子尾山』のところを『吼尾山』と『子』の字を抜かして記入してしまいました。
(記入の時「子」の字が有ったか無かったか迷った結果です)
従って、登頂された方々で、このラベルに書いた山名を見られた場合大変ご迷惑をおかけする事をお詫び致します。

 そこで、誠に身勝手なお願いですがこの山に登られる予定の方があれば山名の所を消去して下さるか、消去して空白に『吼子尾山』と記入して頂ければ大変有り難く思います。
上お詫び致しまして私の身勝手なお願い何卒よろしくお願い致します。

10月6日23時この件 ’04.9.20(月) 井上様にプレート付け替えてもらいました。    



のどかな集落奥塩久から難なく着いた塩久峠。

今日は西から吼子尾へ向かえば、前方横切る中形イノシシ。

慎重読図で県境辿り、一週前におやつを食べた吼子尾分岐で今日はおにぎり。

コブ越え横ばい繰り返し、吼子尾山から大展望。



青垣町奥塩久〜塩久峠〜県境東尾根〜421m〜吼子尾山分岐ピーク南下〜418m〜

471m〜吼子尾山(小室城跡)519.3m三等〜尾根南下〜375m〜西尾根〜253m〜

青垣町総合運動公園前



◎所在地 : 福知山市樽水と氷上郡青垣町奥塩久の県境尾根から
                            東芦田と奥塩久・口塩久の境界尾根 

◎地形図 : 2万5千図 『福知山西部(ふくちやませいぶ)』 『黒井(くろい)』 

◎山行日 : 2003.10. 5 (日) 曇り(さわやか)

◎山行条件 : MTB/妻      Age=56

◎コースの見所 : @6−A樽水方面展望  A5〜6福知山市側の高木雑木

             B吼子尾山の城跡と大展望(京都府の青葉山も見えたと思う) 

◎走行距離 : 往路 74.2km  往復 145.5km



自宅発(7:30)〜R=175〜西脇市〜氷上町稲継交左折〜R=7〜青垣町『道の駅あお

がき』から右折〜奥塩久1・S/G(9:20)〜発(9:35)〜2・(9:50)〜3・(10:00)〜

4・塩久峠(10:08)〜発(10:20)〜5・(10:24)〜6・(10:40 樽水展望=A)〜

発(10:55)〜7・(11:05)〜8・(11:25)〜9・(11:35 峠道探し)〜発(11:45)〜

10・吼子尾山分岐(11:53おにぎり)〜発(12:18)〜11・418m(12:25)〜

12・(12:55)〜13・472m(13:15)〜14・(13:20)〜15・(13:25)〜

16・吼子尾山(13:38)〜発(14:25)〜17・掘り切り(14:33)〜18・(14:40)〜

発(14:50)〜19・(15:02)〜20・(15:10)〜21・(15:18)〜

22・アンテナ(15:32)〜23・稲荷神社・総合運動公園(15:55)〜妻と別れる(16:05)

〜1・S/G(16:20)〜発(16:25)〜24・妻と合流(16:36)〜5・着替え・発(16:47)

〜往路〜自宅(18:45)



※画像乱れあり    ※初めに:F=福知山市  H=兵庫県toします。



先週はルートを大きく外して、目的の吼子尾山へ立てなかったが実は「これも良し」でした。と言うのは、予定通り吼子尾山へ着いていたら吼子尾山分岐から塩久峠の間(県境界)の走破をどんな形で成すか悩んでいたからです。考えていたのは「塩久峠〜吼子尾山分岐ピストン後榎峠方面へ向かう」と言う事でした。

それがルート外しで再挑戦によって塩久峠〜吼子尾山が決定し吼子尾山分岐から塩久峠の間(県境界)の走破完了となった。先週山から下りた奥塩久の集落の外れ、深い谷筋の入り口にある広場に車を置かせてもらった。1・S/G(9:20)〜発(9:35)さて峠道が残っているかどうか・・・。もし残っていなくても植林帯の急登で上れなくはないだろうと思いながら破線の谷へ入って行った。

林道の猪垣を通過して薄暗い植林帯に入ると道の両側に畑跡が続いた。そこに植えられた桧の樹齢からすると廃耕して4〜50年と言ったところか・・。横の細流には「アブラハヤ」がいた。道は破線よりも谷筋についていて(破線の道も残っている)次第に傾斜が増していき 2・(9:50) 林道はここで破線の道と左谷筋は直登で右は山肌緩く巻いていた。

一寸思案したが中央の破線の道を上った。すると間もなく右手から上ってくる林道に交差した、先ほどの右側の林道の延長だだろう。 3・(10:00) その道は山肌を緩く上り続けていたがその先は下の左の道と繋がっていると見たが・・?。さて峠への道が見当たらない。そこで林道を少し上って見ると峠に向かって本来の峠道が見つかってそれを上ると峠に着いた。 4・塩久峠(10:08) 

桧林の緩やかな峠でF側が明るかったが展望は無かった。辺りを探索する。F側には東西に横道(旧作業道・・?)がついていたので妻はこの後辿る東側の道を探りに出た。もしかすると目前の急登が避けられるかも・・・しかしその道は界のコルには繋がっていなく引き返してきた。私は石仏またはお堂跡でもないかとうろついたが見当たらなかった。しかし、H側に3m四方位の平地を確認したのでそこがお堂跡かも知れない。