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クロイシ
555.9m

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bQ67 鴨内峠〜クロイシ〜3町境界〜町界西尾根〜栗栖


実にのどかな集落抜けて、駐車ポイント探して走る。

「熊出没」の大きな看板、その直ぐ先の広場に止めて、思案したけど計画実行。

等高線の間隔狭く、道が無ければ悪戦苦闘それを覚悟で入ってみれば、

「案ずるよりも生むが易し」。クロイシ直下の大展望to終盤近くの岩肌に芸術的

な小鳥の巣を見る。




鴨内地区〜鴨内峠〜3町境界〜クロイシ(555.9m四等)〜3町境界〜

町界西尾根〜511m〜栗栖(くりす)450.2m四等〜167m



◎所在地 : 市島町鴨阪と氷上町鴨内境界〜氷上町鴨内と青垣町東芦田の境界尾根 

◎地形図 : 2万5千図 『黒井(くろい)』  

◎山行日 : 2003. 6.29 (日) 曇り

◎山行条件 : MTB/妻    Age=56

◎コースの見所 : @クロイシ直下からの展望  

◎走行距離 : 往路 68.5km 往復 140.8km



自宅発(7:22)〜R=175〜山南町井原交(8:33)〜氷上町稲継交左折〜R=7〜鴨内地区

〜R=282〜1・S/G(9:05)〜発(9:30)〜2・橋(9:40)〜3・五台山登山口(9:55)〜

4・(10:10)〜5・鴨内峠(10:35)〜6・(10:48)〜7・3町境界(10:50)〜

8・クロイシ(555.9m四等)11:00〜発(11:05)〜7・3町境界(11:25)〜9・(11:30)〜

10・(11:39)〜11・(11:44)〜発(12:30)〜12・(12:50)〜13・(13:12)〜

14・栗栖(13:15)〜発(13:30)〜15・(13:48)〜16・(13:58)〜17・(14:03)〜

18・(14:28)〜19・(14:35)〜20・(14:50)〜21・(15:00)〜22・(15:10)〜

車S/G(15:30)〜A・妻と合流(住民と会話)〜2・(15:54 休憩と昼寝)〜発(17:23)〜

往路〜自宅(19:08)



鴨内峠にはこれまでに2度立っている。一度目はその後五台山を踏み、2度目は親不知から辿って来て峠から鴨坂へ下った。この時に通過した3町境界から西へ延びる、青垣町と氷上町の境界尾根と特に峠から鴨内へ下る消えかけている道が実際の所どうなっているのか気になっていたので、それを確認したくてスタート地点の鴨内へ向かった。

「鴨内へ少しでも近道で」と思って、山裾の日比宇(ひびう)から入りかけた時、前方の道に人の集団があり何だろうと思って停止していると、その中の一人がやってきて「墓掃除にきたんか」と問いかけてきた。私「五台山に登ろうと思って」 住民 「五台山なら香良の方からが・・・」 私 「今日はこっちから・・・」 住民「7月中頃まで害獣駆除でハンターが入っているから気を付けて・・・」 

ついでに五台山へのルート状況を尋ねると「案内は有ると思うけど・・・」お礼を言って「のどかさ」を感じながら、鴨内地区の奥へと入っていった。民家が途切れたが舗装路は続いた。駐車ポイントを探しながら走って、左手に大きな一塊の杉林が有る所の広場に止めた。1・S/G(9:05) が、しかしそこには看板が立っていて「熊、注意 平成15年5月15日熊出没!・・・」

犬の散歩で通りかかった人にこの事を尋ねると、熊の体長は2m位とのことだった。熊が出たのは、今から1ヶ月余り前だから現在は安全だろうと勝手に判断して計画通り山行を実行することにした。 発(9:30)尾根を回り込んで直ぐ右に在る谷に「広瀬」の看板が立っていた。この後も「ゴボウ谷」「つんぼ畑」「弁当畑」とかの看板を見たが、これと同じものを稀に見ることが有る。

谷名や地名と思うが「今残しておかないと僅かな年月で知る人も居なくなるように思う」なんて事を思いながら歩いていたら 2・橋(9:40) 橋を渡ると左に、車なら10台はかるく止められる広場が在り(下山後ここで休んだ)新林道が北の谷に延びていた。

五台山へは本流に沿って上がる太い林道を上って行く。地道に変わってS字カーブの先に、往時の桜並木の名残だろう太い桜の木を数本見る。ここを通過すると桧林になって周りは一気に薄暗くなる。間もなく、例の看板の「弁当畑」が立っている。丸太橋を渡ると右の桧林は段々になっていた。木の育ち具合から見て樹齢4〜50年少なくとも其の頃には畑だったかも知れない。


出鼻をくじかれそうになった看板        S字カーブの所・岩盤を切り拓いた道の先に桜並木が見える

細流を挟んで本当に薄暗く湿っぽい桧林を上って行くと、10p角位の木柱に「五台山登山口」の案内が有った。地図の破線よりも少し先だった。 3・五台山登山口(9:55)踏み跡は更に奥へと続いていたが案内に従って東の山肌へ上り始めた。明るい道は東からの尾根の向こうを巻いているようだった。そこへ向かう途中で左に、消えかけていたが別ルートを見つけて、それを辿った。

ザレの急斜面でルートが分断したりでスリルを味わいながら 4・(10:10) この辺りに出たと思う。すると、尾根すぐ下に上り始めに辿っていた道の続きと思う明るい道が上がってきていて、れを辿って鴨内峠に着いた。 5・鴨内峠(10:35) (4)前後尾根の範囲(破線)には踏み跡(道)を確認したので古くは破線ルートが道だったのだろう。

また(4)から北の谷へ向かって横ばいで踏み跡がついていたのでそれを辿れば谷に有った登山口へ下れると思う・・?。鴨内へも明るい道が有ることが分かった。さすがに「県道R=282鴨阪・沼線である・・??」 峠に立つ看板に「五台山登山口」と太い字その下に「右県道鴨内( )  に至る」左五台山近道1500m」 鴨内の下一字は誰かが無理やり消していたが記憶では「沼」と書かれていたと思う。

「五台山近道」とは・・??現在利用されている道は新道という事になる。そう言えば尾根から鴨内側少し下に尾根に沿って微かな踏み跡が在るのを前々回に確認しているがそれが古来の道だったのか・・?。少し休んで発つ。 6・(10:48) 短急登で 7・3町境界(10:50) 西が開けるがここよりも、もう少し上の3町境界に大展望所が在るのを知っていたので軽く流した。

(実は、現在地確認を怠っていたのと、それよりも何よりもクロイシ直下の展望所が3町境界だと思い込んでいてここを通過した。)上の方で人の声がして直ぐのコルで出会う。30歳位の夫婦だった。展望所で展望していて始めて間違いに気が付いた。ついでに「僅かの距離」と言う事でクロイシまで行って、戻りに展望を楽しんだ。結果的に展望が出来たのでこれで良かったと思った。


クロイシ直下からの展望。この時点では、(10)ピークから右へ続く尾根を辿ると思っていた。左の方には台形のピークが特徴の五台山も見える。奥尾根左から安全山・篠ヶ峰・大井戸山・竜ヶ岳・水山・岩屋山・マタニ山・三国岳・大蓑山

3町境界にっ戻った。 7・3町境界(11:25) いよいよ境界に踏み込もうとした時、赤の幅広ビニテープが巻かれている木が目に入った。この辺りではよく見る「ベル」によるものなのか・・?『やっぱり先客が居たか』と思いながら下草のない植界を緩く下って行った。そして 9・(11:30)

 地図では、青垣町側からの破線が尾根を越えているので峠道を探すと、青垣町側に僅かに其の形跡を見た。界は、ベルのマーキングと界標石の傍に紅白のグラスファイバー製のポールが立っていた。更に切り開かれていて何の苦もなく進めたが、この後でこの標石とポールに悩まされる事になった。 

標石には『幸世村直営地界』と刻まれている。同種の物を「カヤマチ〜水山」でも見た記憶あり
右写真難関だった(11)地点にもポールは立っている。この右でおにぎりを食べた。(東より撮る)

植界の小さなコブを越えて 10・(11:30) そして問題の(11)地点となる。西へ向きを変える地点(11)に注意をして進んでいたが、実に明るい切り開きとポールと標石はほぼ水平尾根に有り(北尾根に在る401mの方)それに誘い込まれてしまう所だったが何とか踏み止まった。現在地確認をしていたにも関わらずこれだから、もしもいい加減に辿っていたら十中八九401m尾根に乗ってしまうと思う。

(意図的にこの尾根に乗って行ったのかも知れないがこの後辿った町界にベルのマーキングは見なかった。)”踏み止まった”とは言え確信は無く高度計を見ると520m位でほぼ合っていたがこの辺りは何処に立っていてもこれ位の高度で位置確定に至らない。思案している時、妻が ”お昼にしようか・・” こんな時こそバタバタしないで落ち着くのが一番(私は、この事は分かっていても未だになかなか出来ないでいる)

おにぎりを食べながら北尾根に入って見たが横ばいが続いていた。町界と思う尾根を覗くとハッキリした開は無かったが下草もヤブなく辿れることを確認した。それでも(11)と確信できず今度は”木登り術”を使って確認に入るべく、それに適した木(ソヨゴ)を探して登って見た。すると何となく町界尾根が有りそうなのと(木の陰でよく見えない)車で走った「鴨内谷川沿いの道が見えて初めて現在地確認と共にコースの決定が出来た。

これ程までに標石とポールと切り開きに惑わされたと言う訳。そして 発(12:30) 少し下ると”道”が出て標石も有りまた昔より町界には必ず植えられて大きく育った松(現在はどこの町界でも其の松の殆どが枯れたり朽ちかけたりしている)も見て町界に乗っている事を確信した。左右に険しい切れ落ち等見ながらどんどん下りで 12・(12:50) 

ここは尾根を挟んでY字分岐になっていて、方向確認して尾根右を下ったが其の先で合流していた。(時々有るケースである)この後はしばらく倒木に悩みながら進む事になった。 13・(13:12) ここに来て今日初めての角の尖った岩がごろゴロと出る。

だだっ広い桧林の尾根であったが、上りでは上へさえ向かえばいいので迷うことは無いが反対にこれを下るとなれば南寄りの明るい尾根に乗りそうだった。上り切って水平ピークに三角点を見てバッチリ。 14・栗栖450.2m四等(13:15) 3町境界以降ここに来て初めての展望が北側の樹間に見られたが、これといった展望の記憶が残っていない。 

(12)先の倒木 MTBでの通過は一寸手強い   (15)へはこんな尾根を行く

長い目に休んで発つ (13:30) (15)手前で南寄りの366m方向の尾根に乗りそうだったが難を逃れた。 15・(13:48) 左雑木林に変わって下りかけた時、下草の上に落ちている今年作って未だ新しい小鳥の巣をみつけた(卵は無し)。そこには松の朽ちかけた枝も落ちていたので多分この枝が落ちる時に小鳥の巣に当たって巣を落としたのではないかと思った。

左右共桧林になって 16・(13:58) 〜 17・(14:03)左が雑木に変わって界は中下りの一寸した岩場となる。私は其の岩に珍しい植物でも生えていないか探策していると岩肌に「いわまつ」がへばり付いていた。さらに探していると、大岩の地表から5〜60pの所に有る小さな棚に正に芸術的な小鳥の巣を見つけた。

巣の中には白い卵が4個入っていて、外の部分は生き生きとした苔を使って作っていた。,こんなに低い所に作った巣を見たのは生まれて初めての事。巣作りは「蛇や小動物から卵や雛を守るため」に高い木の上に作るといった、とにかく外敵から守られる環境に作るのがが定説である。この方面に詳しい人に、この件についてたづねてみたいと思う。

巣の中は球体を2等分割したほどの実に見事なものであった。先ほど拾った巣とは種類が違っていた。(初めの巣は拾って持ち帰っている)辺りで小鳥の鳴き声がしていたら巣の主かも知れないので待っているのだが其の声もなかったのでそこを離れた。


楽々と巣の上から写せる高さに作っていた  斜め上から見た巣

巣に対する疑問と興奮を胸に下って 18・(14:28) 地図では高圧線が通っているが現状は鉄塔部分のみが撤去されていた。(切断面からして最近のように思った)北に大箕山・岩屋山其の間に粟鹿山が見えてパラも飛んでいた。巡視路のプラ階段は下のコルから小谷に下っていた。一寸誘われかけたが思い止まって界を辿り 19・(14:35) このピークには「ヤマゴケ」か沢山生えていて正面(西)が開けて水山を中央に左右に稜線が見えた。

先のコルまでは草ヤブだったが上り返しから桧林で下草なし。短急登で 20・(14:50) 東から南にかけての山肌は岩盤で、ここでも探索したが「一つ葉」の群生を見ただけだった。辿って来てそのまま直線上に下り始めたが柴ヤブと次第に激下りの様相になって仕方なく町界に戻って下った。下りついた所は墓地だった。そして 22・(15:10) そこから(20)ピークを見ると地図の崖マークは予想をはるかに超えて垂直の凄い崖だった。

妻と別れてMTBで走って車に戻り、折り返し妻を迎えに向かった。妻と合流したのはA地点だったと思う。妻は道端で押し車に座って休んでいる80歳過ぎのおばあさんと畑仕事をしている50歳位の男性と話していて、私もその輪に入って話した。鴨内峠の話になった時、おばあさんは福知山から鴨内へ嫁いでこられたそうで、其の時代は峠から「クロイシ」を経て「豊富用水池」に下って実家に帰っていたとの事。

また昔は峠や近くの山でも沢山のマッタケが採れて大阪方面からも大勢の人が来て山で「むしろ」をしいてマッタケを賞味していたらしい。また畑の作物が鹿の食害に遭って困っている等などの会話をして再び(2)地点に引き返して、谷川の水で汗を流し、ゆったりの〜んびりおまけに昼寝もした。そんな気持ちにさせてくれる鴨内に「ありがとうございました」とお礼を言って帰路に就いた。


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14・栗栖・450.2m
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